咲弥の学園事情5
「ちょっとよろしいかしら」
声をかけられ、ぼんやりとベンチに座り込んでいた咲弥は顔を上げた。
いつの間に現れたのか、咲弥を取り囲むように、数人の女子生徒が立っていた。
「ええと、竹之内さん?」
中心に立つ少女は、咲弥と同じクラスで、ありさとよく一緒にいる生徒だ。
その周りを囲むのは、同じクラスの者もそうでない者も混じっている。
共通するのは、綺麗な顔の中に見え隠れする、人を見下すような表情だ。
「あら、わたくしの名前を覚えていてくださったのかしら。光栄だわ」
「当たり前ですわ、凛華さま。凛華さまのお名前を知らない生徒など、この学園にはおりませんわ」
「そうですわ。そもそも光栄なのは、この方のほうではありませんか。本来なら凛華さまに直接話しかけていただけるような身分では、ないのですから」
身分。
平成のこの世に生まれてきて、初めて言われた言葉に咲弥はしばし放心する。
「そんなことは良いのですわ。学園に来れば、形だけでもクラスメイト。わたくしがクラスメイトに話しかけることは当然のことなのですから」
凛華が鷹揚にそう言うと、周りの少女たちは彼女を賛美の視線で見つめた。
……この茶番はいつ終わるんだろう。
下手な三文芝居を強引に見せられているような気分になって、咲弥は綺麗な顔の下でため息をついた。
「それはそうと、あなた、先程は睦月さまと何をお話していたのです」
「……睦月さま?」
誰のことか一瞬分からず、咲弥は首を傾げた。
「そうですわ。生徒会長の睦月さまです。とぼけても無駄ですわ。私たち、ずっと見ていたのですから」
「……見ていた? ずっと?」
「ええ。だから言い逃れは出来ませんわよ」
「別に言い逃れをするつもりはないけど。何を話したっけな」
周りを取り囲む少女たちの険悪な雰囲気に、迂闊なことは言えないと咲弥は判断した。
男の恰好をした咲弥にさえ敵意を抱くような少女たちなのだ。
凛華たちがどこから見ていたのかが分からないが、睦月が雅と話す咲弥を威嚇しに来た、と少しでも匂わせれば、彼女たちはどういう反応をするのか。
ありさが雅の敵ならば、凛華たちもまた雅の敵なのだろう。
「会長は特待生の俺が食堂に行かないのを遠慮してると思ったみたいで、話しかけてくれたんだよ。他にも困ったことはないか聞かれたけど、クラスでは優しい女の子たちが助けてくれるから大丈夫だって答えたんだ」
咲弥の答えは凛華たちが想像していたものとは全くかけ離れたものだった。
「……え?」
「だって、そうだろ? 竹之内さんはきっと困っている子がいたら、真っ先に助けてあげるでしょう? だからわざわざ会長の助けなんかなくても、クラスの子が助けてくれるからいいって言ったんだ」
第三者の目から見て、凛華が他人を助けたことなど一つもない。
助けられて当然だという揺るぎない認識を持った、生粋のお嬢様なのだ。
だからこそ、咲弥に「助けてあげてるでしょう」と断言されて凛華は舞い上がった。
「え? わたくしが誰かを助ける?」
「そうだよ。今だって、会長に睨まれてた俺を心配して助けに来てくれたんでしょ」
「え? あら? それは……」
思わぬ展開に少女たちは困ったように顔を見合わせた。
彼女たちは決して人助けのために行動しているのではない。
自分たちの邪魔になる人間を攻撃し、排除するために行動しているのだ。
だが彼女たちも人の子。
自分たちが決して出来ないと知っているからこそ、他人のために無償の愛を注げる、そんな存在に憧れを抱いたりもする。
「本当に学園の女の子たちって優しいよね。俺みたいな男か女か分かんないような奴にまで声をかけてくれるんだから。しかも優しくて可愛いって、ちょっと反則だよね」
くちびるの端に微笑を浮かべ、ちらりと斜め下から見上げる咲弥の瞳に射抜かれ、凛華たちは雷に打たれたかのような衝撃を受け、固まった。
自分がこういう顔をすれば、女の子がどういう反応をするのか、知らない咲弥ではない。
反則を使っているのは咲弥の方なのだ。
一方、凛華たちお嬢様は褒められることには慣れていた。
生まれた瞬間から、彼女たちは家族や使用人たちから綺麗だ可愛いと賛辞の言葉を惜しみなく与えられ育ったのだ。
褒められるのは当然のことであり、彼女たちにとってはごく日常のこと。
だが学園に来てから彼女たちの環境は一変した。
ここには彼女たちを褒め称え、甘やかしてくれる家族も使用人もいない。
学園の男子たちは思ったより粗野なものが多く、数少ない睦月のような紳士的な男子は、なぜか凛華たちお嬢様に近づこうともしなかった。
入学すれば、学園の男子たちは自分の元に跪くものだと思い込んでいた凛華たちは、思いもよらない環境の変化に嘆き悲しんだ。
それに追い打ちをかけたのは、入学早々飛び込んできた学園のアイドルと特待生の婚約話。
凛華たちの嘆きが怒りに変わるのに時間はかからなかった。
私たちは蔑ろにされていい人間ではないのだ、と心の中で叫ぶ彼女たちは、何よりも他人からの称賛に飢えていたのだ。
そこに投下された咲弥の甘い賛辞は、彼女たちの心に甘い毒のようにじわじわと染み込んでいった。
「こ、困っている人に優しくするのは、当然のこと、ですわ」
頬を赤らめ、当惑しながら凛華はそうつぶやいた。
ついさっきまで咲弥を攻め立てていた、あの勢いが嘘のようだ。
「そうだね。きっとみんな大切に大切に育てられたから、こんなに可愛くて優しい女の子になったんだね。でも俺は心配してもらわなくても大丈夫だから。ありがとう。みんな」
そう言って咲弥は立ち上がる。
周りを囲んでいた少女たちは、見下ろしていた咲弥を自然に見上げる形になった。
戸惑った表情で見上げる凛華の髪に、咲弥がそっと触れる。
「花びらが」
凛華の髪に付いていた遅咲きの桜の花びらをそっと取って、咲弥はにこりと笑った。
咲弥が女子であることは、みな分かっている。
だが、至近距離で投下された咲弥の笑顔の威力に、抗える者はその場にいなかった。