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逃げる以外に道はない  作者: イングリッシュパーラー
第1章 炎編/夜は始まる
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4. 逃さない記憶

 マンション・クラフトは、交通の便も良く、閑静な住宅街の一等地にある。

 本来俺や来のような一見二十代の若造が簡単に購入できるような物件ではないが、そこはスポンサーの力。事務所を構えるには都合がいい反面、ここに住んでいることで、根も葉もない憶測だの嫉妬だの負の感情をぶつけられたりもする。


「……『司門特殊警備保全請負株式会社』?」


 マンションのドアに掲げたネームプレートを、観月がたどたどしく読み上げた。


「うちの代表取締役が付けた社名。あいつ、今いちセンスねえんだ」

「すごいね、株式会社なんだ」

「そこかよ」


 よく分からないところに観月は感心しつつも、興味本位の質問はしてこない。もっと好奇の目で見られるかと思っていたのに、彼女の反応はあっさりしていてそれが心地よかった。


「おーい、連れてきたぞ」


 鍵を開けて部屋へ入った俺は声を張り上げる。ところが、外出嫌いで事務所で待っているはずの同居人の姿がどこにも見えない。


「来? いねえのか?」

「……ここに、いる」


 一瞬遅れて、何やら下の方から返事があった。ソファの後ろを覗き込むと、来が床に這いつくばっている。


「……何してんだ、お前」

「コンタクトを落とした。踏まれると困る。こちらに来るな」

「眼鏡にしろ、眼鏡に。客が驚いてるだろうが!」


 傍らに立つ観月の姿は、ド近眼の来の目には文字通り映っていなかった。黙っていれば端正な顔立ちなのに、この男はひどく天然。若くして社長という地位と容貌に惹かれて言い寄る女は多いけれど、どこかずれた残念な性格に大概の女は引く。

 しばらく所在なさげに視線をさまよわせていた観月が、「あっ」と小さく声を上げ、来の足元を指差した。


「ソファの下にあるの、そうじゃないですか?」


 その言葉に、ようやく観月の存在を認識したらしい。


「ああ、観月小夜さん。いらっしゃい」


 手探りでどうにかコンタクトを探し当てた後、来はすっと立ち上がり感情の籠らない声で挨拶をする。愛想のない応対に怒る客も少なくない中、観月は特に気を悪くした様子はなかった。来に対して彼女がどういう印象を持ったのか、俺としては気になるところだ。


 コンタクトを付け直した来は観月をソファに座らせ、自らも向かい側に腰を下ろした。俺は来の隣に座って成り行きを見守る。

 事務所へ連れて来た人間に、来が記憶消去を行うのがいつもの流れ。これはあくまで俺たちの仕事であり慈善事業をやっているわけではないので、通常なら結構な金額の報酬をいただく。それでも今回は俺が巻き込んだも同然のため、無償で行う手筈になっていた。

 

 記憶を消す際には、医者の施術に則って内容を説明するインフォームド・コンセントの義務がある。本人の了承を得られなければ、勝手に行うことはできない。


 観月が児童公園で見たものは、炎の邪神『クトゥグア』の従者。従者の存在を知った者は殺される。それを未然に防ぐ目的で、昨夜の記憶を消す。消去するのは一部の記憶のみで、身体にも日常生活にも一切害は及ばない。

 そんな風に、来はこれから行うべきことをかいつまんで話した。


「私たちに関しても詮索は控えて欲しい。邪神というこの世ならぬものがいる以上、私たちのように特殊な力を持つものもいる」

「……分かりました」


 彼女は俺と来を交互に見つめ、小さな声で承諾を示す。

 今まで邪神の存在を知らずに普通に暮らしてきた人間には突飛な話に聞こえるだろう。記憶を消されることも不安に違いない。しかし受け入れなければ、死が待っている。


 記憶を消す作業は、来が対象者の額に手をかざすだけ。十分程で終わるはずだった。なのに時間が経過しても、来の掌が観月の頭上から離れなかった。

 原因は分からないが、俺の結界が効かなかったと同様、どうやら来の力も受け付けない。想定外の事態に、いつも無表情の男も途方に暮れていた。


「記憶を消せなかったら、どうなるの?」


 雲行きが怪しいことを察したのか、観月が痛い所を突いてくる。こうなっては、嘘を吐いて誤魔化しても仕方ない。


「従者に殺される」

「さらっと言われても困るよ!」


 そりゃそうだ、と俺は心の中で同意しながら、彼女の背をぽんと叩いた。


「まったく策がねえわけじゃねえし。それまでは、俺が守ってやっから」

「視矢くん、強いの?」

「ま、それなりに?」


 観月の視線は、俺が手にした木刀に注がれていた。いつも携えているからといって、剣道は自己流でやっていただけで、強いかと聞かれると返答に困る。

 本音を言えば、従者と直接やり合うのは避けたい。スポンサーの中に戦闘を専門にしている部署が別にあり、事務所の役割はあくまで依頼人の護衛。今回の児童公園の件は、行方不明になった子供の捜索を養護施設の施設長に依頼されたことに始まり、その延長上で従者と関わってしまった。


 とりあえず来では観月の記憶消去ができない。となれば残る望みは元邪神。隣に座る男は腕を組み、先程からじっと瞼を閉じている。おそらくナイと交渉しているのだろう。


「視矢、公園の結界はまだ持ちそうか?」

「なんとかな。今日明日ぐらいは」


 やっと目を開けた来は、やはり来のまま俺に確認を取った。察するに、どうやら出てくるのをナイが拒否したらしい。来より遥かに強い力を持つナイなら彼女の記憶を消せるはずなのに、元邪神は気まぐれでひねくれ者ときている。

 セレナに瓜二つの観月が命を脅かされるのは、ナイも本意ではあるまい。今ここで呼び掛けに応じないのはきっと何かろくでもない思惑がある。


「観月の家の周囲に結界を張っとく。夜、外に出なきゃ、多分大丈夫だ。明るいうちは従者は動かねえし」

「多分、て……」

「その辺は察して」


 俺は目を逸らし、冗談めかして頬を掻いた。絶対、と言い切ることはできない。


「粗忽者の部下のために、あなたを巻き込んでしまってすまない。本当に申し訳なかった」

「あ、いえ。来さんたちのせいじゃ……」


 来が深々と頭を下げると、観月は広げた両手を大きく横に振った。

 この男は時に天然の女たらしを発揮する。粗忽者呼ばわりされたことはともかく、やや頬を赤らめた観月の反応がなんだか面白くない。


「送ってく。観月」


 既に外は薄闇が降りている。ソファから立ち上がり、俺は木刀を手にして彼女を促した。何にせよ、ナイが出て来なければ今日は諦める他なかった。

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