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逃げる以外に道はない  作者: イングリッシュパーラー
第1章 炎編/夜は始まる
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5. ゴー・アンド・ラン

 事務所を出てから、観月はずっと黙っていた。俺の方も特に言葉を掛けずに彼女の横を歩く。


「視矢くん、疲れてる?」

「は、何で?」


 不意に尋ねられ、どきりとした。ちょうど差し掛かったドラッグストアの店頭には、『日々お疲れの貴方に』と大きく文字が踊るPOPと共に栄養ドリンクが並んでいる。


「元気ないみたいだから」

「んなことねーよ」


 疲れてはいないが、悶々とした気持ちが態度に表れていたのかもしれない。

 ならいいけど、と呟く彼女を横目に見て肩を竦める。従者に狙われている状況で、他人を気遣う場合ではないだろうに。


「観月は動じないのな。邪神のこと聞かされて、怖くねえの?」

「私、霊感強くて、昔からよく変なもの見えるんだ」


 観月はさらりととんでもないことを言う。

 セレナは強い神力を持つ巫女だった。巫女であれば霊的な存在に慣れているのは当然としても、観月は普通の女だ。


(前世の影響、か)


 ナイの言葉を思い出し、俺は複雑な気持ちで息を吐く。昨夜俺の話を聞いた元邪神は、観月がセレナの生まれ変わりだと確信をもって告げた。ナイが言うならきっと事実。他人にしては似過ぎているし、輪廻転生もあり得ない話ではない。霊感が強いのは前世譲りだろう。

 ただなぜこのタイミングで俺たちと出会ってしまったのか、運命の女神は実に意地が悪い。


「……なあ。来のこと、どう思った?」

「記憶を消せるのは、来さんだけなんでしょ。信じて待つよ」


 通常、転生すれば前世の生は白紙に戻る。それでも魂は来を覚えているのではないか。そう思って聞いてみたけれど、観月からは俺の意図とは違う答えが返ってきた。

 セレナの生まれ変わりである以上、この先観月の心が来に傾かないとも限らない。深く関わる前に記憶を消して縁を切った方がお互いのためだ。


 それ以上話を続けるだけの勇気はなく、携えた木刀を戯れに軽く振る。

 家々の明かりはまばらで、人通りはない。足音だけが響く路上で、不意に観月が立ち止まった。考え事をしていた俺を引き止めるようにジャケットの裾をくいと引き、緊迫した面持ちで薄暗い脇道を指差す。そちらに目を向けて俺も状況が飲み込めた。


 いかにもガラの悪い男たちが、道路脇に停めたミニバンの中に若い女を連れ込もうとしている。

 暴漢は三人。女は口を塞がれ、無理矢理車の中に押し込まれてしまった。男の一人は少し離れた場所でニヤニヤ笑いながらビデオカメラを構えている。車は黒い窓ガラスで車中が見えないようになっていて、どう見ても合意の上の撮影ではない。


「ヤバいぞ、あれ。……って、おい!」


 止める間もなく、観月が駆け出していた。俺は通報すべく取り出したスマホを再びポケットに入れ、慌てて後を追い掛ける。


「やめなさい! その人を放して!」


 観月は男たちの前に出て啖呵を切った。あまりに無茶な行動に、俺は呆気に取られ声も出ない。

 夜一人で出歩くのは怖いからとサングラスとマスクで自己防衛するくせに、他人を助けるために危ない場に飛び込むなんてどうかしている。


「何だ、お前」

「あんたもヤりたいってか」


 浴びせられる、下卑た笑いと下品な言葉。周囲はシャッターの下りた貸店舗や駐車場ばかりで、ここで何が起こっても世間が気付くのは明日の朝になる。女を漁る連中にとっては、活きのいい獲物が向こうからやって来たようなものだ。

 観月に注がれる男どもの舐め回すような視線に、俺はひどく気分が悪くなった。

 大柄の男の合図で、女を車に押し込めていた男がズボンから丸めた布を取り出した。布に薬剤でも染み込ませてあるのか、病院で嗅いだような匂いが鼻を刺激する。


「そこまでにしときな。警察呼んだから」


 俺は低い声で言って観月を背に隠すように進み出た。木刀を肩に担ぎ、左手でスマホをかざして見せる。通報したというのはハッタリ。これで退いてくれたらいいのだが、大柄の男は腕に覚えがあるようで、怯むことなく指を鳴らした。


「一人片付ける時間ぐらい、あんだろ」


 そんな物騒な台詞に同調して、他の二人の男もナイフをちらつかせる。麻酔薬やナイフを持っているとなると、女を捕らえての暴行は計画的か。


(しょうがねえな)


 観月を下がらせ、木刀を正眼に構えた。人間相手では力が使えず、純粋に木刀で勝負するには三対一では分が悪い。

 切り抜ける方法を考えつつ木刀を握り直した時、大通りからパトカーのサイレンの音が聞こえた。暴漢どもは俺と観月をそのままに、慌てて車に乗り込んで行く。


「その人、置いて行きなさい!」

「観月、危ねえって!」


 あろうことか、発車する寸前に観月がミニバンの後部に蹴りを入れた。エンジンを掛けた直後の車はバランスを崩し、片方のタイヤが溝にはまり車体が大きく傾く。空回りする後方のタイヤが耳障りな音を立て、野太い怒声が飛び交った。

 連中は車から這い出すのに手一杯で、もはや女に構っている余裕はない。悪態を吐いて逃げる後姿を眺め、俺はご愁傷様、と小声で呟いた。車を置き去りにすれば、どうせすぐ足が付く。

 男たちが去った後、傾いた車を覗き込むと女がシートに身を横たえて震えていた。


「大丈夫か? あいつら、行っちまったよ」


 安心させるように言い、女に手を貸して車から降ろしてやる。女はまだ声が出せないらしく、ぎこちない笑顔を浮かべ頭を下げた。上品なワンピースを着た清楚な美人で、レイプされた形跡はなく意識もしっかりしている。こんなお嬢様がどうしてゴロツキたちに襲われたのか、まあその辺は警察に任せればいい。

 女が無事なのを確認し、ようやく110通報する俺に観月が驚いて目を見張った。


「え、嘘。まだ連絡してなかったの?」

「んな暇、どこにあったんだよ」


 とっくに通報済みだと思っていた、と笑う呑気さにがくりと脱力してしまう。先程のパトカーは幸運な偶然で、ここではない別の目的地へ向かったのだろう。

 だが予想より早く、パトカーの赤色灯が暗がりの中に浮かび上がった。今度こそこちらへ向かっている。


「じゃ、気を付けてな」

「え、あの……」


 何か言いたそうなお嬢様をその場に残し、観月の腕を引いて振り返らずに駆け出す。別に悪事は働いていないものの、事務所の性質上警察にあれこれ事情聴取されるのはまずい。

 まさか追って来ることはないと思いつつ、念の為パトカーが通れない狭い路地を抜けて行く。しばらく撒くように走ってから、俺は脚を止めた。


「悪かったな。平気か」

「……うん、ありがとう」


 自販機でスポーツドリンクを買い、息を切らせている観月に渡す。こくこくと喉を潤す彼女を見ながら、ガードレールに浅く腰掛ける。いきなり全力疾走して困惑したろうに、何も聞かずよく付いてきてくれたものだ。単に聞く暇がなかっただけかもしれないけれど。


「警察関係は困るんだ。スポンサーにどやされる」

「偉い人なの? スポンサーって」

「まあな」


 俺はどうでもよさげに答え、木刀を肩に担いだ。スポンサーについては積極的に話したい事柄ではない。それより何より先程の件で色々言いたいことがあった。


「ああいうヤバイのには首突っ込むな。通報だけにしとけ」


 観月に向き直り、語気を強めて忠告する。いくら武道をやっているからといって、複数の男相手に挑むなど無鉄砲にも程がある。腕ずくでねじ伏せられたらおしまいだ。


「でも警察を待ってたら、手遅れになってたよ」


 そう訴える彼女の言葉は正論であり、その正義感は好ましい。しかし誰かを助けるにはそれだけの力が必要で、力が伴わなければ意味がない。俺自身、己の無力を幾度となく痛感し悔しさを味わった。


「気持ちは分かるけどさ。もし俺がいなかったら、どうなってた?」


 わざと責める口調で問い詰めれば、観月は返す言葉なく俯いた。無茶をしたという反省はあるのだろう。ごめん、と小さく謝る声に胸がちくりと痛んだ。

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