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逃げる以外に道はない  作者: イングリッシュパーラー
第1章 炎編/夜は始まる
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9. 逃げない覚悟

 平然と茶を啜る元邪神は、来とは違った意味で考えが読めなかった。わざわざ観月にシモンやセレナのことを教えた、その意図が掴めない。確かなのは、ナイアーラトテップに殺された過去を彼女が覚えていないのは、ナイにとって好都合ということくらいだ。


「ナイ、お前ならできるだろ。観月の記憶を消してやってくれ」


 ナイが何か言い出す前にと、俺は先手を打った。先程言い掛けて話が逸れてしまったが、とにかく彼女の身の安全を図ることが第一。記憶を消してしまえば、シモンの事、セレナの事、ナイアーラトテップの事、すべてがチャラになる。

 よもや否はあるまいとナイに目で合図を送ると、ナイではなく観月が抗議を示した。


「待って! 記憶を消すなんて、急すぎるよ!」

「は? 前から言ってたろうが」


 まさか本人から拒まれるとは思わず、驚いて目を見張る。邪神の恐ろしさを十分理解したはずなのに、躊躇するとは予想もしなかった。この間まで記憶消去を望んでいた彼女にどんな心境の変化があったのか。


「ほら、俺もこのままじゃ、他の仕事に取り掛かれねえしさ」


 残念ながら今のところ他の仕事は入っていないものの、観月を説得するための方便だ。俯く彼女にちくりと胸が痛むけれど、見て見ぬふりをして続けた。


「ナイ、お前からも言ってやってくれ。これは観月のためで……」

「ヤだ」

「は?」


 この期に及んで、元邪神までも駄々をこねる。子供じみたナイの態度に俺は頭が痛くなった。


「小夜はどう? ボクたちのこと忘れたい?」

「“ボクたち” じゃねえ! 邪神のことを、だ」

「うるさいよ……。黙ってな」


 観月には優しく問い掛け、俺に対しては鋭い眼差しで口を挟むなと警告する。ナイの発する気がビリビリ身体を震わせ、威圧感が凄まじい。ここで楯突いて邪神の本領を発揮されては、冗談でなくこちらの身が危ういと悟り、俺はぐっと言葉を飲み込んだ。


「……まだ、忘れたくない」

「いや、あのな……」


 顔を上げてきっぱり答えた観月に、どう返せばよいかと頭を掻く。

 俺としても忘れられたいわけではないし、忘れたくないと言ってくれるのは正直嬉しい。それでも感傷は命があってこそだ。


「ボクが小夜を守る。ボクに喧嘩売るバカはいないよ」


 呆気にとられる俺を尻目に、ナイはふんと鼻を鳴らした。天邪鬼な元邪神が積極的に働くなど、百年に一度あるかないかの奇跡に近い。

 ナイアーラトテップは最強クラスの土の精。観月の記憶を残したまま彼女を守り抜くのは、俺と来だけでは不可能だ。だがナイが本気で牽制すれば、他の神性の従者であれ、観月に手は出せまい。

 とはいえ記憶を消した方が安全なことに変わりなく、俺の留守中に観月を懐柔するという、ナイの小狡いやり方はどうにも受け入れ難かった。


「なら、あっちはどうすんだよ。あの従者は……」


 反論し掛けて途中ではっとして止めた。公園の従者の件を観月の前で出すのはまずい。


「アイツのアレは一時的なものだよ」


 俺の意図を組んでナイの方もそんな風に言葉を返した。他人の頭の中を覗ける特技は、こういう時は都合がいい。

 従者になった者は人には戻らない。人としての理性があるように見えても単なるブレにすぎない。再び凶暴化する前に始末をつけろと元邪神は暗に促す。


 このまま従者が人間の心を取り戻してくれればいいが、そうでないなら観月を殺しに来る。ナイの言うことが正論だと分かっているのに、もしかしたらという望みを俺は捨て切れなかった。

 考え込んでいるうちに、ナイの気配が消え、抑揚のない声が告げる。


「視矢、決定権は観月にある。ここは彼女の意思を尊重しよう」


 これまで体の内に籠っていた来が話を引き継いでまとめた。来はナイと感覚を共有するため、表に出ていなくても状況を把握している。観月本人が嫌だと言う以上、無理矢理記憶を消すのは好ましくないという社長判断だ。


「ナイが守りにつくなら大丈夫だ。他に問題があるのか?」

「……問題っつーかさ」


 一緒に過ごす時間が長引く程、別れが辛くなる。そういった複雑かつ繊細な心情はまだ来には理解できないらしい。


(仕方ねえか……)


 俺は心の中で溜息を吐く。観月の気が変わるまで記憶消去は一旦保留し、護衛は引き続き現状維持。もし児童公園の従者が動きを見せたら、その時は片を付ける。


「何かあれば、連絡して欲しい」


 来は自分のスマホの番号をメモに書き付け、観月に手渡した。

 以前彼女に渡した名刺には事務所の連絡先が記載されている。来が誰かにプライベートの連絡先を教えるのは極めて珍しい。


「ありがとう」


 観月は安堵した様子で隣に座る男に微笑んだ。その表情を前にし、なんとなくいたたまれない気持ちになる。俺だけが不機嫌で、俺の感情だけが空回りしている虚しさがあった。

 気まずさに耐え兼ね、二人から目を逸らして木刀を手に立ち上がる。


「外で待ってる。観月、後で送ってくから」

「あ、私一人で帰れるよ」

「さっき言ったことは気にすんな。決定には従う。これも仕事」


 急かすつもりはなく、ただ一人でしばらく頭を冷やしたかった。けれど観月は来にぺこりと頭を下げた後、ドアへ向かう俺の後を付いてくる。外で待たせるのは悪いと思ったのだろう。

 彼女の護衛はあくまで通常の仕事の一つ。近付き過ぎない距離感を保つのが一番であり、私情を挟むなと俺は自分に言い聞かせた。

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