幕 間 『緋色の影』
そこは暗い場所だった。
明かりも無ければ、人もいない。完全な、無の空間。
「はあっ、はぁっ、はっ……!」
そんな場所を、その少女は走っていた。歳は見たところ十六、十七といったところか。背丈は女子にしては幾ばくか高いほうだが、それでも同じ年頃の男子に比べると、やはり低い。
その少女はただ一心不乱に、あてもなく、ただひたすら、走り続けていた。
「もう追っては、来てっ、ないよね……!」
少女は振り返りながら、追っ手が来てないことを確認する。そしてふっと、肩の力を抜くと、建物の壁に寄りかかりながらその場に座り込んだ。
そう。彼女は追われ続けているのだ。
誰から、というのはもう判りきっている。もとより、自分を執拗に追いかける輩など、この世に一人しかいない。否、この言い方には少し語弊がある。
自分を追っているのは断じて一人ではない。正確に言えば、組織とでも言うべきなのだろうか。自分を捕まえようとしているのは一人だが、実際はその組織を以て、自分を追い掛け回しているというのが最も正しい答えなのだろう。
かれこれ一週間。彼女はこうして逃げ続けている。体力的にも、精神的にも、とうに限界に達している。
「そろそろ……限界、かも」
肩で息をしながら、冷静に現状を整理、そして把握する。こんな状況下でも、冷静さだけは失ってはならないと、彼女の師はそう教えた。
「相手はやっぱり、お父様だよね……。相手を完全に視認したわけではないけれど、装備を見る限り、そう判断していいかな」
魔術師らしい装備だ、と。
まるで皮肉でも言うかのように、少女は独りごちる。そして、思い返す。自分がなぜこのような状況下にいるのか。
あの場所から逃げ出したのは、他でもない自分の意志でだ。それは否定しないし、ましてや後悔など一切していない。
少女にとってあの場所での生活とは――さながら鎖にでも縛られたような、そんな日々だった。
自由など許されない、完全に束縛された生活。外に出ることすら叶わない、苦痛の生活。
あの場所に居続けたら、自分は一生籠の中の鳥となってしまう。少女には、そんな確信があった。
「だから私は逃げたんだ。………私が、私であるうちに」
あそこから逃げ出したら自分の身分は保証されない。むしろ、今の状況を脱したとしても、それ以降は安全なのかどうかすら怪しいところだ。しかし、それは判りきったことだった。
「でも……。こんなところで捕まるわけには……」
――いかないんだ、と。
自分の体を叱咤しながら立ち上がる。
『――――っちだ!』
『――――人を――呼んで――!』
「――――ッ」
再び走り出す。
明確な目的地はない。だが、目指すべき人物ならいる。
「――シオン君――!」
少女は緋色の髪をたなびかせながら、闇の中へ溶けていった。