第18話『そして、』
――負けた。
ついに、シオン・ミルファクが己を超えた。
魔導館の床に寝転びながら、ロート・ウィリディスはそう思った。
尤も、先に倒れたのは自分であって、その後すぐにシオンも倒れたが、勝負上負けたのは自分だ。
【固有魔術】・《創氷術》。
【超速攻詠唱】。
【多重魔術陣展開】。
自分の持てる総てを出し切った。その上で、負けた。
それは確かに、自分が望んだ――真の力を発揮したシオン・ミルファクと戦うこと――こと。
師の息子。最初はそれだけの理由でシオンに近づいた。しかし、彼と一緒にいる時間が長くなり、一緒に過ごすことで、ロートは彼の苦悩を知った。だから、力になりたいと思った。たとえ嫌われても、拒絶されても、自分はシオンにとっての『悪』となり、シオンの力を戻すのだと、あの冬の日に誓った。
――初めて出来た、『友達』のために。
そして覚醒したシオン・ミルファクは、自分の予想した以上の力をぶつけてきた。
いったいどのようにして、あの力を手に入れたのかは解らないが、それはまた何時か知ることが出来るだろう。
「ははっ……チクショウ、痛ぇなぁ……」
全身が痛い。魔力も、もう無くなったままだ。
全力を尽くして、その上での敗北。
その事実は、ロート・ウィリディスという魔術師に、ある感情を植え付けた。
ロート・ウィリディスには、たぐいまれない『才能』があった。それはロート自身自覚していたことだし、それに酔いしれないよう、常に自分を戒めてきた。それによって、ロートは他人に認められた『天才』となった。しかしそれは、ロートにある感情を忘れさせたということと同義であった。
久しく忘れていた『敗北』という経験。それを通して、ロートは思い出した。
「……悔しいなぁ……」
――ああ、そうだ。
――俺は、悔しいんだ。
「次は、負けねェ……」
ふと、己の頬が濡れていることに気付いた。
それが、自分の涙だということを理解するまで、ロートはしばらくかかった。
***
「ぁ……」
己の勝利を告げるその判定を聞いた瞬間、糸が途切れたみたいにその場に倒れこむ。
「シオン、大丈夫か!?」
「……リオ……」
ギャラリーゾーンから、リオが走ってこっちに向かってくる。
「って、『魔力枯渇』の一歩手前じゃねぇか……、ほら、これ飲め」
「ああ……ありがと」
手渡された魔力回復薬を飲む。すると、口の中に苦い味わいが広がる。相変わらず苦いけど、効果は抜群だから致し方ない。その証拠に、もうすでに魔力が少しずつ回復していっているのが解る。
けど、これで回復するのはあくまで魔力のみ。肉体的な痛みは回復しない。依然として、身体中が痛いままだ。
静かに、自身の状態を確認する。どうやら、今のところは目立った異状は無いようだ。
【同時魔核処理】を【待機状態】――普段の魔核を一個だけ抑えた状態――に切り替え、天井を仰ぐ。
「―――――勝った、のか」
いまいち、その事実に実感が湧かない。けどそれも、時間が経つにつれだんだん変わっていき、五分ほどすれば僕は『勝利』という事実に喜びを感じていた。
――ついに、ついに僕は、己を超え、ロートを超えた。
【劣等魔術師】シオン・ミルファクはもういない。ここに居るのは、幾つもの偶然が重なり合い、そして古代の力を手にした魔術師だ。
「――――――、」
早く。
早く、シアに会いたい。
約束、守ったよと、胸を張って言いたい。
ただいま、と言いたい。
大好きな少女の笑顔が見たい。
母さんに記憶を操作され、十年前別れたっきりだったシア。
ずっと、ずっと会いたかった。
それはシアも同じだったらいいなと思うのは、僕の勝手な我儘、願望だろうか。
いや――それでも、いいか。
とりあえず今は、少し休んで、それからロートと話をして、家に帰ろう。
僕と、シアと、アンジェの暮らす、あの――――。
「兄さん!!!!」
バン、と。魔導館の扉が叩きつけるように開けられる。
僕が正午にここに来た時は、雲ひとつない快晴だったというのに、今はバケツの中の水をひっくり返したかのように、ザァザァと雨が降っている。雨音はとても五月蝿く、空は曇天。こんな天気じゃ、誰も外に出歩かないだろう。
しかし開かれた魔導館の扉――そこには、最愛の妹――アンジェ・ミルファクが、雨で全身濡れながら走ってきたのか、肩で息をしながら立っていた。
「アン、ジェ?」
直感的に、嫌な予感がした。
それはたぶん、今の僕が聞いたら間違いなく動揺すること。
脳が警鐘を鳴らす。
聞くな、いや聴け。相反する二人の僕が、僕の中で暴れる。
「どうしたの、アンジェ……?」
努めて冷静に、アンジェに問い質す。しかし、その声はきっと震えていただろう。
直感的に解っていたのだ。嫌な予感と共に、その正体も解っていたのだ。
アンジェがこんなに焦って、一目散に僕の許にやってくる。そうしなければいけない理由なんて、ひとつしかない。
「シアさんがっ……、」
脳裏に焼き付いた彼女の姿が、想起される。
今朝交わした約束が、彼女の声が、脳裏を過る。
ああ、今日の晩御飯は、いったい何だったんだろうな。
「――――いなくなりましたっ……!」
――どうか、夢であってほしい。
その願いは、儚くも消え去った。
これにて【第一部・シオン編】完結です。
次回から【第二部・シア編】が始まる予定ですので、更新は不定期ですが、どうかこれからもよろしくおねがいします。




