回 想『Remember : the Stopping Memory』
『シオン。一緒に帰ろうぜ?』
『ああ。いいよ、ロート。あれ、リオは?』
『リオの奴なら、さっき急いで帰ってるのを見たぞ。なんでも、急用だとか』
『そっか。じゃあ僕らも帰ろうか』
『あ。そうだシオン。ちょっと帰り寄っていいか?』
『いいけど、どこに? 商業区?』
『まぁ、そんなとこだ』
春の刻にロートと出会い、そろそろ一年を迎えようかという頃――相変わらず魔術は使えていない――、いつものように、僕とロートは学院から帰宅しようとしていた。季節は冬の刻へと移り、その冬の刻らしく、街は雪に包まれていた。
その時点で僕……というより、一年次生達の階級は【初級魔術師】だ。これより上の階級に進むには、二年次生へと進級しなければならない。
『なあシオン。お前、あれから魔術はちゃんと使えるようになったか? もう三ヶ月もしたら進級試験だぞ』
『……うん、判ってるよ。でも、やっぱりまだ使えないんだ。こっちに来てから図書室とかにも通って色々調べたり、自分の方でも鍛錬はしたりしてるけど、やっぱり、まだ』
『そう、か』
沈黙が訪れる。
これまでにもロートは幾度となく、僕の欠陥を気にかけてくれた。ともすれば、僕以上にこの欠陥を気にしていたかもしれない。尤も、実際のところなどロート本人にしか判らないのだが。
雪が降り積もっている街を、二人歩く。
変わらない光景。変わらない日常。
ずっとこんな日々が続くのだと、そう思っていた。
だが――――。
『――――ッ!?』
突如、僕らが向かう先――商業区の方から、大きな轟音が聴こえた。
『なんだ、今の音……!?』
『商業区の方だ、行くぞ!』
突然の事態に、僕は困惑した。いや、思考が追い付かなかったというべきか。しかし、そんな状況下でもロートは慌てず、冷静に状況を判断し、行動を取った。自分で考えて行動を起こすことさえままならかった僕は、走るロートに付いて行った。
そして、そこで目にした物は、ひどく壊れ果てた、商業区の姿だった。
『一体……何が』
見るも無残な、建物の残骸。物理的に壊された物もあれば、火で焼き払われた物もあり、それらは共通して、ここで何があったかを物語っていた。
『うぅ、あ……ぁ』
『! 大丈夫ですか!?』
倒壊した建物の下敷きになっている人を発見し、僕はすぐ駆け寄る。
『シオン!』
『――――ぇ?』
だから僕は、僕に向かって魔術を放とうとする人物に、気付くことが出来なかった。
『――【力渦巻く風の奔流】!!』
何者かが放った魔術が僕に被弾するその寸前、ロートが放った魔術がぶつかり、二つの魔術は相殺した。
『大丈夫か、シオン!』
『う、うん。ありがとう、ロート』
『気にするな。でも、気ィ抜くんじゃねぇぞ。さっきのは間違いなくお前を殺す気だったからな』
『ころっ……!?』
殺す気だった、などと言われてもまるで実感が湧かない。けど、冷静になって考えてみると、やはりそれを認めざるを得なかった。――現に、こうやって人が死んでいるのだから。
ゆっくりと、顔を上げる。
そして視界に入ってきたのは、黒装束を纏った一人の男性だった。手に大きな袋を持っており、その大きさは軽く人一人が余裕で入りそうなくらいだ。しかし、最も特徴的なのは、その顔に被った髑髏の仮面だろう。アレを被っているせいでその場に立っているだけで威圧感が増し、そして表情を読めないため、何を考えているのか全く判らない。
『――ディア』
『え?』
『――アルカディア、だと』
ロートが呟いたその一言で、あの人物が何なのか思い至った。
非魔導組織【アルカディア】。それはシーベール王国内において、かつて最も人々を震撼させた、魔導組織のことだ。その行動は一〇〇にも登る数の魔導テロや、誘拐や略奪、強盗などの犯罪。そして非人道的な、魔術を使った行い――詳しくは公開されてはいない。少なくとも、魔導テロのことではない――など、王国において最大最悪の組織として名が知れ渡っていた。
しかし、十年前に、王国魔導師団による【アルカディア殲滅戦】で、かの組織は解体された筈だった。ならば、目の前にいるこの人物はアルカディアの残党というところなのか。
『なんでアルカディアの人間がここに……』
『わからない。けど、このままだと俺達二人とも殺られるぞ』
依然として、アルカディアの人物――便宜的に「彼」と呼ばせてもらう――は動かない。彼はじっと、その場に佇んでいるだけだ。
戦う術はある。魔術石も、魔力石も、ポーチの中にある。
だけど、
(怖い……っ!)
さっきの魔術――僕を殺そうとした魔術――の恐怖が今になって蘇る。殺す気だった、と言われ、そしてそれを一度自覚し始めたら、そう簡単にその恐怖が抜けるわけがない。
怖い。ただひたすらに怖い。
隣を見る。ロートは張り詰めた表情で彼を見ている。いや、あれは親の敵でも見るような視線にも感じ取れた。有り体に言えば、憎しみだろうか。
『――戦うぞ、シオン』
『え? おいロート。冗談だろ? 僕達がアイツと戦っても勝てやしない』
『そんなことは判ってる。けど、このままアイツを放っておいていい理由にもならねぇ』
『でも――』
『大丈夫だ。さっき呼応石で助けは呼んだ。時間さえ稼げば助けは来る。それまで、戦うぞ』
助けを呼んだ。その事実は確かに心強い報せではあった。
しかしそれ以上に、僕自身が戦うことを拒んでいた。それが恐怖から来たものなのか、或いはそれ以外の何かなのか。どちらなのかは解らない。
けど、戦うしかない。怖くても、そうするしか道はない。
『ロート』
『っ! 構えろ、シオン! 来るぞ!』
『――え?』
刹那、ドン、と音がした。
それが何だったのかは判らない。ただ一つ言えることは。
『ぐあっ……!』
『シオン!!』
僕が今、壁に体を打ち付けられたということだけだ。
腹に痛みを感じる。まるで鉄の球を思いっきり打ち込まれたようだった。
頭が回らない。なんだ、何が起きた。
痛みに耐えながら、顔を上げる。すると視界に入ってくるのは、やはり彼だった。彼は僕から数十メートル離れたところに立っていた。止めを刺そうと思えば、すぐに刺せる距離。
――行動しなきゃ。しないと、殺される。
頭ではそう判っていても、体が動いてくれない。
ゆっくりと、彼が動き出す。何もできないまま、彼と僕の距離が縮まるだけ。
――戦えよ。その為の術はあるだろ!?
ポーチの中の魔術石に手を伸ばす。適当に一つ選び、手に握る。
後は、コレに魔力を込めるだけでいい。
なのに、
『なんで……発動しないんだっ……!?』
なのに、魔術石に込められた魔術は、起動しなかった。
『がっ……!』
近づいてきた彼に、首を掴まれる。
呼吸が上手く出来ない。このままじゃ――。
『【氷槍】!』
刹那、ロートが彼に向かって魔術を放った。それのおかげで、僕は彼の拘束から逃れられた。そしてそのまま、ロートの方へ走る。
氷属性初級魔術である【氷槍】を受けても、彼の様子に変化はない。初級魔術だから威力は望めないが、しかしそれでももろに喰らったのだ。多少なりと負傷はしていてもおかしくはないのだが。
『大丈夫か、シオン!?』
『げほっ……。うん、なんとか』
『――興醒めだな』
不意に、何処からか声が聞こえた。その声が彼の物だと理解するのに、数秒を要した。
『なんだって?』
『興醒めだ、と言ったんだ。紛い物の魔術でも、歯向かう気力があるのかと思っていたのだが、どうやら術者本人にその気がなかったようだ。あったのは、見せかけの意志だけだ』
『……どういう意味だ』
険しい表情でロートは彼を睨む。
『そのままの意味だ。そこの其奴は、無意識下の内に戦うことを放棄していた。全く、興醒めだ。魔術をロクに使えん体でありながら、どこまで歯向かうか期待していたというのに』
『なっ……』
――なぜ僕の欠陥を知っている。
そう問いかけたかったのに、彼は唐突に僕らから背を向けた。
『逃げるのか、アルカディア』
『用もなくなった所に何故長居せねばならん? 追ってきたいならそれでも構わんぞ。ただしその場合は、確実に貴様は死ぬがな』
『――――――』
『はは。ちゃんと弁えてはいるようだな。では、またいずれ。機会があったら会おう』
その瞬間、彼の姿が黒い靄に包まれたかと思うと、彼の姿は跡形もなく消えていた。あるのは、魔力の残滓だけ。
僕とロートは言葉を交わすわけでもなく、その場に座り込んだ。しばらくして、王国魔導師団の人達がやってきた。僕達はそのまま事情聴取などを受けて、帰路につく頃には既に夜になっていた。
『…………』
『――――』
会話は生まれない。先程からずっとロートは思いつめた表情をしている。
『――なぁシオン。お前、本当にそのままでいいのかよ』
会話が生まれないまま、時間と距離だけが進み、僕の家の前まで来た時に、ロートは口を開いた。
『……? どういうことさ、ロート』
『どうもこうも、お前そのままでいいのかって聞いてるんだ』
『そのままでいいかって……』
『その欠陥を治さなくて、そして強くならなくていいのかって聞いてるんだよ』
その言葉を聞いて、僕は首を傾げた。
『何を言ってるんだよ、ロート。僕はちゃんと修行しているじゃないか。欠陥を治す努力もしているし、それに魔術の鍛錬も怠ってなんかいない』
『じゃあ、今日のアレはなんだって言うんだ。お前が、魔術石を使えなかった理由は』
『アレは……僕にも解らないよ。あれの原因がなんなのか、解らない』
『じゃあ教えてやるよ。お前はな、あの時魔術石に魔力を込めてなかった。だから起動しなかった。つかえなかったんじゃない。使わなかったんだ』
『そんなことはない! 僕はあの時確かに魔力を込めた!』
『なら、あの時のアルカディアの奴の言葉は何だって言うんだ! お前は無意識の内に諦めてたんじゃないのか!?』
『そんなわけない! 僕は戦おうとした!』
『だったら……なんで、お前は』
先程から俯き加減だったロートの顔が、ここになったようやく顔を上げる。
『――そんな、残念そうな顔をしているんだよ』
その時のロートの顔は、何故か、酷く失望した顔をしていた。
『俺が見たかったのは、そんなシオンじゃねぇよ』
氷のように冷たいその言葉は、彼の紅い双眸と一緒になって僕に突きつけられる。
そしてロートは、僕にそのまま背を向ける。
『じゃあな、シオン。……いや、ミルファク』
彼はそのまま、一度も振り返ることなく、雪の街を進んでいく。
僕は何も言えないまま、ただ彼の姿を呆然と見つめる。
――その時、僕は、僕の中で一つの事実に気付いた。
けど、僕はそれを認めようとはしなかった。
ガチリ、と鍵をかける音がする。それが、何に対してなのか、数瞬後の僕には理解することが出来なかった。
『……一体、ロートは何を言っているんだ?』
シオン・ミルファクという人間は愚かにも、自分自身の在り方を守る為に、それを阻害する要因に鍵をかけた。
事実に鍵をかけて、記憶に蓋をして、気付かないフリをした。
そしてその後半年間、僕の日常は、今日の模擬魔術戦に至るまで守られることとなった。