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六話 7

「今回はな、キレイゴトはやめようじゃないかと、俺が提案したんだ。お前は料理人からの転向だからストレートの奴らよりは二つも三つも年が上だが、まぁ、まだいわゆる危機的世代だろ。思春期の心は特別もろいからな、鋭敏になってる感性は壊れるだろうといって反対された。直前まで、今まで通り適当に基地を見せて適当に作戦に加わらせる予定だったんだ」

 大佐は背を向けているので、どんな表情をして言われた言葉なのか分からなかった。

「それを、ほとんどの直下の部下と同様に『使った』。受け入れ側の大佐連中もな、少々荒っぽいが、学生が軍隊入りしてから『叩き直される』手間がどうしても面倒だと言うんだ。徐々に慣らしていくのがまァ当然なんだがな、今回は実験もかねて、いきなり学生に本式を叩き込んだ」

 残酷だろう、と大佐は笑う。嘲笑混じりの口振りだった。「イヤな軍人だ、俺も奴らも」

 コックになるのが一番向いている。

 一宇は思いを新たにし、戦地に赴くときくと自然と腰が引けるようになった。それでも、軍のコック係もそれなりにいいと自分に言い聞かせる。何より、他に行き場がないのだ。甘えてもいいのだと佐倉は言う。軍人ではなく叔父としての彼は言うのだ。郷里に帰って一族を守ればいい、お前ほどの技量があれば、家族を直接的には守れない前線よりも戻って暮らしたほうが良い。軍に入れば自動的に、今最も人手の足りないところ――前線に回されてしまうだろう。お前は軍人には向かない、そこまで一宇は叔父に言われた。一宇は、それは知っているがどこへ行ってもこの恐怖からは不安からは逃れられないのだと答えた。叫びだしたい衝動は、殴りつけた拳に乗せた。あの日以降も、雨のように降る、見えない弾丸で柘榴のようにはじける人影を何度も見た。どこに救いがあるのだろう。こんなところで育った子どもは、本当に、平和のことも人の死の重さも知らずに生きるのだろうなと思った。キャンプではないのだ、彼らは密林にも潜み、息を詰め、多くの時間を追いつめられて過ごしている。もし生に重みがあるのなら、彼らは戦うことが出来まい。怒りすら湧いてこない弾の雨、その中では走るしかない。意味など問わない、問うのはそれに疲れたときだ。マラソンのラストスパートのように、息はあがり、気は遠くなり、ひたすら走る機械になる。ときに神の名を口ずさみながら。もし生を意味づけるなら、それを失う恐怖ですでに狂い、自害しているだろうと一宇は思う。それは想像でしかなかったけれど。

 大佐は黙って風に吹かれている。先程の凪が嘘のように、風は再び勢いを強めている。

「――そろそろ戻るか」

 くわえ煙草のままで立ち上がり、今更気づいたように火を消した。

「まぁ、去るも残るもお前の勝手だ。俺もここに勝手に残ったし、理由なんてきいてる暇はない。使えるものは全部使う。もちろん、旧帝国時代と違って、俺たち軍人は自衛集団だからな。雇われの自警団だ。働かなくなったら俺たちのただでさえ小さな版図が失われかねない……一応自分たちのために戦うことにはなるか」

 わざとのようにあげた口の端が、笑みではなく泣くのをこらえた子どもに見えた。たぶん一宇は哀れんでいる、自分たちの戦いを。くだらないと知っていてもそこを進む、それは愚かでくだらない。自分たちのちっぽけな居場所を守るために、あれだけの戦争が起こされるのだ。レジスタンスも軍人も、一般人もみな生きたがっているはずなのに。

 砂を踏む。乾いた音を立てて、足下は崩れ落ちていく。先を行く大佐の背を見ていると、ふと爆音が空を切り裂いた。空を行く誰かが基地に戻ってきたのだ。

 料理はしたい、でもこの胸のざわつきからは逃げたくない。

「大佐ー! 待ってくださいよっ、足がはやすぎ!」

 呼ばわっても、前方の影は足を止めようともしない。正規の軍服には朝とは違って折りじわがいくらか残っている。彼の時間はああ見えて細かく刻まれていて、これから再び席について仕事を続けるのだろうということが目に見えていた。

「うが、ふっ」

 一宇は砂に足を取られて転んだ。埋もれてしまったことよりも、砂がついた服が気になる。

「クリーニングに出す値段がいやだ!」

「うるせー、大体みみっちいこというな、わかってんだろ、お前ら候補生には資金がさんざ流れてんだよ、せいぜい役立てこの間抜け」

「わざわざ戻ってきて人の頭踏んでまでいう言葉ですかそれ」

 うりうりと靴で踏みつけてから、大佐は一宇を引き起こす。

「ふざけてないで、帰るぞ」

「だれがですかっ」

 砂を吐き出しながら文句をつけると、もう大佐は笑いながら帰っていくところだった。一宇は基地の建築物に向かって駆け出す。一気に大佐を追い抜いたので、後は振り返らずに一目散に入口に走った。後ろから大佐が本気で走ってくるのが分かる。こういうとき、一宇は専門の人間に勝ってみたいなぁ、などと思う。今日は、大佐が途中で飽きたらしく、先に一宇が建物内に入った。廊下を走っていて、注意を受けて慌てて歩く。

 とりあえず、まぁ、一宇は残ると決めたのだ――せいぜい、生き延びることにしようと思う。いつか、たどりつくために。

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