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30. その先の混迷

 平穏に日々を暮らしていくためには、知らない方が幸せなことが数々ある。邪神に関わる事象も、その一つ。観月が正式に事務所に就職するのはまだ少し先になるものの、以前と変わらず彼女はしばしばマンションに顔を見せた。


「今回は自信作だよ」

「サンキュ」


 バイトが休みになったと言って、昼下がりに事務所を訪れた観月は、マーマレードの詰まったオレンジ色のビンを得意顔でバッグから取り出した。早速俺はマーマレードを預かり、キッチンへ持って行く。


「あれ、来さんは?」

「スポンサーのとこ。今回の件の報告に行った」


 クッキングヒーターでミルクを温めながら、ソファに座る観月の方へ声を張り上げた。スプーン一杯分のマーマレードをミルクパンに入れると、柔らかな甘い香りがふわりと広がる。


 先日、これまで告げずにいた邪神や従者について、そして彼女自身の破魔の力についての真実を伝えた。

 従者が元は人間だと話した時、観月は辛そうに顔を歪めた。こちらも話すのに勇気が要ったが、隠したところで、事務所で働く以上どのみち知ることになる。無論そこで入社を断って記憶を消すと言う選択肢も提示した。けれど彼女は臆すことなく、こうしてまた事務所を訪ねてくれる。


 セレナは地球本来の神々に仕える巫女だった。観月も潜在的に魔を祓う力を持ち、無意識ながら何度もその力を使ってきた。

 たとえばコンビニへ行く途中だった最初の夜、児童公園を通らず従者と接触さえしなければ、従者の状態がブレることもなかった。良くも悪くも、破魔の力が従者に一時的に人の心を戻させた。


 それを知った上で、観月は自分の力を役立てたいと、破魔の力を自在に使えるようになりたいと、強く望んだ。しかし力を高め制御するには相応の鍛錬を積まなければならない。要するに、スポンサーの力添えが不可欠。俺にしても来にしても気が進まないため、その件は保留中だ。


 俺の血を飲んだことで観月の体に拒絶反応が出るのでは、という心配も杞憂に終わった。結局ビヤを呼べたのは、あの夜一度きり。継続的な効き目はないと分かった。

 ビヤを呼ぶ口実でその都度キスできるのは役得とはいえ、俺が来とナイに永眠させられる危惧もあるので、現時点ではなるべく自粛したい。


(さて、と)


 ミルクが沸騰する前にIHヒーターの加熱を止め、俺はマグカップを二つソファへ持って行った。

 こんな風に過ごせる穏やかな時間が心地良く、幸せに感じられる。


「あ、悪ぃ。電話」


 観月の隣に腰を下ろしたところで無粋な着信音が聞こえ、上着からスマホを取り出した。九流から、とだけ言って、座ったまま電話に出る。九流と児童公園の従者との関係は、観月にも教えてあった。

 電話口の女の口調はこれまでとまったく同じ。相変わらずこちらの都合を確認することなく、待ち合わせの場所を指定される。


 俺は了承の意を伝え、通話を切って溜息を吐いた。いずれ来ると分かっていたけれど、せっかく観月と二人きりでいられるというのに、呪われているのではないかと疑いたくなる程、毎回間が悪い。


「ちょっと出てくっから。早めに帰れよ、観月」

「……どこで会うの?」

「例のおばけ公園。来には連絡入れとく。心配すんな」


 玄関へ向かう前に、観月用に作った事務所の合鍵を放ってやる。入社したら渡すつもりだったので、多少早くても問題あるまい。うまくキャッチした彼女に親指を立てて見せ、そのままマグカップを指差した。


「飲んでみ、ホットミルク」

「え? あ、うん」


 九流と通話している間、観月はずっと息を詰めていて、まだ飲み物に口を付けていない。温かいミルクは心を落ち着かせてくれる。おまけにこれは絶品のマーマレード入り。


「美味しい」

「だろ?」


 彼女は一口飲んで、顔を綻ばせた。はにかんだ表情に俺の頬も自然と緩む。

 ホットミルクのような笑顔に励まされ、木刀を小脇へ挟み右手で玄関のドアを開ける。天気は良いのに、外気は夜と同じくらい冷く身体を刺した。


「待って、視矢くん」

「わ!? ちょ、何……っ」


 唐突に、空いている左手が観月の両手に包まれた。不意打ちの温かさと柔らかさに仰天し、俺はドアを中途半端に開けた状態で固まってしまう。

 みっともなく慌てふためいているうちに、触れた手はすっと離れた。それでもまだ掌はぽかぽかとして、視線を下向けると何のことはない、使い捨てカイロが握らされていた。


「外は寒いよ。行ってらっしゃい」

「……行って、きます」


 こういった天然さは、観月も来と同種かもしれない。彼女と距離を置かねばならない身としてほっとした気持ちはあれど、残念な気持ちの方が断然大きい。無邪気な無自覚に翻弄され、肩を落としつつ俺は後ろ手にドアを閉めた。






 おばけ公園に、もう従者はいない。立ち入り禁止のロープは撤去されても、一度バケモノの噂が立った児童公園は誰しも敬遠し、中で子供を遊ばせる親はほぼ皆無。

 だからこそ、九流は因縁の公園に俺を呼び出した。他の人間に邪魔されず、しかも自分の身内が殺された場所となれば、弔い合戦にちょうどいい。


 公園の入り口に立つ俺の元に、ほぼ時間通りに、一見して一般向けではない黒のベンツが近付いてきた。ベンツは公園の手前で女を降ろし、徐行運転で脇道へ入っていく。


「寒い中、待たせてごめんなさい」


 そう言って、九流は薄い笑みを浮かべた。身構えた俺は木刀を握り直す。炎の精を呼んだら、速攻で仕掛けるつもりだった。警戒心丸出しのこちらを見て、女は可笑しそうに声を上げる。


「勘違いしないで。高神さんを恨んでるわけじゃないのよ」

「……敵討ちに呼び出したんじゃねえのか?」


 車でここへ来た、すなわち近くに運転手兼ボディガードが控えている。一戦交える気なら一人で現れるはずだ。確かに、嘘を吐いて油断させようとしているわけではない。


「感謝してるわ。あの子を、返してくれて」

「意味分かんねえ……」


 九流の言葉が、俺には理解できなかった。寛大すぎる態度にどこか苛立ちさえ覚えて眉根を寄せる。

 児童公園の従者を葬り、従者の魂を未来永劫抜け出せない闇の深淵に閉じ込めた。家族を奪った相手に、どうして感謝などできるのか。俺は、許すこともできないのに。


 そもそも九流の行動は初めから不可解だった。炎の精に固執したことも、アパートの結界を破って従者を導き、観月を襲うよう仕向けたことも。従者を守りたければ、気配を消して身を隠すのが一番いい。むざむざ殺されに来る必要はなかった。


「これで、家族が一緒になれた」


 九流が伸ばした手の先に、幾つもの炎の小球が現れた。攻撃してくる様子はない。ただ瘴気を外に漏らさないために、俺は木刀を回して結界を張る。

 この酷く異常な光景は、墓参りに付き合った折にも目にした。九流は炎の精を父と呼び、今また纏い付く炎を愛おし気に見つめている。


(幻術を自分に掛けたのか……)


 炎の精が肉親の魂だという幻覚。傍にいるのは亡くした最愛の父であり、従者となって散った幼子だと信じているのだろう。

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