第08話『逃亡 ――剣帝国への路』
「――――よし」
オルフェさんから受け取った服に着替え、諸々の準備を終える。
「準備出来ました、オルフェさん」
「うし。ほんじゃま、いくか」
「でも、どうやってここから出るんですか? というか、そもそもここは……?」
「ここは王国魔導士団の本拠地――【黄道の円卓】から少し北に建てられている別館だ。ここは本館よか警備は薄いから、入るのも割と簡単だ。何よりお前一人だけだったら、逃げ出そうとしたところで、魔導士団の魔術師レベルだったら余裕で捕まえられるしな」
「う……」
否定できないのが悔しい。
「まぁ安心しろって。――オレが来たからにゃ、こんなとこ簡単に逃げ出してみせっからよ」
オルフェさんはそう言うと、部屋の壁に掛けられている、大きな絵画の方に近付く。
「よっこらせっと」
「は、はぁ……!?」
オルフェさんが絵画を外すと、そこには何と――大人は余裕で入れるくらいの、大きな『抜け道』があった。
「な、なんですか、それ」
「んー、秘密の抜け道?」
「なんで疑問形なんですか……?」
「や、オレだってなんでこれあるのか知らねぇもん。昔ここに来た時に見つけたってだけで」
「――――」
……なんで、オルフェさんは昔ここに来たんだろう?
「おーい、いくぞ」
「あ、はい」
オルフェさんが僕を呼び、それで僕は一瞬頭に湧いた疑問を振り払う。
(……まぁ、全部終わったら、聞いてみてもいいかな)
オルフェさんは僕より経験豊富だ。きっとそのうちのひとつに、たまたまここに来たっていうのがあっただけなんだろう。それでこの抜け道を見つけたっていうのも、オルフェさんらしいけど……。
とりあえず、そう、考えておくことにする。
それはいま、必要のない思考だから。
「うわ、汚ぇなこれ」
「これ、どこにつながってるんですか?」
「たぶん、ここの地下。そっから王都の方の下水道に続いてるんだと思う」
「ってことは、ここ避難用の緊急通路とか、そんな感じですかね」
「……ま、そんなトコだろ。いいから行くぞ。保ってあと一時間。それまでにソニアベルクから出ねぇと、ラヴァに気付かれる」
そうぼやきながらフードを――顔を少しでも見られないようにするためか――被り、オルフェさんは先にその通路に入る。僕も、オルフェさんに倣ってフードを被り、彼に続くように、その道へ足を踏み入れた。
***
「――ッ、失礼します、団長!」
黄道の円卓での会議が終わり、団長室へ戻ったラヴァは、来る作戦へ向けて準備を行っていた。もちろん、秘密裏にだ。
『静戦』のことは、同胞である《王国魔導師団》の面々にも知らせていない。完全に少数精鋭――《黄道十二宮》だけで動く。元より、早期に解決することを目標としているのだ。関係の無い彼らには、あるがままの日常、普通通りの生活を過ごしていて欲しいとラヴァは願う。
「何事ですか」
そんなラヴァの前に、息を切らして現れたひとりの魔導士団の魔術師。腕章を見る限り、所属は【宝瓶宮】が指揮を務める索敵部隊、そこの副隊長である魔術師だ。
「は、例の少年のことなのですが……」
「――……逃げ出しましたか」
「ええ、そうなので……って、え?」
「予想の範囲内です、安心してください。――彼が、あのまま大人しくしている筈が、ありませんからね。ああ、彼の監視をしていた方たちに特に罰則は下さないと、貴方のほうから伝えてください」
淡々と、事務的に伝える。
半ば予想していたことだ。あの少年が……グレン・ミルファクの息子が、大人しく縛されたままでいるわけがないと。
どうやって逃げ出したのかは解らないが――あの部屋、というよりあの建物には、いざというときの避難経路がある。おおかた、それを偶然にも見つけたというところだろう。
(しかし、思ったよりも早かったですね。あの通路を見つけるにしても、もう少しかかると思っていたのですが)
そこは流石、グレンの息子というべきか。
ともあれ、こうして逃げ出された以上……そして、グレンに頼まれた以上、シオンを連れ戻さなければならないだろう。
「シルヴィに連絡を。至急、彼の居場所を割り出せと伝えてください」
「ハッ、了解です!」
副隊長はラヴァに敬礼するや否や、己が部隊の隊長――【宝瓶宮】シルヴィ・ラハナストの許へ向かう。
そしてラヴァは、執務用の机の上に置いてある、各隊長へと繋がっている『呼応石』を使い、ある人物へ連絡を取る。
「エリーク、聞こえますか」
それは、ラヴァにとって数少ない、付き合いの長い人物――彼の学生時代からの後輩であり、そして故に、団の中でも特に信頼をおいている男。
「今すぐシルヴィの許へ行き、彼女と協力し、彼をここに連れ戻しなさい」
それだけ手短に告げると、ラヴァは呼応石を置く。
指示は下した、あとは同胞達に任せよう。
「さて、シオンくん。君が本当にシア様を助けたいと思うのなら――」
そう呟きながら、ラヴァは窓越しに外を見つめる。彼の眼に映るのは、闇に沈んだソニアベルク。
彼が生まれ、育ち、幾度の出会いと別れを経験し、そしてこの街を始めととした、己の総てを賭してまでも護ると決めた国。
「君が、総てを敵に回す覚悟があるというのなら――」
此処から逃げ出すとは――我々の縛から逃れるということは、つまりそういうこと。
シオン・ミルファクは、グランティカとの間に起きている現状を知っている。その少年がこのような行動をとるということはつまり、いまこの国において叛逆者、すなわち罪に問われるべき存在になるということ。
だがラヴァは、それを公にするつもりなど――今のところは――ない。
あの少年は、シアにとって有益な存在。ゆえに、利用させてもらう。
だからこれは、シオンを試すひとつの試練と言えよう。
この戦に参戦れるに値するか――我々を振り切れるか――そんな試練。
だからシオン君――。
「――これくらいの鬼ごっこ、逃げ切れなければ無理ですよ」
心なしか、街を覆う闇が深くなった気がした。
***
暗く、光のない道を、無言で進む。人気など全くないこの空間には、ただ静寂しか無く、僕らが歩く足音だけが、この通路内に反響していた。
鼠の鳴く声が、微かに聞こえる。光がなく、そして壁伝いに歩いているこの状況で、いま壁に手をついている右手を離せば、自分が何処にいるかなど、一瞬で解らなくなるだろう。そんな確信が、ある。
「黴くさいですね」
「我慢しろ、男だろ」
気を紛らわすために軽口をたたきながら、僕らは下水道を進む。
「――見えた、あそこから出られる」
オルフェさんが指で示す先――そこから、かすかに地上から光が漏れていた。たぶんあれが、地上へ続く出口なんだろう。
「……行きましょう」
互いに一瞬だけ目配せし、頷きあうの確認すると、その光の方へ進んでいく。小さな光を頼りに、手探りで梯子らしきものを発見し、慎重に登っていく。
「―――――、出れた」
……地上に出る。部屋から通路に入って、体感時間でまだ三十分ほどだが、外の空気がひどく懐かしく感じられる。
深呼吸をしながら、周りを見渡す。予想通り、王都の城下町……いいや、ここはすでにもう、
「ソニアベルクの外……」
目の前には広大な海があった。潮騒が聞こえる。一定のリズムで奏でられる自然の音楽が、いまは少しだけ耳に心地よい。辺りを見渡せば、城門がすぐ近くにあった。どうやら、あの通路は直接外へと繋がっていたようだ。
ソニアベルクの構造はとても単純だ。外壁に囲まれ、街の最奥に王城があり、そのすぐ近くに王国魔導士団の本拠地、そして城下町があるというように、他国の首都がどんなものかは知らないけど、ごく普通の首都なのではないかと僕は思う。
けれど――この国の首都の特筆するべき部分は内面にあるのではなく、外面。
王都ソニアベルクの周り――というより後ろには、外壁の半分を囲むように、大きな山がある。それは登山するには困難なもので、仮に敵が攻めようものならそこからは決して進みはしないだろう。
そして正面……王都唯一の入り口の前には、広大な海。王都への入り口がただひとつ、そこにしかなく、けどそれは軍隊で攻めるにはあまりにも狭い。だから、攻めるなら少数精鋭しかないが、しかしそれも、ただの自殺行為にしかなりえない。
つまりこの国は、自然の護りによって、強固な防御を築いているのだ。
だからこそ、この国は、海の加護と呼ばれている。
「ここからどうするんですか、オルフェさん」
「……いま、出てからだいたい四十分くらいか。……不味いな」
苦い顔をしながら思案するオルフェさん。
「不味いって、いったい何が――」
「くそっ、考えるだけ無駄か。走れシオン、この近くにオレの《魔導二輪》が置いてある。それに乗って移動するぞ」
「えっ、買い直したんですか?」
「ああ、オレもあれが無きゃ不便だしな。いいから、行くぞ」
促され、僕は急ぎ足になりながら先生について行く。そして十数メートル進んだ先……海岸の岩陰に隠れるように、オルフェさんの《魔導二輪》が駐車してあった。素早く座席に座り、出発の準備をする。
「さぁ――行くぞ」
そして、僕達はグランティカを目指し始めた。
***
オルフェ達が《魔導二輪》に乗り、移動し始めたと同時刻――。
王都ソニアベルクで、動き始める者がいた。それは《黄道十二宮》の一人であり、その集団の中で最速の人間。
余談だが、王国魔導師団本拠地・【黄道の円卓】からソニアベルクの外までの距離は、直線距離で測ったとしても実に五キロメートルほどある。実距離は、およそ八キロメートルといったところか。
どんなに最速を謳っていたとしても、人間の力ではどう足掻いても三十分はかかると見積もって良いだろう。
だが――人外の力を用いたとしたら、どうだろうか。
「――【星門解錠】――」
【星宝】と呼ばれるその人外の力は、刹那的な高速の疾走を可能にする。
故に最速の男。
故に彼こそが、脱走したシオン・ミルファクを捕縛する役割をラヴァから仰せつかった。
青年の声が、暗がりに響く。
「鬼ごっこ開始、ってね」
***
《魔導二輪》に乗って、しばらくすると、やがてアルサティア近郊まで来た。
車体が加速する。間もないうちに、アルサティアの門まで来ると、そのまま街内に入った。
……夜の帳が落ちた街。それは、かつてシアと再会した日を想起させる。
あの日からまだ二週間しか経っていないのに、状況は一変して、非日常へと陥っている。
「――――――」
この街には、アンジェやリオやエメ、それにロート……僕の大事な人たちが居る。彼らを巻き込まないためにも、この騒動は、人に知られることなく集結させるべきなんだと思う。
彼らには、何も知らないまま、僕の日常に居て欲しい。
あの平穏が、何でも無い日々が僕は好きだから。そしてその場所にシアも居て欲しいと思ったから。
僕は――たとえその役者に相応しくないとしても――この非日常を、終わらせる。
「シオン、何でも一人で抱え込むなよ」
ふと、オルフェさんの声が聞こえた。
「本当は、子供なんかがこんなのに首を突っ込まなくてもいいんだ。けど、これはおまえが決めたことだから、オレはそれを尊重して、手助けをする。だから、一人で気負わず、オレを頼れ。少なくとも、この状況下じゃオレしか頼れねぇだろ?」
「……普段から、もっと真面目にやってくれれば、そうしますけどね。オルフェさん、オンオフが激しいから」
「はっ、本能に従ってるって言って欲しいな」
軽口を叩き合いながら、僕たちは夜の学究都市を進む。
「……ぁ」
その途中、僕の家の前を通り過ぎた。
(アンジェ……)
あの子は一人でも大丈夫だろうか。突然何も言わず出て行ってしまったから、帰ったときには怒られるかもしれない。
「……待ってて、すぐ、帰るから」
シアと二人で、帰ってくるから。
確かな決意を胸に、おそらく寝ているであろうアンジェに対し、そう告げる。
「できれば夜明けまでにはグランティカに着きたい。ここを抜けたら飛ばしていくぞ」
「は――」
い、と言おうとした時、
「――――ッ!?」
突如として『ソレ』の気配を感じた。
最初はただの違和感かと思った。けど違う。
「……来やがったか」
「来たって、何が……」
「――追ってだよ」
焦りの表情を浮かべながら、オルフェさんは簡潔に、そう告げた。
「――――!?」
刹那、激しい風が、僕達の真横を駆け抜けた。
吹き抜けた突風。その余波で起きた風のせいで《魔導二輪》の進行が止められてしまう。
「脱出にはあそこを使うって思ってたけど……まさか、本当に使うなんてねぇ。中々目端が効くじゃあないか」
そして、風が止むと同時、聞こえてくる若い男の声。
「おっと、自己紹介が遅れたね、ゴメンよ」
その身体に纏うのは、やはり黒のロングコート。それだけで、目の前の男の正体も、目的も解った。
「――王国魔導士団第一遊撃部隊隊長【魔羯宮】、エリーク・ファン・レインスホーテン。以後お見知りおきを、シオン・ミルファクくん」
微笑を浮かべ、萌葱色の髪をした男が、そこに立っていた。




