プロローグ
僕が通う私立東雲学園には、生徒の間でまことしやかに語られる、一つの噂話がある。
それは、生徒達が帰った後、誰もいなくなった放課後の校舎内に、一人の少女が彷徨っているというものだ。
黄昏に赤く染まる教室、徐々に闇が深くなっていく廊下、月明かりが蒼く差し込む階段、そこに、その少女は現れる。
何のために、だとか、どうやって、だとかは誰も知らない。
どこから来て、どこに帰っていくのかも分からない。
それらは語られる噂話によって、それはそれは様々に変化する。
ある時は、霊界からやってくる悪魔だとか、実は学校に住み着いている自縛霊なのだとか、魂を求めて彷徨っている死神だとか、どれが本当なのか考えることを放棄したくなるほど様々に噂されている。
その少女の姿も実にまちまち。
恐ろしく大きな影がその姿から伸びていただとか、眼が赤く光るだとか、鬼のような角が生えていただとか、目撃例の数と同じだけその姿の数もある。
こうして考えてみると、まあ、よくある学校の怪談の類だ。
暇を持て余した思春期の脳みそが、集団で構築してしまった妄想を具現化した噂話なのだろう。普通なら、誰もがそんな話を本気にしないはずだ。
しかし、その噂話もある事件をきっかけに、俄かに真実味を帯びてきているのだった。
その事件というのは、一年の女子生徒がある日の放課後に突然、行方不明になり、その後数日して視聴覚準備室という、いつ使うのかさっぱり見当もつかない教室で発見されたというものだった。
見つかったとき、その女子生徒は鍵がかかった視聴覚準備室の真ん中で、眠るように倒れていたとのことだ。しかも、行方不明の間の記憶というのは無いというおまけ付きで。
そしてさらに、この事件には目撃者がいた。部活動で遅くなった生徒が、校舎の中をその行方不明になった生徒が、見知らぬ生徒と歩いているのを見ていたのだ。フワフワとした足取りで歩く行方不明になった生徒は、そのままその謎の女子生徒と共に、階段を上っていったまま居なくなった。そのことで、この噂は一気にその信憑性を増し、生徒達の興味と感心を集める結果になった。
もちろんこの事件が必ずしも、放課後に現れるというその『謎の女生徒』の仕業だとはいえない。行方不明になった生徒が、何らかの理由(彼氏とお泊りだとか)で、居なくなった理由を言えないでいる可能性だってある。それなら、その生徒がこの学校の怪談を利用した、自作自演の事件だったという事も考えられる。
だがしかし、そんなことは、この際どうだっていい話だ。
問題は、このことでその『謎の女生徒』が、さも実際にいるかのように、話されるようになったこと。
そのことで、今、校内がざわざわと非常に落ち着きがない。
みんな、毎日嬉しそうに噂をするのだった。
『〇組の〇〇さんが見たらしい』
『〇組の〇〇くんはさらわれそうになったそうだ』
『〇組の〇〇ちゃんが詳しく知っている』
噂はますますエスカレートしていって、今やどれが本当か、デタラメなのか誰にも判別できないほどになっている。
いや、もともと噂なのだから、本当なんてどこにも無いのかも知れない。
――だけれども。
そういった本当とも嘘ともとれない、取るに足らない噂話だとしても、この学校の全校生徒、約千人に噂され続ければ、それは徐々に本当の話になっていくのではないのだろうか?
デタラメな作り話なのだとしても、大勢が本当だと信じて、もしくは本当であってほしいと願うならば、それは本当の話になるのではないのか?
世の中に五万とある、そういった都市伝説や、噂話、怪談の類はそうやってその姿を形作られていったのではないのだろうか?
口裂け女も、人面犬も、トイレの花子さんだって、そうやって人々が口々に噂し、興味を抱き、信じ、願ったからこそ、その存在を確立できたのだろう。
――だからこそ
僕は出会ってしまったのだろう
放課後になると現れるというその『謎の少女』に
梅の花の髪飾りをつけていることから
『放課後の梅ちゃん』と生徒達の間で呼ばれている
その一人の少女に――。