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逃げる以外に道はない  作者: イングリッシュパーラー
第2章 水編/訪問者は午後に
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36. ときめきの日常

 風はなく穏やかに晴れていても、公園のベンチにじっと座っているとだんだん寒さが増してくる。

 しばらくしてココアの空き缶を回収ボックスに入れ、視矢くんが木刀を持って立ち上がった。

 

「さて。んじゃ、もっと公園内を見て回りますか。せっかくのデートだし」

「デートじゃなくて、仕事だよ」


 冗談が言えるぐらいには回復した様子を見て、ほっと安心する。さっきより顔色は随分いい。詳細な指示はメールで伝えるとソウさんが言っていたので、明日から事務所は本格的に忙しくなるだろう。


「他の警戒場所には行かなくていいの?」

「今からじゃ、他所回るのは時間的に無理。それが分かってて、来は門限付けたんだよ。つまり、ここでゆっくりしていいってこと」


 視矢くんは腕時計を示して見せた。そうなの、と聞き返せば、そうそう、と返される。どこまで本当か疑わしいものの、仕事の段取りは口出しできない。本音を言うなら、私ももう少しこの公園を一緒に歩いていたかった。


「この公園ね、土日はクレープの移動販売車とかもよく来るんだ」


 緑地公園を訪れるのは、家族連れや恋人同士が多い。漆戸良公園の遊歩道を一緒に歩いた男女は結ばれる、なんて噂話もある。今も私たちの前方を、高校生のカップルが甘い雰囲気で腕を組んで歩いていた。

 誰に憚ることもない二人が、なんだか羨ましい。視矢くんの腕はすぐ横にあるのに、手を伸ばすことができず、私は胸の前できゅっと自分の両手を握る。


「やっぱ、やばいのは、あの湖辺りだな」

「視矢くんの体調のこと?」

「いや、従者の話」


木刀で肩をとんとん叩きながら、視矢くんは世間話のように軽い口調で言った。


「いたの、従者!?」

「あ、分かんなかったか。気配ビンビンだったぞ」


 私が愕然とする一方で、そんな重大事項を平然と告げる。倒れそうだったあの状況で、複数の従者の気を感じ取っていたなんて。


「まあまあ。しょげるなって。ソウが結界張ってっから、瘴気は掴めなかったろ」


 気付かなくて当然、と励ましてくれるけど、いくら結界で囲まれていたからといって、全然見抜けなかった自分の力不足を痛感する。私が持っているらしい破魔の力は、差し迫った状況以外ではあまり役に立たない。力を使えるようになりたいと訴えたくせに、こんな調子では呆れられてしまう。


「湖の近くには人がいたけど……大丈夫なの?」

「結界は万全。従者は、こっち側には出て来れねえよ」


 気を取り直して尋ねれば、視矢くんは前を向いたままぼそりと答えた。ソウさんの力はTFCでも群を抜く。策士だとして毛嫌いつつも、ちゃんと実力は認めていることが口振りから窺えた。


「それよか、なんでずっとそっち側歩いてんだ」

「え?」


 唐突に視矢くんが腕を取り、右側にいた私を左側へ回らせた。車の通らない遊歩道は、左右どちら側を歩いても同じ。意味を測りかねてきょとんとしていると、左腕をくいと振って示す。


「小夜がこっちじゃねえと、腕組めねえの」


 そう言って、手を通しやすいように肘を体から少し離し隙間を開けてくれた。右手には木刀があり、利き腕を塞ぐことはできない。前を歩く年若い恋人たちを指差し、真似しよう、と悪戯を思い付いた子供みたいな笑みを浮かべる。

 腕を組むのは、手をつなぐよりワンランク難易度が高い。気恥ずかしさでおずおずと腕を絡めた私に、視矢くんは満足げに頷いた。


 やがて日が傾き、公園の木々が影を落とし始めた。そろそろ切り上げて戻らなければ、来さんに決められた門限に間に合わない。

 公園を出るまでの間、遊歩道を並んで歩く。たとえ同僚の関係にすぎないとしても、こんな風に過ごせる日常は、大切でかけがえのないものだった。






 翌日からの事務所の忙しさは、予想を遥かに上回った。

 従者の記憶を消して欲しいと希望する依頼客が次々訪れ、後を絶たない。私は依頼人のアポを取り、事務処理に追われ、来さんはほぼ缶詰状態で記憶消去に取り掛かる。


 視矢くんは、毎日警戒区域に足を運び、明るいうちに事務所に戻ってくることはまず不可能。日々忙殺され、ろくに顔を合わせることもなかった。

 一週間が過ぎた頃、ようやく来さんの仕事は落ち着いてきたものの、外回り担当の視矢くんは依然事務所を留守にしていた。


「明日から、私も外に出る。依頼があれば、翌日以降にアポを取っておいて欲しい」


 疲れた顔で来さんはソファに沈み込む。記憶消去はかなりの力を使う。こう続けざまでは、さすがに限界だろうに。

 上を向いて目を掌で覆う来さんに、私は蒸しタオルを手渡し、ホットミルクをテーブルに置いた。


「少し休んだ方がいいよ、来さん」

「問題ない。私は、人間とは違う」


 タオルを目に当て、来さんは淡々と答える。来さんとナイは邪神ナイアーラトテップの化身。人とは異なる存在といえど、酷使したら身体がまいってしまう。

 来さんは自身の疲労に無自覚で無理をするため、強引に休ませないと倒れかねない。


「私は、来さんは “人間” だと思うよ」

「外見は、そうだ」


 前世で、ナイアーラトテップの化身だったシモンはずっと人として暮らしていた。望めば、来さんも人間と同じように歳を重ねていける。たとえば五十年後、今と変わらず二十代の姿でいることも、年相応の外見になることも容易い。ナイアーラトテップはそういう邪神だ。


 ナイはともかく、来さんはこの先もシモンのように人の世で生きたいと願っている。だからこそ、余計に人間でないことを強く意識するのかもしれない。


「問題は、子を成せるかどうか分からないこと」

「こ、子って……」

「生物にとって、一番の問題だろう」


 真剣な表情で考え込む来さんに、どう返せばいいのか。真顔でいきなりそんな話題を出されたら反応に困る。

 経験豊かなナイも試したことは一度もないから、と余分な情報まで付け加えるあたり、来さんの天然はたまにひどくたちが悪かった。

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