咲弥の学園事情3
「この婚約が誰にも祝福されないということが、いい加減お分かりにならない? 朝霧先輩。それとも私の言葉が通じないのかしら」
少し離れたところに置いてある木のベンチに、二人の女子生徒の姿があった。
一人はベンチに腰掛けて静かに聞いている、さっき購買で会った雅という先輩。
ありさはその前に立ちはだかり、きつい言葉を雅に投げつけていた。
ありさの演説がひと段落したところで、手元を見つめていた雅が顔を上げる。
「何度も言うようだけど、そういうことを私に言われても困るの。婚約を望んだのはあちらで、私が身分不相応だということは、私が一番よく分かっている。だから、説得するならあちらを説得してくれないかしら。たとえ私が婚約破棄を望んでも、それが叶えられることはないと思うわ」
「まあ! なんて図々しいんでしょう! 貴島さまの寵愛をいいことに、貴島さまの名前を出せば、誰もが黙ると思ってらっしゃるのね! でもいいこと? 化けの皮は今に剥がれてしまいますわ! その時になって泣くのはあなたですのよ? あの時、私の言うことを聞いておけばよかったと、後悔する時が必ず来ますわ! そうなってからでは遅いのですよ」
「……あのね」
「なんて強情で恥知らずな方なんでしょう! 私はこの婚約、絶対に認めませんわよ!」
そう叫ぶなり、ありさはくるりと雅に背を向け、咲弥がいる方とは反対方向に走り去った。
「あ」
思わず、隠れていた校舎の陰から一歩踏み出してしまったのは、一瞬見えたありさの顔が、まるで泣いているように見えたからだった。
「あなた、さっきの」
ありさを追いかけようと踏み出した咲弥は、雅の声に足を止めた。
「あ、えっと、すみません。聞こえてしまって」
まっすぐ見つめる視線の強さに、思わず視線が逸れ、言い訳めいた言葉が咲弥の口をついて出た。
「一緒に、ごはん、食べる?」
思いがけない言葉に顔を上げると、ベンチに座った雅がさっき購買で買ったレジ袋を掲げて微笑んでいた。
「よく、あるんですか?あんなこと」
そう尋ねて、咲弥はおにぎりにかぶりついた。
雅はパンを小さくちぎり、口に運ぶ。
「うん。そうね。特待生の私が、この学園のヒーローと婚約しちゃったから、仕方ないんだけどね」
パンを咀嚼しながら、雅は苦く微笑む。
「ヒーローさんは、守ってくれないんですか?」
「この春、卒業しちゃったから。なかなか在学中みたいにはね。近くにいられないから」
「なら、あまり一人にならない方がいいんじゃないですか?」
「うん。そうだね。分かってるんだけど、時々、人に囲まれてるのが息苦しくなっちゃって。いつも幸田くん達には叱られるんだけど」
「そうなんですか」
「あなたは、一年生?」
「はい。実はさっきの子、俺のルームメイトで」
「え?」
雅が目を見開いた。
「あ、俺、こう見えて女子なんで。すみません。びっくりさせて」
「あ、そう、なんだ。ごめんね。びっくりして。でもこの学校、綺麗な男子が多いから」
「こんな恰好してる方がいけないんで。すみません。で、ありさはいつも先輩にあんな感じなんですか?」
「うん。そうね……」
「やめるように、言いましょうか」
咲弥の提案に、しばらく雅は黙ってパンを咀嚼していた。
「あの子、悪い子じゃないと思うんです。部屋ではあんな感じじゃないんだけど」
そう言う咲弥に、雅はうっすらとほほ笑む。
「なにも言わなくてもいいわ。あの子一人が言わなくなっても、他に私に進言してくる子はたくさんいるから。それに、あの子も言わなくてはならないんでしょうし」
「言わなくてはならない?」
「そうよ。私は例外だけど、この学園で婚約をするということは、本人同士だけの問題じゃない。家と家との問題だから」
「家と家」
咲弥の脳裏にさっき見たありさの泣きべそ顔がよみがえる。
「面倒だけど、話だけは聞くわ。いうことは聞いてあげられないけど」
そう言って、雅は残ったパンを口の中に放り込んだ。
「あなたは今日見たことは何も言わないでおいてあげて。きっと彼女傷つくだけだろうから」
「強いですね。雅先輩は」
思わず咲弥がそう言うと、雅は目を丸くした。
「強い?」
「そうです。誰にも助けを求めないなんて」
そう言う咲弥に、雅はクスクス笑う。
「ちがうちがう。面倒なだけ。私の周りはややこしい人が多いから、助けを求めると面倒なことになっちゃうの」
「そう、なんですか」
「うん。だから大丈夫。あの子たち、言葉だけで、直接なにかしてくることはないから」
「じゃあなにか俺に力になれることがあったら、なんでも言ってください。あんなありさを見たのに、知らんぷりなんて、俺できないから」
思わずこぶしを握る咲弥に、雅が苦笑いを浮かべる。
「あなたって、女の子にモテるでしょ」
「え?」
「助けるって言ってくれてありがと。でもあんまり簡単に女の子を助けると、あとが大変だよ?」
「えっと、そうですか?」
どういう意味か分からず首を傾げる咲弥に、雅が「やっぱり無自覚か」とつぶやいた。