第04話『因縁。動き始める時計の針』
「おう、分かった。一応、そういう事情があるということは理解しておくが、だからと言って成績を贔屓するわけにもいかねぇかならな。そこはわかってるな?」
「はい」
「まあ、出来る範囲でやっとけ。それと、なにかあったら絶対にオレに言うこと、いいな?」
「……わかり、ました」
「よし。じゃあ、五限目遅れんなよ」
場所は職員室。
次の実技の前に、僕はオルフェ先生に事情を説明しに来ていた。
そして現在、僕は一人、学院の長い長い廊下を歩いている。向かう場所は、次の実技が行われる魔導館。
もう少しで予鈴がなるためか、廊下に人気はほとんどと言っていいほど無い。まるで今朝の通学路のようだ。
(今朝と違うのは、僕が一人だって言うことか……)
時間もあまりない。僕は少し急ぎ足で魔導館に向かった。
***
魔導館に設置された黒板を前に、僕らは体育座りでオルフェ先生の講義を聴く。
「えー。では、今から実技を行う。本日の課題は、魔術の【速攻詠唱】だ。みな、【速攻詠唱】については知っているはずな? よし。おいリオ、説明しろ」
「はぁ!? なんで俺が!」
「いいからさっさと答えろ。お前だけ成績落とすぞ」
「くっ、成績をここで出すかバカ兄貴…!」
「いいからやれ」
「くっそぉ……」と悪態を吐きながら、リオはその場に立ち上がり説明する。
「えー……。【速攻詠唱】とは、その名の通り速攻性に長けた詠唱方法で、その最大速度は過去最高で約二秒とされている…ます。その原理は、本来なら二句以上から成る魔術を、魔術の起動に必要な部分だけ残して詠唱省略するというものです。しかし、詠唱省略する分、速度や威力は落ちるため、この詠唱方法は敵の襲撃や緊急時にしか使われないことが多いです」
「はい、よく出来ました」
【速攻詠唱】の説明を終わると、リオは即座に席に着く。そんなリオンの様子を見てオルフェ先生は半分呆れ顔だったが、そんな弟の行動をよく理解しているのだろう、苦笑したまま講義を続ける。
「さっきリオが言ったとおり、【速攻詠唱】とは詠唱の速さだけに特化した詠唱方法だ。威力や速度は期待できないが、これが使えると、この先だいぶ楽だ」
そう言ってオルフェ先生はおもむろに僕らの前に出る。
「《我が手に宿りし煉獄の炎よ・苦しみ嘆く者達を燃やし・清みの炎を与えよ》【天へ昇る為の炎】」
オルフェ先生が詠唱を唱え終えた瞬間、先生の手からボワッと、大きな炎が発生した。
僕を含め、ほとんどの生徒が先生の魔術に釘付けになっていると、その視線を感じたのか、先生はひとつ咳払いをしてから説明した。
「あー、この魔術は【天へ昇る為の炎】と言ってだな。魔術自体は三句だが、これは高等魔術の類だからな、間違っても真似するんじゃないぞ。今回は、【速攻詠唱】でどれだけ魔術の精度が落ちるかどうかをはっきり見せるために使っただけだからな。
それはともかくとして、今のが普通に唱えたときの魔術だ。これを【速攻詠唱】でやると……」
再びオルフェ先生は魔術を詠唱する準備をすると、静かに、詠唱を始めた。
「《煉獄よ・彼の者達に清みを》 【天へ昇る為の炎】」
刹那、先生の手に――今度は先程と違って――炎の強さも幾分か弱く、大きさも小さい炎が出現した。
「これが【速攻詠唱】だ。ぶっちゃけ、魔術の呪文は必要な言葉さえ入ってりゃどうにかなるから、そこは自分が言いやすいようにアレンジしていいぞ。だからって、必要な言葉だけ言うのはダメだからな」
なんともざっくばらんな説明である。そういうところも、オルフェ先生の人気の理由でもあるんだと思うけど……。
(それにしても、【速攻詠唱】か)
この詠唱方法は僕にとって、馴染みが深いものだ。何故かと言うと、僕の父であり、魔術の師でもあるグレン・ミルファクは、【速攻詠唱】の使い手として、この国に名を轟かせていたのだ。何を隠そう、【速攻詠唱】の最高速度記録を作ったのは、他ならぬ僕の父、グレン・ミルファクなのだ。父さんは今は引退しているが、かつてシーベール王国軍魔術師を務めており、王国魔導師団の団長も務めたこともあるらしい。母さんとも、王国軍に所属している時に出会ったらしい。そのことを、母さんは僕やアンジェにいつも自慢してきたし、僕ら兄妹も、この上ないくらい誇らしいことだった。
「――さて。じゃあ、ぼちぼち始めっか。まずは一人ずつどれくらい出来るか確認すっから、呼ばれるまで各々練習してていいぞ。やり方はさっき教えた通りだからな。調子乗って暴走すんなよ」
先生が僕らに向かってそう促すと、皆それぞれ動き始める。僕もそれに倣って――気分はまったく乗らないが――いつものように壁の方に移動する。こうやって実技がある時は、僕はいつも魔導館の壁側の方で練習をする。理由は単純に、人目を避けるためだ。
「おいシオン。まーたそんなとこでやんのか」
「いいじゃないかリオ。僕にはここで充分だよ。それよりリオの方こそ、僕となんかじゃなくて、みんなとやってきなよ」
「はっ、つれねぇな。別に一緒でもいいじゃねえか。それを決めるのは俺だろ?」
「うーん……。リオが良いって言うなら、べつにいいけども……」
そう言われちゃ返す言葉もない。僕とリオは二人で【速攻詠唱】の練習を始めた。
***
異変は、練習を始めてすぐに起きた。
「――――っ」
ズキリ。
魔力を込めて、少し詠唱しただけで、頭痛に襲われる。しかもさっきのは今朝より激しい。その痛みに耐え切れず、僕は思わずその場に座り込んだ。
「! おい、シオン。大丈夫か? やっぱり休んどけよ」
「いや……。これくらいで根をあげてちゃダメだ」
そんな僕の様子に、リオは慌てて僕のもとへ駆け寄ってくるが、僕はそれを制する。
「前にも言ったろ。僕は強くならなきゃいけないんだ。その為には、これしきの痛み、耐えてみせるさ」
「……わかった。けど、無理だけは絶対にすんな。もし倒れでもしたら俺がアンジェに怒られる」
「うん。ありがとう、リオ」
「べつに。お前のワガママは今に始まったことじゃねえしな」
やはり僕の親友は、僕のことをよく理解してくれている。親友の気遣いに感謝しながら、僕は再び練習に戻る。
一瞬、オルフェ先生がこちらを見た気がしたが、気のせいだろうか。
(まあいいか。…………よし)
「《空気と交わりて・その身を壊せ》」
右手を前に突き出しながら、詠唱を完了する。すると、僕の右手にほのかな炎が現れる。
(――よし、詠唱は最後までいけた)
さっきは詠唱を途中で中断してしまったので、詠唱を完了したぶん、まだ良い方だ。
僕の右手に現れた炎は、やがて肥大化し、拳ひとつ分くらいのサイズまで大きくなった。
「――【暴は――」
魔術名を口にして、魔術を完了させようとした瞬間、三度頭痛――しかも今までで一番激しい痛み――が僕を襲った。
「ぐっ」
その瞬間、僕の右手にあった炎――つまり魔力の塊は、霧散して消えた。そこに感じられるのは魔力の残滓。それすらも、次第に僕の手から薄れていき、やがて完全に消え去った。
「また……失敗か」
小さく、僕は呟く。やっぱり、道具を使わないと魔術を充分に扱うことができないのだろうか。毎度のことながら、こんな自分に嫌気が差す。
――――僕は、魔術を思うように使うことができないという、魔術師としてあまりにも致命的な欠陥を持っている。
原因はわかっていない。幼少期までは普通に使うことができた。だけど、ある日突然、魔術が思ったように使えなくなった。無理に使おうとすると、先ほどのように激しい頭痛が襲いかかってくるという始末だ。
【小さな焔】のような、詠唱要らずの魔術なら、まだなんとか行使することは出来る。だけど詠唱を必要とする魔術――たとえ一句から成る魔術でも、使おうとすると、激しい頭痛を伴ってしまう。僕が今まで魔術を使ってこれたのは、父さんと母さんが造ってくれた、ある魔道具のおかげだ。それのおかげで――当然問題はありはしたが――僕はなんとか特別推薦で受かることが出来た。
(はあ~~。マイナスな考えばっかしてても仕方ない。もう一回――)
頭痛も治まりつつあるので、もう一度挑戦しようとした矢先。
「――――おい見ろよ。ミルファクのやつ、またあんなとこでやってるぜ」
と、どこからか声が聞こえた。
それは明らかに僕を蔑む言葉で。
「ははっ、本当だ。毎回毎回あんなとこでやって、なにがいいんだか」
「あんな出来損ないが練習したって無駄なのにな」
「アイツの親って、結構有名な魔術師なんだろ? なのに、アイツはあんな無能な魔術師なんて、アイツの両親が憐れで仕方ないぜ。なぁ、ロート?」
「……ああ、そうだな」
それはひとつではない。複数の人間が、敵意を持って僕に放った言葉。
声のする方を見ると、僕に対して侮蔑の声を向けていたのは、四人のクラスメイトだった。その中で僕は、こちらをジッと見ていた、緑の髪をした、紅眼の少年と目があった。
「ロー、ト」
少年の名を小さく呟く。
彼は僕にとって、とても親しかった友人で、いまとなっては因縁のある相手だった。
彼の名前はロート・ウィリディス。僕がこの学院に来て、最初に出来た友達だ。だけど今では、疎遠に近い状態となっている。
特別推薦でこの学院に入学してきた僕は、例によって例のごとく、当然ながら僕に誰も近づこうとはしなかった。だがそれは、お決まりだったからではない。
入学して直後の実技で、僕は、魔道具無しで実技を受けた。理由は、ただ単純に、僕の事情を知っておいて欲しかったからだ。たとえそれで周りの評価が変わったとしても、僕がすべきこと――約束を果たすために強くなる――に変わりはないと、そう考え、実行したのだった。
そして当然の帰結だが、周りの僕に対する評価は、『欠陥』を抱えた、出来損ないの魔術師――【劣等魔術師】となった。今から一年前の話だ。今でも、その評価に変わりはない。
閑話休題。
かくして【劣等魔術師】のレッテルを貼られた僕に、ロートはある日突然、僕に話しかけきた。そして会話の回数の重ねていくうちに、僕とロートは親友とも呼べるような仲になった。
あの日、ロートが僕に話しかけてくれた理由は今でもわからない。ただひとつ言えることは、あの時のロートに、偽りの感情はなかったということだ。
だけど――――。
『なあシオン。お前、本当にそのままでいいのかよ』
――あの時のロートの言葉が。
『俺が見たかったのは、そんなシオンなんかじゃねぇよ』
――あの時のロートの紅い眼が。
『じゃあな、シオン。……いや、ミルファク』
――僕の脳裏にフラッシュバックする。
「――オン。おいシオン!」
「えっ、ああ。うん、なに、リオ?」
「本当に大丈夫か? いいか、アイツらの言うことなんか気にすんな、シオン。いつものことだろ。言いたいやつには言わせとけ」
「……うん」
「お前は出来損ないなんかじゃない。ちっせぇ頃から知ってる俺が言うんだ。あんなやつらの言うことなんか、真に受けんな」
「うん。ありがとう、リオ。でも、大丈夫だよ」
リオが不器用ながら、僕を励ましてくれていることは言われなくてもわかった。
僕が侮蔑されることに関してはどうだっていい。言われなくても、自分が出来損ないだと言うことは判っている。
だけど僕は誓ったのだ。約束を果たすために此処で強くなるのだと。
そう意気込んで、再び【速攻詠唱】の練習を再開しようとした矢先――――。
「………そうだな。確かに、兄貴があんな出来損ないだと、妹の方も出来損ないなのかもな」
僕ではなく、僕の大切な人を侮辱するロートの声を、聞いた。
「おい、シオン!! ばか、やめろ!!」
「――――――ッ!!」
何も考える暇などなく、走る。走りながら、魔術を練る。
「【小さな焔》】ッ!」
そうして出来上がった魔術を、妹を侮辱したロートに放つ。時間にして数秒ほどの出来事だった。当然、たったそれだけの時間で対処出来るわけもなく、僕が放った【小さな焔》】はそのまま奴に直撃した。
「ッ!?」
「おい、大丈夫か、ロート!」
僕の魔術をもろに受けたロートは、驚いてはいるが外見にダメージを受けた痕跡はない。それも当たり前のことで、【小さな焔】を始めとする、詠唱要らずの魔術は基本的に殺傷能力はない、例外は、【王級魔術師】より上の階級の魔術師が、詠唱要らずの魔術を行使したときのみくらいだ。
「取り消せ」
「………………」
「さっきの言葉を取り消せと言ったんだ、ロート」
僕は、自分でも驚くような冷たい声でロートと対峙する。当然だ。僕にとって、アンジェという存在は大きすぎるほどに大きい。なぜなら、アンジェは、僕が魔術を使えなくなった当時――次第に荒んでいった、幼すぎた僕の心を救ってくれた、大事な人なのだ。そうじゃなくとも、アンジェが妹になった九年前に、僕は立派なアンジェの兄になると誓ったのだ。
「………やはりな、お前ならこう言ったら反応すると思ったよ」
「? 何か言ったか、ロート?」
小さく、ロートは何か呟いた気がしたが……気のせいだろうか。それに何だか、ニヤリと笑っていた気がする。
「いや、なんでもない。……で、お前の妹のことか」
「ああ。僕のことはいくら馬鹿にしてもいい。けど、アンジェを侮辱するのは絶対にするな。アンジェは、僕なんかよりずっと凄い魔術師だ」
「ふん、自己犠牲か、ミルファク。噂だとお前の妹も何かしらの欠陥を抱えているんだろう? 確か、中級魔術以上の魔術が使えないんだったか」
「そんな眉唾な噂を当てにするな、ロート。それに、自己犠牲でも何でもいい。アンジェを馬鹿にするのだけはやめろ」
「……そうやって欠陥持ちの自分を卑下する性格、ちっとも変わっていないな。だからこそ俺は――――」
ギリっと。怒っているのはこっちなのに、まるでロートも何かに対して――それが何なのかは判らないが――怒っているかのように、奥歯を噛んでいる。
やがてロートは意を決したように――相変わらず、その身に纏う静かな怒りは鎮まってはいない――僕に向かって、ある物を投げつけてきた。
「これ、は」
「お前にそれが受けられるか、ミルファク」
ロートが投げつけてきた物。それは、彼の左手に着けていた手袋だった。
魔術師の世界において、左手の手袋を投げつけるということは、決闘の意志を表していることを指す。決闘を申し込まれた相手は、それを拾うか否かで意志を示す。
思わず躊躇う。正直、僕がロートと戦って勝てるという勝算はほぼ皆無に等しい。だが――――。
(ここで拾わなかったら、僕は一生後悔する)
逡巡の思考の後、静かに、足元に投げつけられたその手袋を拾う。その様を見て、ロートはニヤリと笑うと、すぐさまオルフェ先生のところへ行った。
「オルフェ先生、模擬魔術戦の許可をください」
「……いいか、ロート。今は【速攻詠唱】の実技授業中だ。このクラスの担任としても、学院の【王級魔術師】としても、それは許可できんな」
「なら、授業の一環として、【速攻詠唱】の模擬魔術戦行うというのはどうでしょう? それならば、学院側にも体裁はつきます」
「余計なことばっか頭が回るなお前は……。まあ、今更どうこう言ったところで、お前が折れるとは思えんから、別に構わんが……」
そこまで言ったところで、オルフェ先生は僕の方を見る。
「――お前はいいのか、シオン」
「もちろんです」
躊躇う必要などない。そも、あの手袋を拾った時点でこの戦いを引くことなどできない。
「いいか、ミルファク。俺は、この模擬魔術戦で、お前が眼を背けていることを理解らせてやるよ。そしてお前も、俺にアンジェ・ミルファクのことを理解らせたければ、お前自身の力で俺を判らせてみろ」
「……一体なんのことか分からないけど、いいだろう」
ロートの赤い双眸が、僕をジロリと睨みつける。ロートが何を言いたいのかはよく判らない。けど、いま僕がすべきことは、考えることはそれではない。
僕はその視線を間近に受けながら、ロートに向かってこう言い放つ。
「――――勝負だ」
そろそろ動き始める頃合です。頑張って書くので、感想等ありましたらよろしくお願いします。