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逃げる以外に道はない  作者: イングリッシュパーラー
第2章 水編/訪問者は午後に
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38. 生じる波紋

 左手に買い物袋を提げたナイは、右側で私の手を握って歩く。気恥ずかしさはあるものの、荷物を持ってくれている手前、拒むこともできない。

 会社帰りの若いOLや女子学生がナイを振り返り、目を引いていることは気付いているはずなのに、当の本人はどうでもいいらしい。上機嫌の元邪神に、私は図書館での件を遠回しに切り出してみた。


「ナイは、ソウさんのこと悪く思ってないの?」

「んー、キライじゃないよ。わりと共感できる」


 返ってきたのは、思いがけない答えだった。ナイが他人に共感を示すなんてかなり珍しい。ソウさんに向ける感情が、来さんとナイではまったく違う。


「さっきはね、キミのことを話してたんだ」

「……来さんに内緒で?」

「当たり」


 ソウさんと会ったのは独断だと、ナイはあっさり認めた。来さんがいい顔をしないに決まっているし、騙すわけじゃなく後で話すつもりだったと言われれば、私としては納得するしかない。ソウさんのことを嫌っている来さんに、言い出し難い気持ちは十分分かるから。


「ソウは、小夜に破魔の力を使えるようになって欲しいって望んでる」

「私だって、できればそうしたいよ」


 私の前世は、強い神力を持つ巫女だと来さんたちに教えられた。ただその力は無意識に発動し、自分の意志で使いこなせない。力を自在に扱えるようになるには修練が必要で、それをしてくれる導き手がいなかった。


「導き手は、いる。ただ、ライもシヤも言いたくないだけ」


 えっ、と驚く私に、ナイは突拍子もない誘いを持ちかける。


「ボクと一緒にノルウェーへ行かない、小夜?」


 スーパーへ買い物に行こう、と同じくらい気楽な調子に一瞬声も出なかった。ふざけてるわけではなく、TFCの訓練施設がノルウェーにあり、そこでトレーニングを受けられる、とナイは大真面目に告げた。

 破魔の力を引き出したい気持ちは、私ももちろん強く持っている。それでもノルウェーはさすがに遠すぎるため、首をぶんぶん横に振る。 


「待って待って! 北欧なんて無理!」

「費用はTFCが持つって」

「問題はそこじゃなくて!」


 何より、ナイがソウさんに加担する理由が腑に落ちない。二人が図書館から出て来た時、確かにノルウェーという言葉が耳に入った。嘘ではないにしろ、何となく引っ掛かりを感じる。


「早く帰って、シチュー作らなきゃ」

「うん、無理強いはしないよ。スポンサーならキミの力を鍛錬できるってこと、知ってもらえればいい」


 強引に話を変える私に、それ以上勧めては来なかった。一体ナイはどういうつもりなのか。

 街灯が灯る歩道を歩きながら、ふと考える。今日なら、視矢くんの帰りを待っていても不自然じゃないかもしれない。






「あれ、小夜? まだ帰ってなかったんか」

「夕食作ってたら、遅くなっちゃったの」


 十九時を少し回った頃、ようやく視矢くんが事務所に帰ってきた。椅子の背もたれに身を預けた彼は、ぐったりと目を閉じる。


(少し痩せたみたい……)


 このところ視矢くんとは行き違いばかりで、話どころか会うこともなかった。私が出社する前に出掛け、退社した後に事務所に戻って来る。あまり寝る時間もないようで、やつれた姿に疲労が窺えた。

 私にも何か手伝えればいいのに、せいぜい労いの言葉を掛けるしかできない。


「もしかして、メシ食わずに俺を待っててくれた?」

「うん、一緒に食べようと思って」

「……こいつもか」


 三人分のお皿を並べていると、視矢くんがちらとナイに目をやった。食事時に来さんと交代しないことを、おかしいと感じた違いない。


「仕方なく、ね。小夜がどうしても待つって言うからさ」


 ナイはテーブルに頬杖をつき、もう片方の手でスプーンをくるくる回している。


「ってか、なんでナイなんだよ」

「小夜のきのこシチュー食べたいからに決まってるじゃない」

「シチューは甘くねえぞ」

「大丈夫。夕食はマーマレード禁止にしたから」


 ナイのとんでもない甘党ぶりを知る視矢くんは、嫌そうに眉を寄せている。私はくすくす笑って、湯気の立つシチューを取り分けた。視矢くんとこうして話ができるのも久しぶり。


 来さんでなくナイが出ているのは、シチューのためというより、もう一つ理由がある。

 ノルウェーにあるスポンサーの訓練施設についてきちんと確認したい。その上で、日本のTFCで破魔の力を鍛錬してもらえないか頼みたかった。ソウさんを経由せず、TFCに協力をお願いするなら、どうしても来さんと視矢くんの許可がいる。


 今日の一件は自分で話すとナイが言うので、不安に感じつつ任せることにした。ナイなりの考えがあるのだろうから。

 食事を終えた頃、ナイはソウさんと図書館で会ったこと、私の力を引き出したいと思ってることを私にしたのと同じように視矢くんに告げた。


 黙って聞いていた視矢くんは、シチューの皿を空にした後、テーブル越しにナイのワイシャツの胸元を乱暴に掴んで引き寄せた。ガタンと椅子の倒れる音が、室内に大きく響く。

 まるで別人のような険しい眼差しに、思わず息を飲んだ。


「小夜をノルウェーへ連れて行こうってか。来が承諾したとは思えねえ。てめえの独断だな、ナイ」

「まあね。けど、ライにも伝えたよ」


 視矢くんの凄味のある低い声音に、普段の陽気さは欠片もなかった。一方で、服を掴まれ前のめりになったナイは少しも表情を変えない。

 斬り付けんばかりの怒気がこちらにも伝わり、私は震えそうな指を押さえた。


「私、ノルウェーには行かないよ。ただ……」

「あっ、すまねえ! つい」


 私の声にはっとして、ナイを掴んでいた手を離す。謝罪は、ナイではなく私へ向けたもの。


「ちょっと、まずボクに謝るのが筋じゃないの?」

「はいはい。スミマセンでした、ナイさん」


 口先だけで謝る視矢くんを一睨みし、ナイは曲がったネクタイを直している。


「小夜がいなかったら、シヤは今頃はミンチになってるよ」

「……食事の直後に、やめねえ? そういう話」


 張り詰めた雰囲気は嘘のように消え、視矢くんは肩を竦めた。元邪神が本気で怒れば、きっと言葉通り。ナイもこれで随分丸くなったと思う。


「まあ、訓練の話は、そのうちな。TFCも今は忙しいし」


 あちこちに現れる水の従者の対処に、TFCも追われている現状。とりあえず今回の始末が落ち着いてから、と視矢くんは言葉を濁す。

 私を邪神と関わらせまいとして、破魔の力の鍛錬を積極的に進めてくれないのだと分かっている。それに、多忙な中で訓練に時間を割いて欲しいとは到底言えない。


「食い終わったら、今日は帰れ、小夜。送ってく」

「え、いいよ。一人で大丈夫」

「……怖がらせちまったもんな。来、小夜を頼めるか」

「了解した」


 答えると同時に元邪神は身体の内へ引き籠り、来さんへと入れ替わった。

 申し出を断ったのは、視矢くんに早く休んで欲しかったからで、決して怖がっているわけじゃないのに。


「視矢くん、私は……」

「悪かったって。ちょっと頭冷やすよ」


 彼は掌を向けて私の言葉を遮ると、椅子から立ち上がった。訂正すらさせてくれない。


「晩飯ありがとな、小夜。また明日」

「……うん、お疲れ様」


 疲れのせいか、自室に向かう足はふらついていた。また明日、と言っても、朝にはもう事務所にいないに決まっている。

 寂しい思いを押し隠し、私は視矢くんに精一杯の笑顔を返した。

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