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逃げる以外に道はない  作者: イングリッシュパーラー
第1章 炎編/夜は始まる
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7. 過去からは逃げられない

「従者を仕留め損なった日数が、新記録を更新した」

「……お前な。俺の話、聞いてたんかよ」


 事務所に戻り、従者の異変を報告する俺を、来は痛烈な皮肉で出迎えた。もっとも本人に皮肉を言っている意識がないので、口喧嘩には発展しない。


「従者が人間の意識を取り戻したという話なら、聞いた」


 前例のないケースだというのに、来の反応は淡泊で少しも動じなかった。薄情なわけではなく、ただ表情がないだけだと分かっているが、たまにその冷静さが腹立たしい。


 スポンサーへの報告のためパソコンを立ち上げる同居人を横目に見て、俺はソファに寝転がった。

 従者は、邪神と契約を交わした人間の成れの果て。一旦化け物になってしまえば、心も体も二度と人に戻らない。現にこれまでそういった事例はなかった。今回その定説が覆されようとしている。


 人であった頃の意識が残っているなら、その上で他の人間に危害を加えないなら、なんとか従者を救ってやりたい。

 そんなことを考えてぼんやり天井を仰いでいると、来がキーボードを叩く手を止めた。


「飲み物を入れてくる。お前は?」

「いや、いい。観月のとこで飲んできた」

「……そうか」


 来の声音にわずかに険しさが混じった。それでもキッチンからマグカップを一つ持って戻ってきた時は、いつも通りの無表情だった。


「ナイはどうしてる?」

「呼び掛けても応じない」

「ったく。何考えてんだ、あの野郎」


 ナイの力を借りないことには、俺と来だけではお手上げ。観月の記憶を消すことはできず、児童公園の従者がおかしくなった原因も皆目見当がつかない。


「ナイも戸惑っている。落ち着くまで待ってやって欲しい」


 珍しく来がナイの肩を持った。他人に関心を示さない男が、観月絡みだと感情を動かす。

 セレナのことを覚えていなくとも、心のどこかでかつての恋人の面影を意識しているのかもしれない。俺に突っ掛かって来るのは、俗に言う嫉妬という感情だ。

 

「お前が妬くなんてな」

「焼く? 何を」


 とぼけているわけでなく、来は正真正銘ぼけている。指摘したところで、この天然男は恋愛感情に疎い。来本人は前世の『シモン』だった頃の記憶がなく、観月の方もセレナという前世はもとより、セレナとシモンがどういう関係だったのか知らない。

 幸か不幸か、二人とも記憶はまっさらの白紙状態。唯一過去を覚えているナイの心境も理解できなくはなかった。


 とりあえず、児童公園の件は当面様子を見ることで来と話がまとまった。瘴気を発していない現在の状態なら、人や物への被害は結界で十分抑えられる。

 従者がこのまま大人しくなるか、再び凶暴化するか。いずれにしても、しばらくは時間が稼げる。






 公園で従者と遭遇した翌日から、毎日視矢が小夜のバイト先へ迎えに来て家まで送り届けている。

 たまたまその日は彼女のバイトが早上がりになり、その旨をメールで伝えたのだが、結局視矢と行き違いになってしまい、小夜は急いで事務所へやって来た。


「ごめんなさい……。電話を掛ければよかった」

「視矢はメールを見ない。気にしなくていい。そのうち戻ってくる」


 事務所には来だけがいた。謝る彼女にリビングのソファで待つよう告げて、来はキッチンへ向かう。


「どうぞ」

「あ、ありがとう……」


 唐突に1.5リットルのお茶のペットボトルが目の前に置かれ、小夜はぎこちない笑顔を浮かべた。コップもなしに大容量のペットボトルを勧められたのでは飲むに飲めない。

 来は彼女が固まっている理由が分からず、不思議そうな眼差しを向ける。事務所の若き社長は、有能な反面、天然だ。


「よければ、お茶私に淹れさせてください」


 相変わらずの来の様子に苦笑しつつ、彼女はソファから立ち上がった。茶葉の場所は前に事務所へ来た時視矢に教えてもらっている。

 何もせず待っているより動いていた方がいい。小夜はキッチンで二人分の湯飲みを出し、手早くお茶を準備する。そこへいきなり背後からぽんと肩を叩かれ、びくりとして振り向いた。


「あなた……、誰?」


 反射的に身構えて尋ねる。おかしな質問だという自覚はあった。すぐ傍に立っていたのは、来に違いない。けれどその男は来ではない。外見は同じでも、鋭い目つきはまるで別人。雰囲気も明らかに異質で、普段の来とかけ離れている。放つ気は人外の者のように感じられた。

 

「警戒しないでよ。ボクとライは一心同体なんだから。人格が別なだけ」


 軽い口調で、来と同じ姿の男は悪戯っぽい笑みを向ける。

 

「ボクのことはナイって呼んで」


 簡単に自己紹介した後、ナイは棚から客用の茶菓子を探し当て、湯飲みと一緒に持って涼しい顔でリビングへ戻って行く。

 体と魂は同じで人格だけが別。彼の言葉を信じるならば、いわゆる多重人格というものだろう。普通の人間ではなさそうだが、従者と違って悪意は感じられない。

 少なくとも危険はないと判断し、戸惑いながらも小夜はその後姿について行った。


「小夜に話したいことがあったんだ。でもシヤがいると、ウルサイし」


 ソファに腰を下ろし唇を尖らせる彼を、呆気に取られた面持ちで眺める。整った容姿に子供っぽい仕草が圧倒的にそぐわない。


「ライもシヤも教えてくれなかったでしょ、キミの前世のこと。だからボクが教えてあげようと思ってさ」

「……前世?」


 小夜は詰め寄るナイから距離を置き、思わず身を固くした。くすりと笑ってナイは茶菓子を頬張る。


「何千年も前の話だよ。地上には、邪神から人間を守るシモンという名の若い祭司がいた。シモンは、同じく強い神力を持つ恋人のセレナと幸せに暮らしてた」


 それは遥かな時代のおとぎ話。寝物語のように柔らかな口調で彼は語り始める。意外にも心地良い声音が小夜の鼓膜を震わせ、次第に緊張を和らげていった。


「セレナは、オレンジを甘く煮詰めた物をよく作ってた。今で言うマーマレードだね。美味しかったな」


 懐かしげに目を細めるナイに、小夜は首を傾げる。まるでその場にいたかのように話すけれど、大昔の出来事のはずだ。


「でも幸せは長く続かなかった。セレナはナイアーラトテップに食い殺されたから」

「食い殺された……って」


 恐ろしい言葉を反芻し、ぞっとしてしまう。巫女であったセレナは、敵わないと知り、邪神ナイアーラトテップに自ら身を差し出したという。

 邪神は人間を殺すことを厭わず、むしろ嬉々として命を奪う。そんな存在と関わってしまったのだと、改めて恐怖を覚えずにいられない。


「キミはセレナの生まれ変わりだよ」


 小夜に人差し指を向けてナイは薄く笑った。

 以前彼女は軽い気持ちで占い師に見てもらったことがあり、その時も前世は巫女だと告げられた。たいして信じていなかったものの、こうしてまたも指摘されれば、本当かもしれないと思えてくる。しかし前世は前世、現世は現世だ。


「だとしても、私はセレナじゃないよ」

「うん」


 はっきり否定する小夜から視線を逸らし、ナイは落胆とも安心ともつかない表情で頷いた。

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