第11話『前兆』
「……はあ……」
シアが来て数日がたったある日、僕は放課後の教室で独り溜め息を吐いていた。
「相変わらず、魔術は使えないなぁ……」
あれから毎日、時にはアンジェやリオに手伝ってもらいながら魔術の鍛錬を行っているが、中々進歩しない。
こんな短期間で結果が付いてくるなんて露ほども思っていないが、こうも全く上達しないなるとモチベーションも下がるというものだ。
「なんか、もっと、根本的なところから間違ってる気がするんだよなぁ」
上手く言い表せないけど、もっと根本的なところから違っている気がする。
僕のこの欠陥は、魔術を自分の魔力で使うと起きる、と幼少期に実験を重ねた結果、両親から伝えられた。それを補うために、【魔術石】と【魔力石】が贈られたのだけど……。
「コレで魔術を使っても、なんか自分で使ってるって感じがしないんだよね……」
道具を使って行使しているから当たり前と言えば当たり前のことなんだけど、これはもう感覚的な問題だ。
「……もう一度、基礎から学びなおすか」
何かに行き詰まったら、初心に帰ってもう一度基礎からやる。初心忘れるべからず。それが僕のモットーだ。
基礎に戻ることで、今まで出てこなかった発想や、知識の再確認などがされるから、意外と良い事づくめだったりする。
思い立ったが吉日。僕は教科書片手に図書室へ向かう。別に教室でやってもいいのだが、僕は何かをするときは図書室へ向かうことにしている。静かだし、人はあまり居ないし。
シーベール国立魔術学院大学の図書室は、もはや室というより館に近い。一応、別の建物にあるわけではないから――というか入口が学院の中にしかないため――図書室と名義されているが、大きさと蔵書量は王立図書館と大差ないくらいだ。
教室から出て間もなく図書室へ着く。古めかしい扉をギギィ…と音を立たせながら開くと、鼻腔に図書室特有の、紙の匂いが入ってきた。
目に入ってくるのは大量の蔵書。古今東西のあらゆる書物が所狭しと本棚の中へと収納されており、通い慣れてなければお目当ての本を見つけるのさえ一苦労する。現に、僕もこの図書室に慣れるまでかなり時間がかかった。
とりあえず魔術学の本を片っ端から読もうと、魔術学関連のある本棚へ向かう最中、この部屋の主とも言える人物に遭遇した。
「――おや、シオン君かね」
「ええ、こんにちは。アルファルド先生」
何かと理由を付けては図書館へ来る僕なので、当然この図書室の主――司書であるアルファルド・ヒドラ先生とも顔なじみだ。
アルファルド先生の階級は【上級魔術師】だ。と言っても、先生はこの階級以上の実力を持っていることを知っている。それこそ、オルフェ先生と並ぶくらいの魔術師ではないかと僕は思っている。
一度そのことを伝えたところ、笑って一蹴されたけど。
先生曰く、『階級だけが、魔術師の本質を決めるものではない』だそうだ。
「君がここに来るのは随分と久しぶりだね」
「はい。最近はいろいろと忙しかったので」
「なに、気が向いた時に来てくれればいいさ。私はいつでも大歓迎だ」
そう言って薄く笑うと、アルファルド先生は「それでは」と一言残し、司書室の方へと向かって行った。
「……さて、僕も目的を果たすとしますか」
当初の目的を果たすために、魔術学関連のある本棚の場所へと再び足を進める。
この図書室の構造は大きく三つのエリアに分かれる。
まず、ここで借りた本を読むためや、自習をするための机がある『セントラルエリア』。次に、魔術学関連全ての書物を収めた本棚がある『グリモアエリア』。そして最後が、魔術学以外の書物、つまり星学や地学、数学と言った一般的な学問の書物を収めた『ラーニングエリア』だ。
このセントラルエリアを中心に、残り二つのエリアに繋がる。(ちなみに僕が今いるのはセントラルエリアだ)
正面から向かって左の扉。そこがグリモアエリアに繋がる扉になる。
両エリアとも五階構造になっており、中心の螺旋階段で各階に移動できるようになっている。セントラルエリアだけは三階構造だが、その分横にスペースを設けているため、理論上は学院の全生徒が入れるようになっているらしい。
「――『ヒトと魔術』これでいっか」
グリモアエリアに入って数十分。この大量の蔵書の中からお目当ての本を探すのはやはり骨が折れるが、それでも最初に比べたら随分と速く見つけられるようになったと自分でも思う。
他にも何冊か手を取り、腰を落ち着けて読もうと、このエリアの階下に向かう。基本的に本はセントラルエリアで読むことになっているが、それはあくまで借りた場合。一応、各エリアでも読めるよう――セントラルエリアに比べたら幾分か小さいが――机があるスペースは用意されている。もっとも、本当に小さいスペースなので、そこを利用する人はあまりいないけど。
「………あ」
「――――」
両手に本を抱え、螺旋階段を降りている途中、ばったりと。
僕にとって因縁の人物――そしてキッカケをくれた人物でもあるロートに会った。
「――ふん」
ロートは僕を一瞥すると、さっさと僕の横を通り過ぎていった。
(うーん。相変わらず気まずいままだなぁ)
あんな出来事があったばかりとは言え、やはり僕としてはロートと仲良くしたい。また、あの時のように。
(どうにかならないのかな……)
そんなことを考えながら、「よっ」と、持ってきた本を机の上に置く。どうやらこのスペースを利用しているのは今のところ僕だけのようだ。
「えーと、なになに」
『ヒトと魔術』という題名の本を早速読み始める。
『魔術とは、かの偉大なる魔術師、ゼノ・アルフェラッツが創った、神秘の具現化ともいえる術である。ゼノは魔術の顕現に多大な努力を重ねたと言われているが、彼の功績で最も大きかったのは、魔術とヒトの肉体の関連性の発見だろう。ゼノは自身を実験体にし、魔術の完成を目指すうちに、以下の事を発見したのだ。
ヒトに肉体には、【魔術回路】と呼ばれる神経回路が存在する。魔術回路とは、魔術を顕現するために不可欠なものであり、魔力を流すためのものでもある。魔術回路は、心臓位置を起点に全身に張り巡らされている。
では、【魔力】とは何か。魔力とは、魔術の発動に限らず、現代では魔道具を製成する為にも必要なエネルギーのことである。魔力は自然界に存在する【自然魔力】と、人体で生成される【人体魔力】の二種類がある。【自然魔力】は大気中に満ちる【四大元素】であったり、人以外の物質に宿る【マナ】であったりする。一方、【人体魔力】は心臓で生成され、血液と同じ要領で魔術回路を流れる。この二種類の魔力を用いて魔術師は魔術を使うのである』
ここまで一息で読んで、ほう、と息を吐く。
【原初の魔術師】。彼の計り知れないほどの努力の末に、現在の魔術が在る。こうした魔術学の本には、必ずと言っていいほどゼノの名前がある。ページの隅を見やれば、彼の肖像画が名前と一緒に記載されている。もっとも、ゼノ自身古代に生きた人間なので、この肖像画に信憑性はない。
【古代魔術】の体系化や【叡智魔教典】など、彼の残した偉業は、今の魔術にも影響を与えている。
――僕も、いつかこの人みたいになれるのだろうか。
ゼノ・アルフェラッツは僕の憧れだ。
もちろん、僕の魔術の師である父さんも尊敬している。そして同時に憧れでもある。
けど、父に向ける『憧れ』と、ゼノに向ける『憧れ』は、同じ憧れという言葉であっても、似て非なるモノだ。
幼き頃交わした約束が頭の中でリフレインされる。
シアと交わした、あの日の約束。もうそれは実現することは出来ないかもしれないけど、それでも僕の根底に眠る大事な憧憬だ。
「……もっと、強くならなくちゃ。――とは言っても、この欠陥をどうにかしないと始まらないよなあ……。ん?」
と、パラパラとページを捲っていると、気になる記述が目に入った。
「これは……」
そのページの章題は『魔核』。
【魔核】とは人間の脳部分にある、魔術を発動させるために必要不可欠なモノだ。その重要度は、魔術回路よりも高い。
ヒトの肉体には魔術回路があり、そこに流れる魔力を用いて魔術を使うと先程のページにも記述されてあったが、そもそもこの魔核がないと魔術は使えない。
魔術発動のプロセスというのは、【起動句】あるいは術者のイメージによって属性が付与された【魔力】が【魔術回路】を流れ、その【魔力】が【魔核】を通った瞬間、そのイメージを持った【魔力】が『魔術』に成り、顕現するというモノだ。
【魔術回路】と【魔力】があっても、それだけでは『魔術』になれない。つまり、魔術を発動させるために必要な要素は、【魔力】、【魔術回路】、【魔核】の三つだ。詠唱に含まれる【起動句】に関しては絶対不可欠というわけではない。
これが、魔術師にとっての【魔核】の重要性だ。
【魔力】、【魔術回路】は必ず、等しくどの人間にもある。だが、【魔核】の有無で、魔術師かそうでないかの違いが分かれる。
これはどういうことかというと、この国……シーベールは魔術大国なので、殆どの人間には魔核があるが――この国の人間が【魔核】を持つのは、魔術の祖であるゼノ・アルフェラッツが魔術師だったからであろう――例えば隣国である【グランティカ帝国】の人間には魔核がないらしい。魔核は遺伝的なモノでもあるらしいから、この国以外――というか、魔術が盛んな国はシーベール以外無い――は、突発的に魔核を持った人間が生まれない限り、魔術師は存在しないと言われている。
これは魔術師にとって常識であることだ。これくらい復習しなくてもわかる。
だけど――。
「【魔核】、か……」
今まで何も気にしてこなかったけど、もしかすると僕のこの欠陥は【魔核】が関係しているのかもしれない。
「……もう少し、詳しく調べてみよう」
解決の糸口が見えたような気がした僕は再び本棚へ赴く。
そうして僕は、閉館時間までひたすら本を読み続けた。
***
「うわ、暗いな……」
アルファルド先生に帰宅を促されるまでずっと本を読んでいた僕は一人、夜の学院の廊下を歩いていた。
夜の廊下は静寂に満ちていて、人気が全く感じられない。歩いていると、まるで自分一人しかいないような錯覚に陥る。
「……早く帰らなきゃ。アンジェとシアも、心配してるだろうし」
コツコツと、足音だけが廊下に響く。
(……やけに響くな)
いくら周りが静かとは言え、こんなにも響くものだろうか、と疑問に思いつつも、歩みは緩めない。
そうして歩き続けて数分が過ぎたころ、ようやく僕は異変に気付いた。
「――おかしい。あまりにも静か過ぎる」
そう、静か過ぎるのだ。下校時間は完全に過ぎ、辺りももう夜になりつつあるとは言え、人気が全く感じられないというのは不自然すぎる。
「――――っ」
急いで来た道を戻る。
先程別れたアルファルド先生なら、まだ司書室にいるはず。
息を切らせながら走る。図書室までの距離が長く感じられる。無論、それは錯覚だ。実際は来た道を戻っているだけであり、距離は変わってなどいない。
ようやく図書室へ着く。息はとうに上がっている。
「――先生! アルファルド先生! いますか!?」
扉を開けるや否や、僕は叫ぶ。だが、返事の声は無く、叫んだ声だけが木霊した。
「そんな――。いない、だって……?」
そんなはずはない、と叫びたかった。僕とアルファルド先生が別れたのはほんの十数分前ほどだ。そんな短時間でここを出たはずがないし、だいいち、ここから校門を出るには、一度本校舎を経由しないと外へ出られないのだ。もし先生が帰宅したとするならば、道中僕と出会わないと辻褄が合わない。
勿論、魔術で帰ったという可能性はないわけではない。けど、空間転移の魔術など膨大な魔力を必要とするし、そもそもそこまでするメリットがない。それにアルファルド先生が空間転移の魔術を使えるなど聞いたこともない。
「一体……何が起きてるんだ」
まるで自分だけ別世界に入り込んだような、そんな気分だ。
自分以外の人間が一人もいない。それが、こんなにも人を不安にさせるなど思いもしなかった。
「……ここでウジウジしてても仕方ない。原因を、探さなきゃ……」
動揺と不安を抱えたまま、再び図書室を後にする。目指すは校門。原因を探す前に帰れるかどうか検証しなければならない。――尤も、その行動は無意味な気がするが。
「人が、誰もいない……」
人気を感じられないと思っていたのではなく、実際に人が存在しなかったという事実に愕然とする。
校門へ向かう道中、職員室にも立ち寄ったが、結果は同じだった。
そうこうしている内に校門へ着く。そしてそこから見える景色を見て気付いた。
「――――街が」
闇に染まっている。
比喩的表現などではなく、確固たる事実として街に光が全くなかった。
あるいはそれは、この空間――学院の敷地全体に、光を遮る障壁を張ったようにも感じられた。
「……ん? 待てよ。ということはこれは……」
――結界魔術か。と一人納得する。少し考えれば思い当たる考えに、よもや見たままの景色の感想で思い当たるとは。自分の至らなさを反省しつつ、校舎の方へもどる。
「――――、」
現状は結界魔術を張った魔術師が誰なのか不明。解決策は無し。つまりこれは……。
「詰み、ってことか……」
思わず天を仰ぐ。先程からやけに明かりが眩しいなと思いつつ、これからどうするか思案しようとしたのだが……。
「って、明かり?」
そんなはずは。と今一度空を見上げる。先程まで星一つなかった暗黒の空が、今はある箇所から放たれる光で僅かに明るく染まっている。
「人がいるのか……!?」
その場から駆け出す。
光が放たれている場所は、この学院のシンボルでもある時計塔の頂上。あの時計塔には、時計盤の裏側に縦横二十メートルほどの小部屋がある。そこから漏れている光が、今この空を照らしている光なのだろう。
冷静になって考えてみれば、そこにいる人物はこの結界魔術を張った犯人なのだと推測できるが、今の僕に、そこまで考える余裕はなかった。
「はぁっ、はっ、はぁ……!」
息を切らせながらも時計塔へ続く階段を駆け上がる。肺が酸素を求めている。しかし僕は止まらない。否、止まれないのだ。
頭が痛い。欠陥が出たときのような痛みに似ている。その頭痛は時計塔に近づくたびに強まっていく。――まるで、仲間がそこにいるかのように。その喜びを痛みで表現しているかのようだ。どちらにせよ、僕にとってはたまったものじゃなかった。
やがて――――。
「着いっ、たあ!」
声を荒らげながら、時計盤裏の小部屋に入る。頭痛は未だ続いている。寧ろ、ここに来て激しさを増したくらいだ。
その痛みを我慢しながら、部屋の中心部へと向かう。
――そこには、一人に人間がいた。その人物の足元には魔法陣が描かれ、その魔法陣から光が溢れ出している。
事ここに至って、僕はこの人物こそが、この結界魔術を張った人物なのだとようやく思い至った。だが、時既に遅し。もうあとに引くことはできない。
小さく歩みを進めながら、その人物に近づく。そして僕から声を掛けようとした矢先。
「やあ」
目の前の人物が、突如声を発した。
そしてくるりと、目の前の人物は僕の方に振り向く。
「――――――な」
その全身を見た瞬間、驚愕で目を見開く。次いで自身の目を疑った。
この人はさっきも見た。否、魔術という世界に入ったときからずっと見続けてきた。憧れの対象でもあった。
シオン・ミルファクという人間にとって、この人物はあまりにも大きすぎる存在だった。
故に、僕にとってこの瞬間、この出会いは信じ難いものであったが、同時に喜びがあったことも否定できない。
だけど、それ以前に、疑問が上回った。
――存在できないはずの人物が、目の前にいるなんて。
「――待っていたよ、シオン・ミルファク君」
ソレは紛れもなく。
最古の魔術師――ゼノ・アルフェラッツだった。