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side-B 2 発見

「何これ、人形……?」

 リノリウムの廊下の片隅に落ちていたものを見て、私はぽつりと呟いた。私はそれを最初、風によって一箇所(かしょ)に吹き寄せられたゴミだと思った。よく見てみると、どうやら豚を模した人形であることが分かった。

 豚だと断定したのは、ピンク色の鼻とカールしているしっぽがあったからだ。郵便はがきほどの大きさのその人形は、羊毛フェルトで作られていた。身体は薄黒く汚れていて、ドブのような臭いがした。ナイフのようなもので削って先を尖らせた木の枝が、胴体のフェルトから四本生えていて、どうやら足を表現しているらしかった。口には歯がびっしりと描かれており、ゴマのような目はぬらぬらと()れていて、本物みたいだった。これが日香里の失踪と関係があるものなのかどうか、私は瞬時に判断ができなかった。

 終業式が終わってから、あっという間に数日が経った。学校が夏休みの間も、警察の捜索は続けられていて、昼のニュース番組で日香里の失踪が報じられた。ニュースキャスターが日香里の名前を告げて、テレビ画面に学び舎が映ったものの、磨りガラス越しに見る風景のようであまり現実感がなかった。

 私は日香里の行きそうなあらゆる場所に行き、彼女の痕跡を探した。何もしないで待っていると、心が色彩を失っていき、自分という存在が透明になっていくような気がした。

 高校はもちろん、最寄り駅、CDショップ、ハンバーガーショップ、塾、カラオケボックス、アパレルショップ、靴屋、雑貨屋、ゲームセンター、映画館など、思いついた場所は虱潰(しらみつぶ)しに歩いて回った。しかし、日香里の痕跡はおろか髪の毛一本さえ、見つけることはできなかった。


 肩を落としながら、私は夏休みにもかかわらず、図書委員の仕事を全うするために学校に来ていた。自室で(くすぶ)っているよりは、学校に出向いたほうが気が紛れると思ったのだ。学校の鉄扉の前の道路に、マスコミの車らしき軽自動車が止まっていた。それを横目に下駄箱に向かい、上履きに履き替えて、一階の廊下を歩いていた。そして先ほどの奇妙な人形を見つけたのだった。

 膝を折ってしゃがみ、目を凝らして人形を見た。昼間の空気の中でも、その人形は異質な存在感を放っていた。誰がこんなものを置いたのだろう。ただのイタズラなのか、何らかのメッセージなのか。難解な方程式を解いているように、思考がまとまらなかった。

「どうしました、こんなところで」

 背中とシャツの隙間にムカデが落ちてきたような驚き。慌てて立ち上がると、後藤先生が目を丸くしていた。ほっそりとした頬をしていて、夏場にもかかわらず汗はかいていなかった。

「びっくりした、後藤先生だったんですか……」

「驚いたのはこっちですよ」目尻を下げて苦笑しながら、先生が言った。「五十嵐さん、それは触らないで良いですよ」

 落ち着いた声色でそう言うと、先生はポケットからティッシュを一枚取り出して人形をつまみ上げた。伸ばした腕に、引っ掻いたような傷跡があった。

「先生、その傷は……」

「ああ、これですか」そう言って、指先で軽く傷跡を擦った。「通勤途中に野良猫と遭遇しましてね。その子の頭を撫でようとしたら、引っかかれてしまいました」

「生物の先生でも、そういうことがあるんですね」

弘法(こうぼう)にも筆の誤りと言いますから」

 屈託のない笑みを浮かべて、私もくすりと笑った。そして手元の人形を見ながら「それにしても困りました」と先生が呟いた。

「その人形のことですか?」

「こういうのが今朝から、学校のあちこちで見つかっているんですよ」

「誰かのイタズラですかね」

「そうだと思います。もう少し可愛(かわい)げのある人形ならまだしも、これは少々不気味ですね」

「ちょっと怖いですね。ここ最近、色々とありましたから」色々と、の部分を強調して発音した。

「……そうですね」先生は眼鏡のブリッジをくいと上げた。廊下は人気が無く、二人の声が響いて、天井の隅にいつまでも残っているようだった。

「先生、日香里はまだ見つからないんですか?」

「まだ捜索中だと、昨日警察から連絡がありました」沈鬱な顔で先生が言った。

「この街は、そういう事件とは無縁だと思っていました」長身な先生の喉仏の辺りを見ながら言った。

「この学校に来て六年ですが、こういうケースは始めてですよ。二年前に、隣の区の中学校でちょっとした事件があったくらいでね。最近は、ずっと穏やかでしたから……」

「ちょっとした事件?」

 先生の目に焦燥の色が走り、慌てて取り繕った風の笑顔を見せた。

「いや、そんな大きな事件じゃないんです。不安にさせてしまったなら、すみません」

 先生は早口で話してから、摘んでいた人形をゴミ箱に投げ捨てた。自分の唇を軽く()めて、「図書委員の仕事、頑張ってくださいね」と言うと、職員室に入っていった。


 ちょっとした事件とは何だろうか、と考えながら、私は三階の図書室の方へ歩き出した。廊下の隅や掲示物の下に同様の人形が置かれていて、それをティッシュで摘み、ゴミ箱の中へ放った。人形の作りは甘く、投げ捨てるときに手がもげたり、首が取れたりした。

 三階の廊下は静かで、進路関係や薬物乱用防止のポスター、校内新聞などが壁に張られていた。図書室に到着して、何故あの人形が学校中に置かれていたのか考えながら、私はカウンターに鞄を置いた。その時、小銭同士がぶつかるような音がして、足元に三日月のキーホルダーが転がった。

「そんな……」

 鞄を置くときに、キーホルダーがどこかに引っかかってしまったのかもしれない。拾い上げると、金具が千切れてしまっていた。私は制服のポケットにキーホルダーをしまい、深いため息をついた。

 気落ちしたまま、私は校舎側の窓を開けた。湿り気のある風が吹き込み、空には溶けた水銀のような太陽が燃えていた。運動部の熱を(はら)んだ声と、吹奏楽部の楽器の奏でる音色が聞こえた。

 

 夕方になって自宅に帰ると、私は制服のまま自室のパソコンを立ち上げた。図書室で雑務をしている間も、先生の言っていた「ちょっとした事件」の正体が気になっていた。

 新聞社のサイトにアクセスして、隣接した地区の高校の名前を、一つずつ検索エンジンに入力した。一昨年(おととし)の記事に絞り込み、片っ端から見出しに目を走らせた。


《吹奏楽コンクール最終日、音色響かせる》……《高校生作文コンテスト、テーマは「私の家族」》………《三年ぶり初戦突破、高校野球選手権大会》……《米国の高校生と異文化交流》……《SNSで高まるリスク、青少年に安全なネット利用》……《学生のアイデアを商品化、コンビニと共同開発》……《オリンピック代表選手、母校で激励》……《百人一首大会、高校生が技を競う》……《高校生が啓発ポスター、安全なまちづくり》


 日常の延長線上にある、月並みな話題ばかりだった。事件と呼べるようなニュースはなかなか見つからず、いくら食い入るように題字に目を通しても、注目に値する記事は見つけられなかった。

 窓の外を見ると、夕日が名残惜しげに地平線にしがみついていた。もう少し経てば夜の気配が部屋を漂い始めてしまうだろう。パソコンの画面を(にら)んでいたせいか、眼の奥がつんと痛み、何度か目を瞬かせると、じんわりと涙が滲んできた。

 新聞の記事に乗らないような小さな事件だったのだろうか。それとも、二年前というのは先生の勘違いで、年代を間違えているのだろうか。半ば諦めていたとき、『X県の中学校に切断された犬の死体』という見出しが目に飛び込んできた。


***


 二十四日午前八時ごろ、Y市Z区の公立中学校の屋上で犬が死んでいるのを、校内の見回りをしていた校長が見つけ、警察に通報した。

 同署によると、死体は首と胴体と足が切断されており、何者かが鋭利な刃物のようなものを使ったとみられる。また、死体の周辺に血だまりがないことから、何者かが別の場所で犬を殺し、学校に運んできた可能性が高いという。

 今年の夏以降、Z区を含む近接区内で動物の切断死体が多数見つかっており、同署は動物愛護法違反の疑いで調べるとともに、学校周辺の警戒を強めている。

 この犬は頻繁に校内へ出没していて、生徒から可愛がられていたという。


***


 夕刊の隅に載っていた小さな記事だった。だが、純白のドレスに付いた一点の黒染みのように、この事件は私の心に強く引っかかるものがあった。隣区の出来事だったが、私はこの事件のことを全く知らなかった。事の残虐性を鑑みた両親が、私からこの話題を遠ざけていたのかもしれない。

 事件の起こった中学校は、近くの国道を東に進み、踏切を(また)いだ先にある長閑(のどか)な学校だ。私の通っていた中学校からは一駅分ほど離れていて、この中学校出身の人は知り合いに誰もいなかった。どうしたものか悩んでいると、ふと啓ちゃんの「いつでも電話していいから」という言葉を思い出した。

 制服のポケットから携帯電話を取り出し、啓ちゃんに電話をかけた。呼び出し音が二回鳴って、繋がった。

「もしもし、どうした?」

「ちょっと訊きたいことがあって。今、時間大丈夫?」

「いや、今忙しい。英語の宿題とにらめっこしていたところだから」

「それ、忙しいって言うの?」

 久しぶりに啓ちゃんの声を聞いたような気がして、私はほっとした。二言三言、他愛のない話をしてから、私は記事にあった中学校の名前を伝え、二年前に何か事件が無かったかどうか、遠回しに尋ねた。

「もしかして、犬の事件か?」

「知ってるの?」

「友達が話していたのを、耳にしたことがあるよ。夜になると、学校の廊下を犬の幽霊が彷徨(さまよ)うとか」

「まさか、オカルトでしょ……」

「まあ、俺も詳しくは知らないんだ」啓ちゃんの短い笑い声が聞こえた。「友達にその中学校出身の奴がいるから、詳しく訊いてみようか?」

「お願いしても良い?」

「良いよ。今はうちの高校の三組にいる、岸田って、知らないかな。背が高くて丸刈りの……」

 啓ちゃんと違って交流関係の狭い私には、ピンと来なかった。「いたような、いなかったような……」

「いるって。じゃあ後で岸田にメールしてみるよ」

 電話の向こうで、啓ちゃんの名前を呼ぶ声がした。母親が呼んでいるらしく、「すぐに行く」という啓ちゃんの大きな声が響いた。

「悪い、夕飯の時間だから来いって母親が声かけてきた。詳しいこと分かったら、また電話するよ」

「うん、ありがとう。夏休みの英語の宿題、私の写して良いから」

「マジで? 恩に着るよ。それじゃあな」

 じゃあね、と言ってから私は電話を切った。啓ちゃんの優しさが温かい湯になり、私の心を満たしていくような気がした。

 私は啓ちゃんのことが好きなのだろうか、とふいに考えた。彼に対する漠然とした好意はあるが、この気持ちは国語辞典に載っているどんな言葉にも――例えば、友愛、景仰、愛情など――ぴったりと当てはまらないような気がした。小学生の頃から、私と啓ちゃんの関係は水平に保たれていた。そして、片方の分銅の重さが変わってしまえば、二人のバランスはたちまち崩れてしまうように思えた。

 部屋をノックする音がして、夕飯の時間だと母親がドアの前で告げた。私は上擦った声で返事をしてから、部屋着に着替え始めた。とにかく今は、啓ちゃんの電話を待つしか無かった。窓の外に目をやると、蝉の羽のような澄んだ月が、雲の切れ間から見え隠れしていた。

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