第02話『日常』
魔術大国シーベール。エリムベルム大陸の東にある、魔の国。エリムベルム大陸にある四つの大国の中でも、唯一魔術が盛んな国だ。
シーベールの中心である王都のすぐ近くの都市、【アルサティア】に、僕らが通う【シーベール国立魔術学院】が存在する。
アルサティアは、シーベールに存在する魔術学究都市の中でも、最も規模が大きい都市だ。国内最大の魔術の学び舎であるシーベール国立魔術学院があることから――また王都ソニアベルクに近いこともあり――国中から人がやってきて、街の賑わいが絶えることはない。
「兄さん、今日のお昼はいかがなされますか?」
「うーん……。リオと学食でも行こうかな。アンジェは?」
「わたしも学食に行こうかと考えていたので、宜しければご一緒してもよろしいでしょうか?」
「もちろん。リオには僕から言っておくよ」
だが、そんな賑わいを見せる街も、こんなに朝早くだと静まり返っている。
見慣れた通学路を、アンジェと二人並んで歩く。時刻は七時二十五分。予鈴が鳴るのは八時五分だ。まだ余裕はある。周りに自分たち以外の学院の生徒はおらず、朝早くから商店の準備をしている人たちがいるくらいで、それ以外は閑散としている。
「少し早く出すぎちゃったかな……」
「そうですね。でも、物は考えようですよ。誰もいない道を歩くのって、なんだか凄く独占的じゃないですか」
「まあ、確かに。こんな広い道を僕らだけが通ってると、そんな気持ちにもなるけど……こんなこと言ってると、誰か来たりするんだよなぁ……って」
――――後方から気配察知。凄いスピードで何かが近づいてくる。
「アンジェ。道の脇に避けといて」
「……! はい。了解しました」
はぁ、と溜め息を吐きながら、アンジェは僕の指示通り道の脇に移動する。無論、あの溜め息は僕に向けられたものではない。あれは、今から来る人物に向けてのものだ。
鞄を地面に置き、後方に振り返って学院で習った護身術をアレンジした、自己流の護身術の構えを取る。
「せんぱああああああああああい!! おはようございまあああああす!!」
「――――フッ!」
「へぶしっ!?」
そしてそれを、後方からやって来た人物の脳天に叩き込んだ。
「うぅ~~。痛いですよお、せんぱぁい」
「君が毎回毎回僕を見つける度に突撃してくるのがいけないんだ。これに懲りたら、いい加減突撃してくるのをやめてくれないかな、エメ」
「そんな! これはボクと先輩の大事なスキンシップじゃないですか! これが無くなったらボクは一体どうやって先輩と接すればいいんですか!?」
「いや、普通に話しかけてくれて構わないんだけど」
朝から無駄にテンションが高く、そして僕に出会う度にタックルをぶちかましてくるこの人物の名は、エメ。僕のひとつ下の学年で、アンジェと同い年だ。
一体何処からあんな力が出せるのかと思うくらい、スラッとした華奢な体つき。髪はミディアムの青髪。肌は透き通った白で、さながら上質なシルクのようだ。最も特徴的なのは、その大きな、美しく綺麗な翡翠の双眸だろう。
男女問わず美しいと称されるエメだが、しかし。
「あと、いつまで女子生徒用の制服着てるのさ。いい加減男子用を着なよ」
「いやですっ! これを失ったら、ボクは女の子じゃなくなっちゃう!」
「だから、君の趣味を変えろとは言わないけど、せめて学校の時くらい制服でいなよって、僕はずっと言っているんだけど」
エメ――本名エメリド・バラデュールは、れっきとした男の子である。
一見、女の子にしか見えない彼だが、戸籍上性別はきちんと男である。しかし、その女性顔負けの美しい容姿故に、騙される人の数は後を絶えない。(かくいう僕も、初対面の時は思いっきり騙された)
「なんですかあ、先輩。人のことジロジロ見て。まさか先輩、ボクのこと……」
「それは断じてないし、そもそも僕は男に興味なんかない」
女の子よりも仕草が上手であざとさが滲み出てるって、一体どうなんだろうか?
「またまたぁ。照れちゃって」
「………はぁ。エメ、そこまでにしておきなさい。兄さんも困ってるでしょう」
と、このままだと終わりが見えないと判断したのか、アンジェが会話に割って入ってきた。
「やっ、アンジェちゃんおはよー」
「おはようございます、エメ。今日もまた一段と騒がしいですね」
「いやあ、照れるなぁ」
「褒めてません」
飄々とした性格なのか、はたまた気分屋なのか。掴みどころのないエメの性格は僕ら兄妹にとても合っていたのか、出会ってから一年、ずっとこんなやり取りを続けている。アンジェも、気が許せる数少ない友人のようで、兄としてもこの事は嬉しい。
「それにしてもエメ、今日は珍しく早いですね。いつもなら遅刻ぎりぎりに来るでしょうに」
「そうそう、ちょっと早く目が覚めちゃってさ。たまにはいっかって思いながら家を出てきたんだけど、朝から二人に会うなんて。いやぁ良い事あるね!」
「僕からしてみればはた迷惑なんだけどね」
こんな他愛もない会話も日常のひとつ。僕らは三人並んで、学院への歩みを進める。
(それにしても……、今朝見た夢、久々に見たな)
思い返すことは今朝見た夢のこと。静かに、首にかけたロケット型のペンダントを眺める。
このペンダントに入っているのは、幼い頃の僕と、深い蒼穹の双眸の少女――約束の少女――が並んで立っている写真だ。僕自身、彼女のことはもうよく覚えてないけど、あの時交わした約束は大事なことだったということは覚えている。
(でも、なんだろうなぁ。思い出せないんじゃなくて、覚えているのに記憶が靄にかかっているというか、なんか不自然な感じがするんだよなぁ……)
「兄さん? どうしたんですか、急に黙り込んで」
「え、ああゴメン。ちょっと考え事」
「そうですか。考え事をするのは構いませんが、ちゃんと周囲に注意は払ってくださいね。兄さんらしくもない」
「え? ……あ」
アンジェにそう言われて周りを見渡す。既にそこはもう見慣れた場所だった。どうやら考え事をしている内に学院へ着いてしまっていたらしい。
アンジェに一言礼を言う。やっぱり、この妹は僕には出来すぎたくらいだ。
そうして学院の門――僕らの学び舎へ、僕は今日も足を踏み入れた。
***
シーベール国立魔術学院。シーベール国内において最大規模の魔術学院であり、魔術師育成機関でもある。数ある魔術学院の中でも、最も歴史が古いことで有名なこの学院は、歴史を辿れば創立は今から約七百年ほど前に遡るという。
さて、そんな由緒ある魔術学院な訳だから、当然入学条件は厳しい……かと言うと、実はそうでもない。
この学院への入学条件は大きく分けて三つ。一つは当然、筆記・技能試験をもとに合否を下す一般選抜。もう一つは国内における地方――王都ソニアベルクより直径三十万キロメートル以上離れた地域――を治める、地方長官による地方推薦。そして最後が、この学院の卒業生、あるいは在籍している人物――教師や在校生――が推薦する、特別推薦だ。
僕はこの三つのうち、最後――つまり、特別推薦枠を貰ってこの学院に入学した。(ちなみにアンジェは普通に一般選抜だ)
なぜ、地方推薦枠と特別推薦枠があるのかというと、単純に魔術師の原石発掘のためだ。
シーベールはエリムベルム大陸に存在する四つの国の中で、二番目に国土が広い。つまり、王都周辺こそ過密で人が溢れるが、それ以外の地域は過疎現象になりやすいため、入学してくる者は王都周辺の魔術師だけで、地方の魔術師、あるいは魔術師の原石が才能を開花させないままになってしまうということだ。これを防ぐために、地方推薦枠と特別推薦枠が設けられたのだ。特別推薦は王都周辺地域でも適用されるが、優先されるのはあくまで地方だ。
地方官の審査を通ったのならそれは信用できるし、学院関係者の推薦も信頼に値するから、学院側としても都合がいいのだろう。尤も、そうして推薦された者でも、学院の審査は受ける事になるが。
そういう訳で、僕は去年、この学院の卒業生である両親の推薦を受けて、この学院へ入学してきたというわけだ。
つまり、何が言いたいかと言うと。
地方推薦枠や特別推薦枠で入学してきた生徒は、一般選抜で入学してきた生徒に嫌われる……というより、一線置かれるのだ。と言っても、露骨なまでに嫌われるのではなく、接し方が違うというか。無論、ペアを組んで行う授業の時はきちんと組むし、授業中会話が発生するときはちゃんと会話する。一般選抜じゃない方法で入学する生徒は、能力が水準以下に達してなければいけないから、別段能力について蔑んだりとかはしていないのだが。
――――それはあくまで、普通だったらの話だ。
自然と、右の掌を見つめる。今朝使った魔術の反応はもう消えているが、微かに魔力の残り滓が感じられる。
――――そして、あの時感じた痛みも。
「……おはよう」
教室に入るときに一応声を掛けるが、返事はない。まだこんな早い時間なのだから当たり前だ。僕としても、そちらの方がありがたい。
「おっ。おはようシオン」
……と思っていたのだが、どうやら先客がいたようだ。しかも、僕が全く予想していなかった人物。
「やあ、おはようリオ。珍しいね、君がこんなに早いなんて」
「いや、単に兄貴に用があったからな。家で済まそうと思ってたんだが、起きたらもういなくてな。仕方なく学院に来たってわけよ。おかげで眠いぜ……」
「はは。たまにはいいじゃないか、そんな日があっても」
今朝のエメといい、どうやら今日の僕の友人たちは目覚めが早いようだ。
この人物の名はリオ・ウルフェン。僕の幼馴染であり、親友にして、悪友でもある。
「そういうお前も、今日は結構早いな」
「うん。ちょっと早く出すぎちゃってね。おかげで朝から散々だったよ」
「あー……。なんか察したわ」
「それ以上聞かないでくれるとありがたい」
どうやらリオは僕が朝からエメに絡まれたことを察したらしい。こういうところは長年培ってきた絆ゆえだろうか。
教室には僕とリオしかいないようで、そのことに少し安堵しつつも、すぐに我に返る。
(……なんだって僕は他人の目なんか気にしてるんだ。今まではそんなこと気にしてなかっただろ……)
入学してから二年。それまで他人の眼など気にせず、ただひたすら自分だけを磨き上げてきた。
――――なのに、今更そんなことを気にし始めるなんて。
「……シオン? どうした、ぼーっとして」
「え? ……ああ。うん、ゴメン。ちょっと、ね」
「? ならいいけどよ」
よほど様子が変だったのか、今日で二度目になる指摘を受ける。「なんでもないんだ」と言いながら、自分の机に移動しつつ、今日の一限目を確認する。今日の一限は魔術理論だ。
一限目の準備を終える頃には、他のクラスメイトも教室に入ってくる。その際、僕に「おはよう」と言ってくる人もいるが、それは数えるほどだ(誤解を招かないように言っておくが、僕は決して友達がいないわけではない。リオやエメもいるし、このクラスにも友達はいる)
特にすることもないので、机に座って家から持ってきた本を読む。数十ページ読み終える頃には、予鈴が鳴り始めていた。
読んでいた本を閉じて、机の中にしまい、顔を上げる。すると、ちょうど教室に入ってきた、緑髪赤眼の生徒と目があった。
「あ…………」
「―――――」
距離が離れているから当たり前だが、彼と僕の間に会話は発生しない。否、仮に距離が近くても、会話は発生しなかっただろう。緑髪の生徒は僕から視線を逸らすと、すぐさま自身の机に向かっていった。
彼に話しかけようとするも、それを実行する間もなく、担任が教室に入ってくる。仕方なく、僕はそのまま席に着いた。
「おーい、さっさと席付けー。出欠取るぞー」
担任のオルフェ先生が、相変わらずやる気の感じられない声で僕らに呼びけかる。この人は朝がめっぽう弱いのだ。そのくせ、仕事が溜まってるからと、朝は早く来るから矛盾だらけの行動である。
オルフェ先生の呼びかけで、他の生徒たちも席に着き始める。短時間のホームルームの中で恒例である出欠が取られると、今度は先生から次の授業の連絡等があり、ショートホームルームはつつがなく終わった。
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