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逃げる以外に道はない  作者: イングリッシュパーラー
第3章 風と土編/原罪
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66. 静かな予兆

 鬱陶しい梅雨が明け、夏の日差しが窓から差し込んでくる。

『司門特殊警備保全請負株式会社』では、ここ最近邪神絡みの大きな依頼はなく、人間相手の護衛やイベント等の警備が主な仕事になっていた。


「雨、止んでるよ。外回りはいいの? 視矢くん」


 小夜はブラインド越しに外を眺め、ソファで雑誌を読んでいる同僚を振り返る。


「んー。このところ平和だし」


 寝転がって仰向けで雑誌を掲げ持ち、視矢はのんびりと返事をした。

 事務所はマンションの一室にあり、来と視矢の自宅を兼ねている。もともと気楽な職場環境とはいえ、雨でもないのに外出好きの彼が事務所にいるのは珍しい。


「シヤさ。昼間から、いかがわしい本読まないでよね」


 デスクで報告書を作成していた来が、不意にナイに変わって意味ありげな笑みを浮かべた。

 一瞬小夜が固まったのを見て、視矢は慌ててソファから身を起こす。膝に乗せた雑誌が床にバサリと落ちたが、放置したままナイに食って掛かる。


「おかしな言い方すんな、ナイ! いかがわしいって、何だ」

「嘘は言ってない。ボクからすれば、いかがわしいよ」


 ナイが指先でペンを弄びながら、ふんと鼻を鳴らす。

 また始まったと呆れ笑いをして、小夜は床に落ちてしまった雑誌を拾い上げた。視矢と元邪神との口喧嘩はいつもの光景なので、あえて仲裁しない。


 ナイいわく “いかがわしい” 本の表紙には、『ヒアデス星団食』なる大きな文字と銀河の写真が載っていた。視矢がこういったものを読むのは意外な気がする。


「視矢くんて、誕生日いつ?」

「星占いなんて当てにならないからね、小夜」

「9月25日。あー、それは俺も同感だわ」


 すかさずナイが茶々を入れ、視矢も占いは信じないと口を揃える。星の本は読んでも、占星術には興味がないらしい。


(天秤座かぁ)


 想い人の星座を心の中に書き留め、小夜は雑誌をテーブルの上に置いた。

 星食とは星が月の後ろに隠れる現象で、今年の9月、ちょうど視矢の誕生日の深夜から明け方にかけて、ヒアデス星団食が見られる。

 誕生日と稀な天体ショーが重なるなんて、ちょっとロマンチックだ。


「小夜、食材の買い出しを頼めるか。視矢に荷物持ちをさせる」


 いつの間にかナイの気配が消え、体の支配権を取り戻した来がパソコンを開いていた。

 ナイでいる間は事務仕事が捗らないため、しわ寄せは常に来に行く。書類が立て込むのは大方ナイのせいだろう。


「私一人でも大丈夫だよ」

「いいから。社長サマの命令だ」


 視矢はそう言って、小夜の肩先を軽く叩く。どうせ事務所にいても手伝えることはない。

 一人忙しそうな来に申し訳なさを感じつつ、小夜は出掛ける準備をしてドアの方へ急いだ。ふと玄関先で視矢が手ぶらなことに気付いて目を見張る。


「視矢くん、木刀は?」

「必要ねえよ。スーパー行くだけだし」


 あっさり答えるものの、出会ってからこれまで視矢が木刀を携えずに外へ出たことは一度もなかった。スーパーはもちろん、どこへ行くにも持ち歩いていたのに、なんだかおかしい。


「俺と二人になりたくないとかなら、へこむぞ?」

「あ、違うよ! ちょっとびっくりしただけ」


 マンションを出たところで、視矢が不意に顔を寄せた。小夜はわたわたと首を横に振り、遠慮がちに尋ねる。


「手、つないじゃだめ?」

「……ほら」


 律儀に聞いてくる小夜に困ったように笑い、視矢は互いの指を絡めた。

 指先から伝わる体温を感じ、小夜の胸に安堵と同時に切なさがこみあげる。


 三十年前、視矢は邪神ハスターと契約を交わした。外見は二十代当時から少しも変わらず、大怪我を負ってもすぐに治る。この先も年老いることなく、人としての人生を送ることはできない。


 そんな中、破魔の力で彼を人に戻せる可能性をソウが教えてくれた。それを信じ、小夜は導師(グル)であるソウの下でトレーニングに励んでいる。確かな保証はなくても、わずかでも望みがあるうちは諦めてしまいたくなかった。






 マイカーを前提とした高級住宅地は、一番近いスーパーまで徒歩二十分。

 こじんまりしたスーパーの店内は平日の昼下がりとあって、買い物客は少なかった。


「あ、鮭安いよ。買ってく?」

「そうだな。ホイル焼きか、ムニエルにでもすっか」


 小夜が示した切り身のパックを手に取り、視矢は頭の中で献立を考える。仲睦まじく買い物カートを押す姿は、傍目には若い夫婦に映ったかもしれない。


「今日は俺が夕飯作るから、小夜も食ってけよ」

「え、でも」

「代わりと言っちゃなんだけど、あれ、また作って?」


 青果コーナーで視矢は夏みかんに目を留め、曖昧な言い方でリクエストをした。

 わずかに首を傾げた後、小夜は人差し指を立てる。


「……マーマレード?」

「当たり。ここんとこご無沙汰じゃん」


 視矢は夏みかんをぽんと上に放り、キャッチしてカートに入れる。


 事務所の面々は甘党なので、小夜はよくお手製のマーマレードを差し入れしていた。この間まで漆戸良公園の鬼門の件でばたばたしていたため、そんな余裕はなかったけれど、最近は落ち着いている。また食べたいと思ってくれるなら、作り甲斐があるし、何より嬉しい。


「うちの連中、小夜のマーマレードないと生きられねえんだよ。特にナイが」

「視矢くんも?」

「んー。俺は」


 言い掛けて、視矢は途中で止めた。


 小夜がいないと――。

 口にしそうになった本音を飲み込み、なんでもない、と笑って誤魔化す。ほぼ不老不死の身でそれを告げるのはあまりに白々しい。

 前を向いたままカートを押す彼をそっと見上げ、小夜は小さく溜息を漏らした。


 スーパーからの帰り道は両腕に荷物を抱え、もう手はつなげない。近くにいるのに触れられない状況は、まさに二人の関係そのものだ。

 どちらもなんとなく無言になり、マンションまで戻って来た時、駐車場に見覚えのあるシルバーのセダンが止まっていた。


「これ、ソウさんの車だよね。事務所に来てるのかな」

「くそっ。もっとゆっくりしてくりゃ、よかった」


 声を弾ませる小夜に、視矢は殊更渋い顔をする。

 ソウは事務所のスポンサーである『TFC』の一員で、小夜の破魔の力を引き出す導師。悪い人物ではないのだが、視矢や来は彼を策士として嫌っている。


 事務所のドアを開ければ、予想通り来客用のソファに白髪の若い男の姿があった。ロックバンドでもやっていそうなビジュアル系の服装は、相変わらず政府職員とは思えない。


「イラッシャイマセ。どーぞごゆっくり」

「心にもない言葉を、ありがとう」


 不快感丸出しの視矢の無礼を気にする様子もなく、ソウは横にいる小夜に微笑み掛けた。小夜がぺこりと頭を下げるのを横目で眺め、視矢はますます不機嫌になる。


 ソウの隣には、もう一人客人がいて湯飲みを傾けていた。一見清楚な美女。彼女は癖のない長い髪を耳にかけ、こんにちは、と赤い唇を笑みの形にする。


「なんで、ソウと一緒に来てんだ。九流」

「高神さん。私がソウといるの、妬ける?」

「んなわけあるか」


 視矢はにべもなく言い放ち、眉を顰めた。

 九流弥生は炎の邪神クトゥグアを信奉する信者だ。信者はTFCの監視下に置かれるため、弥生がソウと知り合いだとしても不思議はない。


 探り合うようなぴりぴりした緊張感が、心なしか小夜の肌を刺す。

 客たちと向かい合わせで座っていた来は、小夜が腕を擦る様子に真っ先に気付いた。来に目で合図された視矢は、買ってきた荷物を持って小夜を伴ってキッチンへ入って行く。


「瘴気がキツいだろ。ソウが中和するまで、少し待ってな」

「……え?」


 きょとんと見返す小夜に視矢は肩を落とした。常に警戒されても辛いが、警戒がなさすぎるのも困りものだ。


「自覚ねえのかよ」


 食材を片付けながら、小夜の二の腕を指差す。血の気が引いた白い腕には鳥肌が立っていた。

 指摘されて初めて急激に重くなった体を意識し、小夜は椅子に腰を下ろした。


「……ごめんな」


 不意に視矢が視線を外して低く呟いた。謝らないでと言いたいのに、舌も瘴気で痺れているらしく、上手く回ってくれない。


 以前は均衡が保たれていた視矢と来の各々の力は、邪神復活の兆しと共に増長していた。今までこんなことはなかったのに、時々何かの折に二人の瘴気が無意識に溢れ出す。今回は、炎の信者である弥生の訪問が原因だろう。


 弥生は人間でありながら、クトゥグアの配下の炎の精を操る。土と風と炎の三すくみがどんな磁場を形成するのか、小夜には想像がつかなかった。


 それはそれとして、弥生は視矢の力を欲して幾度となく誘いを掛けている。視矢は一切なびかなかったものの、力の件も含めて今後どうなるかは分からない。


(この先、か……)


 とりとめのない不安を小夜は辛うじて振り払う。胸の痛みも苦しさも、いくら考えたところで収まるわけではない。すべて、その時はその時だ。

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