第16話『模擬魔術戦 / 再戦』
~~前回のあらすじ~~
彼女に慰めてもらったから明日の模擬魔術戦全力出して頑張ることを決意した
決戦の朝がやってきた。
起床する。時刻は七時前。模擬魔術戦は今日の正午に行われる予定なので――ちなみに今日は学院は休日で、僕らの模擬魔術戦の為だけに学院を開けてくれている――まだ余裕はある。
心は落ち着いている。昨日のことが嘘みたいだ。
ベッドから起きて、部屋から出る。リビングには既にアンジェとシアが居て、朝食を作っていた。
「アンジェちゃん。そっちは出来た?」
「もう少しかかりそうです。食器の配膳をお願いできますか?」
「ふふーん、任せなさい」
その様子は傍から見たらまるで姉妹同然で、そんな光景が微笑ましくもあり、尊くも感じた。
「おはよう、二人とも」
「あ、おはよ。シオン君」
「おはようございます、兄さん」
そんな二人に挨拶をして、僕はソファに座る。シアが来たいま、この家において、僕はキッチンに立つ資格など持っていないのだ。自分で作っていた昔が懐かしい、などと思いながら、意識は身体の状態の確認をする。
――大丈夫だ。問題は、ない。
確認に数秒。万全の状態、ベストコンディションと言えよう。
「――よしっ」
パン、と両頬を叩く。気合充分。
「アンジェ、何か手伝えることはない?」
気持ちを切り替え、僕はアンジェ達の許へ向かっていった。
***
朝食を終え、しばらく自室で過ごす。
開いた窓から風が吹き込み、カーテンが揺れる。その様子を、僕はじっと見つめる。
気力は充分。身体も十全の状態。何も、気後れする要素はない。
それでも、この身体が震えるのはなぜか。
「――――――」
ふっ、と。
つい、笑みが漏れる。
身体が震える理由? そんなこと、判りきったことだ。
勝負に対する恐怖は捨てた。ならばこの震えは勿論――――。
「武者震いに、決まっているだろ」
ガタッ、と音を立てて、座っていたイスから立ち上がる。部屋着から制服に着替え、その他準備をする。
それらが終わると、部屋から出る。
「あ」
「…………」
部屋を出ると、廊下で偶然シアと顔を合わせた。
「行くの?」
「うん」
「じゃ、行ってらっしゃい」
シアの問いは、実にあっけからんとしたもので、ほんの数秒ほどのやりとりだった。
けど、それで充分だった。
「行ってくるよ、シア」
「シオン君」
「ん、なに?」
「今日の晩御飯、シオン君の好きなもの作っておくからね。だから――」
シアの蒼い眼が、僕を見据える。蒼穹の瞳には、ただ僕しか映っていない。
そして彼女の、桜色の唇が開く。
「――約束、破っちゃ嫌だよ?」
「……うん、絶対守る」
このやり取りは、昨日の夜の焼き直しでありながら、幼年期の焼き直しでもあった。
傍から見たら、いったい何のやり取りだと思われるかもしれない。
けど、僕達二人にとっては、大事なやり取りだった。
「…………」
扉のドアに手をかけ、家を出るその瞬間。
シアの顔を、姿を、この眼に焼き付けるように――覚えておけるように、しっかりと見た。
***
外に出る。すると目に入るのは見慣れた街並み。
上を見上げれば、空は青く、澄み渡っている。
その青空の下を、僕は走る。
走って十分、その場所にある学院を目指して。
「――――――」
間もない内に、学院へ着く。歩みは緩めず、そのまま魔導館へ。
「……まだ、か」
古めかしい魔導館の扉を開けると、中は伽藍の堂だった。流石に早く着きすぎたようだ。
と、思っていると、
「よぅ、シオン」
「オルフェ先生」
「俺もいるぜ!」
「リオ、おはよう」
魔導館の奥の方から、ウルフェン兄弟が出てきた。どうやら準備室にいたらしい。
模擬魔術戦は、対魔力の特別な結界が張られる。これによって、生徒は怪我をすることはないし、たとえ何かあっても、【上級魔術】以上の『治癒魔術』を使える講師が立会人となっているので、全力を出して戦うことができる。
「早かったな、定刻まであと三十分はあるぞ」
「ちょっと、落ち着いていられなくて」
「はは、そうかそうか。どうする、奥にあるイスに座っておくか?」
「……いえ、もう、所定の位置に立っておきます」
「! ……そうか。じゃあ、オレはまだ準備があるから、また奥に行く。ほらリオ、行くぞ」
「は!? なんで俺まで!?」
「うっせアホ。つべこべ言うな」
そう悪態を吐きながら、リオとオルフェ先生が奥の方へ向かっていく。その様子は、相変わらずだ。
「―――――――」
息を吐く。そして目を閉じる。
どく、どくと、心臓の鼓動が聴こえてくる。
太陽が最も高く昇るこの時刻。
地脈的にも、そこに流れる霊脈的にも、四大元素が最も活性化するという意味合いでも、戦いに最も適した時刻。
ザッ、ザッ、と地を――魔導館は室内ではあるが、その内装は石造のドームだ――擦る音が聞こえた。
閉じていた瞼を開ける。するとそこには、
「よぉ、ミルファク」
「やぁ、ロート」
最高の宿敵が、立っていた。
「ハッ、どうした。随分と早いじゃないか」
「それは君も同じだろ。まだ十五分前だ」
「そこはお互い様ってやつじゃねぇか?」
「たしかに」
軽口を叩きあって、互いに笑い合う。
ああ、この光景は、いつかの日常のようだ。
「お、二人共早いな。どうする、もう始めるか?」
「ええ、お願いします」
僕達の話す声が聞こえたのか、オルフェ先生が奥から出てくる。先生の申し出に然して不満も無いので了承する。
一瞬だけ、ロートの顔を視る。
……言葉は要らない。そう思い、僕はロートに背を向け、所定の位置に着く。
「シオン」
不意に、己の名を呼ばれた。
その声に振り返る。僕達は、しかと互いに視線を交わし、その視線を逸らすことなく、
「――勝つのは、俺だ」
「――勝つのは、僕だ」
と、大胆不敵にも、そう告げたのだった。
所定の位置に着く。
……刹那の静寂が訪れる。その静寂は、本当に一瞬であったが、僕達にとってはとても長く感じられた。
その静寂が、終わりを告げる。
「――模擬魔術戦、始めッ!!」
僕とロートの、本当の戦いが今、始まった。
***
「――っ!」
開始と同時、大きくロートから距離を取る。出来るだけ距離を取って、ロートの攻撃に対処するためだ。
ロートの最大の強さは、その【速攻詠唱】の異常なまでの速さだ。速さに関して、僕が勝る部分はひとつも無い。しかも、速いことに加えて威力も、本来のそれに近いものを備えているから厄介なことこの上ない。
だから、距離を取る。距離というアドバンテージがあれば、まだ対処の仕様がある。
――そう、思っていたのだが。
「甘いな!!」
氷の槍が僕の横を貫く。それは僕の頬に掠り、頬からは血が若干出ている。
過ぎ抜けた槍はそのまま僕の後方の壁にぶつかり、その折れる音を魔導館に響かせる。
「くっ……!」
――速い。詠唱の速さではなく、魔術の速さその物が、元のそれより速さが増している。
今の魔術は多分、氷属性初級魔術【氷槍】だろう。
【氷槍】は至って単純な魔術だ。氷の槍を造り、それを発射する。ただそれだけ。
だが、シンプルゆえに、アレンジ性と汎用性が高い。
構造がシンプルな魔術は、術者の魔力操作で、『速度』・『威力』・『範囲』をアレンジすることが出来る。
範囲を狭めることで速度と威力を上げたり、威力を減らすことで範囲を広げたり、今みたいに、他二つを犠牲に速度だけを上げたり、など。パターンは限られてくるものも、それは時と場合によっていくらでも相手の不意を突ける。
だからこそ、アレンジ性と汎用性が高いのだ。
おそらく、ロートは【氷槍】の速度だけを上げて僕に放ってきたのだろう。【氷槍】は二節詠唱なので、【速攻詠唱】を使わずともすぐに行使できる。
「負けてたまるか……っ!」
――このままではいられない。
――全力で、飛ばして行く。
記憶領域を検索する。今、この場に相応しい魔術を瞬時に選択する。
「【轟け、穿て・其の一条は雷神が槍の如し・其の咆哮は雷神の怒り】――――」
魔術回路を魔力が通り、そのイメージが、二つ魔核のうち一つに流れ込むのがわかる。
その魔力を、今度は右手へと収束する。それはやがてカタチとなり、魔術に成る。
だが、それだけでは終わらない。
魔術を創り、次はその魔術を変化させる。
威力を中に。範囲は一点集中。速度は――最大。
そうして出来た魔術を、いま、顕現する。
「――――【地を突き穿つ雷槍】!!」
右手から一条の雷を放つ。
雷属性中級魔術【地を突き穿つ雷槍】。【雷鳴】の上位互換で、カテゴリ的には中級魔術に分類されているが、実質的には上級魔術のそれと大差ない威力を誇る魔術だ。雷槍、と言うだけあって、その速度も馬鹿にできない。しかも、魔術改変により速度を通常より上げているのだ。
だが、そんな魔術でさえ、ロートには届かない。
「ふっ――――ッ!!」
ロートは【氷槍】を【地を突き穿つ雷槍】にぶつけ、その威力を落とす。そして一瞬出来た刹那の間に身をかがめ、それを躱した。
「うおっ……! ハッ、やるじゃねぇか。今のは流石に危なかったぜ。相変わらず、覚えている魔術の数はとんでもねぇな。その魔術の詠唱なんか、俺知らなかったぞ」
「まぁね。今までの僕は、魔術を記憶することしかできなかったから。でも……」
言葉を区切る。再度、眼前の彼の目を真っ直ぐ見て、
「でも、今の僕は違う」
そう、答える。
次の瞬間、僕は動き出していた。
「――強化、『脚部』」
新たに覚えた魔術――【強化魔術】で、肉体を強化して。
【強化魔術】。その名の通り、それは術者の肉体を強化する魔術だ。指定した筋繊維を、魔術回路を流れる魔力によって刺激し、強制的に運動能力を上げるというものだ。強制的に身体能力を上げているため、使用後の反動は大きいが、その効果は約束されたものだ。
強化した脚部が地面に減り込む。そして、加速。
数秒とかからず、ロートに近付く。目の前には彼の驚愕した顔。
「――強化、腕部。属性付与 《雷》――!」
再度、詠唱――強化魔術の起動句を紡ぐ。そして強化した拳に、属性だけ込めた魔力を付与する。
「喰らえ――――ッ !!」
そして、その拳をロートの腹部に叩き込む――!
「ぐぉっ……!」
僕の拳をモロに受けたロートは、そのまま魔導館の壁まで吹っ飛んだ。
(どうだ……!? 今のは確かに感触があったけど……)
強化魔術の反動で、その場に座り込む。今は完全に動かすことは出来ないが、この分だと、あと二分もすれば元に戻るだろうし、そうでなくとも少しは動く。ロートがこれで戦闘不能になってくれれば、これを心配しなくてもいいのだけれど……。
だけど、ロート・ウィリディスがこれくらいで倒れるような魔術師ではないことを、僕は知っていた。
壁の一部が壊れて起きた土煙の中から、ゆらりとロートが現れる。ペッ、と口から血を吐いているだけで、戦闘不能には陥っていない。
(流石に、覚えたての魔術じゃ無理か……!)
戦闘不能に陥ってないとは言え、ダメージは負っている。しかし、そんなものは些細なことだと言わんばかりにロートは次の攻撃を開始する。
「オラァッ!!」
「がっ……!」
加速。そして打撃。
ロートが動き出したと視界が捉えた次の瞬間には、先刻のロートと同じように、腹部に強大な掌打を打ち込まれていた。
おそらく、僕と同じように強化魔術を施した一撃だろう、と頭は勝手に状況を分析する。
「【氷槍】!」
間髪入れず、次の攻撃が来る。
ただ速さに特化した初級魔術。だから、強化魔術の反動で動きが制限されているこの状態でも躱すのは容易い。
そう思ったのが、悪手だった。
「――かかったなァ!」
「なっ!?」
【氷槍】を避けるべく、右に躱す。その先には、
「水溜り……っ!?」
「最初に放った【氷槍】を溶かして出来たモンだ。そして今、お前はその水溜まりに足を踏み入れた。つまりなぁ――」
パキパキと、足元が凍っていく感覚。下を見やれば、水溜りに踏み入れている足が凍っていっている。
「お前は既に、俺の術中だ。――氷結化、開始」
徐々に凍っていっていた足が、ロートの言葉により一気に加速する。数秒後には、僕の両足は完全に凍りついて動けなくなっていた。
「くそっ!」
元ある物質――この場合は水――を、魔術による冷却で状態変化を起こす。それによって僕の両足を凍らせる。実にシンプルで、かつ効果的だ。
「【小さな焔】!」
【小さな焔】で足を凍らせていた氷を融かす。融かして、ロートが攻撃する前に急いで回避をしようと試みる。だが、
「早く、融けろ……っ!」
僕の足を凍らせている氷が、中々融けてくれない。その間にもロートは次の魔術を練っている。
(どうする――!?)
このまま氷を融かすことを続けるか、或いはこちらも魔術を練ってロートに対抗するか。
時間はない。刹那の選択。僕が選んだ答えは――。
(このまま迎え撃つ――!)
僕を固定させた、ということは狙いを定めるため。つまり、これからロートが放つ魔術は通常だと狙いが定め難い魔術ということだ。
普通なら、このまま融かし続けて動けるようにし、ロートの魔術を回避して確実に自分の攻撃を決めるべきだ。
しかし、圧倒的に融かす為の時間が足りない。
【小さな焔】以上の炎属性魔術を使えば楽なのだろうが、あいにく僕は攻撃系、しかも広範囲の炎属性魔術しか使えない。下手にそれらを使ってしまうと、自分の足まで使い物にならなくなってしまう。
だったら――――。
「へぇ? どうしたシオン。もうその氷を融かすのはやめたのか?」
「そうだね。代わりに、君の全力を真っ向から迎え撃つ」
「ハッ、それだったらこの前と変わらねぇじゃねぇか」
「だからこそ、だよ。これは、この前の続きだ。僕は、これから君に勝つ」
「――ハッ。いいぜ、見せてやるよ。俺のとっておきをな」
そう言って、ロートは右手を前にかざす。すると、彼の右手に冷気が――いや、あれは氷属性の魔力だ。その魔力が、ロートの右手に収束していく。
収束していった魔力は、だんだん形へと変わり、一つの形状を持った、確固たる物へと成っていく。
一本の、長い槍。ただ突き刺すことだけを重きに置いた、そんな形状の槍。
「……なんだ、それ」
見たことない魔術。僕の記憶領域には、僕が得た様々な魔術についての知識がある。【叡智魔教典】に劣るとは言え、それでも並大抵の魔術師よりかは遥かに知識を持っていると自負している。
だけど、今ロートが創ろうとしている魔術は見たこともない。
それはつまり――。
「【固有魔術】……?」
「正解だ、シオン」
ポツリ、と漏れた呟きは、皮肉なことに正解だった。
「そんな、【固有魔術】だって……!?」
「大して驚くことでもねェだろ。オルフェ先生を見ろ。あの人だって、学院時代に【固有魔術】を創ってる。俺が創ったって、別段おかしなことは無い」
「けど……!」
だって、そしたら君は、また高みへ昇っているということじゃないか。
追いついたと思ったのに。
君は、また僕の上を行くのか。
「まだ、これだけじゃ終わらないぜ」
「――――――っ!?」
ロートがニヤリ、と笑みを浮かべた次の瞬間、ロートは詠唱を開始していた。
【速攻詠唱】ではなく、通常の詠唱で。
「――――【終わらない、破滅の冬・身を切る霜、吹き荒ぶ雪、咬みつく氷、荒れ狂う風・其は全てを凍らせ、永久不動のモノを創る・破滅、それ即ち刹那の封印・凍結を以て、破滅とす・破滅の冬は、神をも凍らす】」
ロートが詠唱を完了する。
あの魔術は――――。
「――【破滅の冬】!!」
刹那、魔導館に冬が訪れた。
視界は一瞬にして遮られ、風が吹き荒れる。
前回のモノとは比べ物にならない。
これが本来の【破滅の冬】の効果、そして威力。
【破滅の冬】に、ロートの【固有魔術】――名付けるなら【創氷術】と言ったところか――で出来た、一本の長槍。
「行くぜ――シオン」
僕を倒そうとする、魔槍。
それがいま、解き放れた。
「【穿ちて破滅す必殺の氷槍】――ッ!!」
僕に向かって進む氷の槍。
二つの魔術を合わせて顕れた、『魔術』ならぬ『魔技』は、このまま行けば間違いなく僕を貫くだろう。もちろん、これは模擬魔術戦だ。本当に殺すつもりでロートは僕にこの魔術を放ったわけではない。
しかし、いくら模擬とは言えど、これは戦いであることには変わりはない。
ならば僕は、僕の全力を以て、ロートに応えよう。
「――――ッ!」
刹那の内に、様々な感情が僕の中を駆け抜ける。
その感情を僕は、抑え込み、そして飲み下す。
いま、この状況において、その感情は要らない。
差を開かれた? だからどうした。
また、その一歩を詰めればいいだけのこと。
大丈夫――――手は、ある。
ギチギチと、魔術回路が音を立てているのが解る。
速く。速く、この衝動を、力を使えと訴えてくる。
魔力が猛る。魔力が走る。
「――――行くぞ」
迫り来るソレを見る。その時間は一秒にも満たない。
けど、その一秒の間に、僕は告げた。
「――Anfang」
授かった力を呼び起こす、古の言葉を。
「Teufel Kern Vielaufgabe――――ッ!」
目の前の敵を超える為の、力を。
ドクン、と心臓が鳴った。
【破滅の冬】など意味ないと言わんばかりに、視界がクリアになる。脳の一部は演算に割り当てられ、残りは魔核の制御に移る。
思考が高速化する。並列思考をいとも簡単に行い、演算を繰り返す。
「Ich wahle den Stromkreis」
考えろ、そして選べ。この場に相応しい回路を。
迫り来る一撃を粉砕するための回路を。
「Auserlesene Vollziehung」
回路を選択する。
迫り来る氷槍を打ち砕くには、それを上回る一撃が必要だ。
ならば取るべき手は一つしかない。
「Verbindungsanfang」
接続を開始する。脳に存在する二つの魔核を、望んだカタチへと変える。
「――――っ、あ」
それはつまり、己の中に在る魔術回路のカタチを、根本的に変えるということ。
身体が――正しく言えば、脳が――悲鳴を上げる。それも当然。これは本来ならば有り得ないことなのだから。
有り得ないことを、有り得ない力を以て、成り立たせているのだ。
今までの状態――【同時魔核処理】で『二つある魔核の内一つを抑えていた状態』――とは違う。これは、二つを同時に解き放ち、かつそれを使うということ。一つの回路にするということ。
それは即ち、通常を捨て異常へ至るということ。
――――けれど、その異常こそが、己にとっての通常なのだ。
在るべきカタチを捻じ曲げ、理想のカタチへ変える。
脳が絶え間なく痛みを訴えてくる。だが、それがどうした。
もとより、犠牲と代償無くして勝利など有り得ない。この力が無ければ、僕はまだ劣等魔術師のままだった。
ならば、僕は勝たなくちゃいけない。
この力をくれたあの人の為にも。
僕を信じてくれた少女の為にも。
(僕は――勝つ!!)
この痛みは、勝利の為の痛み。
この力は、彼を超える為の力。
「Verbindungs Vollziehung」
そして今、その回路は成った。
「Das ganze Schritt-Ende」
己の内に眠る全てを解き放て。
その為に、この力はある。
さぁ、その名を紡げ。
「Teufel Kern Vielaufgabe――Reihe Stromkreis――――ッ!!!!」
回路構築完了。次いで、魔術を創る。
詠唱など要らない。魔術とはイメージ。【同時魔核処理】によって高速、並列化された思考は、『起動句』を必要とせずイメージを創ることが出来る。
それに今、この状態において重要なのは言葉ではなく――過程。
通常、魔術発動のプロセスとはイメージを持った魔力が魔核を通ることで初めて魔術が成る。
「Anfang Arie――【Doppelt】」
だが、その道程で、魔核を二回通ったとしたら?
答えは簡単だ。
「――【烈火よ、猛々しく燃えろ】」
――――威力が、増幅する。
魔術を完了させると同時、全てを燃やし尽くさんとばかりに燃える烈火が右手に顕れる。
視線を一瞬、正面へ向ける。氷槍は、もう目前だ。
「ハァッ!!」
氷槍が被弾するその一秒前。
右手に顕れていたこの猛々しく燃える烈火を放ち、そしてそれを以て、迫り来る氷槍を跡形も無く融かし尽くす――――ッ!
『――――――、!!』
爆炎。そして轟音。
僕自身、驚きながら、その光景を目に映す。
これこそが今の僕の魔術回路――【同時魔核処理《直列回路》】の真髄。
それは、脳内に在る二つの魔核を連結させて、一つの魔術回路にするというもの。
これによって実現するのは、ある詠唱。
彼の大魔術師が、この回路を用いて確立させた、この状態でなければ使えない唯一無二の詠唱法。
それが――――。
(――【二重詠唱】。この回路のみで使える、固有詠唱)
本来の詠唱――詠唱句を詠む――とは違うが、魔術名を『詠』うように『唱』えるという意味では、詠唱ということになる。
尤も、先も言った通り重要なのは言葉ではなく、魔術名とそれを告げる過程だ。
【二重詠唱】とは要は、『魔術の重ねがけ』だ。魔核を通って完成した一つの魔術を、もう一度魔核に通す。そうすることで、威力が二倍になる。これは二つの魔核を連結させた状態である【直列回路】状態でなければ使えない、固有詠唱だ。
「なっ……んだとっ!?」
ロートの眼が見開く。まさか、自分の【固有魔術】が破られるとは思っていなかったのだろう。
そして、手元の制御が狂ったのか、【破滅の冬】が次第に薄れていく。数秒後には、視界は開けていた。
「ロート。確かに君は強い。天才と言っていい。僕が追いついたと思っても、君はまた更に上を行こうとする。それはあの時から、変わってない」
眼前の紅緑の魔術師に、僕は言う。
それは、彼に対する、宣戦布告。
同じ土俵に立ったということを告げる為の、布告。
「けど――僕だって、何もしてこなかったわけじゃない! 確かに、一度は立ち止まった。諦めようと思った。それでも、僕は這い上がった。だって、君が、僕の背中を叩いてくれたから!! だから僕は――」
正面からロートを見据える。
彼の紅い眼には、今の僕がどう映っているのだろう。
何となく、今のロートの顔と、同じ顔をしているんじゃないかって思った。
だってほら、今のロートは、
「――全力で戦って、君の期待に応えて、そして勝つ!!」
「――面白ェ、ここからが本番だ。行くぞ――シオン!!」
あんなにも、笑っているのだから。
ロートに向かって駆け出す寸前、【穿ちて破滅す必殺の氷槍】が融けて出来た水溜りが、反射して僕を映しているのが見えた。
そこには変わらず、僕の姿が映っていた。
けど、一瞬。一瞬だけ。
黒色であるはずの己の双眸が、一瞬だけ、あの大魔術師のような金色の双眸に視えた。




