第15話『決戦前夜』
宣戦布告から、六日が経った。
決戦前日の夜、僕は部屋で一人、電気も点けずベッドの上で体育座りになっていた。
窓から差し込む月の光だけが、この部屋の明かりとなっていた
「明日、か」
この六日間、やれることはやってきた。自信を持っていい。後は、戦いで力を発揮するだけ。それは解っている。
だけど、それ以上に怖さがある。
緊張、と置き換えてもいい。僕は、ロートと再び戦うことに対し、恐れているのだ。
ロート・ウィリディスという魔術師は、間違いなく『天才』だ。僕とは比べ物にならないくらい。
けど、その強さの裏には、血の滲むような努力があるということを、僕は知っている――いや、知っていた。
思い返せば、ロートと一緒に居るようになってからも、彼は常に自分を戒めていた。努力をしていた。対して僕は、何もしようとはしてこなかった、臆病者だ。
――僕の努力は、ロートの強さの前には敵わないんじゃないか?
――また僕は、負けるんじゃないか?
それが、僕の脳内を占め、心を蝕んでいた。
力を手に入れても、その力は僕の身に余る力だったのではないかと、ついそう思ってしまう。
「――――っ」
体が震える。敗北のイメージが、僕の脳裏に映る。
止まらない思考に溺れていく中、ふと、ドアが開く音が聞こえた。顔を上げれば、そこにはシアが立っていた。
「シオン君」
「シ、ア」
「通りかかったら、若干ドアが開いていたから、開けてみたんだけど……どうしたの? 眠れないの?」
「……いや、なんでも、ないよ」
「嘘。だってシオン君、怯えた目をしているもの」
「――――」
「話して、シオン君。明日の戦いのこと?」
シアは優しく、僕に尋ねてくる。これが僕を案じての行動だということは解っている。
だから僕は、その優しさに甘えてしまった。
「……怖いんだ」
「怖い……?」
「また負けるのが、怖いんだっ……! 力を手に入れても、僕はアイツには敵わないかもしれない。そう思ったら、怖いんだ!」
本音を吐き出す。
本当は甘えたくなかった。シアに弱さを見せたくなかった。
けど僕は、力だけでなく、心までもが弱かった。
負けることが怖い。それは確かにある。
けど、本当に一番怖いことは、自分の努力が無駄だったと認めさせられることだ。
シオン・ミルファクという魔術師の限界を、思い知らされることだ。
僕はそれが、怖かった。
敗北無くして成長出来ない、とよく言うが、じゃあ敗北したら絶対に成長できるのだろうか。
敗北の先にまた敗北しか無ければ、それはもう、今自分が居る場所こそが、自分の限界なのではないだろうか。
そう、思ってしまう。
シアには、今の僕がどう映っているだろうか。それを知ることすらも、今は怖い。
「……シオン君」
数瞬の静寂の後、やがて、シアは口を開いた。
「シオン君。君は今、どうしたいの?」
シアの問いは、ただそれだけだった。
「僕が今、どうしたいかって……」
そんなもの、決まっている。
僕はロートの期待に応えたい。
自分の強さを、証明したい。
その上で彼に勝てたら、それはこの上なく嬉しい。けど、限界を思い知らされることが、何よりも怖い。
「私が知っているシオン君は、たとえ弱くたって、勝てないって解ってたって、それでもなお立ち向かおうとする勇気ある少年だよ」
「――――シア」
――違う。違うんだ、シア。
僕は、君が思っているような人間じゃない。君が言うその僕は、過去の僕だ。
過去の僕は、才能が無かったけど、それでも魔術が使えた。
父という目標がいた。だから、何事にも立ち向かうだけの勇気があった。
けれど今の僕は、ただ臆病で、自分のことに向き合おうとしないで、あまつさえ、友達の期待を裏切った、最低な魔術師だ。
君の中の『シオン』は、今の僕とかけ離れて――。
「違わなくないよ」
「……え?」
「だって、私を助けてくれたじゃん」
「――――ぁ」
その、花のような笑顔と共に放たれた一言は、僕を落ち着かせるには充分だった。
「キミが自分のことをどう思っても、どれだけ自分を否定しても、私はその分だけ、キミを肯定するよ」
一言、区切って。
「キミを、応援するよ」
シアは、そう言ってくれた。
「だから戦って。そして勝ってきて。大丈夫、キミなら出来るよ。私が保証する」
「だから、ね」と、そう言ってシアは小指を差し出す。
僕も、自身の小指を差し出し、シアの小指に絡める。
ギュッと、その存在を確かめるように、強く絡め、握る。
「約束。明日は絶対、勝つこと」
「――うんっ」
そうして僕らは、あの日のように約束を交わした。
僕に迷いは、もう無かった。
***
シオンとシアが、約束を交わしている頃――。
ロート・ウィリディスは、自分の部屋で夜空を眺めていた。
「いよいよだ――」
明日、ようやく己の認めた相手と戦える。その事実が、ロートを昂ぶらせていた。
やはり、自分の思った通りだ。シオン・ミルファクがあんなことで折れるような魔術師では無かった。
シオンは、自分の予想通り這い上がってきた。これが嬉しくないわけがない。
「あぁ――楽しみだ」
「そんなに楽しみなのかい? グレンの息子と戦うことが」
と、不意に誰かがロートの部屋に入ってきた。
腰に届くくらい伸ばされた紅の髪。女性にしてはかなりの長身で、事実ロートよりも背は高い。
「……部屋に入る時はノックしろって言っただろ、エリザさん」
「何言ってんのさ。母親が息子の部屋に入るのに遠慮なんかいるかい?」
ロートの部屋に入ってきたのは、エリザベート・ヴァンピーア。元・王国魔導師団の魔術師で、ロートの育ての親でもあり、第二の魔術の師匠でもある。
「他人のプライバシーくらい守ろうな。それに、俺はアンタの息子じゃない」
「あらら。昔はあんなに「おかーさん」って言ってくれてたのに、時間の流れってのは残酷だねぇ……」
「……別に、嫌いな訳じゃねぇから」
「はは。そうやって素直になれないとこも、アンタの美徳だよ、ロート」
そう言って、エリザベートはロートの頭を撫でる。
「ああもう! だから子供扱いするのはやめろっての!」
「お母さんからしてみたら、子供はいつまで経っても子供のままだよ」
そう言いながら、エリザベートはロートの頭を撫でる手を止めない。
「それで、ロート? アンタ、グレンの息子と戦って勝てるのかい?」
「……当たり前だ。俺は、『閃光』グレン・ミルファクの一番弟子で、『吸血魔女』エリザベート・ヴァンピーアの二番弟子だ。負ける要素なんて、どこにもねぇ」
「そうさね。確かに、アンタはそこらへんの魔術師よりかなり強い。それはアタシが保証する。けどねロート、相手はあのグレンの息子だ。王国魔導師団を引退していなお、現代において最強の魔術師と謳われるグレン・ミルファクの息子だ。アタシもついぞ、アイツには敵わなかった」
「だからどうした。グレンさんはグレンさんで、アイツはアイツだ。これは、俺とシオンの戦いだ。そこにグレンさんも、もちろんエリザさんも入ってくる余地なんかねぇよ。いいかエリザさん。俺は明日、シオン・ミルファクに勝つ」
「――よく言い切った。それでこそアタシの息子だ」
わしゃわしゃと、先程よりも強く、エリザベートはロートの頭を撫でる。
「だぁー! もうやめろっての!!」
「自信を持ちな、ロート。アンタは強い。アタシが十七の時とは全然比べ物にならないくらいにね。だから、明日は頑張ってきな」
「……おう。ありがとな、母さん」
「あ、アンタいまアタシのこと『母さん』って」
「気のせいだ。それより俺はもう寝るから、さっさと出て行ってくれねぇかな」
「はいはい。全く、素直じゃないんだから」
そう言いながら、エリザベートは部屋から出て行く。
「ったく……相変わらずうるさい人だ」
そう文句を言いながらも、ロートの顔は笑っていた。
電気を消す。そしてベッドに向かい、潜り込んで眠りにつく。
――決戦の朝は、もうすぐそこだ。