第06話『少年が知る現実』
「まぁ座れよ」と父さんに促され。僕は空いていたソファに座る。フィリアとセレナは先ほど部屋から出ていった。
「父さん、母さん……なんで、こんなところに」
僕と同じ黒髪に黒い瞳で、伸びた髪を後ろで短くひとつに結っている男性。
そしてその隣にいる、長く伸ばされた黒髪に藍色の瞳の女性。
見間違えるはずがない。間違いなく、僕の両親だ。
「おいおい、二年ぶりの再会だってのに挨拶もないのか? うちの息子はいつからこんな不良になった? なぁ、アイリス」
「あなたに似たのよ。ほら、顔なんて若いころのあなたにそっくりじゃない。学生時代を思い出すわぁ」
にこにこと笑う母さん。相変わらず、能天気な人だ。
「俺達がここに居る理由、だったな。そりゃ簡単なことさ。お前がぶっ倒れたことと……あとはまぁ、言わなくてもわかるよな」
「――うん」
十年前、僕の中にあるシアに関する記憶を、記憶操作によって曖昧にさせたのは母さんだと、僕はシアから聞いている。それも関係して、この場にいるのだろう。そうでなくとも、父さんは元・王国魔導士団長。何かしら理由があって呼ばれていてもおかしくはない。
僕の両親も、シアと無関係ではないのだ。
「グレンさん、アイリスさん。シオン君が困ってるでしょう。いい加減話を始めませんか」
「おっと、そうだったな。と、その前に……シオン」
「? なに、父さん?」
「魔術、使えるようになったんだってな」
「――――ッ」
オルフェ先生の方を見る。先生は少しバツの悪い表情をしながら「すまん、オレが教えた」といった。
「遅かれ早かれ知ることだったんだ、誰の口から言われようといいだろう?」
「そりゃまぁ、別に、そうだけど……」
「ま、とにかく……おめでとう、よく頑張ったな」
ポン、と頭に手を乗せられる。
「ぁ…………」
――いろんな感情が、駆け巡った。
ロートのこと、空っぽだった日々のこと、逃げ出した日のこと、立ち止まった記憶のこと。
小さい頃から、父さんは僕の憧れだった。
この人みたいになりたいと思った。シーベール中に最強と謳われた父のような魔術師になりたいと願った。
その閃光に、その憧れた姿に、手を伸ばし続けた。
でも僕は、欠陥を持ってしまった。大魔術師の父と違い、欠陥の魔術師となってしまった。
だから僕は立ち止まった。自分勝手に諦めて、一度は命を投げ打とうとした。
けど、そんな僕の背中を押してくれた親友がいた。だから僕は進めた。
そしていま、憧れだった父親に「頑張った」と認めてもらった。
それは、この上なく嬉しいことで、僕の今までが、報われた瞬間だった。
「――……ありがとう」
嬉しくて、涙が出そうだった。
(―――――けど、)
忘れるな、僕が進めたのは、僕一人の力じゃない。
原初の魔術師、ゼノ・アルフェラッツ。あの人の力があったから、僕はいま、ここにいる。あの人がくれた力を使いこなさない限り、僕はまだ完全に進めたとは言えない。
僕はまだ、道の途中にいるんだ。
「――――、よし」
気持ちを切り替える。
いまは感傷に浸っている場合じゃない。いま考えるべきは、シアのことだ。
「話してくれるんでしょ、父さん、ラヴァさん。僕が、知りたいことを」
「ああ、お前には知る権利があるからな」
そして、父さんは、ラヴァさんに目配りし、それにラヴァさんが軽く頷いたのを確認すると、口を開いた。
***
「――まず、お前とオルフェ君が接触した相手のことだが」
「……ギード・イェーガー。グランティカ帝国の騎士だって、あいつは名乗ってた」
斧剣を携えた白髪の剣士の姿を思い出す。獰猛で好戦的な表情、纏っている異質な雰囲気。そしてオルフェ先生をも凌ぐ技量の持ち主。端的に言って、強者だ。
「ギード・イェーガー、彼はグランティカの帝国騎士団の人間で、《七罪騎士》と呼ばれる者です」
ラヴァさんが補足するように説明する。
「その《七罪騎士》っていうのは……?」
「私たちでいう《黄道十二聖宮》のことです。彼らの詳細は私たちにも解ってはいませんが、唯一解っているのが、彼らはそれぞれ【罪宝】と呼ばれる武器を所持していることです。シオン君も見たでしょう、ギードの持っていたあの斧剣を」
「あ――アレが、【罪宝】」
「ええ、そうです。まぁ、【罪宝】の詳細も解ってはいないのですが……」
ギードが持っていた《斧剣ギデオン》という銘を持つ剣を思い返す。
斧剣の破壊力は凄まじかった。あれだけで都市ひとつは落とせそうなくらい。そんな人間と対峙していたかと思うと、少しだけゾッとする。生き延びれたのはほぼ奇跡に近いと、今更ながら感じてしまった。
「今回、ラヴァの目的はギードの捕縛にあった。まさか、お前たちがいるとは思ってなかったがな」
「う……」
「ですがまぁ、彼の目的はシオン君でしたから、アルサティアで戦闘を起こすよりよっぽど良かったですよ」
「僕が――目的?」
ギードも言っていたが、そこがいまいちよく解らない。
なぜ僕が目的なんだ?
「ここで、話は事の発端に戻ります」
ひとつ、ラヴァさんが咳払いをする。
「彼ら――グランティカの最大目的はシア様を連れ去ること、これだけです。君は、シア様の近くにいたから、危険で邪魔な存在と判断されたのでしょう。だから、狙われた」
「……は?」
シアを連れ去ることが、グランティカの目的、だって?
「ちょ、ちょっと待ってください! それは――」
「相互武力行使不可条約に反している、と。そう言いたいんだろう、シオン?」
言いかけた僕の言葉を、父さんが継ぐ。
「……そうだよ。四大国は互いに武力を行使してはいけない。四大国同士が同盟を結んでいる以上、それは守らないといけない条約だ。なのに、シアを連れ去るって、どう考えてもおかしいよ!」
そう。この大陸にある四つの国は条約を結び、そして同盟を結んでいる。だから国の特産品が容易く輸出入できるのだし、戦争も千年前から起きていない。そもそも、『統一戦争』を起こさないために結んだのが『相互武力行使不可条約』なのであり、国家間の同盟だ。同盟を結んでいる以上、シアを連れ去ることなんて言語道断、道理にあっていない。
「――そもそも、同盟なんてモノが、この四つの国にあるのでしょうか」
「……え?」
「四大国に同盟など無く、そしてグランティカが条約を反故にしたとしたら、どうしますか、シオン君」
「――――」
なにを言っているのか、よく解らなかった。
「いや、だって……貿易だって、してるし。そもそも条約が、」
「たとえ同盟など結んでいなくとも、貿易はするでしょう。何せ、この大陸は四つの国しかない。条約によって戦争が起きなくなった以上、協力しあうのは当然だった。――そう、むしろそれしかなかったのです」
ラヴァさんは眼を細め、息を吐く。まるで、このことに気付かなかった自分を責めるかのように。
「相互武力不可条約が結ばれたのは大戦後……つまり千年以上前の出来事。そして確固たる事実として、そのとき結ばれたのは条約だけ。……つまるところ、私達は実に千年以上、条約があるから、四大国が同盟を結んでいると錯覚し続けていたんですよ」
「―――――ぁ」
――その事実を告げるラヴァさんの声は、鉛のように重く、僕の中にある常識を破壊した。
「グランティカはそのことにいち早く気付いた。それに加え、彼らは戦争国家です。条約を結んだのは千年前。別に同盟を結んでいない以上、彼らにとって条約はもはや機能していない。――いえ、たとえそうでなくとも、遅かれ早かれ、彼らは反旗を翻すつもりだったでしょう」
「ラヴァの言う通りだ。グランティカは条約による抑圧を最も受けていた。この国は表面上は普通の国家を装っていても、その実軍事力を最も蓄えていた。俺が団長をやっていたときから、それは確認されていた。結局、遅いか早いかの問題だったというわけさ」
「戦争をしたいわけではないと信じたいですが、それでもこうなった以上、シーベールとグランティカの衝突は避けられない。そしてその戦火はやがて大陸中に及ぶ」
「ともすれば、ほかの二国もすでに気づいているかもしれませんね」とラヴァさんと父さんは冷静に、淡々と、現状を告げる。
「で、でもッ……!」
でも僕は、納得できないことがあった。
「それが、グランティカがシアを連れ去る理由にはなってないよ……!」
そう、仮にグランティカが相互武力行使不可条約を反故にしたとして、戦争あるいは衝突を起こしたいとする。
けどそれならば、正面を切って宣戦布告をすればいいだけなのだ。なにも、王女を連れ去るような回りくどいことなんてしなくていい。それこそ、無駄な行為だ。
「……そこが、今回一番不可解なところなのです。グランティカが、なぜシア様を連れ去ったのか……そこがわからないから、我々も迂闊に手を出せない」
「――――――ッ」
その言葉を聞いて、僕は愕然とする。同時に、奥歯を強く噛む。
「……もともと、以前からグランティカに動きはありました。そんな中、シア様が王城から逃げ出したときは血眼になって彼女を探しました。こんな状況下で、シア様がもし捕らわれたとしたら――それこそ、言わなくてもわかるでしょう」
「………、はい」
王女が他国に捕らわれる。それは国家間における外交のカードとして、この上なく機能するものだ。
「あのとき、アルサティアで君と出逢った際、シア様をお任せしたのは、彼女自身君を指針としていたことと、グレンさんにそう指示されたからです」
「父さんが……?」
「ああ。シアが逃げ出したとして、向かう先と言ったらお前のとこしかなかったからな。下手に連れ戻すよりお前とアンジェのとこに居たほうがいいかと思ったんだ」
「――――――そっ、か」
あのとき、ラヴァさんが撤退したことと、『守れ』と言った理由がこれでわかった。
けど、現にシアは捕まってしまった。王国側も、グランティカの真意をわかっていない。そんな状況下で手を出したとしたら、こちらが加害者になってしまう。
端的に言って、状況は最悪。
「――――――」
焦りと不安が、僕の心を蝕んでいく。
……わかっている。たとえ元王国魔導士団長の息子と言えど、僕はただの学生に過ぎない。ただの学生が、国家間の諍いに手を出すなど無意味でしかないし、何より邪魔でしかない。
けれども。
(僕は――何もしないままじゃ、いやだ)
もう立ち止まらないと決めた。シアを守ると誓った。
いいや違う、もっと単純で明確な理由があるじゃないか。
――シアが好きだ。だから守る、これでいい。
「……以上が、現状になります。すみませんシオン君。君が知りたいことを話せなくて」
「いえ……だいじょうぶ、です」
心をしっかり保つ。決意を確かに、返事をする。
……時間はない。一刻も早くソニアベルクから出てグランティカに向かわなければならない。一国を相手に一人で挑むなんて、無謀としか言いようがない。きっと彼らは――ラヴァさん達は、僕に手を貸してくれないだろう。そもそも、貸す理由も義理もない。なら、僕の行動を気取られる前にさっさとこの国から出てシアを助けに向かうしかない。
「……ラヴァ」
「……はい、わかってます。ではシオン君、申し訳ありませんが――」
そんな僕の様子を見て、ラヴァさんは何を思ったのか、ソファから立ち上がり、僕の目の前まで来ると、
「君を、拘束します」
「―――ぇ?」
首筋に電気が走る感覚。ブラックアウトする視界。
――意識が、暗転した。




