第10話『日常-Ⅱ』
次の日。僕はいつもより少し早く目が覚めた。
いつもと変わらない日常――だったモノが、昨日その在り方を変えた。
「――よし」
ベッドから降りる。時刻は六時過ぎ。当たり前だが、外に人気はない。
だが好都合。すぐに着替えて、階下へ降りる。その際に、まだ部屋で寝てる二人を起こさないよう細心の注意を払う。
「うぅ、さむ」
玄関の扉を開け、外へ出る。いくら夏の刻とは言え、朝は冷える。
だけど、寒いからと言って時間を無駄にしてはいけない。それに、しばらくすれば寒さにも慣れる。
「始めよう」
僕が住んでいる家には、裏手にちょっとしたスペースがある。といっても、本当に狭いスペースで、二人以上で大きな動きはできない。
だけど、一人ならば話は別。それに、魔術の鍛錬となれば、広さはあまり重要ではない。
己の中で、魔術を創る感覚が手に取るようにわかる。
魔術回路を通り、全身を魔力が駆け巡る。
言葉を紡ぐ。
「―――【照らせ――」
詠唱。それは、現代における魔術という術にとって大事なモノだ。
詠唱は基本、一句以上から成る。その詠唱の中に、【起動句】と呼ばれる言葉が存在している。
この【起動句】は、言わばその魔術の『イメージ』だ。色を持った言葉と言えばわかりやすいだろう。魔術回路を通る『無色の魔力』に【起動句】という『魔術のイメージ』を込める、と言った感じだ。
無論、【起動句】が無くとも魔術は創れる。魔術というのは、イメージが重要になってくるからだ。そのイメージさえあれば、魔術は使える。しかし、それを実行できる魔術師は現代ではそうそう居ない。魔力を練りながら、脳内でイメージを構成するというのは、思いの外難しいからだ。【起動句】というのはつまり、そのイメージを補助する役割があると言ってもいい。詠唱要らずの魔術が、その他の魔術に比べて劣るのは、この【起動句】が無いからだ。
「……っ」
詠唱が終盤に差し掛かる。その時になって、また頭痛が起きる。そのせいで、思わず詠唱を中断しそうになるが、なんとか意識を留める。
「――其の輝きを、今此処に】! 【閃光】!」
詠唱を完了する。刹那、僕の右手に眩い輝きを放つ光が出現する。
「よしっ、出来た……!」
「何やってるの、シオン君?」
「うわぁ!?」
詠唱を中断せず魔術を創れたことに喜んでいると、不意に後ろから声を掛けられ、思わず声を上げる。
「び、びっくりした……。いきなり大声出さないでよ」
「それはこっちのセリフだよ、シア……」
「あはは……ゴメンね。あと、おはよう」
「うん、おはよう」
後ろを振り向けば、そこにはネグリジェ姿のシアがいた。(ちなみにシアの衣服は全てアンジェの物だ)
「で、いったい何をしてたの?」
「えっと、まぁその。魔術の鍛錬というか……」
「こんな朝早くから? 私だったらまだ寝てるのに……。頑張ってるね、シオン君。そういうとこ、ちっとも変わってないや」
「そんな。別に褒められるようなことでもないよ」
そう、別段褒められるようなことではないのだ。
僕はただ、自分を乗り越えたいだけ。
乗り越えて、胸を張ってまたロートと勝負したいのだ。
――そして、シアとの約束の為にも。
「で、何か用かな?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど。ただ、足音が聞こえたから様子を見に来たんだけど……邪魔だったみたいだね。部屋に戻るよ。朝ご飯が出来たら、また呼びに来るから、シオン君はそのまま魔術の鍛錬を続けてていいよ」
「あっ、シア」
「んー?」
そう言って部屋に戻ろうとするシアを呼び止める。
「あ、えっと」
言葉に詰まる。喉まで出かかっているのに、その言葉が出ない。
――君は、夢を諦めたのか?
そう聞きたかった。昨日から、ずっと。
幼き日の約束。僕は魔術師。シアは剣士。そして二人で、冒険をする――。
それは僕達にとって、大事なモノ。けど実際には、シアは魔術大国の王女で、王女であるシアが持っていた、あの『剣士になる』という夢はとてもではないが、魔術という道から外れている。
だから、聞きたかった。シア・シーベールは、あの日の約束を――夢を諦めたのかと。
だけど――。
「……いや、なんでもないよ。ゴメン」
「? 変なシオン君」
それを聞くことは、できなかった。
シアは、苦笑しながら今度こそ部屋に戻っていった。
「まぁ……また、今度でもいいか」
ただ、そのことから逃げているだけだと判っていながらも。
僕は、それがなんでもないように、魔術の鍛錬を再開した。
***
「ただいまー」
その日も、何事も無く学校を終え、帰宅する。
模擬魔術戦の次の日、ということもあってか、登校したらすぐにクラスメイトから質問攻めにあったこと以外は、いつもと変わらない日だった。ロートも、いつもと変わらず僕に対して一線を置いたままだった。
「あ、お帰りシオン君。ご飯できてるよ」
「うん、ありがと。ごめんねシア。炊事なんかさせちゃって」
「いいのいいの。私は居候の身だからね。これくらいはさせてもらわないと」
「いやでも、シアは王女様だし……」
「あのねシオン君。私はいま、『シーベール王国第一王女』としてじゃなくて、『シア・シーベール』としてキミと接してるんだから、変に固くならなくていいからね」
「う、うん……」
有無を言わせぬその態度に、僕は頷くことしか出来ない。
そしてシアに言われるままに、一度部屋に戻って着替え、食卓へ向かう。
「おお……!」
食卓の上には、これでもかと言わんばかりの豪勢な食事が並べられていた。
「へへーん。どう?」
「すごいね、予想以上だ」
「ちゃんとアンジェちゃんに試食してもらったから、味の保証はするよ」
「あれ、そういえばアンジェは……」
いつもなら僕が帰宅するといの一番に出迎えてくれるアンジェが、今日に限って出迎えてくれなかった。そのことを不審に思い、部屋を見渡す。
アンジェは、部屋の隅で蹲っていた。
「ア、アンジェさん……?」
「兄さん。わたしは、どうやら要らない子みたいです……」
近寄らないでオーラを出しながら、アンジェは実に暗い顔で僕に返事をする。
「シアさんはズルいです。あんなに綺麗で、魔術の腕もわたしより上ですし、しかも王女様。兄さんとは幼馴染で、わたしの知らない思い出も沢山持ってる。……ですが、料理では負けないと、そう思っていたのに、唯一自信を持っていた料理でさえシアさんに負けてしまっては、わたしの存在意義なんてありません……」
「あー……」
どうしよう。これ、僕なにも言えないやつだ。
僕がどうやってアンジェの機嫌を戻そうか悩んでいると不意に、
「はっはーん。アンジェちゃん、そんなに私に負けたのが悔しかったのかぁ」
と、いきなりアンジェを煽るようなことを、僕の隣にいる輩は言い出した。
「……どういう意味ですか、シアさん」
「どうもこうも、そのままの意味だよ。そりゃあ、今までシオン君の胃袋を支えてきたのアンジェちゃんだったのに、その役割が私に取られたら悔しいよねぇ」
「……っ」
「このまま家事全般を私が請け負うとしたら、それこそアンジェちゃんは要らない子になっちゃうね」
「~~~~っ!! もう、頭にきました!!」
煽りに煽った結果、ついにアンジェがキレた。
「見ててください! すぐに貴女を追い抜いて、貴女にギャフンと言わせてみせますから!!」
「あはは。楽しみだなぁ。でも、そう簡単には抜かれるつもりはないよ?」
「それを抜いてこその勝利じゃないですか。他のことに関しては貴女を認めますが、こと料理に関しては絶対に負けません。いいですか、兄さんの胃袋を支えるのはわたしです!!」
「うんうん。勝者は常に敗者からの挑戦を受けるよ」
そう言い終わるや否や、アンジェは切り替えた様子で「さぁ、夕食にしましょう!」と僕らに言ってきた。
「ねぇシア」
「ん?」
「さっきの、狙ってやった?」
「さぁ? どうだろうね。単に、私がアンジェちゃんをからかいたかっただけかもしれないよ?」
「……ありがと」
「だから、お礼を言われるようなことはしてないって」
シアはそう言いつつも、若干横を向く顔が赤い。
「……まぁ、何はともあれ」
変な形ではあるが、アンジェとシアが仲良くしてるようで良かったと思う僕だった。