第13話『Re:Start』
「――はっ」
パチリ、と目を覚ます。勢いよく顔を上げればそこには、
「おや、目を覚ましたかい。シオン君?」
「……アルファルド先生……」
そこには、図書館の主であるアルファルド・ヒドラが居た。
周りを見渡せばそこは図書館の方ではなく、ちょっとした生活感のある部屋だった。
「先生、僕は」
「君はね、図書館の入口で倒れていたんだ。君を見付けた私が、この司書室に運ばせてもらった」
「そう、だったんですか……。ありがとうございます」
どうやら、ゼノさんが言っていたことは正しかったらしい。時計を見ればもう八時前だ。急いで家に帰らねば、二人が心配する。
立ち上がり、傍に畳んであった学院の制服の上着を着る。そして一言、先生にお礼を言ってここから出ることにする。
「それじゃ先生。ご迷惑おかけしました」
「いやなに、これくらいお安い御用さ。それよりもシオン君」
「はい、なんですか?」
「悩み、解決したようだね」
「――――ッ」
その言葉に、目を見開く。
僕は、この人には『欠陥』のことは言っていなかったはずだ。なのに、なんで。
「君が何を抱えていたのかはわからないけど、悩んでいたのはその眼を見ればわかるよ。でも今は、その眼に迷いが無い。だから、直感でそう言ってみたんだが、なかなかどうして、まだ私の直感も捨てた物ではないね」
そう言って、先生は笑う。その笑みは、人を安心させてくれる笑みであり、そして僕を後押ししてくれる笑みだった。
「……はい。ありがとうございます」
一言――先程とは違う意味で――お礼を言い、僕はこの場を後にした。
「――――、」
学校の敷地の外に出て最初に眼にしたのは、明かり。あの【擬似霊界】には無かった、人工の明かりだ。その輝きは、僕に先の出来事が嘘ではなかったと暗に告げていた。
ごくり、と喉を鳴らす。緊張のせいか、手が震える。こんなことをしている場合ではないと言うのに、自然と身体は動き始めている。
「――【小さな焔】」
そして僕は、そのイメージを創った。
そして顕れるのは、小さな焔。その威力と大きさは、儚いと思うくらい、小さい。
小さいけど、それで充分だった。
「……はは、は」
思わず笑い声が出る。
痛くない、痛くなかった。
魔術を創った時、頭に痛みを感じなかった。
欠陥が、直っていた。
「ははっ、はははは!!」
走る。そうせずには居られなかった。
夜の街を駆ける。通行人が僕を怪訝な目で見てくるが、そんなこと、どうでもいい。
心臓が激しく高鳴る。肺が酸素を求めている。血がこれ以上ないっていうくらい全身を駆け巡っている。
だけど、今はそれら全てが心地よい。
やがて僕は、家の前まで着いた。転がるように、家に入る。
「お帰りなさい兄さん。遅かったですね。ご飯はできてますから、先にお風呂に……」
「ごめんアンジェ、ちょっと出てくる! 夕飯は先にシアと食べてて!」
玄関を開けるや否や、すぐにアンジェが迎えに出てくる。しかし僕はその好意を受けず、部屋に戻って道具だけ置いてくる。そしてまた、外へと繰り出す。
「ちょ、兄さん!?」
「ごめん! 事情は後で話す!!」
短く言葉を残し、再び夜を駆ける。
向かう先は、この街を一望出来る丘。
僕の、特訓の場所。
「――――」
妙に頭が冴え渡っている。いや、冴えているのではない。今も僕の脳と心は興奮している。思考を分断したとでも言えばいいのか、その別部分の思考では、冷静に現状を分析、把握していた。これも、【同時魔核処理】の恩恵だろうか。
身体は熱く、心は冷たく。
それが今の僕だ。
丘に辿り着く。当たり前と言えば当たり前だが、人は誰も居ない。
風が吹き、草が揺れる。その冷たい風は、僕の身体を冷ましているようだった。
だけど、僕の熱はそれくらいじゃ冷めなかった。
「――【空気と交わりて――」
言葉を紡ぐ。
それはさながら、詩を詠むように、その言葉を紡ぐ。
ひとつの魔術が完了するたびに、また次の魔術を創る。
炎属性中級魔術【暴発】。
水属性初級魔術【水流】。
土属性中級魔術【崩壊】。
風属性初級魔術【突風】。
氷属性初級魔術【氷槍】。
雷属性中級魔術【雷鳴】。
木属性初級魔術【治癒】。
光属性初級魔術【閃光】。
闇属性初級魔術【暗黒】。
僕の記憶領域に存在する全属性の魔術を、何でもいいから一度ずつ使う。
それは、【劣等魔術師】だった自分が、あらゆる媒体を介して記憶した、知識の結晶。僕の記憶領域には、幾つもの魔術が記憶されている。
それらを、今、顕現する。
「はぁっ、はぁっ」
汗が滴る。当たり前だ。僕は今、とんでもなく馬鹿で、無駄で、そして恐ろしいことをやっているのだから。
周囲への被害は最小限に、幻想を創る。四系統五属性から成るその幻想を。
――ああ。
魔術を使えるという当たり前のことが、当たり前の事実が、こんなにも嬉しいことだなんて。
「ぐっ」
九つ目の魔術である【暗黒】を創り終えると同時に、僕は倒れる。連続で魔術を使った結果だ。まだ魔力切れというわけではないだろうが、それでも反動は大きい。
ちなみに、僕は今【魔力石】を持っていない。今までの魔術は全て、己の魔力によるものだ。
その事実が、僕の疲れを吹き飛ばす。
「ははっ」
地面に倒れ込んで、そのまま寝そべる。寝そべって、上を見上げれば、そこには星屑を散りばめた夜空があった。
その夜空は、いつかの憧憬と同じ夜空で、僕を懐かしく思わせると同時に、僕を奮い立たせた。
もっと、もっと。
僕はまだ、スタートラインを出発しただけだ。
まだ、最高の宿敵の高みには、辿りついていない。
まだ、憧憬の少女の場所に、辿りついていない。
だけど今は、この夜空を眺めていたい。
吹いた風が気持ちいい。木々と草花が揺れる音が心地いい。
(ああ――、)
――今夜はこんなにも、星が綺麗だ。
そして僕は、その後、行動に支障を来さない程度に魔力が無くなるまで、魔術の鍛錬を続けた。