天使の義足
ニュー速vipワナビスレで企画された年末統一の参加作品です。
■お題
・機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)
・プリンセス(姫)
・自殺(スーサイド)
■その他詳細はコッチ
【小説ラノベ】ワナビスレ避難所【18ページ目】
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/part4vip/1449374360/
技術は、生命のように進化する。
あっぱれ、こんな技術があったのか、と感心しながら読み進めていた書物の日付が、二年以上前の物だったり。そんな事は日常茶飯事だ。
そしてこの国の機械技術も、人の手に負えぬ程の発展を遂げていた。
『オハヨウゴザイマス』
通行している学生に声を掛けたのは、ゴミ収集用のロボットである。
道端に捨てられたゴミを集め、所定のダストボックスに放り込む。ただそれのみが出来るようプログラムされただけのロボットにすら、今や自己学習の人工知能が実装されている。
無論、そのロボットの挨拶に返事をする者はいない。それは、テレビのニュースの冒頭で挨拶をする司会者に、返事をするようなものである。
それが彼らの認識であり、常識であった。
その日も、そのロボットはいつものようにゴミを集め、満杯になった円筒状の容器を運びながらダストボックスへ向かっていた。
それがそのロボットの役割であり、日常であった。
『ゴミヲ イドウシマス。 ゴチュウイ クダサイ』
そんな定型文に聞き耳をたてる者など、もはや何処にもいない。しかしそれをロボットが嘆く事は無かった。そんな風にプログラムはされていないし、必要とも判断されていない。
しかし、そのロボットはいつまで経っても溜まったゴミをダストボックスに移さなかった。
『…………』
「おぎゃあ」
その中に、捨てられた赤ん坊が居たのだ。柔らかく、まだ汚れていない布に包まれ、ふてぶてしい態度で泣き喚いている。騒ぎになっていないのだし、たった今誰かが置いていったのだろう。首元には、“フラネーヴェ”と雑な字で書かれた名札が提げられている。
この時既にロボットに仕組まれた人工知能は、事態を解決させるべく広大なネットワーク領域から必要な情報の探索を始めていた。
赤ん坊――それは種の存続のため、護るべき存在。
最終的にそう判断したその瞬間――ロボットは、ゴミの収集という役割を放棄した。
***
この国の王は、“機械の女王”と呼ばれている。生まれながらにして天才的な知性とカリスマを持ち合わせ、この国の在り方を変えた。新たな技術を次々と生み出し、文明の最先端としての地位を築き上げた。
そんな彼女の最も偉大で、最も卑小と呼ばれる発明が“再帰計算型人工知能”――〈ノヴァ〉と名付けられたスーパーコンピュータだ。それはより高度なAIを作るためのAIとして開発され、今やその技術は多岐に渡る分野で利用されている。
この発明によって、人類の技術は宇宙規模の広がりを見せた。それにちなんでこの出来事は〈テクノロジー・ビッグバン〉と呼ばれるようになった。
それまで人々がしていた仕事は、今や大半がロボットによって支えられている。当初、国中は混乱に陥り、失業を懸念し未来に不安を抱いた者達が暴動を起こす事もあった。
しかし実際はそうならなかった。技術の大革新は、人々の職場における役割を再定義したに過ぎなかったのである。
「フラネーヴェェェ! 聞いてるのかァ!」
教師の怒号が教室に響く。それと同時に彼女の元に飛来するはずだったのは、チョークではなくタッチペンである。しかしその教師はノーコンだった。
「グヘッ」
そのタッチペンは三列も横に座っている男子に直撃した。突然呼ばれた事に驚いたフラネーヴェはきょとんとしながらその様子に目をやる。
「な、何ですか?」
「今の話を聞いていたのかァ!」
「あー……。何も?」
フラネーヴェは学内でも有名だった。学術の成績がトップである事。しかし授業に真面目に取り組む姿を見た事がある者は居らず、常に自身のタブレットと向かいあって何かしらの作業をしている、という事。
そして何より、真偽は定かではないが彼女の身元が一切不明で、ロボットに育てられた、という事――。
「ふ、フラネーヴェちゃん……。そこは嘘でも“聞いてた”って言わないと……!」
と、隣の席の女子から耳打ちされる。
「聞いてた」
「遅いわァッ!」
「すみません嘘つきました」
フラネーヴェは誰よりも正直者に育っていた。それは誰もが称えるべき長所であるのに、それを全否定する程の授業態度には多くの教師が頭を抱えていた。
タブレットは授業でも必要不可欠な端末であり、没収してしまえば勉強にならない。
一度、本人の端末を取り上げ、学校の備品である端末を渡した事もあった。その日はさすがに彼女も真面目に――他の生徒がするような虚ろな眼差しで茫然と――授業を聞いていたのだが、放課後に返却された端末には何への当てつけか、全教員のアカウント情報を記し纏めたテキストファイルが保存されていたのである。
その日以来、教師達はフラネーヴェの不真面目な態度に目を瞑るしかなくなってしまった。
「フラネーヴェ……。私は今〈テクノロジー・ビッグバン〉における〈ノヴァ〉の発明を偉大ではあるが、卑小でもあると言った。卑小とは教科書には一言も書いていない。どうして卑小か分かるか?」
「……無限に近い広がりを見せる情報技術を畏怖した女王様が、たった一度だけ暗号化処理を掛けてしまったから、です」
「……正解だ。暗号化処理後の深層アルゴリズムはさらに難解な暗号化処理がされていた。その繰り返しだ。たった一度のミスのおかげで、この電子の宇宙の最深部はもはや未開拓。まぁ、そのおかげで今のこの国が成り立っているとも言えるんだけどな……」
フラネーヴェの暮らす国は、ある時を境に“学術都市”と呼ばれるようになった。
最先端の技術を学びたいという若者が多く集まり、暗号化された電子の宇宙を開拓しながら生活している者が多い。フラネーヴェもその一人であり、この日も大して高性能でもないタブレット型PCと向き合って発掘作業をしていた。
彼女も決して学校の授業が嫌いというわけではなかった。ただ単に、内容が既に殆ど頭に入っているだけである。今の学校に入学する前に、自身の“父親”から電気工学の何もかもを学んでいた。
少しして、教室内に終業を知らせる鐘が鳴り響く。
「……今日はここまでだ。課題は共有サーバにアップしておいたから、明後日までに提出しとけよー」
教師はそう言って教室から出て行った。フラネーヴェが通っているこの学校には、帰りのホームルームという物がない。連絡事項は生徒が各自持っている端末に一斉送信されるため、そもそもやる必要がない。連休に入る前日とかはさすがに担任が何かしらの話をしにくるが、それも三〇秒ほどで終わる。
室内の掃除も戸締まりも全てがコンピュータ制御であり、生徒達の仕事はただひたすらに機械を学ぶだけ。それが、この国の日常。
教室には生徒達それぞれが友人と会話をする声が響いた。課題がきついだとか、この後どこかで遊ぶだとか、フラネーヴェもその例には漏れなかった。
「フラネーヴェちゃん。この後予定あるの?」
そう尋ねたのは、隣の席に座る女生徒――リリアだ。フラネーヴェにこそ劣るものの成績はトップクラスであり、学内では高嶺の花と呼ばれるほどにお淑やかな雰囲気を纏っている。
「うん。帰るよ」
フラネーヴェは自身のタブレットを操作しながら、淡々とそう返した。他のクラスメイトと同じように今後の予定を話し、当然のように帰宅を宣言。これはいつもの流れだ。
ほぼ毎日、リリアはフラネーヴェに予定を聞く。しかしフラネーヴェのスケジュールは“帰宅”で詰まっている。そこに他者が干渉する余地はない。
「そ、そっかぁ。忙しいんだね……あ、あはは……」
「生活がギリギリなんよ」
「フラネーヴェちゃん、一人暮らしだっけ。いいなぁ、私もいつかしてみたいな」
「……一人暮らしではないよ。“父親”がいる。人間じゃないけどね」
リリアはその話を何度も聞かされているため、そこまで驚きはしなかった。しかし、深く詮索もしなかった。これは彼女なりの配慮である。
「そうなんだ。未だによくわかんないけど、大変なんだね」
「楽しいよ。いつか遊びに来なよ。“パピー”もきっと喜ぶ」
「ぱ、パピー……?」
「よし、課題終わり。じゃまたね」
フラネーヴェは課題をサーバに提出し、教室を後にした。扉を開けた時に流れ込んで来た冷たい風が頬を走り、思わず顔をしかめた。
***
「ただいま、パピー!」
『おかえりなさい、お嬢様』
かつてゴミ収集する事しか能のなかったロボットが、爽やかな少年の甘美な声で挨拶をする。
――当時、赤子だったフラネーヴェを保護したロボットは、彼女本人によって“魔改造”されていた。だがその風貌はかつてとほぼ同じく、小型の円筒状の容器に腕を付けており、間の抜けた感じは拭いきれていない。
「……んへへ」
パピーはネットワークから膨大な量の育児のための情報をかき集め、記憶領域がいっぱいになった時には圧縮に圧縮を重ね、とうとう人の手を借りずにフラネーヴェをここまで育ててきた。そして、彼女に開発技術を教えたのだ。この国で生きていくには、最低限その技術が必要だった。
しかしそれは、必ずしも正しい事だとは言い切れなかった。その結果が現状である。
今やゴミを入れるためにあった円筒には小型のミサイルもどきが敷き詰められ、センサーが見知らぬ人を検知し『オハヨウゴザイマス』と発言するための命令を処理装置に送った瞬間、無作為にそれをぶっ放すようになっている。
フラネーヴェはそれを〈御挨殺砲〉と名付けたが、一度も試運転はしていない。
彼女も思春期に入り野蛮な兵器まがいの開発はやめたが、今度は内蔵された変声アルゴリズムや音声ファイルを書き換えて自分好みのイケメンボイスに変えたのだ。
はたから見れば、パピーは父親ではなく彼女の玩具だ。
それでもパピーは“父親”としてフラネーヴェを愛していたし、彼女もパピーを愛していた。
『そうだ、お嬢様。学校に行っている間に新しい〈ライブラリ〉が見つかったよ』
「…………」
『あれ? どうしたんだい?』
「お嬢様ってなんか微妙だな。後で変えよ」
『……今回見つかった〈ライブラリ〉の属性は……〈ヒストリー〉だね』
「歴史は全然興味ないんだけどな……」
フラネーヴェは部屋いっぱいに広がった巨大なコンピュータの前に座り、画面を眺めていた。真っ黒いコンソールウインドウには二桁ごとに区切られた英数字が大量に並んでいる。これは電子の宇宙を開拓した事によって手に入れた“戦利品”の一つだ。
「――展開!」
彼女の掛け声を認識したコンピュータが、虚空にホログラムを映し出した。その映像に映っていたのは、見たこともない街並である。
「どこだろこれ? 外国である事は間違いないけど。そもそもいつの時代だ? これだから〈ヒストリー〉は……」
『こらこら、〈ライブラリ〉が発掘出来ただけでも幸運なんだから、文句言っちゃ駄目じゃないか』
「そうは言ってもさぁ……。これじゃ来月飢え死にしちゃうよ。パピーのかいぞ……メンテナンスももっと進めたいし。マイニング用のコンピュータのスペックも強化しなきゃ」
この国の多くの住民は、コンピュータの計算処理を極力稼働し続け、暗号化された未知の領域から発掘した“情報資源”を国に売却する事で生活している。
例えるならば、国が主体となって常に行われる宝くじだ。計算処理をするマシンに多くの金を掛ければ、それだけ“アタリ”を引く可能性が高い。
フラネーヴェの住居に目一杯広がる巨大コンピュータはそのために作られたもので、今もなおスペックの増強が進んでいる。
しかし今回フラネーヴェが発掘した〈ヒストリー〉の〈ライブラリ〉が高額になる事は稀だ。言わば日付の分からない新聞の切れ端であり、断片化された何かの歴史が映像として再構築されているだけだった。
それゆえ彼女の気分は少しばかり落ち込み、色のない眼差しでその映像を眺めていた。
『やけに画面が揺れるね。走りながら撮影してるのか?』
「……そうみたいだけど、何を撮ってんのコレ」
そこに映るのは、高層のビルが立ち並ぶ一昔前の街並と、その隙間から顔を覗かせる雲一つない青空。そしてそれに似つかわしくない、撮影者の荒い息。
だが突然、退屈な映像が幕を閉じた。何か黒い影が空を横切ったかと思えば、ビルの窓ガラスが全て割れ、大きな爆発音が響く。唐突な変化に、フラネーヴェは驚いて変な声を上げてしまった。
そして映像の中の男は、恐怖に満ちた声色で叫んだ。
――終わりだ……。この世の、終わりだ!
「…………」
『…………』
その声と共に、画面が徐々に光に包まれ――そこで再生が終わった。
「これなんて映画?」
『私に訊かれても分からないよ……』
「はぁー……。どういう話かも分からん映画の途中を見せられても意味が分からんだけじゃん。つまんな」
『とりあえず売却申請しておくよ』
「うん……」
発掘したデータは国の用意したサーバに転送する事で売却申請が出来る。そのデータの価値は国が決め、遅くとも十五分程で通知と共に預金口座に現金が支払われる仕組みだ。
『ざっと見積もって銅貨五枚ってところか。適当なおやつくらいは買えるじゃないか』
「はぁ……。おやつなんていらないから〈キー〉の〈ライブラリ〉をだな……」
『馬鹿を言うんじゃない。何度も言うがそれはこの国に隕石が落ちる確率よりも低いんだ。狙うものじゃないよ』
〈キー〉の〈ライブラリ〉は、その層のアルゴリズムを全開放し、より下層へ進むための、文字通り鍵のような存在だ。彼女の家のコンピュータも国内では十の指に入る程には高性能だが、一度も〈キー〉を発掘した事がない。
そもそもこの世界に隕石は落ちない。宇宙空間で検知され、特殊な光線で瞬時に粉々になる。つまり、それが発掘出来る可能性は、限りなくゼロに近い。それでもなお、年に一度か二度は発掘される。もはやそれは奇跡としか言えない事である。
「小腹が空いた。何か食べてくる」
『冷蔵庫にプリンがあるよ』
「マジで!」
それを聞いたフラネーヴェは軽い足取りで部屋を出て行った。
『……早ければそろそろ振込通知が来るはずだが』
パピーはそう呟くが、いつまで経っても通知は来ない。十五分という微妙な時間、何かをしようにも足りないし、何もしないでいれば暇である。結局、待っているしかなかったのだが。
「ふぅー。美味しかった! パピー、いくら入ってた?」
『それが、まだ通知がこないんだよ。行政はメンテナンスでもしているんだろうか?』
「国の人も、何の映画か調べてたりして」
フラネーヴェは笑いながらそう言うが、前代未聞の出来事に、パピーはどこか不安でいた。
その時、玄関の扉が開く音がする。
「え、誰? インターホン押せよ……。ちょっと待って! 今行きます!」
世間との付き合いがあまり好きではないフラネーヴェは、嫌々ながらも急ぎ足で玄関へと向かった。
『ま、待て! フラネ――』
どうやって自動施錠の扉を開けたのか。来客に不慣れな彼女はそこまで思考が至らなかった。
「はいはい、何のご用です――え?」
玄関に立っていたのは、武装した男だ。手に持った拳銃は彼女に向けられており――
『フラネーヴェェェェ!』
風を切る僅かな音しか発さない銃弾は、フラネーヴェの心臓に向けて真っ直ぐに向かっていった。
だが彼女は咄嗟に、男が引き金を引く指の僅かな動きから状況を判断し、壁際に飛び込んでいた。
狭い玄関であったとはいえ、その行動が幸いして銃弾は彼女の肩を掠めるだけで、命拾いをした。
「ひ、ひっ……!」
突然に直面したあまりの恐怖に、彼女は腰を抜かし、悲鳴をあげる事すら出来なかった。肩の傷口からはぼたぼたと血が流れ出て、床の色を変えていく。
「チッ、避けたか。楽に死ねばいいものを……」
武装した男は静かに呟きながら、再び彼女に銃を向ける。その動作には一切の躊躇いも無い。
『何なんだお前はぁぁぁぁぁ!』
パピーは全ての出力を速度に充て、その男に突進した。同時に男に向けて発射されるのは、フラネーヴェが昔作っていた小型のミサイル――〈御挨殺砲〉だ。それは正確な軌道を描き男に直撃する。しかし、炎をあげて爆発はしなかった。
「ぐ、何だこれは! 戦闘用ロボットか! 視界がッ……!」
代わりにミサイルの中から溢れたのは、緑色をした何らかの液体だ。音を立てながら、男の銃や武装を溶かしていく。
「パピー! さっきの動画をあたしの端末に複製してっ!」
『何だって?』
「早くッ!」
肩を押さえながらフラネーヴェは叫ぶ。既に彼女はわかっていた。先ほど国に送信した〈ライブラリ〉が、国の機密に深く関わるという事を。
『出来たぞ!』
「貴様ら、国にたてつく気か? 無許可で戦闘用ロボットを作りやがって……! バカな事はやめ――」
『黙れ人殺し!』
パピーは丸裸も同然になった男を何度も轢く。小型のロボットとはいえ重量はそれなりにある。衝撃で気を失った男の身体には薄汚れたタイヤ痕がいくつも残った。
「パピー、に、逃げなきゃ……!」
フラネーヴェは痛みに涙目になりながらも、そう言った。肩から流れる血は彼女の制服も真っ赤に染めてしまっている。
『逃げる? 病院だよまずは! 今救急隊を――』
「ダメ……! この人の銃、国の軍が使ってるのと同じタイプだった! さっきのミサイルで通信機器も駄目にしただろうし……すぐに次が来る!」
『馬鹿な……』
国民を守る為にある軍隊が、なぜ彼女を殺そうとしたのか、パピーは未だに理解が出来ていなかった。
しかし、彼女を病院に連れて行かなければ失血死してしまう。
「……わたしに、考えがある……。いいから、は、早く出て……」
『……分かった』
パピーはフラネーヴェを担ぎ、家を出た。フラネーヴェは弱々しい動きで、自身の端末を操作していた。
「……学校に向かって。全速力で……」
『馬鹿を言うな! 病院だよ先に!』
「だめ……。もう、わたし達にとって……はぁ、この国は、牢獄でしかない。どこにいっても、あらゆるセンサーが、国の目になって……わたし達を殺そうとしてくる」
陰謀論に近しい彼女の発言は、パピーの論理回路では理解が出来ない。“国は国民を守るもの”という絶対的な前提条件が破綻し、その発想に繋がる道を完全に塞いでしまっていた。
『ならどうして学校なんかに……!』
「どんなに強固な牢獄でも……そこには必ず死角があるの……。行って! はや、く……!」
『分かったよ! 頼むから、傷口を押さえててくれよ。結構揺れるから』
パピーは全速力で学校に向かった。平坦な国で舗装されていない足場など無いが、道行く人々がこんなに邪魔に感じる事など、清掃ロボットの頃には無かった。
『着いたぞ! フラネーヴェ! フラネーヴェ……?』
「…………う……」
彼女の意識は既に朦朧としていた。出血が多く、傷を押さえる手の力も徐々に弱まっていく。
『おい! 返事を……』
「誰? 私の大切な友達に傷を付けたのは……」
その時、凛とした少女の声が校門の奥から聞こえてきた。パピーが振り返るとそこには、フラネーヴェと同じ制服を着た金髪の少女が立っていた。
***
「私はリリアと言います。あなたがパピーさんね?」
『はい……。しかしどうしてそれを?』
「ふふ、フラネーヴェちゃんは毎日あなたの事を話しますから。かけがえの無い家族だと、ね」
『……家族』
黒塗りの高級車に乗せられたパピーと瀕死のフラネーヴェは、リリアと共に何処かへと向かっていた。
「ひとまず、止血は終わりやした! あっちに着くまでは大丈夫でしょう!」
後部座席でフラネーヴェの応急処置をしていた男がそう言った。鼠のような顔と釣り合わない金色に輝くスーツを着たその姿を見て、医者と思う者は居ないだろう。
「ええ、ご苦労様。安心して下さい。彼は相当な医師ですよ。少し思考が野蛮で、医学界からは追い出されてしまったけどね、ふふ」
「いやぁ滅相もねェ!」
『あなた達は一体、何者なのですか?』
「うふふ、人間みたいに話すロボットにそう言われるなんてね。私はフラネーヴェちゃんのお友達です。“白銀財団”の一人娘という事にはなってるけど……。あまり両親とは仲良くないのよね」
『白銀財団……』
聞いた事も無い言葉だったため、パピーはこっそりとネットワークから情報を検索した。連想される単語に“ヤバイ”や“闇”という言葉がヒットし、そっと検索をやめた。不安しか残らなかったが、フラネーヴェは彼女が来ると分かっていて、信頼して学校へ向かえと言ったのだ。ならばパピーも、それを信じるしかない。
「それにしても、彼女が頭が良いとは身を以て知ってるけど、まさか国の軍人に襲われるなんてね。どれだけ悪い事をしたのかしら」
『分からない……。〈ライブラリ〉のデータを国に送信して間もなく来たんだ。金銭の振込もされていないし、国はどうしてしまったんだ……』
「そのデータが何らかの国家機密に触れていたんでしょうね。しかも、発見者をすぐにでも消さないといけないほどのデータ……。興味深いわ」
『私達は単なる映画のワンシーンだとしか思わなかったんだが……。フラネーヴェの端末に保存してあるから見てくれて構わない。パスコードは解除する。とにかく、助けてくれ……』
「ふふ――当たり前よ。まだ一度も学術試験で勝っていないのに、死なれたら悔しいじゃない」
リリアは堂々と言い切った。よほど部下の医師を信頼しているのだろう。
『だがこの車、空いてる道を通っているとはいえ目立つんじゃないか?』
「問題ありません。光学迷彩によって外側からはこの車は見えていませんので、ご安心下さい。少量の放射線を受けますが、人体には影響はありません」
そう答えたのは運転手だった。金の医者と違って、バックミラーから見えるその姿は至ってまともだった。眼鏡をかけ、リクルートスーツをビシッと着こなしている。
「ふふ、彼は公道を時速四〇〇キロで安全に走れるくらいには運転の技術が高いわ。万が一の事があっても大丈夫よ」
それだけの速度を出している時点で安全ではない。リリアは彼女なりにパピーを励ましていたのだが、パピーの不安は余計に積もっていくばかりである。
そうこうしているうちに車は地下道を通じ、リリアの住居へと到着した。
***
「う……うーん……? あれ?」
『よかった……。本当に……』
フラネーヴェは意識を取り戻し、ゆっくりと目を開く。
布団の脇にはパピーが佇んでいた。泣き出しそうな声を発するが、顔がないため表情をうかがう事は出来ない。それが彼女にとって少し面白くて、安心感を与えた。
そこは病院の一室とは思えない程に機械が多い、無機質な部屋だった。バイタルを示す機器もあったが、不思議な波形グラフを画面に表示する機械もあり、伸びた線は彼女の頭に繋がっている。
「何じゃコレ! すげえ!」
『あっコラ!』
フラネーヴェは頭に繋がったコードを引っぺがした。同時に波形のグラフは真っ直ぐに伸びた形に変わる。
「脳波を見られてた? よかったエロい事考えてなくて。ところでパピー、ここどこだ」
「あら、目が覚めたのね」
「あ、リリアちゃん」
「もう肩は痛まないかしら」
「肩? あっ――!」
失血によるショックで、フラネーヴェはこれまでの経緯を忘れていた。しかし、肩に撃たれた傷からそれらを思い出した。
「――そっか……。リリアちゃん、私達を助けてくれたんだ……」
「ええ。勝手ながらあなたが開拓した〈ヒストリー〉の映像も解析してるわ」
「ううん、全然いいよ。まさか銅貨五枚ごときに殺されかけるとは、あはは」
「随分と肝が据わっているのね……」
フラネーヴェは家を出る時、端末でリリアに助けを求めていた。彼女の素性を元々知っていたフラネーヴェは、頼れるのは彼女だけだとすぐに判断した。
「そりゃね。一個人で特殊な軍隊を保有してるくらいなんだから、頼れない訳がないよ。もう国取りも出来るんじゃない?」
「そんな事はしないわよ。私達はいつか来るであろう機械の反逆に備えてるの。国を守るという役割に、変わりはないわ。しばらくここに居なさい。ここはこの世界の何処よりも安全で――」
その時、リリアの言葉をかき消す程の爆発音が響く。同時に建物が大きく揺れた。
「うわっ何だ今の!」
「安全――のはずだから、あなたはここに居なさい。少し様子を見てくるわ」
そう言って、リリアは急ぎ足で部屋を出て行った。
それと同時に、部屋のディスプレイの一つが自動で点灯する。その画面に映る人物を見て、フラネーヴェとパピーは愕然とした。
「嘘……でしょ?」
『初めまして。“フラネーヴェ”ちゃん、だったかしら?』
そこに居た黒髪の女性は“機械の女王”と呼ばれる、この国の長だった。色白の肌と、無機的な水色の瞳。その女性は機械のように冷たい雰囲気で、しかしどこか惹かれる魅力があった。
『突然姿を消したと思ったら、まさかこんな大御所の中に隠れていたとはね……見つけるのに苦労したわ。半日もかかるなんてね』
「どうして……私達を狙うの……?」
『……ま、貴方達は今日この社会から消えてもらうから、教えてもいいか。貴方が送信してくれた映像はね、知らなくてもいい歴史の闇なのよ。このご時世、仲が悪い国はいくつもあるけど、そういった全ての国が一丸となって隠そうとしている闇がある。その断片を貴方は見つけた』
別のディスプレイの画面が、フラネーヴェ達が発見した映像に切り替わる。黒い影が通り過ぎて、窓ガラスが吹き飛ぶシーンで止まっている。その黒い影に向けて映像は拡大され、その度に画像は最適化されていく。
「なに、これ……」
そこに映ったのは、剣を持って空を飛ぶ人間だった。あるいは、人の形をした別の生物だ。
その者の背には、黒く染まった天使の羽が生えていた。
『過去に、この世界を滅ぼしかけた生物よ。ヒトとは、言えないわね』
「何で、そんなものが……」
『この国や、国民が必死に解析しているAIはね、膨張速度の方が早いのよ。どんどん鍵の役割を担う関数は難解になっていくし、最深部は高次元の域にまで達している』
「高次元……? どういう事……」
『そのままよ。未来のAIが現在のAIに、過去に消された映像を構築して送信しているのよ。人類に対する“警告”とでも言うべきかしらね。未来では、コンピュータは人類よりも先に時間を超越する術を手に入れているの。恐らく国に向けて送信しているものなんでしょうけど、時折こうして民間人の手元にも届いちゃうのよね』
「そんな……! 酷いよ! 単なる偶然に殺されるなんて……」
『人は必ず天寿を全う出来るとは限らないわ。今日の貴方達のように、悲しいけれど不慮の事故で死んでしまう人だって世の中にはたくさんいるのよ』
機械の女王は、画面の向こうで笑みを浮かべる。しかしその目は、一切笑っていない。殺意に満ちている。
しかしフラネーヴェは、そんな女王の様子に呆れた様子を見せた。
「……失望した。わたしは……一生懸命勉強して、国の機関で女王様の為に働きたかった! だけど、それは間違いだったみたい。あなたは王様なんかじゃないや。ただの機械オタクよ。半世紀ロムッてろ」
『ふふ、面白い子ね。まさか私の部下がやらかして生み落とされた命が、こうして成長して私に刃向かおうなんて……。ふふ、ふふふ! 楽しいわ!』
「え――」
その発見に、フラネーヴェは凍りついた。思考が一瞬、止まってしまった。
「ちょっと待って……。わたしの両親について知ってるの……?」
『ええ。橙色の髪の毛も、紫水晶のような瞳も、貴方のお母さんにそっくりよ』
「ど、どこに……。わたしの両親はどこにいるの?」
『母親は死んだわよ。父親は……さぁ、何処かしらね? ふふふ』
母親は死んだ。
淡々とその事実を突きつけられ、フラネーヴェは床に崩れ落ちる。慟哭は部屋中に響き、継続して鳴っていた爆発音に掻き消された。
『落ち着け! フラネーヴェ、私はずっとそばに居る!』
「いやぁぁぁぁ! お母さぁぁん!」
パピーの声は届かなかった。
――当然だ。パピーは思った。男の美声である以前に、機械の声なのだから。機械に励まされる生命などあるわけがない。
フラネーヴェは顔も知らぬ自身の母を想い、泣いていた。
『へぇ、コレが報告に上がっていた“子供を育てたロボット”ね……。昔、ある地域の清掃ロボットが誰かに盗まれるという事件があったけど、まさか自発的に姿をくらませて、加えて赤ちゃんを誘拐していたなんてね……』
『私は間違った事をしたとは思っていない! この子を一目見た時から、自身の日常に、定められた役割に、疑問を抱くようになった。それまでの私は自壊して、何かを求めるようになっていった! この子にはそうさせる不思議な力がある。この子は私にとって掛け替えのない姫君だ! 絶対に殺させはしない!』
「パピー……。……うん、そうだ。わたし達は生き延びる。お母さんの墓、作らなきゃ。絶対に負けるわけにはいかない」
『ふふ、ふふふふ! あっはっはっはっは! 面白いわ』
機械の女王は、フラネーヴェ達の決意を画面の向こう側から笑っていた。まるで、滑稽な演劇を見ているかのように。
『良いわよ。フラネーヴェちゃん、私とゲームをしましょう。勝てば、貴方達の事は諦めるわ』
「……言ったな?」
『ええ。今貴方達の居場所を襲撃しているのは、一台の機動兵器よ。それを壊せば貴方の勝ち、壊せなければ貴方の負け。賭けるのは――貴方の命よ』
女王には余裕があった。自身の技術を最大限に結集した機動兵器に勝る物など、この世には存在しないと確信していた。
だが、それはフラネーヴェも同じだった。彼女も勝つ気でいた。そこに根拠はない。
「いいよ。ここで尽きる命ならば、それほどの価値はなし――ってね。言ってみたかったんだ、これ」
『ふふ、威勢がいいのね。機動兵器は外で待機させるわ。存分に戦って、私を楽しませて』
「パピー、わたしのタブレット取ってくれる?」
『ん? ああ』
パピーはフラネーヴェの端末を彼女に手渡した。
そして、映像データを広大なネットワークに拡散した。
「これは、あなたに対する宣戦布告」
『……面白い。さぁ、最高の演劇を始めましょう』
それまで冷たい雰囲気だった女王の瞳に、僅かながら苛立ちの炎が宿ったのをフラネーヴェは確信した。
***
外に出ると、リリアが力無く膝をついて茫然としていた。周囲には機械の破片が大量に散らばっていて、一部は火花を散らしている。
「ちょっと、リリアちゃん! 大丈夫?」
「止められなかった……」
「え?」
「百機もあった機械兵団が、一機のロボットに駆逐された……。ごめんね、フラネーヴェちゃん……。力になれなくて……」
「え、機動兵器ってそんな強いの?」
冷静になって考えればパピーには戦う力がない。精々“服だけを溶かすスライム酸”が詰まったミサイルを飛ばすか、カメラがリンゴを検知してそこに向けてナイフを飛ばす程度しか機能は無いし、どちらも武器がセットされていない。
リリアは弱々しく涙を見せている。それでも、引き下がることはできなかった。
「なぜか外に出て行ったし、逃げるなら今よ」
「ううん、戦うよ私達は。決めたんだ、あの機械オタクをぎゃふんと言わせるって」
「機械オタク……? って、フラネーヴェ!」
リリアの呼びかけに答えることもなく、フラネーヴェ達は駆け出す。
屋外の広い駐車場に出ると、そこには堂々と佇む機械がいた。女王が言っていた機動兵器だ。
「……お前が、フラネーヴェだな?」
そして驚く事に、中から聞こえてきたのは紛れもない人間の声だった。ロボットのように見えるのは、武装に武装を重ねた男の姿だったのだ。
「そうだよ。わたしはお前を壊す。方法はまだ考え中だけど」
「……先のやり取りは聞いていた。俺に勝てば、見逃してもらえるそうじゃないか? ……やれやれ、女王も相変わらずの慢心を」
「そう。だからわたしは絶対に負けない。死にたくないもん。お母さんの墓を作って、お父さんを探し出す」
「これを見てもそう言えるか?」
機動兵器の男は右手を真横に向けた。手の平が音を立てながら発光しだし、やがて眩いレーザーを発射した。
よく分からないうちに、その先は焼け野原になっており、フラネーヴェの口は半開きになる。
「……出来れば手加減してほしい」
「ハッ……。面白いことを言う。――いいぜ、一発だけ殴らせてやる。戦うのはそのロボットだろ?」
「ありがとう。パピー、全力だ。主人として命ずる。あいつを――倒せ!」
『ああ!』
いつからフラネーヴェが主人になったかは置いておくとして、パピーは全速力で機動兵器に突っ込んだ。
その強烈な突進を加えたアームのパンチは、見事に機動兵器に命中した。だがそのアームは、カツンと音を立てただけで、機動兵器は微動だにしない。
「……それで終わりか?」
『なに――!』
「……本当に、よく似て育ったな」
『え』
「お前には、感謝してもしきれないよ……。ありがとう、これからもあいつをよろしく頼んだ」
パピーはフラネーヴェの方に蹴飛ばされる。しかしパピーは確かにその言葉を聞いていた。ありがとう、と。
機動兵器には傷一つ付いていない。しかしその機体は徐々に赤みを帯び始める。
『よせ! お前は――』
「――これで、俺も許してもらえるかな……。アリシア――今、そっちに行くよ」
爆音と共に、夜空に赤い炎と黒い煙が広がった。
「す、スゲー! パピーが勝った! マジで! しかも一撃!」
『…………』
パピーは伝えられなかった。機動兵器の正体は父親だったかもしれないと。そして、パピーの機械の心は怒りに満ち溢れていた。こんなふざけた舞台を用意した機械の女王に、今にも回路はショートしそうだった。
『ふざけないで』
その時、何処からともなく虚空に共鳴しているような声が響く。その声もまた、怒りに震えていた。
『つまらない劇を見せないでくれるかしら』
黒い粉のようなものが空を舞っていた。それは一点に集まっていき、やがて人の姿を形作っていく。
「あ、機械オタク」
勝者の笑みを浮かべた顔で、フラネーヴェは現れた人物に声を掛けた。現れた女性の奥に潜む、殺意の塊に気づく事が出来ないまま。
『気が変わったわ……。本当に興醒めよ。最期の最期で裏切りやがって……』
「え――?」
現れた機械の女王は腕を即時に変形させ、鋭利な黒い鎌の形を作った。
『あんたムカつくから、死んで』
静かにそう告げ、女王はその腕を振るう。一瞬の出来事で、フラネーヴェは女王が約束を破った事すらも理解できなかった。
死を悟った彼女の脳裏に、走馬灯のような映像が過っていく。理不尽だけど、これでお別れだ。そう考えた彼女は、諦めて静かに目を閉じた。
その時、空から一筋の光の柱が落ちる。それは一瞬にして女王の腕を粉々にした。
「すこし落ち着いてはどうでしょう? 機械の女王様? その子は生かしておいた方がいいわよ。これはアドバイスです」
『あ、あんた……!』
落ち着いたその声の主の背には、白い天使の羽が生えていた。腕の周囲には見たこともない文字が刻まれた魔法陣が回っている。
対する女王は、明らかに動揺を隠せないでいた。
「え、え……パピー? 何、これ……」
『私にも分からない……! 見たこともない現象が起きてる! これは……魔法?』
「怪我はないかしら?」
その天使は、にこやかな顔でフラネーヴェに声を掛けた。何もかもを抱擁するようなその存在は、彼女の目には女神のように映った。
「あ、ありがとうございます……」
「ふふ、いいのよ。ちょっとお友達の目に余る行動に我慢が出来なくなっただけですから……」
「あなたは……?」
「そうね。……神様とでも言っておこうかしら」
女王は女神と距離を取った。想定外の出来事に、状況を整理するためだろう。粉々になった腕には再び黒い粉が集まり、再生を果たしていた。
『一体、何の用かしら?』
女王は女神にそう尋ねる。明らかに警戒している様子だ。そこからは恐怖心すら感じ取れた。
「この子はあなたにとって助けとなる存在よ。それを殺してしまうなんてもったいないとは思わないかしら?」
『……ダメよ。その子がどれだけ優秀だろうが、ちょっと私に喧嘩を売りすぎたわ。この手で殺さないと気が――』
そう言ってる途中に、女王の顔は女神の光線に焼かれていた。そして胴体から溢れた電気によって発火し、爆発した。
「人の助言は聞くべきよ」
「うそ――!」
「お気になさらないで、今のは女王の造った彼女自身の分身よ。本人は別の場所で傍観しているわ。彼女に私は殺せません、ご安心を」
「そ、そうなんだ……。助かったんだ。は、はは……」
「今日は帰って、ゆっくり休みなさい。有用な〈ライブラリ〉を発掘したあなたには、相応の報酬が与えられるでしょう」
『ま、待て! 報酬の管理をしているのは行政だろう。こんな問題を起こしてしまっては……』
「いいえ。報酬の計算は“行政の手に負えなくなる程進化したシステム”が行っているのよ。あなた方が発見した〈ライブラリ〉は、未来からのメッセージ――現状のマシンでは計算に時間が掛かってしまっただけです」
「そ、そうなんだ……。もしかしたら銅貨五枚どころの騒ぎじゃないのかな……」
「ええ。だけど、この国に居辛くなってしまうのは事実でしょう。落ち着きを取り戻したら旅に出るといいわ。あなたが色々な文化に触れ、何を思うのか。気になってしまいます」
女神はそう告げ、虚空に溶けて消えていった。
その時間はまるで夢だったかのように過ぎ去り、その場には至る所で炎が燃える音しかしなかった。
「フラネーヴェちゃん! よかった。無事だったのね!」
リリアが部下と共にフラネーヴェ達に駆け寄る。
燃える炎は鎮火され、焼けた遺体も回収され、事のほとぼりは驚くほど早く冷めていった。
「……帰ろう、パピー」
『――ああ』
パピーは一度、機動兵器の居た場所を振り返る。既にそこには血痕しか残っていなくて、部下達は必死にそれを洗い流していた。
「パピー? どうしたの?」
『……何でもないよ。行こう』
その日、パピーは初めて父としての自覚を持った気がした。そして誓ったのだ。機械仕掛けの命を賭けて、彼女を守り続けると。
――だから、安心して眠ってくれ。
今は亡きフラネーヴェの両親に向けた言葉を無限に広がる宇宙に送り、パピーはその場を後にした。
***
街はずれにある寂れた墓地に、一人の女性が訪れていた。そこに立った墓の一つの前にしゃがみ込みながら、その墓を眺めている。
その様子を墓参りに来ていたリリアが見つけた。リリアもその墓に用があったのだ。
「……あのー。あなたは?」
「あら、ごめんなさい」
リリアが声を掛けると、その女性は問いに答える事なく場所を譲る。その女性は栗色の髪をしており、フラネーヴェと似た色の瞳で、リリアを見る。
「面白い墓ね。“この私を産んだ偉大なる両親、アリシアとゴードン、ここに眠る”ですって。親の墓で自分を持ち上げた文面を刻む人なんて、見た事がないわ」
「……確かに、元々ちょっと気の抜けた子でしたから。物凄い頭が良くて、結局一度も学力じゃ勝てませんでしたけれど」
「あら、あなたはこの墓の所有者さんと知り合いなのね? それで、彼女は今どこに?」
「二年ほど前に旅に出ましたよ。イケメンロボットと一緒に。定期的に電子メールをくれていたけど、“ちょっと異世界いってくる”と言ったっきり、今は音沙汰もないです」
リリアはため息をつきながら、その墓を洗い始めた。今や墓の管理はリリアに任せっきりなのだ。
その背後から、女性のくすくすという笑い声が聞こえてくる。
「さすがね。……異世界、か。ふふ、それじゃ手を伸ばしても届かないじゃない」
「まぁ、あの子のことだから、きっと元気ですよ。危険があっても、同行するパピーというロボットは何でも出来るスゴい奴ですから。どんなに険しい山道でも、彼は彼女の足となって踏み越えていくと思います」
「そうね……。なら、安心か。ありがとう、とても良いものが見れたわ」
そう言い残し、女性は踵を返した。リリアは彼女を呼び止めることなく、見えなくなるまでその背を見送っていた。
「……うん。きっと元気でしょう」
リリアは自身にそう言い聞かせる。持ってきた花は半分だけ手向け、彼女も家に帰っていった。