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Wizard of Defect  作者:
【第二部 狭間の姫君】
35/38

第09話『《黄道十二宮・【魔羯宮】》エリーク・ファン・レインスホーテン』


「―――――」


 その青年を前にして、オルフェ・ウルフェンは息を呑んでいた。

 恐怖からではない。そんな余分なモノに感情を割いてなど居られない。

 この状況をどう打開するか、ただその一点についてのみ思考している。それ以外に余分な思考など要らない。


 オルフェは、フードを深く被りなおした。

 エリーク・ファン・レインスホーテンと名乗ったこの男に、自分の顔を、見られてはいけない。仮に見られようものならば、全てが一転、瓦解する。

 シオンも、相手の出方を窺っているのか、無闇に口を開こうとはしない。


「ふぅーん……なるほどなるほど、協力者が居たのか。脱出してからずいぶんと移動が速いと思ったけど、そういうことか」


 オルフェの方を見て――おそらく、正体は感づかれていない――納得がいった様子を見せながら、エリークは言葉を述べる。その間にも、オルフェは思考の速度を緩めない。

 彼我の距離はおおよそ十メートル。《魔導二輪》を急発進させたとしても、おそらくこの青年の前には意味など為さないだろう。

 ゆえ、ここは静観。相手の動向を窺うのみ。


「団長からキミを連れ戻すよう言われてきたんだけど……そこのフードくんと一緒にグランティカに向かってるのかい? まったく、だめじゃないか。立場、ってものを弁えてくれないと」

「……あなたにそんなこと、言われる筋合いなんてないです」

「ふむ、そりゃそうだ。でも君、一応言っておくけど、このまま行けば犯罪者扱いされるよ? それでもいいのかい?」

「――そんなこと、今更だ。シアは僕が(たす)ける」


 そう告げたシオンの表情に迷いはなく、決意が表れている。

 

「うーーん……困った、どうするかな。僕としてはこのまま大人しく付いてきて欲しかったんだけど」

「従うとでも?」

「だよねぇ」


 何が可笑しいのか、エリークはけらけらと笑う


(……さて、そろそろ頃合いか)


 時間は充分シオンが稼いでくれた。そのおかげで、思考はまとまった。

 様々なパターンを考えに考えた結果、導き出された解。それは実に単純なもので、しかし出来るなら取りたくはなかった選択でもある。

 だが、そうせざるを得ない――否、それが最適解。

 そもそもの話、さっき自分で言っていたではないか、とオルフェは自嘲する。


魔羯宮(カプリコーン)】の魔術師に、速さで勝負しても無意味だ。


「シオン、いまから飛ばす。この街出るまで――いけるか?」

「もちろん」


 主語を省略した、オルフェの短い問いに二つ返事で答える声。


「オッケー。だったらこっちもそうさせてもらうよ」

 

 そしてエリークも、自分の考えがまとまったのか、黒衣を翻し、相対する。


 互いに選択した行動は、至ってシンプル。



「――実力行使だッ!」

「――強行突破だッ!」



 互いに叫ぶと同時、急発進する《魔導二輪》と、山羊のごとく駆け抜ける【魔羯宮(カプリコーン)】。


 風が、舞った。


 夜の街を駆ける二つの物体。車輪が石畳の街道を擦る音が響く。それだけで住民を起こしてしまいそうだが、逆にエリークの起こす風――おそらく、風属性の魔力を放出して加速しているのだろう、それで巻き起こる風が、その摩擦音を消している。寝ている住民からすれば『今夜は風が強いな』と感じるくらいで済むだろう。


「はっ、やい――!」


 相手は人力、こっちは機械だというのに、その差をものとしない速度。

 こちらのスピードに追随するエリークの速度は、ハッキリ言って人間の速度を超えている。これも、《黄道十二宮(ゾディアック)》――【魔羯宮(カプリコーン)】の力なのだろうか。


「ま。だからって、こっちが何もしないわけ無いんだけどな」


 だが、人外の速さを目にしたところで、オルフェは物怖じすることはない。冷静に、客観的に、現状を把握している。

 速さでは【魔羯宮(カプリコーン)】には勝てない。ならば、それ以外の面で彼を出し抜くしかない。


「シオン、ちょっと退いてろ」

「ちょ、オルフェさん――?」

「いいから。すぐ済む。そのあとはおまえに任せっから、準備しとけ」


 シオンにそう告げるやいなや、《魔導二輪》を運転しながらオルフェは左手を動かす。


「さてと。じゃ、いっちょやるか」


 左手を建物の方――影が、発生している方へ向ける。

 後ろは振り返らない。前だけを見ながら、オルフェは詠唱を開始する。


「――《影よ、形を成せ・我は汝を形成せし者・ゆえ、我は命ず・影よ、その黒き手で彼の者を縛れ》」


 月に照らされて発生している影が、蠢く。それは、次第に何かのカタチへ成していき、やがて五本ほどの腕へと完全に成った。

  

「大人しく捕まっとけ――――【影腕束縛(スキア・ヒェリ)】ッ!」


 高らかに、オルフェが魔術名を発すると、形を成した五本ほどの影の腕は、オルフェ達を目がけて直進していたエリークに纏わり付いていく。


 闇属性上級魔術【影腕束縛(スキア・ヒェリ)】。その名の通り、対象を捕縛、あるいは拘束するための《阻害魔術》のひとつだ。現象的に発生している影に、術者の魔力を流し、影を魔力操作によって変形、つまり『腕』を形成する。そうして形成された影の腕を操つり、対象者を捕縛・拘束するという魔術だ。


 この魔術は、現象的に発生している影に自らの魔力を流す、という点以外さほど難しくない――もっとも、その『影に魔力を流す』というのが至難の業なのだが――魔術だ。

 しかし――、


「ちっ、五本か。やっぱ運転中だと魔力が持っていかれるな」


 オルフェはそう呟くと、すぐさま運転に戻る。

影腕束縛(スキア・ヒェリ)】は五本ではなく、本来の数はもっと多い。しかし、いま現在のオルフェの状況は運転中。《魔導二輪》を始めとする魔力で動く機体は、運転手の魔力を使って稼働する。そのため、思うように魔力操作ができなかったのだろう、本来の数より大幅に減少した状態で顕現したのだ。


 もっとも――運転という状況下においてでも、魔術を行使できるオルフェは、その時点で並の魔術師達とは一線を画しているのだが。


「でも、アレのおかげで時間稼げましたし……」


 シオンの言うとおり、【影腕束縛(スキア・ヒェリ)】でエリークを足止めすることに成功している。それのおかげで、シオン達とエリークの距離はかなり開いている。

 客観的に見れば良い状況だろう。だが、オルフェの顔は晴れない。


「……ま、そうだな。もっとも、アレも気休めでしか無いんだが」


 オルフェが独り言をいうかのように呟いた、その刹那、


 光が、煌めいた。

 

 眩い光は、エリークの方から。弾かれるように、シオンがエリークの方を振り返ると、異常な速さでエリークがこちらに向かってきていた。


「逃がさないよォッ!!」


 シオン達を逃がすまじと、追随してくるエリーク。徐々に、先ほどまで開いていた距離が縮まっていく。


 そして、エリークがシオン達に充分近づいてくると、彼はその手に魔術を創り、そして放つ。


「あれは――」


 ――土属性中級魔術【泥弾撃(マッドショット)】。

 泥、と一口に言うが、限界まで固め、しかも魔力による補助を加えた【泥弾撃(マッドショット)】は、金属に等しい硬さを有する。おそらく【泥弾撃(マッドショット)】を当てることで、《魔導二輪》のバランスを崩し、そこを突くつもりなのだろう。

 しかし、そうはさせない。


「シオンっ!」

「了解です!!」


 エリークが追随しつつ、こちらを阻害するというのなら、こっちは数の利を活かすまで。


《魔導二輪》が加速する。

 オルフェは運転のみに――この場から離脱することだけに専念する。仮にエリークがこちらを攻撃するのならば、シオンが彼だけを狙い、迎え撃つ。そうしながら、徐々に距離を離し、街から脱出するという算段だ。


Anfang(起動)――」


 ゆえに、迎撃を担ったシオンが、ここでこの力を使うのは道理だ。

 コレは、シオンだけが持つ力。

 彼のみに許された、かつて原初の魔術師も持っていたという、まさに神秘の力。


「――――ッ」


 エリーク・ファン・レインスホーテン。《黄道十二宮(ゾディアック)》のひとりで、【魔羯宮(カプリコーン)】だという彼は、なるほど確かに、その名に恥じない技量を持っている。


 ならば、この人外の速度も、エリーク・ファン・レインスホーテンという少年が魔導を究めた果てに手にした力なのだろう。

 シオンにとって《黄道十二宮(ゾディアック)》とは、かつて父が持っていた称号という認識にしか過ぎない。彼の集団がどのような力を持っているのか、シオンは一度も父から聞いたことはなかった。だが、それでもこの青年が自分より遙かに高位の存在であることは理解している。


 だが、だからといって臆することはない。

 確かに、エリークは速く、そして迅い。とてもではないが、眼では追えない。


 ――いいや違う。眼で追うな、感覚で追え。


 感覚を研ぎ澄ませ、通常を超えろ。

 己が身体(からだ)に刻んだ古の言葉。シオン・ミルファクだけが持つ力の、その一端を、解放する。



Teufel(同時) Kern(魔核) Vielau()fgabe()――――ッ!」



 ――【同時魔核処理(コア・マルチタスク)】を起動。刹那、思考が平常時のソレから切り替わる。


「《大いなる風・渦巻くその大気は、我らを守らん・激しく吹け、旋風よ》――」


 即座に詠唱を開始する。シオンが紡ぐ魔の(ウタ)が、夜闇の融けていく。



 ――――魔術の根幹、『四系統五属性』という枠組みにおいて、当たり前と言えば当たり前だが、"相性"というものが存在する。それは、相乗効果を発揮する関係であったり、互いに反しあう関係のことだ。

 その相性関係の根底には、総ての属性の基本である四属性――四大元素、すなわち火・水・風・土――がある。


 火と水は互いに相性が悪く、

 風と土も互いに相性が悪い。


 この四つは、相性悪の関係もあれば、相性良しの関係もある。それが同属性同士であったり、先の相性悪でない場合の組み合わせの場合だ。


 これは、自然界における出来事に喩えるとイメージがしやすい。

 たとえば、火と水で言うと、火はその熱と火力で水を蒸発させてしまい、水もまた、その冷と水力で火を消してしまう――といった感じだ。土と風も似たような発想だ。


 五属性――木・雷・氷・光・闇――は、四系統が合わさって発生した属性だ。つまり、五属性の相性関係も、おのずと四系統に引っ張られるが、しかし五属性のうち『光と闇』に関して言えば、相性関係は両者の中で完結している。


 それすなわち――――光は闇に強く、闇は光に強い。


 これは何故かと言うと、五属性のうち、残り三属性は二つの属性が合わさって出来た属性であるのに対し、光属性と闇属性は、多くの属性、元素が掛け合わされて出来た属性だからだ。ゆえに、このに属性は『混沌属性』と呼ばれている。先の【影腕束縛(スキア・ヒェリ)】も、おそらくエリークが光属性の魔術を使ったからこそ解けたのだろう。


 相反する属性の魔術の衝突は、相殺を引き起こす。

 ゆえに、ここでシオンが選択するのは、属性魔術である【泥弾撃マッドショット】とは正反対の属性――風属性の魔術。


「――――【力渦巻く風の奔流(ヴォルテックス)】ッッッッ!!」


 大きく、風が舞った。

 風――【力渦巻く風の奔流(ヴォルテックス)】が、シオン達に向かってきていた【泥弾撃(マッドショット)】を包み、無力化していく。風の魔力が、土の魔力を相殺しているのだ。


「さぁ、来るなら来てください。――全部、撃ち落としますから」


 迫り来るエリークに対し、シオンは挑発の意も込めて、そう告げる。あまりにも大胆な行為だが、しかしシオンには実際にエリークの魔術を総て撃ち落とす自信があった。

 昔ならいざ知らず、今のシオンには【同時魔核処理(コア・マルチタスク)】がある。これがあるならば、戦える――そう確信しているわけではないが、だが【同時魔核処理(コア・マルチタスク)】の存在が、シオンの自信に直結しているのも確かだ。

 否、たとえ自信が無かったとしても、是が非でも撃ち落とさなければならない。

 何故ならここはシオンの暮らす街……学究都市アルサティア。自分の日常に、傷を付けるわけにはいかないのだ。 

 だが、それは目の前の青年――エリークも解っているハズだ。街に被害を出すのは、彼が所属する機関的に、矛盾した行為であるからだ。

 ゆえに、受動の姿勢を保つ。何もこちらから動く必要はない。相手が攻撃をしようものなら、それだけをいなせばいいだけ。


「チッ」


 エリークもこの状況がどうなっているのか理解したのか、彼が舌打ちする音が聞こえた。


「へぇ、いいじゃないか。だったら、趣向を変えてあげるよ。というより、そんなに時間をかけてられないんでね。――早急に、終わらせる」


 突如、エリークが加速。加速していったエリークはやがてシオン達を追い越し、彼らの前に出る。

 

「いったい何を――?」


 その行動が、シオンには理解出来なかった。おそらく、オルフェも理解出来ていないのだろう。彼も運転をしながら、エリークの行動の真意を考えていた。

 そしてそれは、数瞬後に理解されることになる。

 シオン達を追い抜いたエリークは、この街――アルサティアの中心にある大広場で、彼らを待ち構えるように、そこに立っていた。


「――――ッ、まさか」


 先にその可能性に思い至ったのはオルフェ。遅れて、シオンも、それに思い至った。


「僕に先に行かせたのがいけなかったねぇ。君たちの作戦は、僕が追撃するっていう前提があってこそ成り立つものだろう? 街に被害は出せない。それはそうさ。だったら――こういう、広いところで、君たちが捌ききれない魔術を以て、捕縛すればいいだけじゃあないかッ」


 口の端を釣り上げるエリーク。その様子を見て、オルフェは歯噛みする。

 シオン達が受動になるのではなく、エリークが受動――すなわち迎撃の態勢をとること。それこそが、エリークの取った行動だった。

 エリークがシオン達を追い抜くことで、彼らを追随するのではなく迎え撃つ。その場所も、狭い街道などではなく、このような大広場にすれば、多少の無茶は効くし、何より彼は《黄道十二宮(ゾディアック)》の一人。黄道の座に連なる魔術師が、これくらいの芸当を出来ずして何というか。


(くそったれ。日和ったか、オレは――ッ!?)


 これくらい事前に察知せずして、何が【王級魔術師(キング・ウィザード)】か。

 ――これは模擬ではない、本物の魔術戦。

 忘れるな。気を抜けば敗北するのは、自分だ。


「ッ――」


 今更、方向転換など出来るハズもない。仮に方向転換をしたところで、方向を変えるときの、機体のスピードが緩まった、その一瞬の間隙をエリークは突いてくるだろう。

 進むも詰み、退くも詰み。まさに窮地の状況。


「チェックメイトだ。大人しく僕に捕まりなッ!!」


 そしてエリークは、詠唱を開始する。


「――《風よ、虚空より起これ・その鋭き一閃で埋め尽くせ・姿無き無数の刃・いま彼の者を刻め》――」


 紡がれる(ウタ)

 術者のイメージ、言葉――詠唱自体が持つイメージが、この世界に魔術として顕れようとしている。


「――――【鎌風ノ鼬(サイズウィゼル)】ッ!!」


 エリークの詠唱が終わる。それと同時――


「がっ、あああああ――――ッ!!!」

「ぐぅぅぅぅぅ!!!!」


 見えない刃が、シオン達を切り裂いた。

 無数の不可視の刃は、容赦なくシオン達を斬りつけ、その跡を刻んでいく。


「これ、はッ……!」


軍用魔術(アサルトスペル)】・【鎌風ノ鼬(サイズウィゼル)】。風属性の魔術のひとつで、その効果は無数の不可視の刃を持つ風を起こすこと。原理は至って単純。【魔力壁】のように、硬質化した魔力を刃状にし、それを風に乗せているだけ。ただ、その刃が恐ろしく鋭利で、殺傷能力を帯びており、この魔術を創り上げるために要される魔力操作の難易度の高さが、この魔術を【軍用魔術(アサルトスペル)】にしているのだ。


「ちょっと痛い目にあってもらうよッ! 何、安心してくれ。どんなに重傷を負っても生きてさえいれば(・・・・・・・・)フィリアが治してくれるからさぁ!」

「――――――っ」


 それはつまり、たとえ死ぬ一歩手前になるまで追い詰めるのも、向こうからすれば手段のひとつということ。

 

「冗談じゃない――」


 小さく、シオンは呟く。


 ――そんなの、なってたまるか。


 シオン・ミルファクは、シアという少女を救う。そう決めた。


 (グランティカ)はもちろん、たとえこの国(シーベール)が敵に回ったとしても、打倒して乗り越えると誓った。本来なら自分などが出なくても済むのに、それでも彼女を救うと決めた。シアを救うのは己だと、そう思った(ねがった)。その身勝手な、傲慢な願いを現実にするためには――――


「こんなとこで――立ち止まってなんか、いられないんだよッ!!!!」


 ゆえに、ここでエリーク・ファン・レインスホーテンを倒す。


「――《轟け、穿て・其の一条は雷神が槍の如し・其の咆哮は雷神の怒り》――」


 バランスを保ちながら、後部座席に立ち、右手を前に掲げる。依然として、【鎌風ノ鼬(サイズウィゼル)】は止まず、いまもなおシオン達を斬りつけている。


 ――痛い。もはや、感覚が薄れつつある。


 だが、止まるわけにはいかない。それに、もしこのまま捕まってしまえば、シオンだけでなくオルフェまで巻きこんでしまうことになる。それだけは認められない。だから、そうならないためにも、シオン・ミルファクはここで魔術を放ち、起死回生の一手と成り得る……否、その一手にする一撃を、【魔羯宮(カプリコーン)】の魔術師に見舞う。

 

 詠唱を完了。すぐさま、魔力操作……魔術のアレンジに移行する。本来ならば時間のかかるこの操作も、【同時魔核処理(コア・マルチタスク)】を前にすれば然して時間はかからない。

 

 ――威力は求めない。範囲も、ただ目の前にいる人間一人に絞れ。

 ただし速度は――最大だ。


「もっと、もっとだッ……!!!」


 速く、もっと速く。

 己が憧れた父――『閃光』グレン・ミルファクのように、魔術を速めろ。

 それが、シオンの根幹にある『憧憬あこがれ』であるがゆえに。

 シオンもまた、速さを求める。


「――――【地を突き穿つ雷槍(ドンナー・シュラーク)】ッッッッ!!!!」


 顕れる高速の雷槍。速く、音を置き去りにして、雷の一条が奔る。

 

「くッ……!」

 

 流石のエリークも、これは予想――いや、魔術の反撃というより、この速さを予想しきれていなかったのか、少しだけ焦りを見せる。


 ――――その一瞬、そこを突く。


「オルフェさんッ、全速力!!」

「っ――ああッ!!」


 【地を突き穿つ雷槍(ドンナー・シュラーク)】を放つ、ほぼ同タイミングで、運転しているオルフェに加速を促す。エリークが対応に追われるその一瞬、そこを《魔導二輪》のトップスピードで駆け抜ける。

 だが、それだけでは、『速さ』が足りない。


Anfang(詠唱) Arie(起動)――【Doppelt】」


 ――ゆえに、ここで僕が(・・)加速を補助する。


「【突風(ゲイル)】ッ!!」


二重詠唱(ダブルスペル)】による【突風(ゲイル)】の発動。これにより、刹那的な高加速を実現する。


「運転任せましたよっ!!」

「ああ、任せられたッ!!」


 機体が揺れる。無茶な加速をしたせいで、運転の制御は通常より難しくなっているが、それでもオルフェは難なく扱ってみせる。

 

 急激な加速を得て進む《魔導二輪》。そのスピードは、《魔導二輪》そのものが持つスペックを優に超えている。


「――――」


 横目に、シオンはエリークの方を見る。エリークは直撃ではないが、それでもシオンの放った【地を突き穿つ雷槍(ドンナー・シュラーク)】を受けている。

 

 それで充分。シオンが求めていたのは、エリーク・ファン・レインスホーテンが、たった一瞬でもいいから行動を止めること。


 そして、その一瞬に――二人の魔術師を乗せた二輪車は、駆け抜ける。

 もはや、自分たちの勝利は確実と、そう思いながら。



 ***



「逃がす、かァァァァッ――!」


 その叫び声が自分の口から出たことに、エリークは少なからず驚愕を覚える。

 それもそうだろう。この状況を、否が応でも認めるわけにはいかないのだから。


 シオン・ミルファクから、自らの予想を超えた一撃を見舞われた挙げ句、その刹那の間隙を突かれた現在の状況を、当たり前だがエリークは是としなかった。


 何故なら自分は《黄道十二宮(ゾディアック)》に連なる人間――王国魔導師団第一遊撃部隊隊長・エリーク・ファン・レインスホーテンだから。


 星の宝に選ばれ、それに相応しく在れるように、彼は実績を上げ続けた。遊撃部隊として、この国の悪を狩り続けた。その今までの人生を彼は否定しない。故に今回も、本拠地から脱走したという、先の戦いで保護された前団長の息子を捕らえるという仕事を、堅実に誠実に達成するつもりだった。だが、実際はこのような状況だ。


 たかが少年と、高を括っていた。たとえ協力者が居て、二対一という状況であろうとも、自分が遅れを取るはずがないと高を括っていた。その気持ちは確かにある。

 その慢心が、この状況を生んだ。このままでは、作戦を失敗してしまうかもしれない。


 ――そんなことは許されない。


 それは、黄道に連なる魔術師として、第一遊撃部隊の隊長として、王国魔導師団の一員として――何より、一人の魔術師として、許されないことだった。


(それに何より――――ッ!)


 エリーク・ファン・レインスホーテンにとって自らが至上と崇める存在は他でもない。

 王国魔導師団長にして《黄道十二宮(ゾディアック)・【獅子宮(レオ)】》――ラヴァ・シャサスだ。

 

 エリークは学院生時代、ラヴァの後輩だった。その時代から、エリークはラヴァへ尊敬の念を抱いていたし、時を経て王国魔導師団の配属、そしてラヴァと同じ【星宝(ファタリテイト)】に選定された時は、何とも表現し難い喜びを感じた。



 ――山羊では獅子に敵わぬ。だからこそ、獅子に付き従おう。



 確固たる敬意、信念――それらの下に、エリークは獅子に服従する。

 そんな彼から、自分に直接下された命令。

 失敗は許されない。それは彼への裏切り、彼に失望を抱かせるのと同義だ。

 ゆえに――――。


「《蹄の音を鳴らせ、草原に何処までも響かせろ》」


 どんな手を使ってでも、シオン・ミルファクを捕らえる。


「《さあ、武器を執れ・いま、私は道化に非ず・いま、私は戦士なり》」


星宝(ファタリテイト)】のチカラの一部解放。それを以て、シオン・ミルファクともう一人を捕縛する。


「《その雄々しい角は、総てを貫かん》」


 獅子に従う山羊。それこそが、僕の在り方。


 エリークの持つ指輪――【星宝(ファタリテイト)】が発光する。

 これが【星門解錠】。エリークは今、【魔羯宮(カプリコーン)】だけが持つ礼装を顕現しようとしている。


「なっ――」


 その兆候を見たシオンが、声を上げる。彼は【星宝(ファタリテイト)】の存在を知らないはずだが、それでもコレが尋常のモノではないことは本能的に理解したのだろう。

 そして事実、このまま数秒もしないうちに、間違いなく彼らは捕らえられる。否、そうなるが必然。

 もはや絶対的な窮地。あと数秒、たったそれだけの時間さえあれば、彼らはエリークを追い越し、進むことが出来るというのに、それは叶わない。

 何故なら、如何に山羊といえど、その気になれば、山羊の角は人を屠ることが可能であるからだ。


「――【星門解錠(せいもんかいじょう)】――」


 そして紡がれる、最後の詠唱(コトバ)

 それを前にして、シオンは動けず、オルフェは抗おうとしていた。だが、絶望的に時間がない。


「終わりだ。僕が、君の逃亡劇に幕を引いてやる」


 下される敗北の宣告。

 シオン・ミルファクという魔術師が抗ってみせた(演じてみせた)、この逃亡劇は、此処で終わる。

 

 ――――――その、瞬間だった。


 ヒュンッ、と。

 風を切る音が、この場にいる三人の耳に届いた。


「な―――、に……?」


 そして、礼装が顕現しようとする、その刹那、氷の矢が、エリークの伸ばした腕を穿った。

 それによって、顕現しかけていた【星宝(ファタリテイト)】の魔力が霧消する。


「ッ、飛ばしてくださいっ!!」


 同時に、シオン達二人を乗せた《魔導二輪》が遠ざかっていく。

 その姿を、呆然とエリークは見つめるだけ。しかし、そのことに関して彼は何とも思っていない。今、彼の脳内を埋め尽くしているのはそれではなく、


「誰……だ?」


 自らの腕に矢を穿った、その人物について。

 小さく発した問いに、答えは無い。

 しかし、代わりに、再び、氷の矢が――今度は先ほどとは別の腕を穿った。


「ぐっ、づぅ――」


 容赦の無い一撃。間違いなく、修羅場を潜ってきた人間によるモノだ。経験上、エリークにはソレが解る。


(だが、誰だ――?)


 その答えは、すぐに解った。


「――――――」


 月明かりが出たことで照らされた、ちょうどエリークの居る広場から正面に見上げた先――そこにある建物の、屋根に立つ人物が、見えた。

 外套を羽織り、フードを被った謎の人物。その手には弓――いや、ただの弓ではない。謎の人物が持つのは氷で出来た弓だ。その証拠に、冷気が漂い、こちらからでも白い靄が見える。フードに隠れ、顔は見えないが、そこから時折覗かせる紅い眼が、間違いなくエリークを捉えている。


「おまえ、か」


 低い声で、小さく呟く。

 ……シオン・ミルファク達のことは一度無視しよう。

 冷静に思考しろ。今はまだ、先の【星門解錠】による加速――常識を越えた、人外の加速――は、一度使うと再使用までにかなりの時間を要する。だがそれも、もう少しすれば再使用可能になる。ゆえに、そのあとになっても追いつけるのだ。焦ることはない。

 だから――正体不明のあの男を、まずは対処しようではないか。


「そこを動くなよ。僕は《黄道十二宮(ゾディアック)・【魔羯宮(カプリコーン)】》エリーク・ファン・レインスホーテン。もう一度訊こう、キミは……」

 

 誰だ、そう問おうとした矢先、放たれる数本の矢。


「そういう前口上みてェなのは要らない。来いよ山羊野郎――」


 不敵に発せられる、少年の声。


 エリーク・ファン・レインスホーテンは知らない。いま、この場に居る少年の正体が誰であるかなど。

 だが、もしここに、シオン・ミルファクが居たならば、彼はこの少年の声を聴いただけで誰であるか解っただろう。


「――今夜は、俺と一緒に走り続けてもらうぜ?」


 少年――ロート・ウィリディスは、エリークにそう語りかけながら、胸中で自らの親友のことを想う。


 ――コイツは俺に任せな。だから、おまえはさっさと全部済ませて、帰ってこい。

 ――また、一緒に飯でも食いながら、どうでもいい日常を過ごすために、な。


 だから、俺も非日常に足を突っ込ませてもらうぜ、シオン。


「……上等。誰かは知らないが、後悔するなよ?」


 そして、夜の街で追走劇の第二幕が始まった。



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