第07話『静戦開幕』
「ええ、わかりました。ご苦労様です」
王国魔導士団の本拠地にある、団長の執務室で、シオン・ミルファクの監視に問題がないという部下の報告を聴き終えると、ラヴァ・シャサスはその部下を下がらせ、大きく息を吐いた。
――シオンを強制的に拘束する、という自分の前任であるグレン・ミルファクからそう指示されたときは、耳を疑った。
何故、とラヴァが問うと、
『……シオンは、自分が何もできないって解っていても、それでも動こうとする子だ。昔からそうだった。だから――無理矢理にでも止める必要があった』
済まない、と申し訳なさそうに頭を下げるかつての自分の上司の姿は、まさに『父親』の姿だった。それはラヴァが知らないグレンの姿で、かつてグレンと戦場を共にしたあの日はもう過去なのだということが否応なく感じさせられた。
(……感傷に浸るのは止めましょう。いまは私が、この王国魔導士団の団長なのですから)
考えるべきことはほかにも山ほどある。
隣国であるグランティカの動向。連れ去られた姫君。
「――まずは、」
腰かけていた黒椅子から立ち上がり、王国魔導士団の制服である黒のロングコートを羽織る。右手の中指に、獅子を象徴した紋様が描かれた指輪を付ける。
――【星宝】、と呼ばれるそれは、王国魔導士団の頂点に座す十二人……《黄道十二宮》が一人につきひとつ持つ、この世に唯一無二の『魔術礼装』――『魔道具』と違い、魔術戦や軍事など、戦いに用いられるモノ――のことだ。普段は指輪の形をしているが、『星門解錠』という、【星宝】に込められた能力の解放――特殊な魔術の行使、固有の礼装の取り出し――を行うことで、どの『魔術礼装』にも勝る、それ一つだけで【帝級魔術師】に匹敵すると言われている力を振るうことができる。しかし、これは【星宝】が選定した使用者――つまり、その者らこそが《黄道十二宮》――しか扱うことができない。
「―――――、」
【星宝】は、《黄道十二宮》によって歴代に渡って受け継がれてきたモノで、その起源は古代とされている。もっとも、この【星宝】の構造、理念、材質は一切不明で『魔術礼装』と分類されているが、それはあくまで便宜的なものにすぎない。
【星宝】の発祥が何処なのか――それは、未だに解っていない。ゆえに、【星宝】の存在は一般には知らされておらず、知っているのは魔導士団の人間と王室の人間だけだ。
謎が多い【星宝】ではあるが、こうして今まで受け継がれてきたモノであり、そして《黄道十二宮》の座に就いた以上、この【魔術礼装】に相応しく在らないといけない。
「――――――」
そんな風に思考をしていると、いつの間にか目的地に辿り着いた。
対人用の魔術式を厳重に編み込まれた城門。そこに備え付けられた『呼応石』――対応する石と交信ができる『魔道具』――に魔力を込め、起動する。
「――私です。陛下への謁見をしたいのですが」
『――生体情報認識、照合完了。了承しました、ラヴァ・シャサス様。三十秒後には魔術式が再構築されますので、速やかにお入りください』
「ええ」
城門に埋め込まれた、登録された人間の生体情報を照合し本物かどうか確認する魔術式が起動する。それが終わると、呼応石から聞こえてきた声に従い、そのまま城門を潜り抜け、王城へ入る。中庭を抜け、城内へ。そのまま、いかにも城、といった長い廊下を歩き、目的の部屋を目指す。
「陛下、ラヴァです」
「ああ、解っている。入るといい」
「失礼します」
目的の部屋までたどり着くと、その部屋――王の私室の扉をノックし、中に入る。
「――――――」
……息を呑む。その人物を目の当たりにした瞬間、それが自分では届かない存在であると否応なく認識させられる。
流れるような薄紫の長髪。静かに、彼の碧色の双眸がラヴァを捉える。
その男は王装であるローブを羽織り、右手には身の丈ほどの杖を持っている。
この者こそが、この魔術大国を統べる、現代の魔術王――アレイスター・シーベール。
「状況はどうなっている」
「は、現在、使い魔を遣わせてグランティカ付近まで偵察中です」
「……そうか」
魔術王は部屋の窓から遠くのほうを眺め、呟く。
「なぁ、ラヴァよ」
「なんでしょうか」
「……我が子――シアが人目に触れぬよう、王城内にずっと閉じ込めていたのは、間違いだっただろうか」
「――――、」
「あの子は境遇が特殊であった。そうするしか手がなかったとは言え……シア自らが王城を抜け出し、その果てに彼の国の手に落ちてしまった」
依然として彼方を見つめるアレイスターの声音には、後悔の念が、含まれていた。
「王は、シア様が心配でいらっしゃるのですね」
「……そうなのかもしれないな。私は、私の中に在るこの感情が何か解らないゆえ、正確なところなど理解できるはずもないが……常識に照らし合わせれば、そうなのであろうな」
「………」
ラヴァが団長に就任して今年で九年。アレイスターに仕える、という意味でも九年ということになる。
その間、ラヴァはアレイスターの『父親』という姿を見たことがなかった。
シア・シーベールは常に王城の中で一人だった。ラヴァはシアに話しかけることも多かったが、シアにとってそれは『王国魔導士団長』としてであって、ついぞ彼女の『友人』にはなれなかった。
そのことを悔やむ気持ちが、間違いなくラヴァの中に在る。もし自分が彼女の『友』で在れたのなら――少しは、変わっていたのかもしれない。
(いいえ、違いますね)
そうでなくとも、シア・シーベールは間違いなくこの王城から逃げていただろう。彼女が如何にしてここから逃げ出したのか、それは未だ解ってはいないが、いま大事なのは「方法」ではなく「結果」。
そして、二国間における、彼女を中心に起きている、静かな争い。
「……王よ、僭越ながら問わせて頂いても構わないでしょうか」
右手を左胸――九芒星のエンブレムがある位置――に手を当て、自らの主に問う。
「なんだ」
「いえ……例の、グランティカからの文書について、ですが」
グランティカからの文書。それは一週間前、突如としてアレイスター王に直接届けられた、グランティカの皇帝――マルス・グランティカが直接認めたものだった。
幾つか不明な点はあるものの、その内容は端的にまとめると、『宣戦布告』。
『これは宣戦布告。されど、全面切っての戦争ではない。水面の下で動く魚の如く、静かに始めさせて頂こう。だが我々は、この大陸に再び火の海を起こす。その果てに残るのは四国ではなく我が国唯一つ。その手始めとして、まずは貴国から、還してもらおうではないか――』
と、文書にはそう書かれていた。
(『還してもらう』――、ですか)
何を『還してもらう』のか、それは実のところ、ラヴァには解っている。いや、解らない方がおかしい。
解ってはいるが、それを口にはしない。何故なら、その言葉は王の口から言われない限り真実と成らないからだ。
憶測だけで語るなど愚の骨頂。真実、王に仕える者としてそのような不敬などあってはならない。だからこそ、ラヴァは何も言わない。
「……民衆には公開しない。これを知るのは我々王政の一部の人間と君たち《黄道十二宮》。そしてグレンだ」
「――それは、民衆の暴動を防ぐためですか」
「ああ。これは公に明かすことではない」
そういうとアレイスターは左手に通告……否、『布告』が認められた手紙を出現させる。
「彼の国が何を考え、何を思い、この文書を出したのか……それは我々が与り知らぬことだ。しかし事実として、この文書はここにある」
「グランティカからの宣戦布告――シア様を連れ去ったことは、彼らにとってはあくまで戦争開戦の一部に過ぎないということでしょうか」
「いいや違うだろうな。彼らの目的はあくまでもシアにある。だが書かれている通り――最終的な目的は、戦争。それもいずれは大陸全土に及ぶモノであろう。シーベールに対する今回の騒動は、まさに宣戦布告……前哨戦というわけよ」
「――っ」
――まさか、本当にそうであるとは。
ラヴァは事此処に至るまで『これが間違いであってほしい』と思っていた。だが、魔術王――アレイスター・シーベールの慧眼をしてそう言われたとあっては、もはや認めざるを得ない。
否――ラヴァは、認めたくないだけだったのだ。
(しかし――何か、引っかかりますね)
グランティカがこの国を狙う。それはいいだろう。別段、予測できていなかったことではない。
だが――どうして、わざわざこんな回りくどいことをする?
彼の国ならば、シアを連れ去ることなどしなくとも、そのまま攻め込むことも可能であるというのに、だ。それだけが、ラヴァの中に払拭できない疑問として残っていた。
しかし、自らの主がいまこうして、この戦いを認められたのならば、もう自分の思考など無意味だろう。
ガチリ、と。意識が切り替わる感覚。腑抜けた感情、要らぬ希望的観測を抱いた己の心を瞬時に隅へと追いやる。
そうしてそこに出来上がったのは、先ほどとは似て非なる、ラヴァ・シャサスだ。
王の声に、耳を傾ける。
「だが私は全面戦争など望まない。大衆を危険になど晒せぬからな」
「と、なると?」
「――水面下での戦い。我々だけでこの諍いを鎮め、シアを奪還し、その後、和平を持ちかける。話をしないと、彼奴の思惑も解らぬからな」
ローブを翻し、魔術王は振り返る。杖に施された宝石が光に照らされ、反射する。
「此処に今代の王、アレイスター・シーベールの名に於いて《黄道十二宮》に命ずる。――貴殿らで彼の国と相対せよ。総て貴殿に一任する。決して大衆には知られるな。――貴殿らの星を、私に魅せてくれ」
「仰せのままに、我らが魔術王よ。
――必ずや、姫君を奪還してみせることを【獅子宮】の名に誓います」
アレイスターに恭しく礼をするや否や、ラヴァは足早にこの部屋から出る。
――これは戦争。もはや、今までの関係は崩れ去った。
聖戦ならぬ、『静戦』。
たとえ大衆の知らぬ戦いであろうと、これは紛れもなく国と国との衝突。間違いなく余波は起こるだろうし、他国に、民衆に、この戦いを気取られるかもしれない。
しかし、そうさせない為の《黄道十二宮》。
――我らは魔術王に忠誠誓いし十二の徒。
王の望むままに、その魔術を振るおう。
「――――」
王城を後にし、そして訪れるは王国魔導士団の本拠地・【黄道の円卓】。
警備兵に「ご苦労」と言葉を残し、足は円卓の在る部屋へ。しばらくして、その部屋の前に辿り着き、中に入り、
「全員、揃っていますか」
――黄道の円卓に座す同胞へ、言葉を投げる。
部屋の中心、まるで夜空を彷彿とさせる黒曜石を卓とするそれを、同じく黒曜石で造られた十二の椅子が囲んでいる。それぞれの椅子の背には、そこに座る人物が、どの《黄道十二宮》に当たるかを表す紋章が描かれている。
「はッ、遅かったな。ラヴァ」
「待たせてしまって申し訳ありませんね、フェルナンド」
第八席【巨蟹宮】――フェルナンド・アパリシオが、円卓に座し、ラヴァに笑いかける。それにラヴァは軽く返事をする。
「それで、王はなんだって、ラヴァ?」
第五席【天蝎宮】――ユリウス・クロイツェルが、真剣な表情をしながら、ラヴァに向かい、問いかける。他の面子もみな、似たような表情をしていた。
「そうですね……では、会議を始めましょうか」
そして、場の空気が、一変した。
「黄道の円卓に座りし同胞達よ。我らが王の命は下された」
第一席【獅子宮】――ラヴァ・シャサスは厳かに言の葉を紡ぐ。
「アレイスター王は我ら《黄道十二宮》にこう命じられた。
――“我ら十一人を以て、彼の国と相対せよ”と」
円卓に座す十人の顔が引き締まる。
例えば――。
第七席――【天秤宮】であるセレナ・エルヴァスティは無言のまま、ラヴァの言葉を待ち、
第十席――【白羊宮】であるフィリア・クロヴァーラは緊張な面持ちをしたまま、ラヴァの方を見ている。
一通り円卓を見渡したあと、ふと空席である第二席――【人馬宮】の席が視界に入る。
現在、この第二席は空席だ。そこに座るべき人物は、六年前この円卓から離れて以降、誰も座っていない。
代理が用意できないわけではない。いやそもそも、代理など、選べるわけがない。何故ならば、【人馬宮】の【星宝】が、後継を選ばないのだ。
故に空席。裏を返せば、【星宝】がその人物を選び続ける限り、この席が埋まることはない。
だがラヴァは――この席が、再び埋まることを、信じて疑わない。
「王は彼の国に対し水面下での戦いを望まれた。それは大衆を危険に晒すわけにはいかないということであり、残る二国に知られてはならないということでもある。我々は個にして群の威力を持つ者、少数で動くには打ってつけ。故に、王の判断は正しいと言える」
円卓の頂点――部屋に入って、正面に在る自らの席に座り、ラヴァは再び円卓に座る面々を見渡す。
「故にこそ、ここに問いましょう。星に選ばれ、黄道の円卓に座りし今代の十二宮よ。――貴方達の中に、此度の戦――剣帝国との戦に、懼れを抱く者はいるか」
一瞬の静寂。
されどその静寂は、ただ意志を束ねるためだけのモノ。
「「「「――我らに限り、其れは無し」」」」
此処に座すのは、皆が帝級の位階に達し、そして星の宝に選定された魔術師。
「「「――仮令、一つ欠けていようとも」」」
敵は七罪を冠する騎士。ならばこそ、相手にとって不足無し。
「「「――其の星の分まで、我らが輝こう」」」
星、輝ける時来たり。魔術王の威光を此処に示し、勝利を我が主の許へ。
「重畳。では、開戦めましょう」
十一の星が、動き始める。
***
薄暗い部屋の中、僕はそこに備え付けられている寝台の上で膝を立てて座っていた。
窓が開いているのか、時折カーテンが小刻みに揺れ、その際に月明かりがこの部屋に差し込む。
部屋の扉の前に、微かに人の気配を感じる。おそらく、いやきっと、僕が逃げ出さないように監視をしているのだろう。
「――また、知らない天井だ」
目が覚めると、僕はさっきとは違う部屋の寝台に寝かされていた。そのまま部屋の外に出ようと試してみても扉は開かず、それで僕は拘束――そんな大層なモノではないけれど――されているんだなと漠然と理解した。たぶん、ラヴァさんにやられたんだろう。
父さんが隣にいる時点で気付くべきだったのだ。父である以上、父さんは僕の性格をよく理解している。あの話を聞いた以上、僕が無謀なままグランティカに向かうと、あの人はわかっていたのだ。
「……くそッ」
八つ当たりと理解しながらも、僕はベッドを拳で殴る。そこに痛みなど無く、やわらかい反動が返ってくるだけだ。それでより虚しくなり、何をするわけでもなく僕は寝転がる。
時刻は零時近く。もうじき日付が変わろうとしている。
――シアが連れ去られて、すでに二日経っている。
もうこうなってしまっては、シアを追いかけることもできない。僕はおそらく、この騒動が収まるまで、ここから出ることは叶わないだろう。大儀は『医療中のため』といったところか。
「アンジェ……大丈夫かな」
アルサティアに置いてきた妹のことも心配だ。ロートとも話がしたかったのに、結局出来ないまま。リオやエメにも、何も言わず出てきてしまった。学院も欠席になるだろう。
いろいろ――置いてきて、しまった。
そして、大事なモノを取りこぼした。
「――――――」
目を閉じて、振り返る。
あの暖かな日々。たった二週間だけれど、それでも幸せだった日々を。
疎遠だった親友とも分かち合うことができた。好きだった少女とも再会できた。これからは、楽しい日々が待っているはずだったのに。
(――嘘を吐くなよ、シオン・ミルファク)
本当は気付いていたんだろう? この幸福には、終わりが来ると。
約束、そして憧憬の少女、シア・シーベールは王女だった。なら、何らかの形で終わりは来ると、彼女の正体を知ったときから
、解っていたはず。
だけど僕は――それから、眼を逸らした。
『君が守れ』。そう言われたことで図に乗り、何かあっても自分が守ってみせるから、そう考えていた。
「……ちくしょう」
ロートのときと、同じだ。自分の都合のいいように捉えて、考えることを放棄している。
その結果が、コレだ。僕はまた、大事なモノを取りこぼした。
何が『シアを守る』だ。
「ぜんっぜん……守りきれて、ないじゃないか……ッ!」
僕は――何もできない。何もできない自分が、情けなくて、惨めで、悔しい。
授かった力を満足に使うこともできないまま、過去を超えたと強気になって、でも本当に大事な存在を、守ることができなかった。守ってあげないといけなかったのに、守れなかった。
――シアが好きだ、だから守る。
たとえこの気持ちに偽りは無くとも、守れなければ、意味が無い。
「くそッ……ちくしょうッ!!」
そこで初めて、僕は自分が泣いていることに気付いた。ベッドのシーツは僕の涙で濡れ、備え付けの鏡を見れば、ひどい顔になっている。
悔しさが、不甲斐なさが、後悔が――僕の心を、蝕んでいく。
そしてそれは必然的に、僕がいまこの場にいることを余儀なくされている要因へと向けられる。
「【魔封錠】さえなければッ……!」
両手に科せられた忌々しい錠を睨みつける。
【魔封錠】。それは魔術師を拘束する際において使われる魔道具で、魔術を――というより、魔力の流れを抑制する作用を持つ。これのせいで、いまの僕は魔術を使えない。
これさえなければ、この部屋ごと破壊するだけの覚悟はあった。だけど、現実はこの部屋の中に閉じ込められたまま。
『事が済むまでお前はここにいろ』、そう言われているようで。
「――いつまで泣いてんだ、それでもオレの生徒か?」
だから、その声が聞こえたときは、僕の幻聴だって思った。
「ぇ……?」
零時を告げる時計の音が、暗い部屋に鳴り響く。
薄暗い闇の向こう、そこに立つ『誰か』の姿が、眼に入った。いつの間にか窓は開いており、そこからその人物は入ってきたんだなと、頭は勝手に思考する。
「オル、フェ先生……?」
「おう、みんなのオルフェ先生だ」
灰色の髪の魔術師――オルフェ・ウルフェンが、毅然とした態度でそこに立っていた。
「なんで、ここに」
「ンなもん、お前を助けにきたからに決まってんだろ。いや、助けにってのもおかしいか……そうだな」
オルフェ先生の姿は、いつもの講師の服ではなく、魔術師の装い――黒いロングコートを着ていた。
それはつまり、先生はもう講師としての姿でここに立っているわけではないということを意味していて。
「お前の覚悟を、問いに来た」
「あ――――」
深く、胸に突き刺さる言葉。
折れかけていた心を、自責の念で押しつぶされそうだった心を、戻してくれるような言葉。
「総てを捨てる覚悟はあるか。国を敵に回す覚悟はあるか」
――僕の、覚悟。
「心の底から、その娘を救いたいと思う覚悟があるか」
――そんなモノ、
「とっくの昔から、持ってるさ……ッ!」
あの日、シアを守ると誓った日。
それは二度目の誓いであり、最初に誓ったのは、もっと幼い日。
二人で星を見上げたあの日から、僕の心の中には、その覚悟は既に在った。
――シオン・ミルファクという少年は、何に変えてでも、シアという少女を守ると。
理由は常にひとつ。
彼女が、好きだから。それ以上でも、それ以下の理由もない。
昔日の記憶、過去の憧憬。
とある魔術師の少年は、とある少女に恋い焦がれた。たとえその後に空白の期間があったとして、そんなモノは、動かない理由にはならない。覚えていなくても、僕は彼女を想い続けていた。
だからこの想いは――間違いなんかじゃなく、だからこそ、僕が動く、理由になる。
それが、僕を構成する要素で、根幹のひとつ。
そして――――、
「でも先生、僕は、総ては捨てませんよ」
「……へぇ?」
「――僕は、シアを連れ戻して、僕の大好きな人達のいる……あの日常に、帰るんです」
総てを捨てる覚悟はある。けれどもそれは、覚悟なだけであって、本当に捨てる気など毛頭無い。
僕にとって、あの日常は何事にも代えがたいモノで、ロートと決裂してでも、守りたいと、ここに居たいと願ったモノなんだ。だから、捨てるわけにはいかない。
「――だったらオレも力を貸そう。なに、オレのことは気にすんな。辞職届は出してきた」
「えっ……そんな、嘘ですよね、先生。僕なんかのために」
「お前のためだけじゃないさ。――オレも、あの白髪野郎とケリつけねぇといけないからな。……それに、もともと講師は――」
オルフェ先生が最後に何か呟いた気がしたけど、遠すぎてよく聞こえなかった。
「……でも先生、全部終わったらちゃんと再就職してくださいね。僕の日常には、あなたもいないといけないんですから」
「マジ? これを機に転職しようかと思ってたんだが」
「それ、僕じゃなくてリオが怒りますよ……」
こんな風に軽口叩くのも、『教師と生徒』としてではなく、ずっと昔……幼年期、この人と接した時に戻ったかのような感覚がした。
「じゃあオルフェさん。本当は迷惑かけたくないですけど……お願いします」
「はいよ、お願いされた」
コツン、と。互いの拳をぶつけ合う。
いま、この人と僕は、『教師と生徒』ではない。
「――――」
いま一度、決意しよう。
シアは僕が救ける。心が折れるには、まだ早い。
再起の声を上げろ。もう立ち止まらないと、決めたじゃないか。
どんなに高い壁が阻もうと――僕はもう、止まらない。それを乗り越えていく。
「んじゃま、ほれ、着替えろ。さっさと行くぞ」
「行くって――まさか」
「オイオイ、その反応はないぜ。決まってんだろ?」
オルフェさんは、講師のときは絶対に見せなかったような、まるで子供のような顔でニヤリと笑う。
「――グランティカ行って、お前のお姫様を救けるぞ」
***
長い馬車での旅を終え、ジークヴァルトに先導されるがまま、シアはとある建物の廊下を歩いていた。同乗していた他の者達は、シア達よりも先に馬車から降りている。
絢爛豪華な装飾、横幅が広い廊下から察するに、ここは高貴な場所なんだなと直感する。
そう、まるで、王宮のような。
「ねぇジークさん。ここは……」
「着きました。お入りください」
そしていつの間にか、シア達の前には荘厳な両開きの扉が在った。そこの付近に待機していた侍女らしき人物が、ドアを開ける。
「ッ――――」
視界に入るのは、厳かな雰囲気を纏う開けた空間。両横の上部には左右三枚ずつの計六枚のステンドグラスがあり、そこから光がこの空間に注がれている。
中央に敷かれた赤い絨緞と、その先に続く段差の最上段に在る、金の装飾が施された玉座。玉座の上には、十字剣が描かれた旗が掛けられており、隙間風が吹き込んでいるのだろう、旗が小さく揺れている。
「ぁ………」
その玉座の後ろ。
そこに不動に直立するのは、それぞれ異なる武器――【罪宝】を持つ、鎧の上に黒の母衣を纏った六人の騎士達。
一人は金色の剣を持つ、如何にも騎士といった金髪の男。
【傲慢の罪】――レオンハルト・ジークハイル。
一人は身の丈以上の大きさで紫の刃の槍を持つ、淡い水色の髪の無表情な女。
【嫉妬の罪】――オリヴィエ・ブリュンヒルト。
一人は斧のような形状をした剣を持つ、獰猛な瞳の白髪の男。
【暴食の罪】――ギード・イェーガー。
一人は紅の弓を持つ、気怠げな表情をしている鉛色の髪の男。
【怠惰の罪】――テオ・ライネッケ。
一人は黒い鞭、あるいは双截棍のようなモノを持った、橙髪の女。
【強欲の罪】――クラウディア・エーデルシュタイン
一人は刀身が炎のような赤色の短剣を腰に提げている、緑髪の女。
【色欲の罪】――エルザ・メルダース
そしてシアの後ろに居る、黒の剣を持つ、亜麻色の髪の騎士。
【憤怒の罪】――ジークヴァルト・ツォルン。
「っ、ぁ……」
何も聞かずとも直感していた。
この場にいる七人の騎士こそが――、
剣帝国グランティカに存在する全ての騎士の頂点――《七罪騎士》だと。
「――――」
そして、その六人を侍らせ、玉座に座す、一人の男。
燃えるような、されど光に照らされたそれは何処か緋色に見える赤い髪。
見る者を畏怖させる、獣のような金色の双眸。
(この人が――――)
――剣帝国グランティカ皇帝、マルス・グランティカ。
本能的に、恐怖を刻まれる。身体が小さく震え始める。
「皇帝陛下、お連れしました」
「ご苦労だった、ジーク」
ジークヴァルトはマルスに対し膝をつき、恭しく頭を垂れると、
「どうぞ、前へお進み下さい」
と、シアにそう促した。
「――――、」
あまりにも重すぎる空気。一般人なら立っているのもやっと――いや、ともすれば失神しかねない空気が、此処にはあった。
ゆっくりと、足を前に進める。
足が鉄になったかのように、一歩一歩の足取りが遅い。それでも進んでいることには変わりなく、やがてシアは、玉座の前にたどり着いた。
「久しいな、シアよ」
マルスが口を開く。
(久しい……?)
いつか、顔を合わせたことはあっただろうか。あるとすれば、四大国会議のときだが、シアはその会議に出席などしたことないし、ましてやグランティカにも行ったことはない。もちろん、忘れただけでシアが覚えていないという可能性はあるが、これほどまでに異質な雰囲気を放つ人間のことを、忘れるとはあまり思えない。
ならば、シア・シーベールがマルス・グランティカという人物に会ったのは、これが初めてということになる。
だが、この人は「久しい」と言った。ならば、その言葉の真意はいったい何だというのだろうか。
と、そんなことを考えていると、不意にマルスが玉座から立ち上がった。そしてそのまま、段差を降りてきて、シアの前に立つ。
微笑を浮かべ、マルスはシアを見下ろす。その金の双眸には、シアだけが映っている。
「……ぇ?」
視界が、暗くなった。
それが、マルスに抱擁されたせいだということに気付くのに、数秒を要した。
「なん、で。どういうことですか、マルス陛下……?」
「陛下などと、そう堅苦しく呼ぶな、シアよ。いや――」
抱きしめていた身体を離し、再びマルスはシアを正面から見る。
……嫌な予感がした。
これから話される言葉を、聴いてはいけない気がした。
そして、シアという人間を揺るがす、その言葉が、告げられた。
「――我が娘、シンシア・グランティカよ」
***
――斯くして、運命は動き始める。
魔の大国は攫われた姫君を自国へ連れ戻すため、剣の国との戦に臨み、
剣の大国は姫君を攫い、その真意を隠したまま、魔の国との戦に臨む。
そして唯一人、魔術師の少年は、愛した少女を救うために、動き始める。
此れより始まるのは二つの大国における、知られざる戦い――聖戦ならぬ、"静戦"。
大衆は知らず、其を知るのは限られた者のみ。
其は千年続く平穏を揺るがす、歴史を変える戦。
静謐を保ち、此処に――開幕。




