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逃げる以外に道はない  作者: イングリッシュパーラー
第2章 水編/訪問者は午後に
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40. みぞれの降る中で

 人に頭を拭いてもらうなんて、子供の時以来。適度な強さで指圧される感覚が思いの外心地いい。頭には痛みや肩凝りに効くツボがあるという話も聞くし、頭部のマッサージは心身に作用するのかもしれない。

 気持ち良さから自然と瞼が下りてくる。目を閉じ掛けた時、ソウさんが顔を近付けて耳元で声を低めた。


「知ってる? 頭には相手を意のままに操る操心のツボがある」

「え、そんなのがあるの!?」

「あるわけない」


 ぱっと目を開け、身体を離す私を見てくっくっと笑い、こちらにタオルを放る。まるで心を読んだかのようなからかいに、ただただ呆気に取られた。


「これから出勤だろ。今日も遅刻だな」

「今日も、って。そんなに遅刻なんてしないよ」

「俺と会う朝は、いつも遅刻してる」

「……そういえば、そうかも」


 反論できずに項垂れれば、今度は声を上げて笑われた。

 仕方なく、少し遅れることを事務所に連絡しようとバッグからスマホを取り出す。ところが発信ボタンをタップする前に、ソウさんに遮られた。


「事務所には連絡しなくていい」


 どうして、と理由を尋ねる必要はなかった。小雨の中、少し離れた歩道に、傘ではなく木刀を携えて視矢くんが佇んでいる。水を跳ね上げながら靴音が近付き、戸惑う私の傍へ来て止まった。

 

「……小夜から離れろ、ソウ」


 視矢くんは鋭い眼差しをソウさんに向けた。雨交じりの雪と同じくらい重く冷たい声が耳を打つ。

 ソウさんに傘を差し掛けていたため、相合傘になっている状況に私はようやく思い至る。視矢くんに事情を説明したかったけど、それより先にソウさんが傘の外へ出た。二人の体に、音もなくみぞれが降り落ちていく。


「せっかくタオルを借りたのに、無駄になったな」

「裏があると思ってたが、まさか小夜に手ぇ出すとは」


 それぞれ独り言のように呟き、軒下に入っていろ、と二人が同時に私に手で合図を送る。


「ナイト気取りなら、もう少し早く来るんだな、高神」

「……小夜を助けてくれたのは、礼を言う」

「視矢くん、見てたの!?」


 驚いた私は、思わず会話に割って入った。


「高神は、きみの周囲に微弱な結界を張ってる。センサーのようなものだ」


 気まずそうな視矢くんに代わり、ソウさんが答える。

 児童公園の事件があった頃、視矢くんがアパートに結界を張って従者の侵入を防いでくれた。従者がいなくなった後も、密かに守ってくれていたのだと知り、胸が一杯になってしまう。

 結界を持続させれば、その分力も使う。きっと私が心配しないように、結界の件を黙っていたに違いない。


「たいしたことじゃねえから。そんな顔すんな」


 申し訳なさが表情に出ていたのか、視矢くんは頭を掻いて眉尻を下げた。


「陰から見守るんじゃなかったのか」

「うっせーよ。相手が普通の男だったら、そうしてる」


(……やっぱり、視矢くんは)


 ソウさんと視矢くんのやり取りを聞いて、足元が崩れる感じがした。私を気遣ってくれるのは、あくまで仕事仲間の友人として。特別な感情を抱いてるのは、私の方だけだ。


「俺は、普通の人間なんだが」

「どこが普通だ、どこが」

「高神。彼女がショックを受けてる」


 不意にソウさんが私の方を視線で示した。振り返った視矢くんには、ソウさんが訳知り顔でこちらに目配せしたのは見えなかったろう。


「風邪引くなよ、観月」


 レザーグローブをはめた手を軽く上げて、ソウさんはみぞれの中を走って行った。まだ助けてもらったお礼を言ってなかったと気付いたのは、既に後姿がかき消された後。

 視矢くんはなぜかひどく狼狽えて、目を泳がせている。とりあえず私は近付いて傘を差し掛けた。もうずぶ濡れとはいえ、水が苦手なのにずっと雨ざらしにするわけにいかない。


「小夜、その……。普通の人間がどうの、つーのは……」

「え、うん?」


 視矢くんが何を焦っているのか見当が付かず、曖昧に相槌を打つ。どうもソウさんの言葉の意味を取り違えているらしく、話が噛み合わない。私の気持ちはソウさんには見透かされたものの、当人には通じていなかった。

 いっそのこと、ここで潔く玉砕すれば諦めもつく。今が思いを告げるいいチャンスではないかと、説明のつかない衝動に急かされた。どきどき脈打つ心臓を宥め、私は大きく深呼吸する。


「あのね、視矢くん、私は……」

「保留、にしてくれ」


 言葉にしないうちに、視矢くんが困惑した面持ちでストップを掛けた。


「小夜は俺と違って漢前なのな。でも、もう少し待ってて。いろんなこと全部、時期が来るまで」


 自嘲気味に言い、泣きそうに笑って私の頬に手を伸ばす。指は緩やかに輪郭をなぞっただけで、すぐに離れた。中断された理由が分からず、私は愕然と視矢くんの顔を見つめる。

 告白しようとしたことに気付いたからなのか、そうでないのか。『いろんなこと全部』があやふやだ。


「さ、事務所行くぞ」


(どうして、そんな辛そうに言うの)


 傘を持って促す彼は私よりずっと傷付いた表情をしていて、尋ねたいことはたくさんあるのに、上手く言葉が出て来なかった。問い詰めれば、多分もっと視矢くんを苦しめてしまう。私は胸の痛みを押し隠し、気持ちを切り替えて別の質問をした。


「……傘、持って来なかったの?」

「あー、焦って忘れた」


 事務所からアパートまでは、ビヤで瞬時に移動したのだろう。苦手な雨の中、私を助けるために来てくれた。それが嬉しくて有難くて、同時に切ない。

 視矢くんは来さんと同じく、自分が濡れるのもお構いなしで私の側に偏って傘を差し掛ける。


「肩貸すよ。雨で体調悪いんでしょ。視矢くん、傘持ってくれてるし」

「俺、濡れてんだけど」

「平気」


 歩き出した視矢くんの足取りが覚束ないので、漆戸良公園でしたように、傘を持っている方の腕を取って私の肩に回す。一緒の傘に入るなら、近寄った方がお互い濡れずに済む。

 視矢くんは苦笑しつつ、傘を持つ手を替えて木刀を小脇に抱えた。服は雨に濡れていても、肩に乗せられた腕は温かかった。

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