フラグ
休み時間。
今野さんが、次の授業の教科書とノートを抱きしめて、古波鮫委員長と俺をちらちらと見比べている。
あ、こちらに向かって来た。
「あの、ソーマくん。英作文の宿題で、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
選んで貰えた! 委員長に勝った!
心の中で大きなガッツポーズを決める。
まあ、俺の方があきらかに今野さんと交流を深めているからな。当然だろう。
「なんか今野さんに勉強を教えるのって久しぶりなような気がする」
「いつもは美鳥ちゃんに聞くんだけど、ちょっとつかまえられなかったの」
確かに教室内を見回したところ、羽原の姿は見当たらない。
ナイスアシスト、羽原!
さっそく今野さんの質問に答える。
彼女は俺の話を聞きながら、とても真剣な目で俺の手元を見ている。
可愛い。こうして少し下を向くと、睫毛の長さが際立つな。
あ。俺を見た。可愛い。
――って。
俺は今野さんに見とれていつの間にか喋るのをやめていて、今野さんは俺の言葉を待って顔を上げて、ただ二人で黙って見つめ合っているみたいな形になってしまった。
恥ずかしすぎる。
俺は慌てて説明に戻った。今野さんもまた、ノートに視線を落とす。
「なるほど……わかったかも!」
「ごめん、あんまり教え方上手くなくて」
「ううん。私、ソーマくんの説明、好きだよ?」
英語の授業の始まりを告げるチャイムが鳴った。
今野さんは自分の席に戻る。
か……軽々しく好きとか言うんじゃない! 勘違いするだろう!!!
これだから! もう! ヒロインめ! 天然小悪魔!
激しく動揺した俺は、授業中ずっと「ソーマくん(の説明)好きだよ?」の部分だけを頭の中でリフレインすることになるのだった。
後で少し、外に出て頭を冷やそうか。
季節はもう冬になっていた。
なんだかんだで、後期中間試験の勉強も、今野さんと一緒にすることになった。
「私はソーマくんに教えてあげられることなんてなくて、私ばっかり得なんだけど、いいの?」
今野さんはとても申し訳なさそうに言った。
そんなことはない。むしろ俺は、今野さんと一緒にいるただそれだけでお得だらけだ。
「ほ……放っておけないし」
「ソーマくんの勉強時間、とっちゃわないかな?」
「いや俺、いつもは特に試験前に勉強とかしないし、これでも増えるんだよ」
「……? ???」
彼女は煙に巻かれたような顔をしている。
談話室に着くと、すでに多くの生徒達がいた。
席を取り、自販機でジュースを買い、勉強会を始める。
俺は勉強をするフリをしながらひたすら今野さんを眺めて、ときどき彼女がつまずいて質問をしてきたときに助けるだけ。なんて楽な作業で、幸せな時間だろう。
一時間ほど経ったところで軽い休憩に入る。
小腹が空いた俺は、パンを買ってきた。
「学校のパンって美味しい?」
「割と。少し食べてみる?」
「うん」
一瞬そのまま渡そうとしたが、そこまでの仲じゃないなと気がつき、ちぎって渡す。
「甘くてふわふわだね~。ソーマくんはよく食べてるの?」
「部活の前にエネルギー補給をしたいときとか」
「お昼はいつもコンビニのお弁当だよね?」
「あ、うん。気軽だし。うち、両親共働きでかなり忙しいし、母親もそれほど料理をすることが好きなタイプじゃないから」
「そっかー」
あ。これは。
もしかして、勉強を教えたお礼に手作り弁当とか貰えちゃう流れです?
「学食は?」今野さんが続ける。
「何度か行ったよ。まあまあだよ」
「私、食べたことない」
「……じゃあ明日一緒に行く?」
「うん!」
……なにかしくじった気がするぞ。
次の日の昼休み。紅谷の残念そうな声が聞こえてきた。
「えー。璃子、今日、お弁当じゃないの?」
「ごめん! 言うの忘れてた……」
謝る今野さん。だが、紅谷は責めるどころか、
「へー。ソーマとランチデートですかー。ひゅーひゅー☆」
盛大に茶化してきた。
「えっそんな、麻未ちゃん……」
デート。
デートだと。
「学食はお弁当持ち込み禁止だし、私たちはついていけないわね、残念。面白そうなのに」
面白そうって何だよ、羽原。
しかし。デートだと。
途端に緊張してきた。
俺は、上手くエスコートできるのだろうか。
「どれがオススメ?」
今野さんは、メニューを物珍しそうに見ながら聞いてきた。
「か、カレーセットかな。やっぱり基本は」
「じゃあそれにする!」
「俺は……チキン南蛮定食にするかな……」
やばい。声も身体も震えている。上手く券売機にコインが入れられない。
単なる学食だぞ。学食。
学校内。周囲にはたくさんの生徒たち。
昨日、談話室で二人で勉強をしたのと何が違うと言うんだ!俺!
デートという言葉ひとつに惑わされすぎだろう!俺!
こんなんで、本当のデートなんてした日にはどうするんだよ!
「ん。美味し! やっぱりカレーっていっぺんにたくさん作った方が美味しいってホントなのかな?」
「あー聞いたことがあるな」
「ソーマくんもはいっ」
スプーンでカレーをすくって俺に渡してくる。
え、これって。いいのか。
今野さんが……食べてたスプーンだぞ……。
ごくりと生唾を呑み込み、おそるおそる受け取って口に運ぶ。なるべく深くしゃぶらないように気をつける。
正直、味なんてわからない。
戻したスプーンをどうするのかなと思ったら、今野さんは普通にそのまままた食べ始めた。
マジか。
「あっ……」
ようやく事態に気付いたらしく、頬を赤らめた。
俺は! パンを渡すときに! 気付いて! やめたのに!
今野さんの! この! 天然が!! 天使か!?
だ、ダメだ。
怒濤のような急接近だ。
ひとつフラグが立ったことで、次々と堰を切ったようにイベントが俺を襲ってきているみたいだ。
心臓が持たない。
死ぬ。死んでしまう。
精根尽き果て、5時限目が終わった後もそのまま机に突っ伏してぐったりしていると、羽原が近づいてきた。
「お昼、どうだった?」
「どうって何がだよ」
紅谷ならともかく、羽原も男女のことについて聞きたがるタイプだったのか?
「璃子、可愛いでしょう?」
「なんで羽原が偉そうなんだよ」
「私の大切な友達だから」
胸を張って言われた。
「なんだそれ……」
「勉強もこれからも教えてあげてね」
「羽原はもう教えないのか?」
「そろそろ飽きたし」
「今、大切な友達だって言ったばかりじゃないか」
「だからだけど?」
羽原は真顔だ。
わけがわからない。
わからないことだらけだ。
これは、なんのフラグだろう?




