第02話『レインⅡ ――戦闘開始』
「がッ――!」
雨に濡れ、ぬかるんだ土にシオンは頭から突っ込む。
口の中には、少しだけ泥の味がする。
「――――ッ」
それを吐き出しながら、ゆっくり立ち上がる。
――一瞬のことだった。何が起きたのか、把握できないくらいの。
「オラオラへばってんじゃねぇぞ――ッ!?」
男の声が聞こえる。即座に、その声の方向を向いたがしかし、そこに男の姿はない。
「な、」
「どこ向いてんだ。オレはこっちだ」
また別の方向から男の声が聞こえる。今度は、背後。
「ふっ――!」
身体をひねらせ、今度はぎりぎりの位置で躱す。
体勢を立て直す。そしてそのまま、間を置かずに魔術を創る。
「――《照らせ、澱んだ闇を・我は光を与えしもの・其の輝きを、今此処に》」
詠唱によるイメージを構築。イメージを与えられた魔力が魔術回路を通り、魔核へと流れ込む。そこに痛みは――無い。
「――――【閃光】ッ!!」
光属性初級魔術【閃光】。これは、俗に言う《攻撃魔術》ではなく《阻害魔術》と呼ばれる類のものだ。
視界を遮るものや、聴覚を鈍らせるもの――つまり五感を阻害する魔術が《阻害魔術》と呼ばれる。もっとも、【閃光】に限って言えば、汎用性が高い――例えば暗闇の中で使えば光源になる――ことから一概には《阻害魔術》とは言えないが。
現在の天候は大雨に加え曇天。当然、視界は暗い。
ならば、この暗さに慣れてしまっている相手の視界に眩いほどの光を浴びさせ、相手の視界を――無論、効果はそこまでではないだろうが――奪う。
「ッ!?」
閃光が煌く。その閃光にあてられた男は、それまでの動きを中断し、たたらを踏む。それを確認すると同時に、シオンも動く。
現在のシオンのコンディションは先の模擬魔術戦のせいで十全とは言えない。シオンの総魔力量を一〇〇とすると、現在の魔力量は――模擬魔術戦で限界まで魔力を使ったが、魔導館を出る前に『魔力回復薬』を飲んだことで――三十といったところだ。
つまり、余り大きな魔術は使えないし、もちろん連発も出来ない。
だから、
「――、先生ッ!!」
「ああ――任せろ」
シオンではない人物――彼よりも遥かに強い魔術師、オルフェ・ウルフェンに攻撃を任せる。
「行くぜクソ野郎……よくもオレの生徒をぶっ飛ばしてくれたな」
オルフェはそう呟くと、詠唱を紡ぐ。
「《炎よ集え・その身を焦がし、そして燃やし、形を為せ・猛る灼熱よ、気高き炎龍よ・全てを焼き尽くし、喰らいつくせ》――」
魔力が炎を帯び、それが眼に見え始める。カタチを創り始めたそれは、この世界に確固たる魔術として、顕現しようとしている。
「容赦はしねぇ、先に殺ろうとしたのは、そっちだからな。――燃えろ」
そして、その魔術名が、紡がれる。
「【豪炎龍】ッ!!」
顕現する炎の龍。それは男を喰らい尽くさんとする。
炎属性高等魔術【豪炎龍】。炎龍の名を冠するその魔術は、統一戦争時、必殺を前提につくられた【軍用魔術】。それゆえにこの魔術は『高等魔術』にカテゴライズされている。
【軍用魔術】を習得していいのは【王級魔術師】からと制限されているのも、それらの魔術があまりに危険すぎるからだ。
冷静に考えれば、それを個人に――たったひとりの人間に放とうなど愚の骨頂、過剰殺戮にも程があると、周りの人間は思うだろう。事実、オルフェの後ろでその様子を見ていたシオンは驚愕と共に何故、と感じていた。
だが、当事者であるオルフェは第六感――本能とも言えるその感覚で、眼の前の男に対し第三者が過剰殺戮と感じる魔術を行使した。
そして同時に、この男はこれでは斃せないと、確信していた。
「なッ――」
シオンの驚愕の声。
それも当然だろう、何せ、炎龍に呑まれたと思われた男は、逆に炎龍を消し去っていたのだから。
原理はわからない。しかし、事実として眼の前の男は【豪炎龍】を消し去った。
「はァ――いいねぇ。眼は良かったが、そこのガキにゃ少し期待外れだわ。ま、もともと消耗してる奴をいたぶっても面白くねぇしな。だけどよォ……んだよ、おめぇ全然やれんじゃねぇか」
まるで玩具を見つけた子供のように発せられる男の声。
「けど甘ェなぁ? やるんだったら、本気で殺すつもりで来ねェと」
「ッ――オレが、本気じゃないだと? ハッ、いったい何故そう判断した?」
「簡単な話だ。テメェの魔術には“殺意”がない。ここは既に戦場。殺す覚悟がなければ、殺されんだよ。そんなモノで、オレを斃せるなんて思うな」
「抜かせ――ッ!!」
会話と並行しつつ行っていた詠唱を完了させ、魔術を放つ。
一条の光が闇を貫く。それはまっすぐと、男の方へ向かう。
雷属性上級魔術【雷光】。術者の魔力操作によって速度が自由自在といっていいくらい操作できる――相手の進行を阻害したり、殺傷に用いたりなど――この魔術は、もちろん【軍用魔術】のひとつ。その最高速度は並大抵の動体視力では捉えることはできない。
「――遅ェ」
だが、この男は【雷光】をいとも簡単に避けた。
「ほらよォッ!!」
「づ、ぅ――ッ!」
「先生!!」
男が躱すと同時、距離を瞬く間に詰められ、もろに腹部を殴打される。
「っ、はぁッ……生徒に心配されるとは、オレもまだまだだな」
「へぇ、肋骨の数本は折ったつもりだったんだが、しぶてェな」
「あいにく、割と身体は丈夫なんでな」
傍から見ればそれは虚勢に見えただろう。現に、オルフェの肋骨は二、三本折れており
呼吸するのもままならないという状況だ。
「安心しな、楽に逝かせてやっからよォ――ッ!!」
「ぐぁッ!」
再び折られる骨。今度は、右腕が持って行かれた。
「――――、」
しかしまだ――たかが骨だ。こんなモノ、あとからいくらでも治せる。
もとより魔術を使うのに骨など要らない。
必要なのは身体を巡る魔力と、魔核、そして己が想像を形にする明確な意思と信念。
「ハッ――おいこら白髪野郎、テメェの本気は、そんなモンか?」
オルフェ・ウルフェンは立つ。その背後に守るべき生徒がいる限り。
それが、教師というものだから。
「……へぇ」
そんなオルフェの様子を見て、男は歓喜に打ち震えたかのように口の端を釣り上げ、三日月をつくる。まるで、オルフェの様子が嬉しくて堪らないとでも言うかのように。
「おいおいまさか。現に、オレはまだ本気を出していないし、『得物』すら抜いていない」
「得物……?」
その単語に、オルフェは違和感を覚える。そして、これまでの局面を振り返る。
――この男は、いままで、魔術を使っていない。
そして『得物』。先ほどから気になっていた、男が背中に掛けている大きな『何か』。
「な――おまえ、まさか」
そのことに、気付くのがあまりに遅すぎた。
答えはすでに、示されていた。
視界の悪いこの状況下でも、遠く離れたシオンはともかく、自分なら眼を凝らせばソレが何であるか気付けたはずだ。
――それに気付かなかったとは、なんと愚かなのか。
「ご名答、というより、遅すぎだなァ。普通はこの服装見たら気付きそうなモン……あぁそうか、今日は鎧着てなかったか。ま、なんにせよこの黒衣で気付いて欲しいけどな。それほどまでに、この国は腑抜けたってことなんかね」
黒い軍服――その胸元に施された、十字剣の紋章。
男の背中に掛けられた、一本の剣。
「名乗るほどのモンじゃないってさっき言ったがよぉ、ありゃ前言撤回だ。テメェは面白い人間だ。だから、改めて、名乗ってやる」
それは、この大陸に存在する四つの国の内のひとつである、剣の国の象徴。
――剣帝国グランティカ。
「グランティカ帝国騎士団《七罪騎士》が一人、『暴食の罪』ギード・イェーガー。
――さァ、もっと戦おうぜ」




