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放課後の梅ちゃん(3)

次回より、毎週金曜午前0時に次話更新していきます。

 ――より深く、闇に飲まれようとしている教室――

 僕の机を覗きこむと、そこにはきちんと、まるでご主人の帰りを待ち続ける忠犬のように、課題のプリントが入っていた。無くなっていたのなら、やる必要もなくなるであろう(そうか?)そのプリントに内心、舌打ちをしながら手を伸ばし、机の中からリュックの中へと移し変える。

「くっそ……元はと言えば……」

 こんな面倒な思いをして、さらには怖い思いをしてまで、全く嬉しくもない紙切れを取りにくることになったのかといえば、帰ろうと支度をしているときに、楡沢が突然話しかけてきたからだ。そのせいで、うっかりプリントを忘れてしまったのだけれど、これはもう、あいつのせいということで、誰も文句はないだろう。だから、普段は温厚な僕なのだけれど、あの野郎が、今はすでに自宅に帰り着いて、のんびりとお茶でも飲みながら、テレビでも眺めて、馬鹿笑いしているのかと思うと、心の底から楡沢に不幸が起こるよう、呪いをかけたくもなる。

 ……ただ、まあ。

 そのおかげで、クラスのアイドルであらせられる、巻菫子と急接近できたというのも、それはそれで一つの真実だ。不本意ながら、それを楡沢のおかげという事も、できないわけではない。

 その事が、多少は、本当に多少は、楡沢に対する量刑に、影響が出ないことも無い。

 せいぜい、道端で誰かが噛んで捨てたガムでも踏むくらいの、小さな不幸に見舞われるが良いさ。それで、勘弁してやろうじゃないか。

「さて、と……」

 取るべきものも、取ったし、帰るとするか。

 僕がリュックを肩にかけ、教室を出ようと、入り口の方を振り返ったときだった。

「――?」

 教室入り口の、ドアにはめ込まれた擦りガラスに、何か……いや、誰かの影が映っている。

 最初は巻が戻ってきたのかとも思ったけれど、巻にしては少し背が低いような気もする。

「……誰か、そこにいるのか?」

 そう声をかけると、その影はすうっと消えた。

「誰だよ!?」

 僕はドアに駆け寄り、勢いよく開く。が、しかし案の定、そこには誰の姿も無かった。

「一体、誰が……?」

 擦りガラス越しとはいえ、そこに必ず誰かがいたのは確かだ。

 下校時刻は、もうとっくに過ぎているのだから、校舎内には僕のほかに生徒が残っているとは考えにくいだろう。他の可能性として、巻が何らかの理由で、教室に僕を追ってきたという事も考えられるけれど、それだと、声をかけた時に、逃げるなんて事は無いだろうし。

 だとするならば、一体誰が?

 いや、それとも『何が?』、の方が正しいのか?

 って、僕は何を考えて――

 

 パタパタパタパタ――

 その時、廊下を走るような足音が、鳴り響いた。

 

「今のって……?」

 足音はどうやら、階段の上から聞こえてきている。

「誰が、こんなイタズラを……?」

 僕は足音を追って、階段を上る。

 パタパタパタパタ――

 一つ上の階に着くと、今度はその更に上の階から、その足音が響いてきた。

 その足音は、まるで僕との距離を測りながら、遠ざかっているかのように、少しずつ上の階へと、上がっていっているように思える。

 さすがにイタズラにしては、少しこりすぎているような気もするが……。

 パタパタパタパタ――

 図らずも、その足音を追いかけるような形になり、僕は校舎の最上階にまで上ってくることになってしまった。

 しかし、足音はまだ上から聞こえてくる。

「この上って……」

 最上階の上、つまりは――屋上。

 見上げるとそこには、屋上への薄暗い階段があった。

 その階段は普段、使われていないせいか、隅の方には埃がたまっていて、踊り場には使わなくなった教材やら、何かの道具やらが雑然と置かれている。僕はそれらを避け、自ずとどこかに忍びこむような足取りになりながら、ゆっくりと階段を上っていく。

 まるで何かに誘われるように、もしくは何かに取り憑かれたかのように、僕はその薄気味悪い階段を、一段、また一段と上る。

 

 もう一度、繰り返すが、このときの僕は、まだ引き返すことが出来たかもしれない。

 いや、実は、もう引き返すことは出来なかったのかもしれないけれど。

 その結果がどうなっていたのか、このときの僕の知る所ではないけれど。

 それでも、このときの僕は、最低でも選ぶことは出来たはずだ。

 そうじゃない未来、そうならなかった運命というものも、僕は選べただろうし、それを僕は選ぶべきだったのかもしれない。

 だけど――

 

 だけど、僕は階段を上りきり、屋上へと出る扉の、冷たいドアノブに手をかける。

 ドアノブの、爬虫類の肌を思わせるひんやりとした金属の感触に、思わず手を引っ込めそうになりながらも、おずおずとノブを回す。

 普段は生徒の立ち入りを禁止している為に、鍵がかけられているはずのそのドアノブは、あっけないほど簡単に回り、扉を押すと、少しだけ金属の軋む音を立てながら、扉はゆっくりと開いていった。

 開いた扉の隙間から、赤色が差し込んで、広がっていく。

 僕は真っ赤に染まった屋上へと、静かに脚を踏み出す。

 

 落ちる寸前の夕日からの、深紅の光に満たされた屋上は、まるでこの世では無いかのようだ。

 その紅く染まった世界の真ん中に――その少女は立っていた。

 向こうを向いて立っているので、その顔は分からないのだけれど、少女はその華奢な体を東雲学園高等部の女子制服であるセーラー服で包み、静かに吹く風にスカートを揺らしている。肩の辺りで切りそろえられた少女の黒髪が、夕日を反射してキラキラと輝き、スカートと同じく、風に静かになびく。

 その髪を手で払って、彼女は振り返った。

 幼さが残っているとはいえ、整ったその顔つきはまるで、その光景と同じようにこの世のものとは思えないほどに美しかった。その磁器のように白く滑らかな頬を、夕日に紅く染めて、彼女は僕に向かって挑戦的な視線を、真っ直ぐに切りそろえられた前髪の下から投げかけてくる。そんな彼女のおかっぱ頭には、数輪の梅の花をかたどった髪飾りが挿してあった。

「ま、まさか……本当に……?」

 居たというのか……?

「くっくっく……」

 戸惑う僕に向かって、彼女はその小さな唇を歪めて、不敵に笑う。

「まさか、こんな簡単な罠に引っかかってくれるなんて思わなかったぞ。私に誘われて、ノコノコとこんな屋上まで出てくるだなんて――」

 彼女は僕に向かって、人差し指を向ける。

「馬鹿なヤツめ!」

 ビシッと擬音が聞こえてきそうなほどの、決め付け方だ。

「な、馬鹿なヤツだと……?」

 こいつが何者であったとしても、その物言いを看過できるほど僕は人間が出来ているわけではない。が、何者か全く分からない相手に対して、どうやって抗議したものか決めかねている僕は、ただただ、驚いた表情で彼女を見ることしか出来ないのだった。

 そんな僕の反応をどう思ったのか、少女は続ける。

「大体、そんな格好をしていても、何の効果も無いぞ。あいつの姿をしていれば、私が怯むとでも思ったか?」

 ふふん、と鼻で笑うように顎を上げて、少女は僕に勝ち誇ってみせる。

「それで化けているつもりかもしれないが、そんなもの、すぐに暴いてやる」

 ……あれ?

 何だか、僕のほうがお化け扱いされていないか?

「くっくっく、何だ?その顔は?私がお前の姿に動揺しないのが、そんなに残念だったのか?」

「いや、別にそんなことは……」

「強がるな、強がるな。まあ、お前の立場では、そう言っておかなくては、な」

 分かっているぞ、と、その少女。

「何て言うか、全然違うのだけれども……」

 というか、何を言っているのか、全く理解も出来ないのだけれど。

「さて、おしゃべりはこれぐらいにして――」

 彼女は、スカートのポケットに手を突っ込む。ごそごそ、とポケットをまさぐって、

「まずは、お前の正体を見せてもらおうか!」

 そう言うと、彼女はポケットから手を勢いよく出す。

 その手に持っていたのは――

「何だそりゃ?……って、お(ふだ)?」

 長方形の白い紙に、なんともかんとも読めない文字が、蛇がのたうちまわるような筆致で書かれている。

「さあ!覚悟しろっ!」

 彼女はそう叫ぶと、こちらに向かって勢いよく走り出す。

「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっ!」

 ちょっと待って!と、声をあげる暇も無く、瞬きをするほどの一瞬の間に、彼女は僕の目の前まで迫って来ていた。その彼女の勢いに、僕は思わず後ずさり、その事で足を取られて、情けなくも尻餅をついてしまう。

「くらえ!」

 彼女は腕を振上げて、情けなく尻餅をついて、彼女をただ見上げるしか出来ない僕の額に、そのお札を叩きつけた。

「痛ってっ!」

 彼女の、その動きのすばやさのせいで、思わずされるがままになっていたのだけれど、僕の額に勢いよく叩きつけられたお札、というかそれを持っていた手のひらは、しょうもない音を立てた。

 ぺちっ!と。

 ただ、それだけだった。

 というか、普通に痛かった。

 もっと言うと、ただ単に痛いだけだった。

 おい、お札の意味は、無いのかよ……?といった、僕の疑問は、彼女にとっては疑問どころでは無く、どうやら驚愕に値するようで、

「ば、馬鹿な……そんなはずは……」

 と、目を見開いて、顎を震わせながら後ずさりするほどだ。

「そんな……(じゅ)()が全く効かないなんて……」

 彼女の持っていたお札(呪符というのか?)は、随分とその効力を信用されているものらしく、それが何の効果も生み出さなかった僕という存在は、恐怖にあたる存在として、彼女から一気に血の気を失わせたようだ。青い顔をして、まるでそれこそお化けでも見てしまったような顔で、彼女は僕を見る。

「き、貴様、一体何者だ!?」

「お前こそ、何者だよ!」

 どう考えても、お前の方が怪しいだろうが!

 


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