放課後の梅ちゃん(1)
僕たちの入学を祝ってくれた満開の桜も、とうの昔に実に淡白に散ってしまい、今や他の植物と見分けがつかないほど、緑の葉っぱが生い茂る木に成り下がって(?)しまった四月下旬のことだった。
間近に迫った黄金週間という、なんとも心を弾まさざるを得ないようなキャッチフレーズの付いた大型連休をどう過ごすかで、みんなが浮き足立っている中、特に連休の予定も無いのだけれど、それを寂しいとは思わずに、何も無いという事は、今からいくらでも予定が立てられる自由を手に入れているのだ、と思い込もうとしている、そんな僕に、
「九十九ぉ~。お前、ゴールデンウィークはどうすんの?」
ホームルームが終わったばかりのざわついた教室で、僕の頭の中を覗き見たような質問を投げかけてきたのは、クラスメイトの楡沢御影だ。
「ゴールデンウィークねえ……」
「そう!ゴールデンなウィークなんだぜ!九十九!なんか予定とかあんのかよ?」
言い忘れていたが、楡沢がさっきからしつこく、馬鹿みたいに連呼している九十九というのが、僕の名前だ。ちなみに苗字は禰々宮。
「僕の予定か……でも、なんでまた?」
もったいぶっているのは、決してゴールデンウィークの僕の予定が何も無いからではない。これでも自宅を警備したり、インターネットを介して世界の見聞を広めたり、惰眠を貪りその快楽と、後に訪れる猛省を繰り返したりと何かと忙しいのだ。
……と、強がってみても、何の予定も無い暇人だという称号は、僕にくっきりと張り付いて剥奪される素振りは無いのだが。
「ふん、どうせ、なんも予定なんてないんだろぉ?」
ニシシシ、と笑いながら、楡沢は僕の前の席に腰掛ける。
「ん?ん?んん~~?」
へらへらと、ムカつく笑顔を顔に貼り付けたまま、僕を挑発するように首を傾げる楡沢。そんな楡沢に対して、
「……ああ、そうだよ。別にこれといって予定は無い、だが、それがお前に何の関係があるってんだ?」
と僕は、憮然とした態度で答える。
「どう考えても、僕にゴールデンウィークの予定が無い事を、お前にそんなに嬉しそうにされるような筋合いは無いと思うが」
わざと丁寧にゆっくりと、僕は楡沢に言って聞かせるように抗議する。
「フッフッフッ……」
しかし、楡沢は僕の抗議をものともせず、口の端を持ちあげて、わざとらしく笑ってみせる。
「この俺にそんな口の利き方をして、本当にいいのかな~?」
ニヤニヤしている楡沢を見ることに、これ以上耐えられそうにないので、仕方なく、非常に心苦しいが、やむを得ず僕は訊いてやることにする。
「わざわざそんな風に言うってことは、何かあるんだろうな?」
僕の質問に、待ってましたとばかりに目を輝かせて、楡沢は仏様のありがたい言葉を僕に授けるかのように、もったいぶって口を開く。
「実はよぉ、クラスの女子達何人かと、ゴールデンウィークの初日に遊びに行かないかって話になってよぉ」
「ふぅん……で、それが、僕の予定と何の関係があるんだよ?」
僕としては、至極当然の事を言ったつもりだったのだけれど、その言葉を聞いた楡沢は、目を丸くした。
「お前、それ、本気で言ってんのか?ここまで言えば、普通は『いいなあ、俺も連れてってくれよ』ってなるだろうが?」
「そういうものなのか?」
「そういう、も、の、だっ!」
力強く言い切って、楡沢は眉間に皺を寄せて、呆れ顔を作る。
「まったく……お前は本当、何ていうか『そんな』だな」
「そんなってどんなだよ?」
「そんなって言ったら、そんなだよ!」
はぁ~、とまるで古いアメリカ映画のようなため息をついて、楡沢は続ける。
「ほんっと、お前って馬鹿っていうか、素直じゃないっていうか……。いいか?これはチャンスなんだよ。これからの高校生活をお前がどんな風に過ごす事になるか、それがこの俺の、このお誘いにかかっている、といっても過言ではない」
楡沢は僕の眉間に、人差し指を突きつけ、口を尖らせて言う。
「さあ、なんて答えればいいか、もうわかったよな?いいか?もう一回言うぞ?今度のゴールデンウィーク初日、クラスの女子と遊びに行くん、だ、け、ど?」
「……わー、いいなー、僕も連れてってくれよー」
極めて平坦な口調で、つまり棒読みで僕は心にもない事を言う。
しかし、心なんて見えないものは、この男にはさほど重要ではないようで、
「うんうん、そうか、そうか。やっぱり、お前も行きたいよな!」
と、楡沢は何故かとても満足そうに頷くのだった。
どうやら、こいつは僕に一緒に行きたいと言わせたいだけのようだけれど、果たして、一体どうしてなのだろう?
「どうだ?これで満足か?……でも、なんでそんなに、僕のことを執拗に誘うんだよ?」
「べ、別にお前のことが気になってるから、誘ったんじゃねえんだからなっ!」
「気持ち悪い事を言うな!」
デレるな!
「本当のことを言うと――」
照れたように頬を掻いて、楡沢は笑いながら話し出す。
「本当のことを言うと、俺、女子とどっかに行くとか初めてでさ……ほら、俺って中学の時はずっと部活しかしてなくて、全然モテなかっただろ?だから、お前について来てもらったら、何て言うか、安心って言うか……」
へへへ、と楡沢。
「お前が女子とどっかに行くのが初めてなのは僕に関係ないし、お前が中学の時にモテなかったのは、部活動のせいではないと思うけれど……」
「そりゃねえよ、九十九ぉ……」
「でも、そういうことなら、一緒に行ってやる。こんな僕でよければ、だがな」
楡沢は、僕の何を見て安心感を得たのか、全く理解できないけれど、それでもこの最近出来た、ちょっとおバカな友人の頼みを、僕はきいてやる気になっていた。それは、もしかしたら同情であったかもしれないし、『あわよくば……』という下心だったのかもしれない。
「そ、それで?じょ、女子っていうのは、一体誰が来るのかな?」
下心のほうでした。
「フッフッフッ……なかなかなメンバーを揃えておりますぞ」
楡沢は、まるで時代劇の悪代官に擦り寄る越後屋のような、今では特に描写するほどの事もなくなった定番な表情で話す。
「まずは平沢だろ、あと秋山さん。その二人に田井中ちゃんを誘ってもらっているから、多分あの子も来るんじゃないかな?その三人が来るとなったらきっと琴吹さんもくると思うんだよな」
「お前……手当たり次第じゃねえか!」
名前の呼び方に、楡沢と彼女達の関係性が垣間見える。
「どうだ?クラスの可愛い女子は、大体おさえているだろ?」
「選考に漏れた女子が聞いたら、お前、殺されるぞ……」
楡沢は僕に見せ付けるような得意げな顔で、つまり最近の言い方に直すとドヤ顔で続ける。
「それでどうなんだよ?これは来るしかないだろ?」
「来るしかないって……そんなことないだろ」
そう断言されると、何となく意味もなく反発したくなるというものだ。
「そんなぁ~これ以上、一体誰が来れば、お前は満足なんだよぉ~」
楡沢は、またも泣きそうな声を出す。
「そうだなぁ……」
僕は何気なく、クラス中を見渡す。
ホームルームが終了して、帰り支度をする生徒達でガヤガヤとし続けている教室の中で、一人だけ浮かび上がっているかのように、目を引く女子生徒がいる。僕は無意識のうちに、その女子生徒に目を奪われていた。
「九十九よ……それは高望みというやつじゃないか?」
僕の視線に気がついた楡沢が、僕の肩に手を置いて、何故か悲しそうにそう言った。
「いや、別にそういうわけじゃ……」
僕は視線の先で、クラスメイトと楽しげに話す、女子生徒を見ながらそう答えた。
「巻は難しいと思うけどなぁ……」
う~ん、と唸るように楡沢は言う。
巻菫子。
容姿端麗で成績優秀、つまりは才色兼備。
といった感じで、四字熟語がよく並ぶ、そんな女子なのだ。おまけに性格も良いのだから、ケチのつけようが無い。
だから彼女は先生からも、クラスメイトからも、慕われていて、当たり前だけれど男にもモテる。まだ入学して一ヶ月足らずだというのに、すでに十人以上の男が果敢にアタックし、その結果、無残にも玉砕したという噂を、そういった話に疎い僕でも知っているぐらいだから、彼女のモテ方がいかに激しいかわかるというものだ。
そんな超絶美人な彼女が歩けば、その歩いた後に草花が芽吹き、彼女が微笑めば、小鳥達が集まって来て、彼女が手を触れれば、どんな病気も怪我もたちどころに癒され、彼女と言葉を交わせば、悟りを啓いて解脱する事が出来る……というのは嘘だけれど、それほどに彼女は完璧なのだった。
それほどまでに完璧な彼女なのだから、僕が自然と目で追ってしまい、目が離せなくなってしまうのも仕方が無いってものだ。(と言い訳しておこう)
「こんな事、言いたくはないが、あいつはさすがに無理だと思うぞ……きっと他のどこかの男前と何か予定があるって……」
「いや、だから、そういうわけじゃないって……」
しつこく同じ事を言い続ける楡沢に、さすがに腹が立った僕は、視線を楡沢に戻して、睨みながら続ける。
「別に誘って欲しいって言ってないだろ!」
「まあ……お前がどうしてもって言うのなら、誘ってやらんことも無いが、期待すんじゃねえぞ」
「だ、か、ら!そんな事言ってないって!」
僕がそう言って、楡沢の言葉を遮った時だった。
「ねえ?何の話?」
突然カットインされた声に振り返ると、
「何だか、とても楽しそうね?あたしも交ぜてよ」
ニコニコと、屈託無く微笑む巻が、すぐ傍に立っていた。間近で見た巻は、僕たちのような下賤の民が、その姿を瞳に映すことをはばかってしまうほどの、輝くような笑顔を分け隔てなく振りまいてくれていたのだった。
「「ご、ご、ごめんなさい!」」
そのあまりの神々しさに、思わず謝ってしまう僕と楡沢。
「な、何?いきなり謝られても、その……困るんだけど……」
僕たちの反応に、明らかに困惑の表情を浮かべた巻は、少し引きつった笑いを浮かべながら、僕たちをジロジロと検分する。
「い、いや……こっちの話だから気にしないで……」
「そ、そうなの……かな……?」
明らかに挙動不審気味な僕に、これ以上触れないほうが良いと本能で判断したであろう巻は、困惑した表情のまま、無理やり納得してみせる。
「そ、そうだ!気にするようなことではないぞ!」
僕たちはそれに便乗して、折れるぐらい首を縦に振って、なし崩し的に話の方向を変えようと必死だった。
「ふうん……まあ、いいか」
僕たちの必死さが伝わったのか、それともそんな事どうでも良いことだったと思い出したのか、巻は警戒の表情からいつもの明るい表情へと戻った。
「それで?一体、何の話してたの?随分と盛り上がっていたみたいだけど?」
「ああ、それは――」
巻の問いかけに対し、答えようとした僕を押しのけるようにして、
「俺たち、ゴールデンウィークの予定を話し合ってたんだっ!」
楡沢が勢いよく、飛び掛らんばかりの勢いで巻にそう答えた。さらに、僕のほうへと何だか意味深な目配せを送ってきた。きっと何か(俺に任せろとか?)なのだろうけれど、僕たちには、そんな即席のアイコンタクトで意思疎通できるほどの関係が築かれているわけでもないので、大した反応も返せずにいると、それを楡沢は了承と勘違いしたらしく、得意げに巻への説明を続ける。
「実はさ、俺たちゴールデンウィークの初日に、クラスの何人かで遊びに行かないかって話しになっててさ」
「へえ~そうなんだ?楽しそうね。それって、クラスの誰が参加するの?」
楡沢の必死さが功を奏したのか、意外にも巻は、話に食いついたのだった。
「平沢とか、秋山とか、かな。他にも何人か誘ってんだけどな」
「ふうん、平沢さんかぁ……」
会話に名前が出て来たからだろう、教室の端で、他の女子と話していた平沢が、こちらを見る。それに楡沢が、デレデレした顔つきで手を振ったから、彼女も微笑んでそれに手を振りかえして応えてきた。
「それで?禰々宮くんは?」
「えっ?」
急に名前を呼ばれたものだから、思わず声が裏返ってしまった。
「禰々宮くんは、一緒に行かないの?」
声の主、つまりは巻の方を向くと、首を傾げて僕の方を窺っていた。
「い、いや……僕は……その……」
「いやさ~、さっきから誘ってんだけど~なあ?九十九~?」
何となく言いよどんでいた僕に代わって、楡沢が巻に答えた。
「ええ~?行かないの?禰々宮くん?」
茶化すみたいに、騒ぎ立てる巻。この反応は意外だった。
「いや……そんなことは……」
「こいつの事は放っておいてさ。巻もどうだ?行かないか?」
楡沢が僕を遮って、巻をそう言って誘う。
どうやら、こいつの狙いはこれだったようで、巻の答えを期待に満々(みちみち)た目で待っている。
「あたし?あたしは……」
巻は逡巡するように、目を数秒さまよわせてから、ゆっくりと僕を見た。
「そうねぇ……禰々宮くんが行くなら、行こうかな?」
「ぼ、僕?」
「うん、そうよ」
巻は一段と明るく微笑む。
「禰々宮くんが行くなら、あたしも行く!」
「な――」
「行く!行くよ!行くに決まってんじゃねえか!なあ?九十九!」
『何で僕?』という僕の疑問を全く無視して、楡沢が勝手に答えてしまった。
「本当?禰々宮くん?」
「あ、ああ、行ってもいいけど……」
何故か、嬉しそうに訊いてきた巻の勢いに飲まれるように、思わずそう答えていた。
「じゃあ、約束ね」
にっこりと微笑んで、彼女は小指を突き出す。
「…………あ、ああ」
そういうことか。
最初はどういう意味か分からなかったけれど、察しの悪い僕も遅ればせながらゆっくりと、恐る恐るといった雰囲気で小指を出す。
その指に突き出した小指を絡めて、巻がイタズラっぽく笑う。
「指きりしたんだから、絶対よ」
「ぜ、絶対?」
そんな風に巻に言われると、その言葉の強制力が強すぎて、まるで呪いのようにさえ感じる。僕の小指にそんな嬉しい呪いがかけられた所で、巻は小指を外し二、三歩、僕たちから離れるとくるりとスカートを翻して振り返る。
「ウフフフ、それじゃ詳しい時間とかはまた教えてね」
そう言うと巻は、その可愛らしい小さな顔の横で、僕たちに軽く手を振って、自分の席に戻り、帰り支度を始めた。
「……………おい」
先程から、話す事自体を忘れてしまったかのように、ずっと黙り続けていた楡沢が、言葉を急に思い出したように、唐突に僕に声をかけてきた。
「なんだ?」
「いや、何て言うか……意外だったな……」
呆けたような口ぶりで、楡沢はうわ言のように続けた。
「そうだな。確かに意外というか、思ったよりも気さくな奴だったんだな、巻って」
あまりちゃんと話したことが無かったから、知らなくて当たり前だといえば、そうなのだけれど、巻は僕が思っているよりも、もしかしたらずっと付き合いやすい奴なのかもしれないな。
「……おい、九十九」
「ん?なんだ?」
「ちっげぇーっよ!」
楡沢は目をひん剥いて、噛み付かんばかりの勢いでそう言うと、今度は胸糞が悪くなるほどのドヤ顔で、
「俺が思うに、あれはきっと惚れてるぞ」
楡沢は僕を指差し、得意げに言う。
「……はあ?」
一体、誰が?誰に?
「だ、か、ら!巻がお前の事好――」
ポカッ!
「何で、殴るんだよ!九十九ぉ!」
「お前が、でかい声で馬鹿なことを、口走りそうになっていたからだろうが!」
「だってよぉ~……」
僕に殴られた頭をさすりながら、楡沢は口を尖らせる。
「だっても、くそもあるか!」
なるべく小声で、なるべく早口で、それでいて強く、僕は楡沢に抗議する。
「お前、何、考えてんだよ?一体、何を根拠にそんな事言ってんだ?」
「そうは言うけども、九十九、あの反応はそうとしか思えないだろ?」
僕に合わせて、楡沢も小声で早口で話す。
「それは……そうかもしれないけれど……」
だけれど、相手はあの巻菫子だぞ?
「お前の言いたいことは、よく分かる。降って湧いたようなチャンスに、戸惑う気持ちも理解出来る。だが、しかし!ここで攻めなくては、男が廃るってもんじゃねえのか?」
「そんな事、言われなくても……」
「これで、ゴールデンウィークにお前が遊びに来ないなんて事があってみろ?あえて言おう、カスであると!」
「そこまで言わなくても良いだろうが!」
お前は、どこぞの総統閣下か。
「まあ、それは冗談だとしてもさ、これで来なきゃマズイ事になったのは確かだよな?」
「あ、ああ……そうだろうよ……」
僕は不承不承、楡沢のニヤついた顔に向かって、頷いてみせる。
「フフッ、決まりだな。まあ、俺に任せておけよ。悪いようにはしないからさ」
「僕はそう言った奴で、本当に悪くならなかった奴を見たことないのだが……」
悪いようになる予感しかない。
いや、これはもう予感ではなく、予定だな。
「そう言うなよ。俺が取って置きのお楽しみプランを計画しといてやるから、それでお前と巻の距離も今よりもっと縮まって、後はお二人でご勝手に、ってな具合になるから、心配するな!」
わははははっと馬鹿笑いを見せ付けて、楡沢は鞄を手に立ち上がる。
「楽しみにしておいてくれよ。きっと楽しい会になるから、さ?」
「そんなもんかねぇ……?」
「そんなもんだよ」
じゃあな、と楡沢は後ろ手に手を振る。
「何だか、面倒な事になってきたなぁ……」
教室から出て行く楡沢を見ながら、僕はため息をついてひとりごちる。
見渡してみると、随分人が少なくなった教室内で、巻もちょうど帰ろうと、教室から出て行こうとしているところだった。何の気なしに、彼女を眺めていると、不意に目が合った。目が合った僕に対して、巻は眩しい位の微笑を投げかけ、手を振って教室から出て行った。
「まあ、考えても仕方ないし……」
帰るとするか、と僕も鞄を持ち、席を立つ。