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27. ノクティス・ラビリンサス

「おかえり、早かったな」


 急いで事務所へ戻ってみれば、デスクに座った来にまったく緊張感のない口振りで迎えられた。至急戻れ、と命じておきながら、あまりに平時通りの態度に俺は肩透かしを食った。来は眼鏡を指で押し上げ、無表情でパソコンを覗き込んでいる。


「お前、コンタクトは……」

「どこかへ置き忘れた」


 淡々と告げる同居人を横目で眺め、これで今月三度目だ、と心の中で回数をカウントする。

 ホットミルクを入れたマグカップを持って、いつものごとくソファへ向かうと、テーブルの上にファイルが置かれていた。


「九流弥生について、新たな事実が分かった」


 デスクから動かず、来がファイルを指し示す。プリントアウトした資料は、更新された信者リストだ。軽い気持ちで九流のデータに目を通した俺は、思わず飲んでいたホットミルクにむせて咳き込んだ。


「ろ、六年前って……、九流は十七だろ。マジか!?」

「公園の従者は、六歳。年齢的には合う」


 キーボードを叩く音と来の静かな声音が室内に響く。少しも表情を変えないところに、今更ながら感心してしまう。

 俺は読み終えたファイルをテーブルの上に放ると、憂鬱な気持ちでソファに横たわった。


 九流忠明の非嫡出子は、六年前に生まれてすぐ乳児院へ預けられ、その後児童養護施設へ移された。当時忠明が女性と交際していた記録はなく、母親が誰かは分からない。

 同じ頃、娘の弥生は人知れず子供を産んでいた。だが、それについても詳細は明らかになっていない。信者リストでも辿れないところを見ると、子供の出自は信者によって巧妙に隠蔽されたのだろう。


「忠明の息子は、クトゥグァの従者となった。そして弥生の子供は」


 来はそこで言葉を止めた。導き出される結論は、俺が言う権利はないが、あまりに背徳的だ。ただあくまで憶測でしかなく、真実は隠されている。

 身寄りのない幼子に信者が亡き父のことを教えれば、子供はそれにすがるに決まっている。邪神がいかに危険な存在か判断できるはずもなく、おそらく少年は父に寄り添いたい一心で信者の甘言に乗せられた。


「お前がやるべきことは変わらない。従者を救ってやれ」


 珍しく、来は『救い』という言葉を使う。しかしどう言おうと、まさしくすべきことは何も変わらない。

 死を与えることは救いなんかじゃない。慈悲というなら、そんなものは思い上がりだ。


「『始末』するさ、今度こそ」


 俺は決意が揺らがないよう、手にした木刀に精神を集中させた。


「それで、観月の方はどうだった?」

「え? ああ……」


 いきなり話題を変えられ、反射的にソファから跳ね起きて同居人の方に体を向ける。結界が破られたことに関しては想定内だったらしく、来はただそうか、と言っただけ。問題はその後の話で、俺はどうしたものかと顔を掌で覆った。


「観月に……、俺の血を、飲ませた」


 話すのに抵抗があったものの、隠しておけることでもない。しばしの沈黙の後、椅子がガタリと鳴り、足音が近づいて来た。来に胸倉を掴まれて引き上げられ、言い訳する暇もなく拳が俺の顔面にヒットする。


 意外に重い一撃を食らい、俺はソファの上に吹っ飛ばされた。クッションがなかったら、床に背をしたたか打ち付けている。口の中が切れたらしく、口内に血の味が広がった。


「……ソファが汚れんだろうが」

「ナイが出ていたら、お前の体はバラバラになってる」


 絶対零度の視線と共に、来からティッシュケースが投げ寄越される。ありがたくそれで口元を拭って、俺は肩を竦めた。来でさえこれだけ怒っているのだから、ナイに至っては本当に体をバラバラにするくらいやりかねない。 


「観月の体は魔を受け付けない。それでビヤを呼べるのか」

「分かんねぇ」


 来の指摘通り、破魔の力を持つ彼女に俺の血が効く保証はなかった。属性の違う九流に効力があったとはいえ、邪神の力は神力と相容れない。要は、観月に受け入れる意思があるかどうかだ。

 たとえビヤを呼べなくともナイが彼女を助けるだろうし、俺の身勝手な行為に来が怒るのもまあ当然と言える。


「二十二時。もう、間もなくか」


 壁掛け時計を見上げて、来が眼鏡を外す。何が、と問う必要はなかった。






 慌ただしく視矢が出て行った後は、電気が点いているのに部屋の中がやけに薄暗く感じられた。

 彼に出し損ねたホットミルクを自分用に作り、こくりと飲んで小夜は気持ちを落ち着かせた。左手を動かしてみても、包帯は器用に巻かれていてほどけてくることはない。


 先程視矢に触れられた唇を指先でそっとなぞる。突然の事に驚いたけれど、決して嫌ではなかった。飛び出しそうに高鳴っていた心臓の音を、もしかしたら彼に聞かれたかもしれない。


 次第に深まっていく夜の静けさに、小夜はベッドの上で心許なく膝を抱いた。今もバクバクと脈打つ鼓動が、従者に襲われる恐怖ゆえか、それとも口付けの余韻なのか分からない。

 従者が、今夜やって来る。果たしていつ現れるのか。得体の知れない闇がすぐ傍にあるような気がした。


「よし! ご飯食べてシャワー浴びて、テレビ観る」


 己の声で己を励まし、気合を入れて立ち上がる。今か今かとびくついて待つのは嫌だった。不安や恐怖といった感情こそが、魔を引き寄せる。

 少しでも異変を感じたら直ちにベランダへ出てビヤの名を呼べと、視矢に念を押された。ビヤというのが何かは知らないけれど、彼の言葉を信じていればいい。


 寄る辺を探すように首に掛けたペンダントを手繰り寄せると、不思議と心が穏やかになる。大きく深呼吸してから、小夜は先程宣言したことを実行すべく顔を上げてキッチンへ向かった。

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