放課後の梅ちゃん(10)
毎週金曜深夜0時に、次話投稿します。感想等もよろしくお願いします。
「ふん、実に鬼らしい答えだな」
さすがは贄姫さん、と言ったところだろうか。僕のような一、男子高校生などは、その表情を見るだけで震え上がってしまいそうな鬼を鼻で笑って、贄姫は続ける。
「いつの時代も、お前たち鬼はすぐに食うことばかりを考えて、全く進歩せんな。さすがの私でもそろそろ飽きがくるぞ」
挑発するように――いや、明らかな挑発か――贄姫は、薄笑いを鬼に向ける。
「大体、芸が無さ過ぎると思わないか?喰うと言えば、こちらが怖がるとでも?そんなもの――」
贄姫は、首もとの勾玉に触れ、
「私に通用するわけが無いだろう?」
そう言うと、贄姫は中空に指で四角を描くように、腕を振る。すると、その四角が拡大するようにみるみる大きくなり、しまいには僕たちのいる校舎全体を包んでしまった。それはまるで、緑に光る箱に入れらてしまったようだ。
「ちょ、ちょっと、贄姫、こ、これは?」
「ああ、これ?これは――」
贄姫は、何と言う事も無いという風に、軽く答える。
「これは、とりあえず結界を張ったのだけど」
「け、結界?」
――って、マジで?
いろいろと訊きたい事や、つっこみたい点が多々あるけれども、贄姫はそんな僕の様子などまったくもって気に留める様子など無く、まるで僕の事など無視して、
「さあて――」
不敵な笑みを浮かべ、挑発するように小さく尖った、可愛らしい顎を少し上げて、
「――鬼退治といこうか」
と言うと、挑発するように、更に口の端をあげて笑った。
「フフ……」
普通なら、ここで怒り出しそうなものなのだけれど、鬼は意外にも笑い出した。
「あは、あはは、あはははははははは!」
気がふれたように、大声で笑う鬼。
「いや~ホント面白い!こんなに笑わせてもらえるだなんて思わなかったわ」
ニタニタと笑いながら、鬼は話し続ける。
「冗談でも言わないよね、鬼退治だなんて!」
あははははは、と馬鹿にしたように、大げさに笑ってみせて、鬼は挑発しかえす。しかも、とどめに、
「あはは、バッカじゃない?」
と、きた。
「ぐぬぬぬ~」
どうやら、その言葉は贄姫のはらわたを煮えたぎらせるには十分だったようで、さっきまでとは打って変わって、歯軋りをしてみせ、今すぐにでも地団駄を踏みそうなほどだ。
「ぐぬぬ……馬鹿にして!腹立たしいわ!」
と、思っていたら、足を踏み鳴らして――つまり地団駄を踏んで贄姫は悔しがりだした。
「あいつ!あんなこと言って!本当に悔しい!悔しすぎる!そう思うだろ!?なあ!――」
贄姫は凄まじい勢いでこちらを振り返り、食いつかんばかりの勢いで、
「なあ!九十九!お前も腹が立つだろ!?」
「ぼ、僕?」
「そうだ!腹が立って立ってしょうがないだろう!?」
「えっと……それは……」
即答できない僕に業を煮やして、贄姫は詰め寄ってくる。
「どうだ?どうなのだ?九十九?まさか、お前は腹が立たないとでも言うのか!?」
「いや、そ、そんな事は……」
業を煮やしている贄姫とは対照的に、どうにも煮え切らない態度の僕に、贄姫はジト目で下から睨みつけながら、
「どうなんだ?はっきりしろ!九十九!」
と、迫るのだった。
「わ、わかった!わかった!わかったよ!僕も腹が立っているよ!これで、いいんだろ!?」
こんな風に迫られてしまっては、こう言うしかないだろう?というか、これって明らかに言わされているのが、鬼にも見え見えだよな。
所謂、最近やたらと問題視されている、パワーハラスメントって奴か。
しかし、こんな僕の投げやりな言葉でも、贄姫の溜飲を下げるには十分だったようで、満足そうに頷くと、贄姫はこう続けるのだった。
「そうだろう、そうだろう。お前も腹が立つだろう?だから――」
顔を上げた贄姫は、さっきまでの自分を取り戻したように、不敵な表情を見せて、
「だから、やはり懲らしめてやらねばな」
ふんっ、と鼻で笑い、口の端を持ちあげるのだった。
それにしても、とても同じ人間とは思えないほどの変わり様だな……。
「――はっ」
従来の強気を取り戻した贄姫に負けじと、鬼も嗤う。
「懲らしめるだって?そんな弱々しい体で、一体どうやって?」
血で染まったような口元を歪めて、鬼は贄姫を挑発する。
「まさか、不死身ってだけで、このあたしに勝てるだなんて、そんな甘いことを考えているんじゃないよねぇ?」
「ふん、まさか――」
挑発に対して、挑発を返すように、贄姫は顎を上げて鬼を見下す。
「ふん、まさか。このままでお前みたいなクソ化物と戦うわけが無いだろう?」
小さく可愛らしい唇を邪悪に歪めて、贄姫がそんな台詞を口汚く吐くのを、僕は倒錯するような心持で聞いた。
いや…いくらなんでも、口悪すぎだろ……。
「そ、それはそうと贄姫、そんな啖呵を切ってしまって大丈夫なのか?」
「ん?何を心配しているんだ?九十九?」
「いや、だって、お前さ、あんな鬼に適うわけ――」
「ふっ、心配するな。私だって、何も手立てを考えていないというわけじゃない。だからこうやって――」
ニヤリと口の端を持ち上げて、贄姫はオレンジ色の勾玉を撫でて、
「琥珀!」
と、短く叫ぶと、そのまま手を伸ばし、手のひらを上に向け、何かを受け止めるような仕草をした。すると、とても信じることが出来ないことが、目の前で起こった……と、もうすでに、そんなことは散々起こりきっているのだけれど、しかし、それでも信じることが出来ないというか、理解する事さえ困難なことを目撃する事になった。
「お、お前、それは……何だ……?」
「ん?これか?」
驚きを隠せない僕の目の前、贄姫が手にしていたのは、ちょうど拳くらいの大きさで、オレンジ色にも深い青にも見える不思議な色の、激しく燃え盛る火の玉だった。
「これは『狐火』と言われるものだ。見たことぐらいあるだろ?」
「見たことどころか、聞いたこともねえよ!」
いや、勢いでそう言ってしまったけれど、もしかしたら聞いた事ぐらいはあるかもしれない。けれども、僕の知っている(と思われる)狐火はそんな簡単に取り出せるとも思えないし、そんな軽々しく持てるものでもないと断言できる。
よく見てみると、贄姫はその火を直に持っているわけではないようだ。正確には、それは手のひらの上で、少し浮いてフワフワと留まっている。その火はとても一言では、言い表せない不思議な色をして、見つめていると心を奪われてしまうような感覚に陥る。
「それで?その狐火とやらをどうするんだ?」
「フッフッフッ……それはこうやって――」
不敵な笑みを僕に見せて、贄姫は口を狐火に近づける。
そして、それをそのまま――
「えっ?おまえ、何やって――」
そのまま、口をつけて吸い込んでしまった。
その途端、贄姫の体が、炎に包まれる。
「に、贄姫っ!?」
思わず近づこうとした僕を、まるで寄せ付けようとしないかのように、贄姫を包んだ炎は、渦を巻いて激しく燃え上がる。
「おい!大丈夫なのか!贄姫!」
「――誰の心配をしている?」
燃え盛る炎の中から、そんな声が聞こえた瞬間、炎が吹き飛んで消えた。
「お、おい……贄姫……」
――なのか……?
吹き飛んだ炎の中には、さっきと変わらず贄姫が立っていた。しかし、その様子は少し、いや、かなり変わっていた。
と、言っても、いきなり巨大化していたとか、性別が変わっていたとか、金髪碧眼で髪を逆立てて伝説の超サイヤ人になっていたりもしない。
まあ、クリリンを殺されたわけでもないしな。
じゃあ、一体どうなっていたのかと言うと――
向こうを向いて立っている贄姫の手首、それに足首の踝の辺りに、さっき贄姫が手に持っていたのと同じ火――つまり、狐火がそこに灯っていたのだった。
ユラユラと幽かに揺らめいている火は、相変わらず言葉に出来ないほど美しく、そして同時に魅入られそうなほど妖しかった。
「そ、それ、熱くないのか……?」
そんな『今更感』満載なことをわざわざ訊き直した僕に、贄姫はゆっくりと振り向いてみせる。
「ふん、何を馬鹿なことを訊いている。熱いわけが無いだろう、全く。馬鹿も休み休み言え」
「な、何もそこまで言う事も無いだろう……って、お前、その顔……」
振り返った贄姫の顔つきに、僕は目が釘付けになってしまう。
僕の方を向いて、馬鹿にしたような笑みを浮かべる贄姫の目元、ちょうど目尻の辺りが化粧をしているかのように赤く染まっている。さらに付け加えると、小さく膨らんだ唇も紅を引いたように赤い。それはまるで、昔の花魁のようで、息を飲むほどに妖艶だった。
その変わりように、僕は思わず、
「お前……本当に贄姫だよな?」
こう、訊ねずにはいられないほどだった。
「九十九よ、それは一体どういう意味だ?」
妖艶さ三割り増し(当社比)のまま、贄姫が小首を傾げてこちらを見上げ、そんな事を僕に訊いてくるものだから、
「い、いや、その……何でもない」
と、ドギマギしてしまうのも仕方がないと言い訳させて欲しい。
「何でもないことは無いだろう。何だ?私の美しさに見とれたのか?どうだ?惚れ直しただろう?そうか、そうか」
うん、うん、と頷いて満足気な贄姫なのだった。
って、
「惚れ直すも何も、まず惚れていないからな!」
まあ、見蕩れていたことは認める。
「それにしても、何というか……雰囲気が随分と違うと言うか……」
どちらかと言えば、その実年齢のわりに(?)贄姫は幼い容姿をしているのだけれど、それに色気が足されるというだけで、その魅力(毒気?)に当てられた僕は、息をするのを忘れて、目が離せなくなってしまうほどだった。
「いつまでそんないやらしい目で見ている?いい加減にしないと目を潰すぞ」
「何でそこまでされなくちゃならないのかも納得できないし、そもそもいやらしい目でなんて……見てねえだろうが!」
三点リーダ二つ分の逡巡くらいは、見逃して欲しいものだ。
「フフフ、これは――」
蠱惑的な笑みを僕に向けて、贄姫は話す。
「これは、この力の副作用みたいなものなのだ」
「副作用?」
贄姫は首肯し、更に続ける。
「ああ、そうだ。アヤカシのものと戦うには、やはりアヤカシの力を借りるのが手っ取り早いからな。わざと、私に憑依させているようなものだから、その力を得るためには、どうしてもこんな姿にならざるを得ない、というわけだ」
わかったか?と、何故か偉そうに胸を張る贄姫なのだった。
「なるほどな。それで、そんな風に……」
色っぽくなった、なんて迂闊にも言ってしまったら、何を言われるか分かったものじゃない。僕は、こぼしてしまいそうになった言葉を、すんでのところで何とか飲み込む。
「ん?なんだ?そんな風に?」
「い、いや、何でもない。それで――」
これ以上の追求を逃れる為にも、僕は急いで(不自然なくらい)話題を変える。
「それで、その力で戦うってのは分かったのだけれど、どうやって戦うんだよ?まさか、徒手空拳というわけでもないだろう?」
よくよく考えてみると、徒手空拳、つまりは素手でぶん殴るという戦い方も、単純だしシンプルなのだけれど、十分にありえる話だ。それでも僕は贄姫の細腕から、どうしてもそんな想像をすることが出来なかった。というか、何となく直感で、それは無いと決め付けていたのかもしれない。
いや、本当は、ただ単に話題の転換を急いだだけかもしれないけれど……。
「フフフ、まさか」
果たして僕の何の根拠も無い考えは、どうやら正鵠を得ていたようで、
「心配せずとも、ちゃんと武器も持っている」
と、返した贄姫は、さっきと同じような動きで、しかし今度は青い勾玉を撫でて
「瑠璃!」
と、叫んだ。
その声に反応するかのように、贄姫の胸の青い勾玉が光りだす。
青白い光が集まり、収束して、何かを形作っていく。
「こ、これは……!?」
細長い紐のような形になった光が、命を持っているように動き出し、徐々にそれが何か分かってきた。
「これは……蛇……?」
にょろにょろ、といった動きで、光で出来た蛇は、差し出された贄姫の手のひら、そして手首に巻きついていく。
贄姫の手に巻きついた光る蛇は、そのまま動きを止め、まるで1本の光る棒のようになった。
「――?」
見ていると、その光る蛇が変化した光る棒は、まだ形を変えるようで、キラキラと光を撒き散らしながらその姿を徐々に明らかにしていく。
まるで蛇の鱗が剥がれるように、青白く光った薄い破片を撒き散らしながら、姿を現したのは――
「まさか……刀?」
刀というには、それはあまりに異形のものだった。
正確に言うのならば、それは刃というほうが正しいと思う。
何故ならその刀にはあるはずのものが無かった。
「いや、違う……それは何だ?」
その刀には持つべき柄が無く、打ち出され砥がれたままの刃に布が巻きつけられているだけなのだった。
巻きつけられた布には、何か文字が書かれているようだけれど、筆で書かれたその文字は僕に読むことは出来ない。
「これは妖刀『蛇尾』。アヤカシを斬るための刀だ」
「だび?」
荼毘に伏すとかのか?
「蛇の尾と書いて『蛇尾』だ」
贄姫は自分の身長ほどもあるその大太刀を軽々と振り、幽かな青白い月明かりに、その妖しく怪しい刃紋を煌かせる。
冷たい殺気を帯びた刃は、僕を魅了するように妖しく光る。
「――ふうん、それで?」
一部始終を黙って見ていた鬼は、やっと思い出したかのように、口を開いた。
「それで?それが一体、何?」
月明かりに照らされて、禍々しい影を伸ばし、僕たちを嘲笑するかのように、鬼は話す。
「そんな風になってもさ~、今までだって何人もあたしを退治しようとしたけれど、その全員が今頃、土の下なんだからさ。無駄だと思うよ~」
今時の女子高生が使うような、人の神経をわざと逆撫でするような話し方で、鬼は続ける。
「まあ?それでも何かしたくなるのが人情って奴よね~?って、あたしが人情を語るなんてうっける~」
あはははははっ、と狂ったように鬼は笑った。
「せいぜい変身でもパワーアップでも界王拳でも、なんでもすれば?どうせあたしに――」
鬼は真っ赤な唇をニヤリと開き、尖った牙を見せ付けるかのようにして、
「――殺されるんだけどね」
と、おどけたような口調で言った。それが更に、この鬼の異常性を引き立てて、僕は本当に恐怖というものを実感することになったのだった。
と、突然、何かに気がついたように、鬼は手をポンと打つ。
「あ、でもでも、梅ちゃんは不死身なんだったっけ?だとしたら、どうしようかな~?」
顎に人差し指を当てて、可愛らしい仕草で鬼は考え込むみたいにする。しかし、その仕草も普通の女子高生がするのと、月明かりの下で、頭に角を生やした血まみれのワンピースの女子がするのとでは、全く趣きも意味合いも変わってくる。
だからだろう。僕は背筋に冷たいものを感じながら、それでも動けないでいる。
「――そうか」
鬼は何か良いアイデア(それは決して僕たちにとっては悪いものだろうが……)でも思いついたように、その禍々しく怖ろしい顔を、嬉しそうに綻ばせる。
「死なないんだったら、何度でも殺してあげられるってことだよね?」
そう言うと、鬼は今まで見せた中で、一番怖ろしく、そして美しい笑みを、青白い月明かりに見せる。
「殺して、殺して、殺し続けてあげるから」
うふふふ、と不気味に嬉しそうに笑う鬼。