33. ありふれたランチタイム
「でもスポンサーの人が事務所に来るなんて、珍しいね」
定期的に来さんはTFCへ報告に出向いているが、向こうからの来訪は、この一ヶ月一度もなかった。スポンサーからの連絡はメールのみ。私がTFCについてほとんど知らないのは、その為でもある。
「あいつがいた頃は、嫌になる程来てたんだけどな」
「……あいつ?」
「この事務所の担当者。ここ数年外国勤務だったのに、また日本に戻ってきやがった」
苦虫を噛み潰したような顔で、視矢くんが毒づく。
しばらくの間海外に行っていたTFCの人が帰国し、再び事務所の担当者になった。すなわち今日の訪問は、その人の復帰の挨拶を兼ねている。
「どういう人なの、担当者って」
「いけすかない奴」
きっぱりとそう答えられ、私は首を傾げた。視矢くんの口振りから察するに、歓迎していないことは明らかだ。ちらと来さんに目をやると、来さんも眉根を寄せ、難しい表情をしている。
「本当は小夜に会わせたくなかったんだが、あちらから指示してきた。何か企んでいるのかもしれない」
来さんは私の方を見て、警告めいた言い方をする。二人がこんな態度を取るなんて、TFCの担当者は相当な相手なんだろう。新入社員の私に会いたいと伝えて来たそうで、素人を雇って役に立つのか、といった嫌味の一言くらいは覚悟しておいた方がいい。
たとえどんな評価を下されても、しっかり受けて立つ。私は自分を奮い立たせるべく、少し冷めたホットミルクを一気に飲んだ。
スポンサーとのアポイントは、予定では十一時。にもかかわらず、十二時を過ぎても現れない。
事務所を離れることもできず、私は三人分の炒飯を作って事務所で簡単な昼食にした。
こうして事務所で食事を作ることはよくある。二人が忙しくて日常生活が疎かになる時など、差し出がましくない程度に生活面を手伝っていた。
「やっぱ、女の子にメシ作ってもらうって、いいもんだな」
「視矢くんの方が、料理上手いじゃない」
「そういう問題じゃねえの」
レンゲを口に運びながら、しみじみと視矢くんが呟く。来さんと視矢くんも料理をするので、男二人所帯にしては調理器具が揃っているし、悲しいことに、マーマレードを除いて私の料理の腕は来さんにも視矢くんにも及ばなかった。
「小夜、マーマレードある?」
ふいに、来さんの瞳が赤みがかった色に変化した。光の加減ではなく、別人格が表に出た証。
「あるけど……マーマレードと一緒に食べる気、ナイ?」
来さんとナイの入れ替わりには慣れっことはいえ、食事時のこの発言にはいつも驚いてしまう。
視矢くんも醤油に伸ばしかけた手を止め、呆れた視線を元邪神に送った。
「やめろ、こっちまで食う気失せる。もはや味覚音痴の域だぞ、お前」
「小夜なら許すけど、シヤにそう言われると、ヤだな。ムカつく」
「その差別、ひでえ!」
ナイの甘党は筋金入り。マーマレードと炒飯が合うとは思い難いものの、本人の趣向なら他人が文句は付けられない。やめてくれ、という視矢くんの訴えに耳を塞ぎ、私はオレンジ色のビンをナイの前に置いた。
食べ方に多少問題があろうと、気に入って食べてもらえれば、作った側としては嬉しい。
「小夜のマーマレード、大好きだよ」
「ありがと、ナイ」
マーマレードを掬ったスプーンを頬張る無邪気な表情にこちらも和む。一方、口を押える視矢くんは、本当に食欲がなくなったようで手が止まってしまっていた。
「モタモタしてないで、早く食べた方がいいんじゃない」
視矢くんに目をやり、素知らぬ顔をしてナイが促す。
「あと三十分程で、アイツ、来るだろうから」
「分かんのか、そんなこと」
「まあね」
来さんとナイは身体を共有していても、意識や能力は違う。ナイの方が邪神ナイアーラトテップの影響を色濃く残していて、相手の心を読んだり、姿を変えたり、色々なことができる。きっと今も、事務所へ向かっているTFCの人が見えるのだろう。
大急ぎで視矢くんはお皿を空にし、私も片付けを済ませた。見れば、壁掛け時計の単針はほぼ1の位置。無連絡で二時間以上も遅れるなんて、担当者さんは意外と時間にルーズだ。不謹慎ながら、本日大遅刻した私としては、なんだか親近感を覚える。
それから三十分後、ちょうどナイが指摘した時刻に事務所のインターホンが鳴った。
「あなたは……」
「今日は二度目だな。そんなふうに驚かれるのは」
戸惑う私と反対に、その男性は澄まして微笑む。
なんとドアから姿を見せたのは、つい先程アパートの敷地にいた人。綺麗な白い髪も、派手な服装もあの時のまま。スポンサーは政府の人だと聞いていたけれど、彼の身なりはそんなお堅い役職とまったくそぐわない。
「小夜を知っているのか? ソウ」
私が呆然としていると、来さんが厳しい眼差しで男性に尋ねた。彼は、ソウという名らしい。
「午前中に会ったばかり」
「聞き捨てならねえな。抜け駆けして、それで遅れたってか」
勧められないうちから勝手にソファに座るソウさんを、視矢くんも挑戦的に睨み付けている。スポンサーに対しての失礼な物言いに慌てたのは私だけ。こういったやり取りは前々からなのか、ソウさんが気分を害した様子はなかった。
付き合いの長い三人にとっては、これが自然な空気なのかもしれない。
「悪かった。これは詫びだ」
言葉と違って少しも悪びれた素振りはなく、白髪の彼はセピア色の紙袋をぽんと視矢くんに放る。
がさごそと視矢くんが中から取り出したものは、クレープを巻いたような形の焼き菓子。甘く香ばしい匂いが部屋を満たし、私たちの目はそのお菓子に釘付けになった。
「なんだこれ、クッキー?」
「クルムカカ。ノルウェーのクッキー。これを焼いていて遅れた」
来さんも視矢くんも甘いものに目がない。ソウさんが持って来た珍しいスイーツは、二時間の遅刻を易々と帳消しにしてしまえるだけの威力を持っていた。
(すごい人だわ……)
思わず、私は心の中で感嘆する。
二人の操縦法を心得ているこの男性は、紛れもなく名実共に事務所のスポンサーだった。




