第06話『模擬魔術戦 / 行方』
(15年、12月13日)4話の方に、シオンの父について設定追記を入れています。できればそちらを見てから、今回をご覧ください
学院に向かっていく兄の姿をジッと見つめながら、アンジェは小さく息を吐いた。
(兄さん……。やっぱり、本当に……)
学院で耳にした噂は本当だったのだろうか、と遅まきながら考え始める。
その噂の内容とは、友人曰く、シオン・ミルファクが模擬魔術戦を行う、というものだ。
最初にそれ聞いた時は、ありえない、と考えた。
兄は欠陥を抱えている。それは周知が知る事実だ。そんな兄が模擬魔術戦をするだなんて、想像すらできなかった。だが――――。
(本当に、模擬魔術戦をやるつもりなんでしょうか……)
もしそうだったら、と考えると、不安になる。
同時に、理由を探し始める。
――――なぜ? もしそうだとするのなら、いったいなにが、兄をそこまでさせるのだ?
それだけが疑問として残った。そしてそれは、いつまで経っても解決されることはなかった。
「………兄、さん………」
ポツリ、と。
アンジェは小さく呟く。
――もし兄さんの身になにかあったら。また、あのときみたいになったら。
「………わたしは」
耐え切れない。そう思った。
ぐつぐつと、煮込んでいた鍋の火を止める。
《炎》の魔結晶がしっかり消えるのを見届けると、アンジェは家の戸締りをした。
エプロンを外し、再び学院の制服に着替え、髪を結える。さらり、と長く伸ばされた、自身の銀髪がなびく。
小さい頃、忌み嫌っていたこの銀髪を、シオンが綺麗だと言ってくれた日以来、少しずつこの髪を好きになり、シオンの好みに合わせて伸ばし始めた。そんな幼き頃の憧憬を思い返しながら、一通りの準備を終えると、アンジェはシオンの部屋へ向かった。
夕日が差し込んだ兄の部屋の机には、学院の通学用の鞄が置いてあり、机の引き出しは無造作に開けっ放しだった。普段の兄からは考えられない部屋の状態に、アンジェはふう、と息を吐く。そしてくるりと踵を返すと、すぐさま玄関へ向かった。
「待っていてください、兄さん――」
ガチャリと、玄関の扉に鍵をかけると、アンジェは走って学院へ向かった。
***
眼前に広がる、さながら消えることなく燃え続ける地獄の炎と、極寒の冬に吹き荒れる吹雪が合わさって出来たこの光景は、場違いかもしれないが、どこか幻想的だった。
僕が放ったのは【地獄の業火】という、発動した範囲一体に業火を起こす上級魔術だ。カテゴリ自体は炎属性だが、副属性として闇属性が付加されている。【地獄の業火】は闇属性は付加されていることから、純粋な炎というわけではない。水属性の魔術を受けても簡単に消えることはないし、ましてや、氷属性の魔術では消えることはない。
対して、ロートが放ったのは【破滅の冬】という上級魔術だ。氷属性の魔術で、【破滅の冬】の名のとおり、辺り一帯に激しい吹雪を巻き起こす魔術だ。吹雪が巻き起こるという、実に単調な魔術だが、それゆえに効果も絶大だ。
二つの上級魔術が合わさるとどうなるか、僕はそれを身を持って体験している。そして、その光景を見続けると同時に、僕は再認識した。
――ロート・ウィリディスは、他に類を見ない、優秀な魔術師だということを。
僕のように、【魔術石】を使った紛い物の魔術ではなく、己の力のみで魔術を創るロートは、紛れもなく本物の魔術師だ。【劣等魔術師】と呼ばれる僕とは、違う存在なのだと、僕はそれを再認識した。
(――――だけど)
――僕は、
――負けられ、ないッ!!
「《纏いしは光の加護・放つは水龍の息吹・其を以て焔を悪を乖離し・怨嗟の焔を消滅せよ》」
炎と雪の魔術が混ざり合った、もはや複合魔術とも言えるあの中に、僕は新たな魔術の詠唱を始める。
「【聖龍の水砲】ッ!」
【聖龍の水砲】
読んで字の如く、光属性と水属性の二つをもつ中級魔術だ。主属性は水で、副属性は光だ。
ヴァイヴァッサは、その場に魔法陣を展開し、そこから光の粒子を纏った水を放射する、という魔術だ。放射の威力、速度、範囲は魔術師の魔力制御によって変化する。僕の場合は自分の魔力を使うことができないので【魔力石】を使って魔力制御を行っている。
「――――!? 炎が消えた、だと?」
【地獄の業火】が突如として消えたことに、ロートは驚く。あの様子だと、どうやら僕が【聖龍の水砲】を使ったことに気付かなかったようだ。
ならば好都合。僕は炎の大半が消えたのを確認すると同時に、その場から走り出す。
インフェルノはその性質上、水属性魔術でも、高等魔術級の魔術でないと消すことは出来ない。だが、光属性を併せ持つヴァイヴァッサを使うことで、インフェルノを消すことができる。僕がヴァイヴァッサを使ってインフェルノを消したのは、ロートを動揺させるためでもあり、僕にとっての突破口をつくるためだ。
(僕がこの模擬魔術戦をしたのは何のためだ? アンジェのためだろ!)
走りながら、自問自答を繰り返す。彼我の差はおよそ数十メートル。体は呼吸することを忘れ、ただひたすらに、相手を倒すことだけを目的として走り続ける。
(負けるわけにはいかない――ッ!)
勝算がある、ない、じゃない。
僕は勝つんだ。勝たなきゃいけないんだ。
ロートが目前まで迫る。確実に決めるために、腰のポーチに手を突っ込む。
「――! させるか!!」
僕の動作に気付いたロートがこちらに右手を向け、咄嗟に魔術を放つ。だが、魔術を充分に練るにはあまりにも時間が足りなかったようで、それは不安定な魔術となって、やがて霧散した。
「くそっ!!」
「もらったああああああ!!」
ポーチから取り出した【魔術石】をロートに向け、そのまま発動させる。
(勝った――――!)
勝利を確信した僕は気付かなかった。
【魔術石】が込められた魔術を発動させるその瞬間。
「――――甘いな」
危機的な状況でありながらも、ロートがニヤリと笑ったことに。
刹那、僕の背中に、激痛が走った。
「――――ぐあッ!」
鋭いなにか――たとえるなら先端が鋭く尖った槍のような――に、刺されたような痛み。そしてそのまま、何かが背中に二度三度突き刺さる。
刺されながら僕はその場に倒れ込む。僕自身が倒れこむ、というより、その何かが僕を床に打ち付けるならぬ、刺し付けるような、そんな容赦のない一撃だった。倒れこむその際、手に持っていた【魔術石】は僕の手を離れ、発動しかけていた魔術は中断される。
(なんだ、いったいなにが起きた――――!?)
突如起こった事態に、僕は動揺する。理解が追いつかない。力を振り絞って思考しようとするが、それを上回る痛みによって、考えることさえままならない。
「惜しかったな、ミルファク。劣等魔術師のお前にしては、惜しいとこまでいってたよ」
朦朧とする意識の中、ふとロートの声が耳に聴こえた。
「勝てる、って一瞬思ったよな。でも残念だったな。人間、一度勝利を確信すると一瞬だけ油断するからな。そこを突けばどうってことない」
「いったい……なにをしたんだ、ロート」
「お前の背中、見てみろよ」
そう言われて、僕は痛みをこらえながら首を背中の方に――うつ伏せに倒れ込んだため、非常にやりづらかった――向ける。そして僕は、自身の背中に突き刺さっていたモノを見て、驚愕した。
「これ、は……」
「そうさ。ソレは俺の魔術で造った、氷柱だ」
そう。僕の背中に刺さっていたものとは、ロートの魔術で造られた、氷柱だったのだ。
しかもこの氷柱は――――。
「あの時、突然出てきた氷柱と同じもの……?」
「ああ、そうだ。あの時、俺がお前の頭上に狙って落とした氷柱さ」
そうだ、あのとき。
あのとき、突如降ってきた氷柱に違和感は感じていた。おそらく、この氷柱は【速攻詠唱】で練られた魔術だ。故にあの短時間で魔術を発動させることが出来た。ここまではいい。
僕が感じた違和感とは、魔術の発動があまりにも速すぎたことなのだ。
「ひとつ、教えてやろうか。ミルファク」
不意に、ロートが口を開く。
「速攻詠唱ってのはな、極限まで省略しようとすれば、詠唱を一句にすることができるんだよ。だが、ほとんどの魔術師はそれをしない。魔術師ってのは、誇りやしきたりを大事にする人種だからな。先人がつくりあげた魔術を自らの手で壊そうとしない。故にどうしても詠唱を二句以上にしてしまう」
「なにが……言いたい……」
「要するにだな、速攻詠唱ってのは極めれば僅か一秒足らずで魔術を行使できるんだよ。もっとも、それを使えるのが、この世界にそんなにいるとは思えないけどな」
あっけからんと放たれたロートの言葉に、僕は目を見開く。
這いつくばった姿勢のまま横を見ると、オルフェ先生やリオも驚いている。
――――僅か一秒足らずで魔術を行使?
その言葉を聞いた瞬間、脳裏に過ぎったのは、他の誰でもない、己の父だった。父さん――グレン・ミルファクは、最高の【速攻詠唱】の使い手として名を馳せていたと、母さんが何度も自慢していた。父さんが世界最速の魔術師だとしきりに僕に言ってきた。
自分の常識が、知識が、一瞬で塗り替えられた気分だった。父が作り上げた記録――【速攻詠唱】の過去最高速度は約二秒だという、公式発表の記録を。
それが、一秒。たった一秒で魔術を使えると、目の前にいる紅緑の魔術師は告げた。
「――お前は常識に囚われ過ぎだ。物事には、必ず例外ってモンがある」
緑髪の魔術師は、静かに告げる。その立ち振る舞いは、とても僕と同じ十七歳の人間とは思えない、貫禄のあるものだった。
――――そう。まるで、その眼で地獄を見て、その足で屍を越えてきたかのような。
「常識に、知識に、過去の記録に囚われ過ぎたら、人はそこから成長しない。だから今の魔術はいつまで経っても進歩しねえんだ」
何処か皮肉めいた口調でロートは言葉を紡ぐ。
「お前もだよ、ミルファク……いや、シオン。あの時からお前はひとつも、一歩も変わってなんかない。……いや、変わろうとしていない。無意識下の内に、諦めてるんだ。強くなることをな。そしてそれを認めないよう、必死に目を背け、気付かないフリをしている」
「――――――ッ!?」
そのロートの言葉に、僕は目を見開く。
そのことを否定しようと思えば出来た筈だ。けどそれをしなかったのは、やはり僕自身、思うところがあったからなのだろう。
(……そうだ……僕は……)
気づかされた。僕が、あの時から目を背けてきた事実に。
あの時、ロートに気付かされて、けれど入学してきた当初から本当は他ならぬ僕自身が気付いていた事実に。
だってそうだろう? ここに来るまで、他人の眼など気にしてなかった僕が、それを気にし始めたのは何時からだ?
そうだ。ロートと離別した、あの時からだ。
「別に、そのままでいたきゃそのままでいろ。どちらにせよ、俺に害はないからな。けどな、あの時……お前と一緒に過ごしたあの時間、俺はお前に期待してたんだ。いや、俺は今でも……」
そこで区切られたロートの言葉に、僕はなにも言い返せなかった。
「僕は……僕は……」
そうだ。ロートは理由もなく僕から離れていったのではない。
スタート地点に立つだけ立って、そこから一歩も進もうとしない僕に――欠陥を直そうとする努力をしない僕に、失望したのだ。そして僕もまた、そのことに気付こうとせず、今まで過ごしてきた。
ロートはそのまま踵を返すと、魔導館から出て行った。僕はロートを呼び止めることも、自身の在り方を否定することもできないまま、ただ視線だけを彼に向ける。そんなロートの行動に、オルフェ先生は我を取り戻したのか、静かに、この勝負の結果を告げた。
「――勝者、ロート・ウィリディス」
オルフェ先生の言葉は、やけに無機質に聴こえ、いつまでも僕の耳に残った。