第01話『レイン』
ロートとの模擬魔術戦が終わり、僕自身の戦いにひとつ目の区切りが付いた。そう思った矢先、妹のアンジェが、血相を変えて魔導館へやってきた。
そして――――。
「シアが……居なくなった?」
突然の、それも全く予想していなかった来訪者に面食らうが、しかしそれ以上に重大な事実をアンジェは僕に告げた。
「――――――、」
理解が追いつかない。
――シアが、居なくなった? なぜ?
理由は見つからないし、解らない。
「アンジェ……いったい、どういう、こと?」
震える声で、アンジェに問う。
「……今日、わたしはシアさんに頼まれて、夕食の買い出しへ行ってました。それが全部済み、雨も降ってきたので早々に家へと戻ったのですが……帰ったら、シアさんの姿はなく、家は荒らされていて……」
今にも泣きそうな声で、アンジェは僕にそう言う。そんな妹を安心させるため、近くまで寄る。するとアンジェは耐え切れなくなったのか、近くにリオ達がいるにもかかわらず、僕に抱きついてきた。反射的に、僕もアンジェを抱き返し、頭を撫でる。
しかし、頭は冷静に。
先ほどまで酷く荒れていた脳を無理矢理落ち着かせ、深呼吸する。そして、冷静に、現状を把握・整理する。
アンジェは、シアが居なくなったと言った。
同時に、家が荒らされていたとも言った。
それはつまり、何者かが家にやってきて、シアを連れ去った――と考えることができる。
そして、その何者かに、僕は心当たりがあった。
(《王国魔導師団》――!)
シアの正体はこの国――シーベール王国の第一王女。シアは逃亡の最中に――僕に会うため、この街にやってきたと言った。その逃亡してきたシアの追跡者こそが、この国最高の戦力を誇る《王国魔導師団》の団長、ラヴァ・シャサスだった。
となると、シアを連れ去ったのは《王国魔導師団》だと推測できるのだけれど……。
「…………」
しかし、それだと納得できない部分が幾つかあった。
ラヴァ・シャサスとの邂逅での最後の部分――そこで彼は、『シアを守れ』と言った。
果たして、そんなことを言う人物がシアを連れ去るだろうか?
もちろん、王国側の事情が変わり、ラヴァさん本人、あるいはラヴァさん以外の誰かが今回の行動を起こしたのかもしれない。だが僕は、どうもそれ以外の『何か』が裏で動いているような気がしてたまらない。
理屈じゃなく、本能的に、そう思う。
「――――――」
こうやって思考している時間にも、連れ去られたシアは刻一刻と移動している。悩む暇があるのなら、はやく行動に移すべきだ。
しかし、何処に向かえばいいのか、解らない。そして、僕自身のコンディションも、充分とは言えない。
端的に言って、最悪の状況だ。
(くそっ、どうすれば――っ!?)
高速で思考を続ける中、不意に、
「シオン」
と、僕の名を呼ぶ声が聞こえた。
「オルフェ、先生……?」
「シオン――アンジェの様子と話を聞く限り、どうやらただ事じゃないらしいな。それに、どうも『足』が要るみたいだ」
「そう、ですけど……。でも、どうすれば、」
「――付いてこい」
そう言って、オルフェ先生は魔導館の外へ行く。アンジェをこのままにしておくのは少し心配だったが、そこはリオが「任せておけ」と表情で伝えてくれたので、任せることにする。
「――――」
魔導館を後にする寸前、チラとロートの方を視る。彼は先ほどと変わらず、仰向けのまま、顔だけこちらに向け、僕をまっすぐと見ていた。
「……っ!」
込み上げてくる感情を、飲み下す。
(ああ――――)
――やっと、戻れた。
そして僕はロートに背を向け、先に出ていったオルフェ先生を追う。
……僕を見ていた、ロートの表情は、ほんの少し。
僕を、鼓舞するように、笑っていた。
***
魔導館を出て、先生の後を追う。
「先生、いったいどこに行くんですか」
「まぁいいから。付いてこい」
学院の廊下を突っ切り、だんだんと、人気のない方へ近づいていく。
「これ、は……」
校舎を出て、その裏側に出る。するとそこには。
「《魔導二輪》……?」
黒塗りの、二輪車があった。
《魔導二輪》とはその名の通り魔力で動く二輪車だ。使用者の魔力によって稼働する、この国でしか使われていない交通機関で、別種類として《魔導四輪》もあり、現在この国のほとんどの交通機関はこの《魔導車》が主となっている。もちろん乗用には資格が要るし、公共で使われているものの運転ともなると国からの厳重な試験合格が必要とされる。
「オレの私用のやつ。ほら、乗れ」
カチャリと、先生は腕に使用者の魔力を抽出するためのプラグつきの腕輪を装着する。僕はおずおずと――なにぶん乗るのが初めてなので不安なのだ――後部座席へと乗る。
「シオン」
「な、なんですか?」
「――ここから先は、オレは『魔術講師』としてのオレではなく、『魔術師』としてのオレでいく。それだけ、ちゃんとわかっててくれ」
「――――、はい」
その言葉がなにを意味するのか、その真意はわからないが、オルフェ先生も、きっとこの先にあるのがただ事ではないと直感的にわかっているんだろう。
「しっかりつかまってろよ!」
「は、はいっ!」
駆動音を上げ、《魔導二輪》が発進する。
雨に打たれながら進む。確かに走るより、遥かに速い。
「どこへ向かえばいい?」
そう問われ、一瞬の思考ののち答える。
「――王都の方へ、向かってください」
「――、了解したッ」
先生は短くそれだけ聞くと、再び運転へ意識を向けた。
冷静に考えれば、シアはこの国の王女なのだ。ならば、その本拠地である王都【ソニアベルク】に向かったと考えるのが妥当だろう。
車体が加速。少し、雨足が強くなった気がする。
「………っ」
心臓が早鐘を打つ。
――シアが、はやくしないと、シアが。
遠くへ、行ってしまう。
やっと、やっと出会えたのに。
(させるもんか……!)
シアを取り戻す。まだ攫われたと決まったわけではないけれど――シアにとってはその方が最善なのかもしれないけれど――僕は、連れ戻す。
誰のためでもない、僕自身のために。
それはエゴだと知りながらそのことから目を逸らす。こんな自分に、嫌気が差す。
そうしてこの街――学究都市【アルサティア】の門を出て、王都へ続く道に出る。依然として、雨は止まない。視界が悪いその中では、数メートル先でさえよく視えない。
だから、自分達を狙う存在に気付かなかった。
「――! シオン、避けろッ!!」
「え?」
シュン、と風を切る音がした。
そのほぼ同タイミングで、僕と先生は車体から飛び降りる――というより、先生によって突き飛ばされた。
次の瞬間には、先生の《魔導二輪》が真っ二つに切断されていた。
「なっ!?」
地を揺らすような爆発音。《魔導二輪》のエンジンとなる『魔結晶』が外部からの衝撃により爆発したのだ。当然、近くにいた僕達は爆風によって吹き飛ばされる。
「がっ!」
背中を強打する。だが、然して問題ではない。問題なのは――
「先生、大丈夫ですか!?」
僕を庇った、オルフェ先生だ。
僕を庇ったことにより、先生の背中に《魔導二輪》の破片が幾つも刺さっていたのだ。
「なに、これくらい――【治癒】」
先生は一節詠唱魔術【治癒】を使う。すると、傷口が塞がり――といってもたいしたものではなかったようだ――いった。
「いったいなにが……」
「チッ、クソが。これで逝っちまえばよかったのによォ」
――ふと、自分達のものではない声が聴こえた。
ザッと、地を擦る音。振り向けば、黒い服――軍服、というやつだろうか、とにかくそれを身に纏った、僕より身長の高い男が、こちらの方へ近づいていた。
どことなく灰色が混じった白髪。獰猛で好戦的な、まるで戦いに飢えているかのような双眸。およそ現代では見ることは少ない――それこそ、戦争時代でしか見れない――であろう雰囲気を纏っている。だからこそ、異質だった。
そして何よりも異彩を放っているのは、背中にかけられた、大きな『モノ』。けど、それが何なのか、この視界が悪い状況じゃよく解らない。
解らないけど、それがすごく良くないモノであることは――解る。
「……誰だ、アンタ」
先生が、威圧するような低い声で問う。
「ハッ、テメェなんぞに名乗るワケねぇだろうが。それに名乗ったところで意味なんてねェしな」
「馬鹿にしてるのか、貴様」
「いやだってよォ――」
そう言って男は、依然として笑いを崩さないまま、チラと僕の方を見て。
「――テメェは、ここで死んでもらうからなァ」
ゾクッ、と。
背筋に、悪寒が走った。
軽薄そうな態度から一転――いや、いまもその態度は崩れてはいないが、その本質が、変わっている。
あれは、人を殺す眼だ。
「さてと――面倒だけど、あとで団長に怒られたくねぇからな。――シオン・ミルファク、だったか。そいつだけ殺れば良いって言われたんだが、まぁひとりもふたりも変わらねェか。そこのテメェも死んどけや」
「っ――ふざけるな。答えろ、お前は何者で、何が目的なのか」
「だったら力づくで吐かせて見ろや、優男」
男と先生の会話が続く。先生は、男を前にしても態度は変わらない。
僕は、何もできない。
恐怖で、足が竦んでいる。
これはいつか感じたものと同じ。
そう――それは、【アルカディア】の人間と接触した、あの冬の日のことだ。
「っ、あ――」
身体が震える。これは恐怖。
本能が警鐘を鳴らす。今すぐ逃げろ、と。
そうした方が、最善だと、告げている。
――――だけど、
(ここで、止まっていられるか……ッ!!)
はっきり言って、僕の中に在る恐怖というものは完全には消えてない。たぶんこれは、ずっと在るものだと思う。だから僕は、この恐怖と付き合っていかなきゃいけない。
でも僕は、進むと決めたのだ。
もう恐怖で止まっているだけの僕じゃない。
過去の――弱いだけの、立ち止まっているだけのシオン・ミルファクは、もう死んだ。
いま、ここに居るのは、親友であり好敵手に背中を押され進み始めた、僕だ。
だから――立ち止まってなんか、いられない。
「ほぉ……ちったぁやる気はあるみてぇだな」
男は、少しだけ目を細め、そして髪をかきあげる。雨に濡れた髪が、滴を払う。
「退屈だし面倒だけどよォ――殺ろうぜ」
男がそういって、瞬きした次の瞬間。
「――――ぇ?」
男の姿は消え、僕は遥か後方へ飛ばされていた。




