幕 間『囚われの姫君』
――身体が、揺れ動いている感覚がした。
「っ……」
その感覚で、シア・シーベールの意識が覚醒する。
ゆっくり、瞼を開ける。入ってきた光が眩しくて、つい眼を細めてしまう。
だが、ずっとそうしているわけにもいかない。眼が光に慣れ、自分がどこにいるのかを把握する。
「ここ、は……」
周りを見渡せば、そこは何やら積荷――鎧、だろうか。とにかくそれが置いてあり、ガタガタと自分が居る場所が揺れるたび、その鎧もまた揺れている。車輪が地を転がる音が、微かに聴こえた。
つまるところこの場所とは――馬車、だった。
そしてシアは、その端にある、寝台と思わしき場所に寝かされていた。寝台、といっても本当に質素なもので、けれども実際に馬車に乗ったことのあるシアにとって、この寝台は一般のそれと比べたら格段に上だということにすぐ気付いた。
「ここは……どこ、なの」
「お目覚めになりましたか、シア様」
「――――ッ!!」
突然、気配もなく、人の声が聴こえた。
視線を、声が聴こえた方へ。すると、そこには一人の男が立っていた。
まだ二十代後半といった、年若い青年だった。穏やかな亜麻色の髪。けれど、その凍えるような蒼い眼が、穏やかさを失わせている。
そして、その身に纏うは黒の軍服。胸元にはとある国――剣帝国グランティカを象徴する、十字剣の紋章が存在を主張するようにあしらわれている。背中には真っ黒な剣が掛けられており、紅い宝石を施された柄だけが顔を覗かせていた。
「あなたは……」
「グランティカ帝国騎士団団長にして《七罪騎士》が一人、『憤怒の罪』ジークヴァルト・ツォルン。お初にお目にかかります、シア王女」
恭しく、頭を垂れる亜麻色の髪の男性。
「――グラン、ティカ……ッ!?」
その名乗りを聴いて、シアは驚愕する。
ジークヴァルト・ツォルン。
グランティカ帝国騎士団の団長であるその人物は、シーベールの王族であるシアにとって決して知らない名前ではない。もっとも、実際に会うのはこれが初めてだが。
魔術大国シーベールと剣帝国グランティカは隣国ではあるが、お世辞にも友好的であるとは言えない。仮に、相互武力行使不可条約が無ければ、グランティカは真っ先に隣国であるこの国へ攻め入っているだろう、という予測が立ってしまうくらい。
もっとも――剣と魔術における戦いではどうなるか解らない、が。
もちろん、現在ではグランティカも、産業がそれなりに栄えているとは言え、その他三国と比べると劣る。相互武力行使不可条約による抑制は、四大国の中ではこの国が最も影響を受けているだろう。
だが、グランティカも『国』という群体である以上、他国を無視した行動はできない。自国に、自らの過失で不利益を被るなど、国としてあってはいけないことだからだ。
だからこそ、何故、という気持ちが先立った。
困惑と疑問が脳内を埋め尽くす。
――どうして。
どうして、グランティカの人間がここにいる?
「えっと……その、ジークヴァルトさん」
「ジーク、とお呼びください。フルネームで呼ぶには、些か長いでしょうから」
「あ……はい。その、ジークさん。ここはどこですか? なんでは私はこんなところに?」
シアの最後の記憶は、何者かに狙撃され、気を失ったというところだ。そこから自分がどうなったのか、シアには解っていない。だが、こうして目の前にグランティカの人間がいるということは、それはつまり、彼の国が関わっているということに他ならない。
「それは教えられない。ですが、ご安心を。すぐにわかります」
しかし、シアの問いにジークヴァルトは何も答えない。
「っ――ふざけないでください、ジークさん。あなた、自分が何やってるかわかってるんですか? 私はシーベール王国第一王女、シア・シーベール。あなたもグランティカ帝国の騎士団長であるというのなら、相互武力行使不可条約のことくらいわかるでしょう? 王族である私に対してのこの行動。これは、立派な違反です」
……そう言ってはみるが、きっと眼の前の男は、それも承知の上でこの行動を起こしているのだろう、ということが、シアには漠然とわかった。
否――そうでなければ、そもそもこんな行動など、しないからだ。
この一連の流れの裏に何があるのか、目的はなんなのか、訊いたところで教えてはくれまい。だがそれでも、問いかける必要があった。
「これは、我々騎士団の意志ではなく、皇帝陛下――マルス・グランティカ皇帝陛下の御意志。ゆえに陛下の剣である騎士団は、命令に従わなくてはならないのです」
「えっ……!?」
マルス・グランティカ、という名を聞いて、シアは今度こそ言葉を失う。
(グランティカの皇帝が、私を捕まえに――?)
自分とグランティカに接点はない。強いて言うのなら、王女という身分くらいだ。
――そして、幼いころに抱いた、幻想。
ふと脳裏を過ぎった言葉に頭を振って思考の隅に追いやる。
いま、それは、関係のないことなのだから。
「――ッ」
「魔術を使おうとしたところで無駄ですよ。貴女の器量では私には勝てない。そも、勝負にすらならない」
魔力を練ろうとしたところで、声を投げられる。それにより、シアは行動を中断せざるを得なくなる。
「シア様、いまは何も言わず我々について来てほしい。貴女が知りたいこと、そして知るべきことは、この先にあるのだから」
亜麻髪の男はその双眸でシアを捉えながら、そう言う。
「――――――っ」
その言葉に、シアは何も言えない。
自分は囚われの身であるのだし、ここで抵抗したところで何の意味も為さない。幸い、彼らがシアに危害を加えるつもりは一切ないとわかっている。ならば、ここは大人しく従うのが得策だろう。
けど、せめてもの抵抗の意志として、返事はしない。終始、無言を貫く。
「――団長、もうすぐ国境周辺ですわ」
突如、前方から透き通るような声が聴こえた。
ジークヴァルトと同じく、黒い軍服に身を包み、腰まで伸びた淡い水色の髪の女性が、御者席の方から現れる。
ひどく美しい女性だった。同性の自分から見ても、そう感じるくらい。
容姿端麗。多くの女性が求めるであろうその言葉は、彼女が身を以て体現していた。何の変哲のない黒の服も、彼女が着ればそれだけで、さも一級品の衣装のような雰囲気を醸し出している。
「―――――――、」
彼女の紫紺の瞳がシアを映す。その視線に、シアは何とも形容しがたい感情を覚える。
淡い紫紺の双眸から送られる、凄艶な視線。その奥にある、深く、そして熱い『何か』が、垣間見えたような気がした。
覚えた感情は、恐怖ではない。恐怖とはあくまで自己から生まれ出でるモノ。彼女の視線から感じるのは、そんなモノではない。
これはもっと、心に纏わり付くような、そんなモノ。
他から己に送られる、明確な、敵意のようなモノ。
だが、それも一瞬のことで、瞬きした次の瞬間には、彼女はシアに対し、然して興味もないというように、視線をジークヴァルトの方へ移す。
「ああ、そうだな――、もうすぐ日が落ちる。国境に差し掛かかる辺りで野営としよう。オリヴィエ、済まないが諸君らはその準備をしてくれないだろうか?」
「了解ですわ、団長。それと、ギードから連絡がありました。作戦は失敗。撤退を余儀なくされ、現在こちらへ帰還中。詳細は帰還後話すとのことです」
「解った。ギードを待つという意味でも野営をしよう。……なに、向こう側も対応し始めるまでまだ時間はある」
「さく、せん……?」
何だそれは、自分を捕まえることが作戦ではないのか?
「――貴女様を慕っている少年の殺害ですよ、シア様」
そうシアが訝しんでいると、そのシアの気配を察したのか、ジークヴァルトはシアに向き直り、彼女の疑問を解消する。
「ッ――!!」
まさか、それは、
「シオン、くん……?」
「はい、その少年のことです」
「なんで、シオンくんは関係ないでしょ!? どうして、彼が巻き込まれないといけないわけ!?」
「簡潔に言うと、貴女に近づいたからですよ。彼は、危険で邪魔だ。ここで排除しておく必要がある」
「あなたが……命じたの」
「そうですが、なにか」
冷たい眼でジークヴァルトは言葉を放つ。その声も、酷く冷徹だ。
「作戦は失敗とのことですから、彼はまだ生きていますよ。――まだ、ですが。シオン・ミルファクは確実に殺します」
「なん、で……そんな、ことを。やめてよ、ねぇ、お願い……」
「――知りたければ、そうして欲しくなければ。付いて来くるしか、貴女には用意されていないのですよ、シア・シーベール王女殿下」
ジークヴァルトはそう言うと、シアから背を向け、この場から立ち去る。気付けば、先ほどの女性も居なくなっていた。
静寂が訪れる。ここに居るのはシアただ独り。
「…………、っ」
最近感じていなかった孤独が、シアの心を蝕む。
(――シオン、くん)
その孤独を埋めるかのように、
心の中で想うのは、年下の少年のこと。
(――ごめんね、ご飯、つくってあげれなくて)
君はきっと、自分自身と戦って、自分自身に勝って、自分の過去を超える。
だって君は、強いから。
でも、私は弱い。
そして――ごめんね。
私のせいで、君を巻き込んじゃって。
謝りたい、謝りたいけど。
もう、君と私は、きっと会えない。
また離れ離れだ。
(ああ――せめて、)
――君と、ちゃんと話がしたかった。
シアの頬を、彼女の涙が伝っていったことに、シアは最後まで気付かなかった。




