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放課後の梅ちゃん(16)

毎週金曜深夜0時に次話投稿します。感想、評価、批評、ドンと来い!!

 ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!

 耳を(つんざ)くような、激しい金属音に、驚いて飛び起きる。

 寝不足のせいで、バーベルのように重くなった頭を、重量上げの要領で持ち上げ、音のした方向、つまり僕の部屋の入り口の方を見ると、そこにはフライパンとお玉を手に持った百が頬を膨らませて立っていた。

「なんだ?その新しい嫌がらせは?フライパンは、そんな風に使うもんじゃないって、家庭科の授業で習わなかったのか?」

 僕の嫌味に、百は一段と気を悪くしたようで、腰に手を当てて、

「馬鹿な事言ってないで、早く起きないと遅刻するよ!お兄ちゃん!」

 と、まるで母親のコピーロボットみたいな事を言ってくる。

「それに、フライパンを目覚まし代わりにするって、家庭科では習わなかったけれど、テレビではやってたもん」

 しかも、こんな屁理屈まで付け足してくる。

「なんだよ?それ?一体、何の番組でそんな事を教えていたんだよ?抗議の電話を入れるから、教えろ」

「サザエさん」

「すみませんでした」

 恐れ多くも、長谷川町子先生であられましたか。

 まあ、フライパンは時として、調理器具ではなく、打楽器や攻撃と防御を兼ね備えた打撃武器になることもあるもんな。ほら、BφYの日比野ハレルヤとかさ。

「と、に、か、く!早く起きてよね!片付かないんだから!」

「あいあい~」

 適当な返事を返して、僕はベッドよりゆるゆると、いや、にゃるにゃると、混沌のように這い出る。

「四十秒で支度しなっ!」

 と、どこぞの女海賊のような事を言い放って、百は階下へと降りていった。決してさらわれたシータを助けに行くわけではないけれど、僕は学校に遅刻しないように、急いで身支度を済まし、部屋を出る。

 階段を下りると、我が家のリビングからなんとも香ばしい香りが漂ってきていた。扉を開けると、今まさに出来上がったばかりの朝食を、百がダイニングテーブルに並べようとしている所だった。

「母さん達は仕事?」

 両親共働きの我が家では、母親が不在の時は、僕か百のどちらかがご飯を作る。まあ、百が作ることの方が、圧倒的に多いのだけれど……。

「そう。だから、早く食べちゃって。片付けなきゃだめだから」

 こちらを向くこともなく、早口でそう答えた百は、てきぱきと慣れた手つきで食卓の準備を進める。

 僕は自分の分のコーヒーを準備し、モーニングプレートの置いてある席に座る。

「ああ、だからか」

 どうやら、今日の朝食は焼いたトーストの上にハムエッグを乗せたもの。つまりはアレだ。だからこその、今朝の百の台詞ということなのだろう。

 僕はコーヒーを一口すすってから、朝食にかぶりつく。そのままあの名作のように、トーストの上のハムエッグを頬張ると、このいつも通りの朝の風景に、一つの思いが頭をもたげる。

「なあ、百?」

「ふぁに?ふぉにいひゃん?」

「……口の中のものは、ちゃんと飲み込んでから喋りなさい」

 ほら!えっちい感じになっちゃうでしょうが!特に「お兄ちゃん」の部分がさあ!

「……って、お兄ちゃんが突然話しかけるからでしょ!」

 今度はきちんと飲み込んで、百は抗議の声をあげる。

「で?何?」

 百は、自分で入れた牛乳で、喉を潤おしてから、いかにも生意気な口調で、僕に先を促す。

「……いや、ちょっと訊いてみたいこと……というか、聞いてほしいことというか……があってだなあ……」

「……何言ってるか、全然わかんない」

「いや、だから、まだ話してないから!」

 僕は昨日、というか正確に言うなら昨晩、もっと言えばついさっきまでのことを、多少端折りながらも、百に話すことにした。

 荒唐無稽な僕の話を、時に頷きながら、時に「ふ~ん」なんて相槌を打ちながらも、百は特に反論もせずに、大人しく聞いている。

 かくかく、と。

 そして、しかじか、と……。

「――ということが、あったんだけど……」

 話しているうちに、自分でも信じられなくなってきてしまい、自ずと語尾が尻すぼみな感じになってしまった……。そんな風に、僕が話し終わってもまだ、百はふむふむなどと大げさに頷きながら、僕のとんでも話を吟味するように目を閉じて腕を組んでいるのだけれど、

「……お兄ちゃん」

 数分、考えていた百は、不意に目を開けると、にっこり微笑む。

「では、ここでクエスチョンです」

「は?く、くえ?」

 戸惑う僕に構わず、百はミステリーハンターらしく大仰な抑揚をつけて話す。

「普通、物を見るときには、目を開いて見ますよね?」

「あ、ああ、そりゃ……」

 ちょっと、その話し方、実際に目の前でされるとムカつくんだけど?

「しかし、ある物を見るときには、目を閉じないといけません。さて、それは一体何でしょーか?」

「……ヒントは?」

「そんなものは、ありません」

 おい、草野さんは、もっと優しいぞ。

「う~ん……目を閉じないと見えないものか……」

 と、口に出してみて、考えているように見せているが、実の所まったくもってわからない。

 何それ?とんちか何かか?そういうの、ちょっと苦手なんだけど。

 そんな抗議をしてみた所で、この生意気な妹は、きっと兄である僕の自尊心をボッシュートするぐらいに馬鹿にしきった言葉を投げつけてくるだろうしな……。

「何ぃ?お兄ちゃん?もしかしてこんな簡単な問題も分からないのぉ?」

「ん、んなわけねえだろっ!」

 ヤバイ。どうやら、黙っていたとしても馬鹿にされるシステムのようだ。

「ちょっと待てよ……今、答えてや……あっ」

 集中しようと目を閉じ、冷や汗をかきながら必死に思考をめぐらしている僕の脳裏、いや、正確には(まぶた)の裏に、神の啓示のごとくその答えは閃いた。

「お?その様子だと。答えが分かったのかな?お兄ちゃん?」

「ふっふっふっ、百よ。よくもまあ、そんな子供だましのような問題を、この兄に向けて出せたものだな。自分の浅薄さを恥じるがいい!」

 不敵な笑みを浮かべ、僕は答える。

「答えは瞼の裏だ」

「……ファイナルアンサー?」

「ファイナルアンサーだ」

「……スーパーひとしくん?」

「ああ、スーパーひとしくんだとも」

「……アタックチャンス?」

「もちろん!アタックチャ……って、それは違うくないか?」

 百はそのまま、黙りこくって真剣なまなざしで僕を見つめ続ける。その緊張感に、正解だとわかりきってはいても、思わず息を飲んでしまう。

 ゴクリと僕の喉が音を立てた、その時――

「はぁ~~~~~~~~っ」

 と、百が長ーーーーーーーーーい溜息をついた。

「……お兄ちゃん」

 溜息の跡に見せたのは、僕を憐れむような、そんな表情だった。

「な、何だよ……」

「不正解!」

「えっ!?なん……だと……?」

 まさか?そんなはずはない。

「不正解なわけねえだろ!目を閉じたらそりゃ瞼の裏が見えるだろうが!」

「お兄ちゃん、思い出してみてよ。いや、今、目を閉じてもらっても構わないのだけれど、目を閉じた時って、本当に瞼の裏が見える?」

「そ、そりゃ、お前、見える……だろ?」

「良く思い出してみて、お兄ちゃん。本当に、本当の本当にそうだった?大丈夫、お兄ちゃんはやれば出来る子だと、あたしは知っているよ?だから、もう一度、ゆっくり、良く思い出してみて?ね?」

「………………」

 その口ぶりに文句も出ようものだけれど、今はそれをぐっと飲み込んで、とりあえず黙って考えてみる。目を閉じて考え……。

「あっ」

「そう!今、何が見えるかな?お兄ちゃん?」

 目を閉じたままの僕に、百はそう訊ねる。

「今、見えるもの、それは……」

「そう、それは?」

「何も見えない……つまり闇だ!」

 目を閉じたままだと、確かに何も見えない。そんな事は、自明の理というものだ。それでもこの問題の出題者の意図を読むに、つまり百の考えを読むことで答えは自ずと浮かび上がってくる。

 僕の答えを聞いて、百は何も言えずにいるようで、黙ったまま何の反応も示さなかった。

「ふっふっふっ、どうやら僕の聡明さに、何も言う事が出来ないようだ……な……」

 そう言いつつ、目を開いてみると、果たして目の前には、僕に対して感嘆と憧憬とに満ちた視線を送る我が妹ではなく、まるで落ちているレシートでも見るかのような、つまらないものを見る、いや、見下げる目でこちらを見る百がいた。

「見えているのは、暗愚で蒙昧なお兄ちゃんの心の闇なんじゃないの」

「お、お前、いくらなんでもそれはないんじゃねえのか?」

 そんな目で見られて、そんな言葉を投げかけられてしまったら、お前のお兄ちゃんは永遠にその闇から出て来れなくなっちゃうよ!

 といったことを言外に含ませるように、その視線に込めてみても、百にはまったく通じていないようで、「はあ~」などと大げさに溜息をつかれてしまった。

「もう、時間もないから答えを言っちゃうけれど――」

 ……それで、あんぐでもうまいってなに?

 ああ、暗具ね!暗具でも上手いってことね。

 って、どういう意味!?

「――答えは、夢だよ」

「夢?」

 違う事を考えていたから、急にはピンと来ない。

「だ~か~ら~ゆ~めっ!夢って、わかる?Dream?Do you understund?」

「その言い方は、無駄に他人をムカつかせるから、無闇に人に向かっては使わないように!」

 特に、英語の部分が酷いな。無駄に発音がいいのが、更にムカつきポイント。

「だ~いじょうぶ!」

 僕の注意に対して、にっこりと微笑んでみせる百。

「お兄ちゃんだから言うんだよ。こんなこと、他の人には絶対言わないんだから……ね?」

「ね?じゃねえよ」

 なんだろう?本当はときめくような言葉なのに?なのに……何故だろう?お兄ちゃん、馬鹿にされているような気がするよ?てか、絶対馬鹿にしてるよね?

「おい――」

「で?意味分かったんだよね?」

 抗議の声をあげようとした僕の言葉の切先を押さえるように、百は話を続ける。

「い、意味って、そりゃ……分かってるよ?」

 僕を見つめる百のジト目に、ついつい語尾があやしくなってしまい、不要なクエスチョンマークを付けてしまった。

「……まあ、いいや」

 どうやら、僕は百に何かを諦められてしまったらしい。

「時間無いし、もう説明しちゃうけれど、つまり、さっきのお兄ちゃんの話って、結局夢だったんじゃないのってこと」

「い、いや、ちょっと待て、夢ってお前――」

 ――さすがに、言い過ぎじゃねえか?と、口にしたかったのだけれど、

「ほら、さっさと食べないと、遅刻しちゃうよ」

 といった、無駄におかんじみた百の言葉にかき消されて、言葉にすることは出来なかった。

 みると、百は僕と会話をしている間にも、器用に食事を続けていたようで、ラピュタプレートを綺麗に平らげていたのだった。対して僕はというと、まだまだプレートにはほぼ残ったままで、いい加減本当に食べる事に専念しなければ、遅刻してしまうかもしれない。

「りんごは食べる時間無いだろうから、持って行ってね」

「お、おう……」

 緑色のりんごまで用意してあるだなんて、実に芸が細かい。

 仕方が無いので、僕は百への反論を、無理やり口に詰め込んだ残りの朝食と一緒にコーヒーで流し込み、食器を台所に片付ける。

 言われたとおりりんごを(気持ちの上ではついでにナイフ、ランプも)鞄に詰め込んで、僕はつい呟く。

「夢、か……夢ねぇ……」

 そう、言われてしまっては元も子もないというか、あんなに話したのに、その一言で終わらせてしまわれると、悲しいし寂しい。悲しくて悲しくて、とてもやりきれないほどだ。

「はあ~~~夢なのかな~~~」

 玄関に向かいながら、ため息混じりに、独り言が口をついて出てしまう。独り言のはずが、百は靴を履きながら、こちらを見もしないで答える。

「夢じゃないって言うなら、本気で頭の心配をしたほうがいいよ、お兄ちゃん。ただでさえ悪いんだから、これ以上酷くなったら、あたし、ちょっと……」

「……それ以上、言わなくていい」

 それ以上言われたら、お兄ちゃん死んじゃうからね!あと、さらりとひとの頭を悪いと断定しないでくれる?いや、確かに良くは無いだろうけれどさ!

「ともかく!」

 靴を履き終えた百は、立ち上がりざまに振り返る。

「そんな夢ばっかり見てないで、もっと現実を見なさい!」

 そう言って、百は勝気な笑顔を見せる。

「べ、べつに、僕は夢ばっかり見てるわけじゃねえぞ!」

 ちゃんと、可愛いあの子だってう〇こするって知ってるし、あのねずみのキャラクターにも中の人がいるってことだって理解している。三十過ぎて定職につかずにバイトしながら、ラノベ作家を目指してますって言いながら、設定とプロットばかりを書き溜めて、一つも作品を書き上げることもしないで、一端の作家気取りで「作品がどうの……」とか言ったりはしない!

 ……って、これ、誰のこと?誰かを凄まじく傷つけていそうなのだが……。

「お前にそういわれたら、夢だったような気がしないでもない……ことも無いような……」

「一体どっちよ!?」

 元気一杯、突っ込みを入れてくる百。

 それに答えて、スニーカーに脚をねじ込むように入れながら、僕は勤めて明るく言う。

「ま、まあ!いいじゃねえか!もう忘れてくれ!さあ、学校に行こう!」

「何だか、有耶無耶にされた感満載なのだけど……もういいや、飽きたし」

「飽きたって、お前、酷くねえ?」

 と、口ではそう言ってはいても、本当はそれでいい。あまり真剣に取られてしまうのは、僕としても困るからだ。

 出来る事なら、夕べの事は夢であって欲しい。

 いや、夢だったはずだ。

 そう、僕は自分に言い聞かせるように、口の中でだけ呟く。

「ん?何か言った?お兄ちゃん?」

 ドアを開けながら百は訊ねてくる。

「いや、何でもない」

 そろそろこの話も切り上げないと、本当に妹に頭を心配されてしまう。僕は、軽く首を振って、話す気が無い事を示す。

 それに、本当にもう話を切り上げないと、

「ほら、遅刻しそうだし、急ごうぜ」

 僕は、そう言うと勢い良く立ち上がった。

 

 遅刻寸前、滑り込んだ教室は、昨日までと何の変わりも無い。ただ一点、僕の隣の席、つまりは巻が昨日までそこに座り、友と語らい、勉学を励んでいたその席だけが昨日と違い、空席になっていた。もう二度と戻らない主を、ただ待つように、机は佇んでいるように見えた。

「おっ?遅かったじゃねえか、九十九」

 思わず立ち止まって、巻の席を見つめている僕は、声がしたほうを向くと軽く片手を挙げて挨拶をする。

「よう、楡沢」

「どうしたんだよ?なんかぼーっとして?寝不足か?」

「ああ、まあそんなところ……」

 本当はそんなところどころの話ではないのだけれど、僕にそういわれた楡沢は、そうかそうかなどと、頷いてみせる。さらには、ふふ~ん♪なんて得意げな訳知り顔までみせる。

「元気なのは分かるけれど、ほどほどにしとけよ」

「……なんのことだ?」

「いや、自家発でぐふぁっ!」

 僕の右フックが、楡沢のレバーに突き刺さった。

 まっくのうちっ!まっくのうちっ!

「ぐっ……5番と6番を持ってかれたっ……」

「んなわけねえだろ」

 僕のフィニッシュブローに、脇腹を押さえてうずくまる楡沢に、僕は、

「ところで、巻はまだ来てないんだな?」

 と、しれっと訊ねる。白々しいにもほどがあるだろ。

「どうやら、今日は休みか……な……?」

 その白々しさを誤魔化すように、クラス内を見回すように、大げさに首を回す。ぐるりと一周したその視線の先には、楡沢の怪訝そうな顔があった。

「……なんだよ?」

「いや、何ていうか……いくら、明日からゴールデンウィークだといっても、さすがに……」

 楡沢は僕を心配するかのように、目を細めて薄く微笑む。

「お前、頭、大丈夫か?」

「どうやら、僕のデンプシーをお見舞いされたいようだな」

 目の前で八の字を描く僕に、慌てたように手を振って、楡沢は否定する。

「ちょ、ちょ、待てって!さっきのは言い過ぎた!悪かったから!」

「そうか、なら、その、理由を、言って、みろ」

 八の字運動をどんどん加速させていきながら、僕は途切れ途切れにそう訊ねる。

 まっくのうちっ!まっくのうちっ!

「いや、その、言いにくいんだけど……巻って誰だ?」

「えっ?」

 楡沢の言葉は、まるでカウンターパンチのように僕の動きを止めた。

「な、なん……だと……?」

 僕は驚きのあまり、搾り出すように何とか言葉を紡ぎだす。

「じょ、冗談だよな?ほら?巻だよ、巻菫子。容姿端麗、眉目秀麗のあの!」

 僕はつい詰問するような口調になってしまう。だけれど、そんな言葉にもゆるやかに首を振って、不思議そうに僕を見つめ、楡沢は話す。

「そのお前がいう、巻?って子なんだけれど、一体、誰のことだ?俺は自慢じゃないが、このクラス、というよりも学年、いや、正確に言うならこの学校の女子の名前と容姿とその所属クラス及び部活は全て把握しているけれど、そんな名前の女子は記録されていない。つまり、この学校にそんな名前の女子は存在しないのだよ」

「そんな、お前のその記録とやらに、僕はドン引きだよ……」

 しないのだよって、何でそんな得意気なんだよ。

 警察の皆さ~ん!ここに性犯罪予備軍がいますよ~っ!保護という名の拘束をおねがいしま~す!そして、是非ともそのまま社会からもさよならして欲しいものだ。

「あれじゃねえか?ほら、妄想?みたいな。お前もヴァニッシュメント・ディス・ワールドして、その巻って子を作り出したっていうか、いると思いこんでしまったんじゃ?」

「い、いや、でも――」

 僕のリアルは爆ぜて無いし、シナプスも弾けていない。

 と、言いたい所なのだけれど、その時チャイムが鳴り響いて、クラス担任であるところの(たで)(かわ)生駒(いこま)教諭が扉を開けて入ってくる。クラス内を見回しながら、

「ホームルームを始めるぞーみんな席につけー」

 と、男前なぐらいぶっきらぼうに言うと、教壇に立つ。

 みんながおしゃべりを切り上げて席につく中、それに倣うように楡沢も

「じゃあな、九十九」

 と、軽く手をあげて挨拶をすると、自分の席へと向かう。

「ああ、じゃあ」

 僕もそれに返すと、自分の席に座る。

「クラス委員、号令」

 ほどほどに静まった頃を見計らって、蓼川先生はクラス委員に号令を促す。その号令に従い、僕たちは規則正しく、それでいてゆるゆると立ち上がり、礼をして、着席する。

「うむ、では――」

 長い黒髪を払いながら僕たちに向けて、満足気に頷くと、蓼川先生は出席をとり始める。

 余談だけれど、男前な口調と、その気風の良さから、誤解されがちだけれど、蓼川先生は妙齢の女性なのだ。ただ、その男前な口調と、その気風の良さのせいで、未だに独身をキープしているのだった。しかも、誰からもキープされていないまである。

 ……本当に余談だった。

「――禰々宮」

「は、はい」

 本当に油断していた。

 急に名前を呼ばれて、僕は驚いたような声で返事を返す。

「ん?どうした?」

「いえ、何でもないです……」

 ごにょごにょと誤魔化して、僕は俯く。

「ふむ……では、続ける」

 蓼川先生は怪しむような視線を、一瞬僕に向けたけれど、特にそれに囚われず、出欠を取ることを続ける。

 もしかしたら、失礼かつ不埒な考えを巡らせていたのが読み取られてしまったかもしれない。あとで怒られるのかもしれない……のか?

 気を取り直して、僕は蓼川先生の声に注意を向ける。別に、注意されたからその反省を元に、自分の行動を改めたというわけではない。そもそも今更、その声を注意深く聞こうが、僕の出欠はすでにさっき取られている。

 では何故か?

 僕は確かめようとしているのだった。

 何を?それは――

「――と、よし。今日も、欠席も遅刻も無し、と」

 出席簿に何かを書き込みながら、蓼川先生は朗らかに微笑む。

 やっぱりか……。

 分かりきってはいたけれど、僕はそう一人ごちて、横目で隣の空席を盗み見る。僕の隣の席が空いていることに、特に取り合う様子も無く、蓼川先生はゴールデンウィークの過ごし方という、さほど得になりそうも無いことを、つらつらとのたまっていらっしゃる。

 さっきの楡沢の反応、そしてこの出欠確認ではっきりした。

 どうやら、巻菫子という生徒は、最初から存在しなかったという事になっているようだ。

 おそらくこの学校だけではなく、戸籍であるとか、そういった彼女が存在した証拠は何一つ残っていないのだろう。

 誰に聞いても知らないというだろうし、どう調べても何も出てきやしないだろう。

 百の言うように僕の夢だったように思う。

 夜が明けて夢から覚めれば、それは消えてしまう儚いもの。

 きれいさっぱり、消えて元に戻る。というより、もとよりなかったことに。

 消えてしまったものは、どこにも残らない。

 ――でも。

 でも、そうではない。

 そうではなく、ただ、僕だけが覚えている。

 僕だけが彼女の事を、彼女達のことを覚えている。

 その事を証明する術は、何も無いけれど、だけど確実に覚えてしまっている。

 忘れたくても忘れる事ができない。出来る訳ない。

 それだけが、彼女のいた証。

 このまま消えて、誰からも忘れられてしまっては、八百年も一人ぼっちで戦い続けてきたあいつが報われなさ過ぎる。

 だから――

 だから、せめて僕だけはちゃんと覚えておこう。

 あの華奢で、可憐で、負けず嫌いな少女のことを――。

 


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