第05話『模擬魔術戦 / 開始』
お互いに啖呵を切って、さあ戦うぞというときに、
『あ、でももう時間ねぇから、どうしてもやるっつーなら放課後な』
と、オルフェ先生が授業内では時間が足りないとのことだったので、話し合いの結果、模擬魔術戦は放課後、魔道館で執り行われることになった。
僕としても、準備などがあるのでその方がありがたい。というか、最初からそうして欲しかった。
普段の言動からやる気がなさそうな先生に見えるが、こういうところは抜け目がないオルフェ先生のことだ。おそらく、授業内に模擬魔術戦をやる余裕がないことなど気付いていたはずだ。なのに、ロートを諭すような言い方でありながら、どこか別の思惑を含んだ言い方をしていたのは、たぶん。
――たぶん、僕を試したかったのだ。魔術戦をするだけの度胸があるかどうか。
オルフェ先生は僕の欠陥のことを知っている。その上で、僕に度胸が、言い換えるなら勇気があるか試したのだ。
今回のことがなくても、おそかれはやかれ、僕とロートは魔術戦をすることになっていたはずだ。ならば自分の管理下でやらせようと、オルフェ先生はロートに『授業内での模擬魔術戦の提案』をさせるような言い方をしたのだと思う。
そして案の定、ロートはそれを提案した。そして僕も、それに乗った。
「どちらにせよ、もう後戻りはできないな」
実のところ、僕に勝算という勝算はない。けど、僕だって男なのだし、絶対に引けない戦いというものくらいあるのだ。
放課後になると、僕はすぐさま家へ向かった。少しでも勝率を上げるために、あるものを取りに帰るのだ。
模擬魔術戦まであと一時間弱。僕は少し急ぎ足で家へと戻った。
***
家へ着いた僕を待っていたのは、当然だけどアンジェだった。
「あ。お帰りなさい、兄さん」
「うん。ただいま、アンジェ」
声をかけてくれたアンジェに返事をしつつ、僕は自室へと向かう。
机の上に置いてあった、目的のものを手に取る。
「1、2、3、4、5、6……。大体こんなものかな」
僕はそれを腰に巻きつけてあるポーチに入れる。僕が手に取ったものは、【魔術石】という魔道具だ。
【魔術石】は読んで字のごとく、魔術が込められた石のことだ。説明すると呆気ないものだが、これがまたとんでもない代物なのだ。
一体どういうことかというと、使用回数こそ限られているものも、本来なら術者が詠唱することで起動する魔術そのものを、この【魔術石】に込めているのだから、詠唱をせずに魔術を行使できるという、もはや無詠唱と言っても差し支えないくらいの効果を発揮する魔道具なのだ。
もちろん、一般に流通しているものではない。【魔術石】は僕が幼少期――つまり、僕が魔術を使えなくなった頃に、父さんと母さんが魔術に魔術を重ねて造り上げた、とても貴重な魔道具だ。
そしてもう一つ、机の引き出しからある物を取り出す。
「魔力は……うん。充分あるな」
次に僕が取り出したものは、【魔結晶】だ。ただし、ただの【魔結晶】ではない。
この【魔結晶】は、属性が込められている【魔結晶】ではなく、ただの『魔力の塊』だけを込めた【魔結晶】だ。だから僕はコレを【魔力石】と呼んでいる。こうやって区別する方がむしろややこしいかもしれないが、まぁこれは僕自身の問題なので気にしない。
魔術が使えなくなってからというものも、僕とその両親は、いろいろ実験を重ねた結果、どうやら僕は自分の魔力を使って魔術を使うと、あの頭痛が起きるらしい。もっとも、それが僕が魔術を思うように使えない理由ではないようだが。原因を明らかにするための手掛かりではあるんだろうけど……。
閑話休題。そこで、出てくるのがこの【魔力石】だ。
この【魔力石】を僕の魔力の代替品として使って、魔術を行使する。こうすることで、僕は幼少期から今まで魔術を使ってこれた。
逆に言えばそれは、こうでもしないと魔術を使えないということと同義である。つまり。
「この二つの魔道具が切れたら、僕の負けは確実だ」
学院に入学してから今まで一緒にいたから判る。ロートはああ見えて結構優秀な魔術師だ。成績も、たぶん僕より上なはず。出来れば速戦即決が望ましい。
(……ダメダメ。戦う前から弱気になってどうする)
勝てるかどうかはわからない。けど、勝つために最善の手を取り続ける。
もう一度持ち物を確認したあと、僕は再び玄関へ赴く。
「アンジェ。学院に忘れ物しちゃったから、ちょっと出てくるね。もしかしたら遅くなるかもしれないから、先にご飯食べててもいいよ」
「はーい。了解しました。気をつけて行ってくださいね、兄さん」
アンジェに魔術戦のことを悟られないよう、努めて普段の態度を装いながら、僕は玄関の扉に手をかける。
「……行ってきます」
そして、僕は学院の方へと歩き出す。
――そんな僕の後ろ姿を、窓から見るアンジェの視線には、最後の最後まで気付けなかった。
***
学院に着くと、学院で僕を待っていたリオと合流した。街は既に夕焼けに染まっている。シーベール国立魔術学院はアルサティア中心地より少し郊外付近の丘の上に建っているので、校門前からだと街全体を見渡すことが出来る。
「遅いぜ、シオン。オルフェとロートはもう魔導館にいる。あとはお前だけだ」
「うん、わかった。ありがとう、リオ」
短く言葉を交わし合うと、僕たちは足早に魔導館へ向かった。それから間もなく、魔導館へと着いた。中に人の気配はあまりしない。
「あれ、ギャラリーはいないんだね」
「まあ、放課後だからな。それに、兄貴が許可したやつ以外入っちゃいけないことになってるしな」
「あ、そうなんだ」
「それはともかく、さっさと行こうぜ」
リオがそう促すと、僕たちは魔導館へ足を踏み入れた。
そこで待っていたのは、
「――よう、ミルファク。負ける準備は出来たか?」
と、静かに、戦いの意志をその身に纏わせながら佇む、ロート・ウィリディスの姿があった。
「……やあ、ロート。負ける気なんてさらさらないけど、そっちこそちゃんと準備したのかい?」
「ふん、お前ごときに準備することなんかないな」
自信満々に、ロートは言う。実際、僕なんかに後れを取るつもりなんてないんだろう。
スッ、と。ロートの後ろにいたオルフェ先生が前へ歩み出る。
「あー。いまから、シオン・ミルファクとロート・ウィリディスの模擬魔術戦を執り行う。立会人は俺、オルフェ・ウルフェンが務めさせてもらう。双方、所定の位置につけ」
オルフェ先生の言葉に、僕とロートはそれぞれ移動する。
魔術戦は、最初はお互い向かい合った位置から始めなければならない。戦闘と違って、魔術戦はあくまで競技のようなものなのだから、それも模擬とあればなおさらだ。
「それでは、試合の詳細を再確認する。今回は模擬魔術戦ということで、ルールは学院が定めた制約を適用する」
本来の魔術戦に、ルールというルールはない。ただ、どちらかが倒れるまでお互い魔術を用いて戦い続ける。これがルールだ。だが、それでは魔術学院に通う魔術師に経験を積ませることができない、といって設けられたのが、この模擬魔術戦だ。
模擬魔術戦は、学校側が定めた制約をルールとして適用する。もちろんそれは、学校ごとによって違う。シーベール国立魔術学院では、高等魔術の使用禁止(ただし【上級魔術士】は可)、相手に戦闘続行の意志がない場合、あるいは戦闘不能の状態である場合、攻撃を続けてはならない、といったものがある。
「勝敗のジャッジは俺がつける。だが、俺が戦闘不能と判断しても、お前らが戦闘続行の意志があれば、俺はそれを尊重する。ただし、あまりにも戦闘が不可能な状態であると俺が判断したら、そこで試合終了だ。いいか?」
「わかりました」
「はい」
オルフェ先生のルールの再確認に、僕とロートは頷く。それを確認するやいなや、先生は審判の位置へ移動する。隣にはリオもいた。
「準備はいいか」
静かに、先生は僕らに声を放つ。
「こうして向かい合って対峙するのも久しぶりだね」
「そうだな。そもそも、会話すること自体俺は避けてきたからな」
「……なぁロート。教えてくれよ。なんで君はあの時、突然僕から離れて行ったんだ?」
「それを、あの時から未だに理解してないお前に、話すことなど一切無い」
これ以上は何も話すことは無い、と言わんばかりにロートはそれ以降は何も喋らなかった。
(今はあの時のことなんかどうでもいい。今はただ、目前の戦いにだけ集中しろ)
己の精神を統一させる。目指すべき場所は勝利のみ。それ以外は要らない。
「これより、模擬魔術戦を始める。……双方、礼」
その声に従い、僕とロートは作法に倣い、お互い礼をする。そして、ほぼ同タイミングで顔を上げると、僕たちは同時に構えた。
シン、と魔導館が静まり返る。ただ、開始の合図が告げられるのを今かいまかと待つ。顔を上げれば、ロートは小さく口元を動かしているのが見える。間違いなく、僕とロートが考えることは一致している。ならば僕がとる行動はひとつのみだ。
――――出し惜しみなどする必要はない。一手目で決めるつもりでいけ。
「始めッ!!」
『【其は鴻大なる雷】ッ!!』
オルフェ先生の開始の合図が告げられたその瞬間、戦いの火蓋は、切って落とされた。
***
開始の宣言と同時に、僕は構えていた【魔術石】をロートに向かって放つ。使った【魔術石】は雷の魔術である【其は鴻大なる雷】を込めたものだ。
【其は鴻大なる雷】は、高等魔術に匹敵するほどの威力をもつ上級魔術で、大きな稲妻が、まるで槍のように放出される魔術だ。やがて実際に使える人は【上級魔術士】より上の階級の人だろう。【中級魔術師】である僕がこれを使えるのは、ひとえにこの【魔術石】のおかげだ。
つまりなにが言いたいかというと。
「へぇ。やるじゃねえか、ミルファク。まさかお前がトニトルスを使うとはな」
「……その言葉、そっくりそのまま返すよ、ロート」
そう。【魔術石】という、反則じみた魔道具を使った僕と違い、ロートは正真正銘、自分の魔力で魔術を練って、しかもあんな短時間で詠唱もしっかり行
って、僕と同タイミングに、まったく同じ魔術をぶつけてきたのだ。
僕と階級が変わらない【中級魔術師】である、ロートがだ。
「けど、やっぱ急いで練ったからな。若干ミルファクに押し負けたか」
「……? どういうことだい」
「だからよ。俺はトニトルスを、速攻詠唱で発動したんだよ。そりゃ押し負けるわな」
「なっ……ッ!?」
何気なく発せられたロートの言葉に、僕は耳を疑う。ちらり、と横を見やると、リオも、オルフェ先生も驚いていた。
「だってよ、この模擬魔術戦はあくまで授業の一環なんだぜ? なら、授業で習った技術を使うのは当然だろ?」
何を言ってるんだ、と言わんばかりにロートは僕を見た。その深い真紅の瞳の視線は、まっすぐ、僕へと注がれている。だが、僕が驚いているのはそこではない。
【魔術石】に込められた魔術とはいえ、【其は鴻大なる雷】は上級魔術だ。それゆえに、威力は相当なものだ。しかしロートはトニトルスを、【速攻詠唱】で発動したと言った。
【速攻詠唱】は速攻性に特化した分、威力も落ちるし速度も下がる。ゆえに、【速攻詠唱】と呼ばれるのだ。押し負けるどころの話ではない。明らかに、ロートのトニトルスは僕のトニトルスと互角だった。
僕はその事実に驚愕しながら、なんとか声を絞り出す。
「……そうだったね。すっかり忘れてたよ」
「おいおい。しっかりしてくれよ? そんなんじゃ――」
僕がおどけた風にロートへ返事すると、ロートは僕に呆れたような顔で笑ったかと思いきや、直後。
「――そんなんじゃ、つまらねぇ戦いになるだろ?」
ニヤリ、と。ロートらしからぬ、獰猛な笑みを浮かべた。
「――――ッ!?」
バッと、その場から飛び退く。刹那、僕がいた場所に上から、幾つもの氷柱が降ってきた。
「氷柱……!?」
刺されば間違いなく無事ではすまないであろう、先端の尖った鋭い氷柱。その精巧さはおろか、大きさも僕の背丈とまではいかないが、少なくとも目線の少しした程はある。
「ちっ。やっぱあの人みたいに上手くいかねぇな。もうちょい魔力操作を細かくするべきか」
これくらい造作もない、と言わんばかりにロートは僕の頭上に降らせた氷柱について反省を述べている。だが、声こそ聞こえているものも、その内容は僕の耳に入ってこなかった。それくらい、先ほどの現象は驚愕だった。
(一体、いつの間に詠唱したんだ――!?)
戦いが始まってからロートからは眼を離していない。その間、詠唱した素振りなど初手以外無かった筈だ。いくら速さに特化した【速攻詠唱】と言えども、この詠唱方法はあくまで詠唱を極限まで省略するものであって、決して無詠唱で魔術を発動することではない。ならば、先ほどのロートの魔術は【速攻詠唱】ではないのだろうか。
(とにかく、体勢を立て直さなきゃ――!)
二、三歩大きくバックステップして、ロートから距離を取る。おそらくロートは、ロングレンジの魔術も使えるはずだ。だが、距離を取っている分対処もしやすい。無論、速さが売りの風属性の魔術を使われたらこのハンデも無くなる。
(こちらから一手打たなきゃマズイか……)
ポーチの中に手を入れ、【魔力石】に触れる。じんわり、魔力が流れているのを感じる。
相手が油断した、一瞬の隙を突く。そのためには。
(速攻詠唱しかない!)
「《空気と交わりて・その身を壊せ》」
選択した魔術は炎属性の魔術。それは今日の授業で、僕が失敗した魔術。
「【暴発】ッ!!」
僕が発動した魔術は、ロートがいる場へそのまま放出された。
【暴発】。炎属性の三句魔術で、魔術起動後、数秒の間に魔術を発動させる座標を決定し、魔術が発動した瞬時に、まわりに中規模の爆発が起きる魔術だ。今回は【速攻詠唱】で行ったため、爆発規模は狭いが、相手の隙を突くには充分だっただろう。
「……いってぇなあ……。少しはやるじゃねぇか、ミルファク。これも、その魔道具のおかげか?」
爆煙の中からロートが現れる。発言通り、結構ダメージを受けているようだが、再起不能には至らなかったようだ。
「まぁね。劣等魔術師の僕には、こうでもしないと魔術は使えないからね」
僕が皮肉めいた口調でそう言うと、ロートは「ハッ」と鼻で笑って一蹴した。そして、右手を前にかざすと、詠唱を始めた。そのロートの行動に、僕は驚いた。
正面から放つ、ということは自分の手の内を晒すのと同じことだし、なにより魔術発動の阻止される可能性がある。
「……正面から打つのか、ロート」
「ああ。不意打ちみたいな、小癪な真似なんざしねぇ。真っ向から放ってやるよ」
と、ロートは高らかにそう宣言した。
彼我の距離はおよそ二十メートル。長そうに見えて、案外短い距離。
正面から魔術を放つ。というロートの宣言が本当だとすれば、【速攻詠唱】で魔術を行使したとしても、魔術が起動する前に【魔術石】を使ってしまえば簡単に阻止できる。
だが。
「――いいよ。僕も回りくどいことはしない。正面で勝負だ」
だが、僕はそれをしなかった。
腰のポーチから、【魔術石】を取り出す。選んだのは、最も強い魔術が込められたモノ。
スッ、と。左手を前に出す。左手の拳に【魔術石】を握り締め、構えると、ロートの詠唱完了まで待つ。
「いいのかよ? いまそれを打てば確実に勝てるぜ」
「そんな風にして勝っても、嬉しくなんかない。僕は劣等魔術師かもしれないけど、それでも魔術師だ。誇りはある」
「……そうかよ」
ロートは一旦言葉を区切った。ロートの詠唱だけが、無機質に魔導館内に響く。
やがて、詠唱が完了すると、ロートは閉じていた瞼をゆっくり開け、その真紅の瞳をギラつかせながら――先程までのロートとは違う、確固たる戦いの意志をその目に宿しながら、叫んだ。
「――なら、受けてみやがれッ! シオン!!」
「――それはこっちの台詞だ! ロートッ!!」
僕らから放たれた言葉から魔術発動まで僅か0.1秒。タイムラグは、ほとんどない。
それはつまり、両者の魔術がぶつかり合うということだ。
「【地獄の業火】ッ!!」
「【破滅の冬】ッ!!」
――刹那、魔導館が業火と吹雪に包まれた。