幕 裏『ロート・ウィリディス』
ちょっとしたおまけというか、裏側の話です。
シオン・ミルファクという人間が何を思い、何を決意した。その間にも、裏側では時間は進んでいます。
今回は、そんな裏側で彼がどうやって生きてきて、そして何を思い、何を考えていたのか、そんな話です。
「――あぁ、クソ」
シオン・ミルファクとの模擬魔術戦が終わり、魔導館を後にしたロートは、独り悪態を吐いていた。街は沈みゆく夕日に照らされながら、静かに、その色を闇に染めていっている。
「クソ、もっと言い方ってもんがあるじゃねぇかよ……」
もっとも、悪態を吐いていた相手はシオンではなく、自分自身だったのだが。
「あー。この性格どうにかしてぇ」
「いやいや。それはお前らしくていいぞ、ロート」
延々と独りごちていたロートに、話しかける人物がいた。
「なんだ、先生か」
「なんだ、とは失礼だな。これでもお前らの担任なんだぞ」
その人物は、先程まで模擬魔術戦の立会人をしていた、オルフェ・ウルフェンその人だった。
「しかしロート。相変わらずお前、学校の外だったら学校みたいに、先生に対してちゃんとした敬語使わんのな」
「当たり前じゃないっすか。あんな堅苦しいの、学校の外でもやってられるかっすよ」
ロートはウンザリ、といった表情でオルフェに語りかける。オルフェは半ば呆れ顔になりながら、ロートに再度質問する。
「なぁロート」
「なんすか?」
「お前さ、実はシオンのこと励まそうとしてただろ?」
「~~~~~っ!?」
不意に放たれたオルフェの言葉に、ロートは激しく動揺する。その証拠に、不安定な敬語が、完全に敬語ではなくなってしまった。
「なっ、なんのことだよ」
「いやいや、照れなくてもいいって。そりゃ、あんな言い方してたら誰だって気付くさ。もっとも、シオン自身は気付かないかもしれないけどな」
「いや、だから……!」
「今回の模擬魔術戦、単にシオンを貶すのが目的じゃなく、『欠陥』を抱えてるシオンをどうにかしてやろうと、発破かける算段だったんだろ?」
「……………」
オルフェの物言いに、ロートは黙り込む。図星を突かれたからではない。もちろんそれもあるが、なにより――。
(……相変わらず、食えない魔術師だな。伊達に王級魔術師じゃない、か)
相手を見透かしたような、オルフェの観察眼に畏怖しながら、ロートは言葉を重ねる。
「なんで、そう思った?」
「まぁ、とりあえず座れよ。話はそこからだ」
「おい、質問に答えろって……!」
オルフェは肩を竦めながら、そのまま近くのベンチに座る。座り終わるや否や、ロートを手で招き、座るよう促す。その招待に与るように――質問を受け流された為、少し不満気だが――ロートはオルフェの横に腰を下ろす。どうやら、少し長話になりそうだ。
「昔々、シーベールの端に、ある小さな村がありました」
唐突に、何の前触れもなく、オルフェは静かに語り始めた。
「その村は何の変哲のない、どこにでもあるような小さな村でした。人口は一〇〇に満たない村ではありましたが、住人はみな優しく、互いに手を取り合い、助け合いながら、日々暮らしていました」
その語りは、さながら詩を詠むような、聴く者を引き込ませるような語りだった。
「その村には、一人の幼い少年がいました。少年と呼ぶにはまだまだ幼すぎた彼は、まだ世界を知らず、こんな日々がいつまでも続くのだと思っていました。しかし、彼の幻想は、儚くも崩れ去ることになります。
今から十二年前。その小さな村は、ある組織によって一夜にして滅びました。村人は死に、そこは無の地となりました。始まりは唐突で、終わりは一瞬。そんな、寒い寒い冬の出来事でした」
「それ、は」
「一夜にして滅びた村。そんな中で、少年はただひとり、生き残りました。しかし、少年は衰弱しきっており、とても自力では生き延びれる状態ではありませんでした。死を待つだけだった少年の前に現れたのは、事態に駆けつけた、一人の王国軍魔術師でした。その魔術師は少年を保護すると、王都ソニアベルクへ連れ帰り、少年の命を救いました」
「――――――」
「命を救われた少年は、自分を救った魔術師にこう願いました。「力をくれ」と。幼いながらも、少年は力を求めたのです。そしてその魔術師は、その願いを聞き入れました」
そこで言葉を区切り、オルフェはロートの方を向いた。彼の灰色の双眸が、自分をじっと見つめてくる。
「その村の少年というのが、ロート・ウィリディス。お前だろ?」
「――――ふん」
「おや。意外と驚かないな。どうしてオレがお前のことを知っているのか、気にならないのか?」
「【叡智魔教典】、だろ? それ以外有り得ない」
【叡智魔教典】。それは、古代から現代に至るまでに起きた全ての出来事――正確に言えば、古代から統一戦争までの出来事と、統一戦争以降はシーベールに起きた出来事である――と、この世界に存在する魔術知識が全て書き記された、万能にして叡智の詰まった書である。【叡智魔教典】は――これが起きることはそうそうないと思われるが――四大元素の魔力による魔力供給が尽きない限り、その内容を更新し続けるという。これを創ったのは彼の魔術師、ゼノ・アルフェラッツであり、その原理は古代魔術、それも星魔術のひとつとされているが、未だ詳しいことは判明していない。
「加えてアンタは【王級魔術師】だ。【叡智魔教典】への干渉権限は俺たちよりずっと上だろうしな」
この叡智の書は誰でも読めるかと言ったら、そうではない。【叡智魔教典】にはある封印が施されており、階級に応じてその内容が段階的に開示される仕組みとなっている。
「ま、流石に判るか。その通り。オレは持てる干渉権限を使ってお前に関する情報を集めさせてもらった。お前が入学してきた頃にな」
「つまり、一年前から俺のことを知っていたのか」
そういうことになるな、と。オルフェは笑う。
「勝手に調べたことは謝る。済まなかった」
「おいおい。今更謝られてもこっちが困るし、それに俺は別に何とも思ってないしな。それにアンタのことだ。そうする必要があったか、或いはアンタの直感が、俺について調べろと判断したんだろ?」
「はは。オレの直感が判断するって、一体どういうことだよ」
苦笑しながら、オルフェは話を続けようとする。夕日は殆ど沈み、周辺の街灯は疎らにつき始めていっている。二人が座っているベンチのすぐ傍にも街灯がひとつあるので、話す分には問題ないだろうと判断し、ロートもオルフェの話に耳を向ける。
「オレがお前について調べたこと。それは、お前の生い立ちについてと、お前の魔術についてだ」
「―――――」
予想はしていた。やはり、自分のことについてと言われたら、これ以外には有り得ないだろう。
「オレがお前について調べようと思ったのは、お前が学院に入学して直ぐにあった、実技の様子と、その結果を見てだ」
「入学直後の実技……。おかしいな、俺はあの時、普通に実技課題をこなしただけだったと思うんだが」
「伊達に、王級魔術師じゃないからな。一目見て気付いたよ。お前は他に入学してきた奴らと違って、あまりにも魔術の生成――いや、魔力操作に慣れすぎていた。アレは、少なくとも、数十年単位で魔術に触れてないと、辿り着けない領域だ」
「それは、あまりにも飛躍しすぎじゃないか? 俺以外にも、そういう奴がいるかもしれないじゃないか」
「いいや。それはまず無いな。近年、この学院に入学してくる奴は大抵貴族の跡取りだったり、才能を認められて、特別推薦や地方推薦で入学してきた奴らだ。いずれにしても、経験と技術が足りてない」
「……それは、シオンもか」
「いや? アイツは別さ。アイツはただ、封じられているだけだからな」
「……! やっぱアンタ、シオンの欠陥の理由も知ってたな? 知ってた上で、アイツに何もしようとしなかった」
「おいおいロート。さっきと言ってる事が違うぜ? 何かを変えるのは、自分自身じゃないと駄目なんだろ?」
「う……」
にやにやと、見透かしたような視線でオルフェはこちらを見る。
――やっぱり、コイツは苦手だ。
「それに知ってても、アイツのことはオレにはどうにも出来ないからな。……話が逸れたな。話を戻すぞ」
「あ、ああ」
「入学時点で、お前の魔力操作は他の奴らと比べて群を抜いていた。そして今日の模擬魔術戦――お前の【速攻詠唱】の強さについてもだ。その理由がなぜなのか、気になったオレは、」
「【叡智魔教典】に干渉して、俺のことを調べたってわけか」
「そういうことだ。で、調べた結果、オレはお前の魔術の強さの理由について理解したよ。なるほど。確かに、そうだとすればお前の力にも納得だ。そして、お前がシオンに必要以上に構う理由もな。いやまさか、王国魔導師団長から直々に教えを受けていたとはな。なら、今日の【速攻詠唱】についても納得だ」
「……ああ、そうだ。全て、先生の知ってるとおりさ」
そこで言葉を区切り、ひと呼吸する。
「俺はシオンの父――『閃光』グレン・ミルファクの一番弟子だ。あの人に初めて教えを受けたのは、俺が四か五歳くらいの頃だ。村が滅び、そのまま死んでいくだけだった俺を、グレンさんは救ってくれた。そして、勝手ながらも、力を願った俺に、力を与えてくれた」
「……なるほど。シオンより一年と少し早いか。しかし、たった一年とはいえ、そこまで差が出るものか」
「羨ましい限りだ」と、眼前の王級魔術師は告げる。
才能という括りで見るならば、オルフェ・ウルフェンこそ才能の塊ではないのだろうかと、ロートは思う。
オルフェ・ウルフェン。幼少期、かつて『神童』と呼ばれた彼は、十五の時、地方推薦でシーベール国立魔術学院へ入学する。その時点でまだ階級を得ていなかった彼は、入学試験の際、学院側から【上級魔術師】の階級を貰う。学院史上、前例のない出来事だった。
その後、彼が学院を卒業するまで、彼は数々のめざましい成績、業績――【固有魔術】の開発や古代魔術の内容解明、探求。【召喚魔術】の成功など――を残し、学院卒業と同時に【王級魔術師】へ昇格する。
学院卒業後は魔術講師学校へ進学し、講師資格を得て、現在に至る。
「俺からしてみれば、アンタの方が羨ましいよ」
「オレの人生なんて、大したモンじゃねぇよ。オレはただ、夢を見ただけだ。夢に向かって突っ走った結果がこれだっただけの話さ」
ただの愚かな夢だ、と。何処か皮肉そうに、彼は嗤う。
「オレの話なんざどうでもいい。それで続きは? オレが【叡智魔教典】で調べられたのはここまでだ。アレにはただ、事実しか書かれてなかったからな。詳細は知らないんだ。聞かせてくれよ、お前の話を」
「そんな面白い話じゃないぞ。
あの後……俺が住んでいた村が滅びた後、俺は当時、王国魔導師団長だったグレンさんに救われて、王都に連れて行かれた。そこから一ヶ月くらい、治療とかを受けて、それが終わり次第俺は孤児院に連れて行かれる予定だった」
「普通はそこでグレンさんが引き取ってくれた、とか美談的な展開になるんだろうが、違うっぽいな。……そうか、シオンが居たからか」
「そういうことだ。流石に、グレンさんも自分の家庭で同い年の子供を二人育てるのは無理と思ったんだろう。その時はまだ現役だったからな。グレンさんが魔術師団長を引退してたら、また違ったんだろうけど」
「でも、お前は孤児院には行かなかったんだよな? グレンさんから魔術の指導を受けたんだろ?」
「まぁなんというか……。俺がグレンさんに魔術を教わりたいって言ったら、あの人は俺を王国魔導師団で身柄を預かるって言い出したんだ」
「……驚いた。まさか、王国魔導師団に預けられたとは。なるほど、そこでお前はざっと十年間以上、魔術師のエキスパート……いや、天才達に、直接指導を受けたのか」
「端的に言うと、そうなる。生活面に関しては、王国魔導師団の人に俺を引き取ってもらったから問題無かった。今もその人のもとで暮らしてる。と、こんなもんだよ。俺はそのまま、王国魔導師団の人達に魔術を教わって、魔術を俺なりに研究した結果が、今の俺だ」
「そういう、ことか。なるほど、色々合点が行った。済まんな、ロート。オレの勝手な我儘に付き合ってくれて。お前にとっても、これはあまり触れられたくない話かもしれなかったしな。」
「いいよ別に。かなり昔のことだ。もう殆ど覚えてないよ」
つまりはそういうことだ。
ロート・ウィリディスは不運にも故郷を失くし、そして幸運にも王国魔導師団の人に救われて、力を得た。
ただ、それだけの話だ。
「だが、ひとつだけ氷解してない疑問がある」
「なんだよ?」
「お前の速攻詠唱についてだ。なぜお前は、師であるグレンさんより速攻詠唱の扱いに長けている?」
「単純なことだよ。俺は魔術を教わり始めてから、魔術という概念に対して効率だけを求め続けた。先人がつくり上げた偉業なんて知ったこっちゃねぇよ。俺は愚直なまでに、何をどうやったら魔力消費が少ないか、どうしたら威力が強くなるか、どうしたら師のように速くなれるか、それだけを求め続けた。その結果がこの技術――俺だけの固有詠唱、【超速攻詠唱】だ」
「【超速攻詠唱】……」
「グレンさんは、元から俺に備わっていた、魔力操作のセンスを見抜いていたんだ。その上で、俺に速攻詠唱を教えたって、後から俺に聞かせてくれた」
「……お前それ、なんてことのないように言ってるけど、王国の魔術協会に一言申せば一気にお前の階級上がるぞ。下手すると、オレより上がるかもな」
「帝級魔術師にか。はは、もしそうなったらすごいな。ま、もとよりそんな気なんてさらさらないけどな」
「そうだろうと思ったよ」
言葉を区切る。
自分が話せることは、これが全てだ。ロート・ウィリディスという人間の全てだ。
ひとつだけ、話してないことと言えば。
「俺が」
「ん?」
「俺が、シオンに必要以上に構う理由。それを話してなかったなって」
「ああいいよ。なんとなく、察しはつくしな。大方、グレンさんに頼まれたんだろ? シオンをよろしくって」
「半分正解。確かに、キッカケ自体はグレンさんに頼まれたからだ。けど、頼まれたから構うってわけじゃなくて、俺がそうしたいからそうしているだけなんだ。今でこそ距離は置いてはいるけど、今でもアイツは、俺の大事な友達だ」
――キッカケなんてどうでもいい。大事なのは現在だ。
座っていたベンチから立ち上がる。辺りは既に真っ暗となっている。こんな夜ならば、襲撃にはもってこいだろうと、つい場違いな考えをしてしまう。
不意に、遠くで何か足音のような音が聞こえたような気がしたが、気のせいだろうか。
「それじゃ先生。俺はこれで失礼します」
「今更敬語使われても違和感しか感じないんだが」
「まぁ、そこは気にせず。それでは、また明日」
「ああ、また明日。今日はありがとうな」
背を向けて歩き出す。そして思い返すのは、今日の模擬魔術戦。
ロートは、いずれ来る戦いに胸を躍らせていた。
ロートが知るシオン・ミルファクなら、ここで何もしないような人間ではない。ましてや、今日の模擬魔術戦であれだけ焚きつけたのだ。ここで何もしないようだったら、ロートは何度でもシオンに模擬魔術戦をするつもりでいた。
それにひとつ、確信したのは。
「這い上がって来いよ、シオン。俺は、お前の眼を信じるぜ」
あの時――半年前、シオンの在り方を突きつけた時――のシオンの眼と、今日のシオンの眼は、似ているようで、全く違うモノだったということだ。
小さく呟いたロートの声は、再び聞こえた足音のような音と一緒に消えていった。