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25. 幻惑と誘惑

 しばらくぶりに観月の部屋に上がらせてもらうことになり、俺は少し緊張して彼女の後に付いて行く。玄関に足を踏み入れた瞬間、感電にも似た痺れが足元から走った。結界は機能しているのに、わずかに違和感がある。

 たとえるなら、本物ではなく鏡に映したものを見ているような感覚。術者当人の俺が、自分の張った結界の状態を把握できないなど初めてだ。


 違和感の正体が分からないまま部屋の中をぐるりと見回す。従者の気配はなく、結界に穴もない。妙な感じは否めないものの、徒に観月の不安を煽るより火傷の手当てをするのが先だろう。救急箱から薬と包帯を取り出して待機する俺の前に、彼女はおずおずと左手を差し出した。


「Ⅰ度熱傷。医者に行くほどじゃねえな」


 中手骨辺りが一部赤くなっているだけで、水泡はできていない。俺は安堵して、軟膏を塗ったガーゼを患部に当てた。手際良く包帯を巻く様子を、観月は意外そうに眺めている。


「手馴れてるんだ」

「しょっちゅう怪我してっから。慣れもするって」

「……従者にやられるの?」

「場合によっちゃな」


 児童公園で瘴気に焼かれた脇腹はまだ若干痛む。俺の場合は治りは早いが、炎の従者の瘴気をまともに浴びれば普通の人間なら重度の熱傷、悪くすると黒焦げになる。以前児童公園で見つかった焼死体が目に浮かび、俺は吹っ切るように頭を振った。


「今日、他に誰か来たか」

「午後に視矢くんが来てからってこと? ううん、来ないよ」


 ふと観月が妙なことを口にした。


「ちょっと待て。午後に、って何だ?」

「え? 私が事務所から戻った時、視矢くんアパートに来てくれたでしょ」

「……で、その時俺は何した?」


 厳しい表情で、あえて訂正は入れずに問い直す。来に連絡してから、こちらはまっすぐホテルへ向かい当然ここへは立ち寄っていない。今日観月に会ったのは、先程裏の空き地へ行った時が初めてだ。

 観月はよく分からないといった顔で眉を寄せて、信じられない事を告げた。いわく、ボヤ騒ぎが起こる直前に『俺』がアパートを訪れたと言う。その際、『俺』は結界の確認と称して観月の部屋へ入ったらしい。


「これからホテルで九流さんと会うから、その前に様子を見に来た、って……」

「くそっ、当て付けがましく言いやがって!」


 腹立たしく拳で床を叩いた俺を、観月はびくりと見つめる。

 憶測が確信に変わった。この部屋へ入ったのは、従者ではなく従者の侵入を手引きする人間であり、観月に幻覚を見せ俺がここへ来たと思い込ませた。

 幻術は邪神がよく使う手で、まれに信者の中にも力を継承できる者がいる。九流弥生もその一人。信者リストによれば、信者になる前からあの女には特殊能力の素質が備わっていた。


「じゃあ、あれは……幻術だったの? まさか……」

「ナイの変身は見たことあんだろ。あそこまで高度じゃなくて、所詮目くらましの域だけどな」


 唖然とする観月に苦笑いする。九流の本性を知らないのだから、簡単に納得できないのも無理はない。

 俺の血を取り込んで、九流はもともと持っていた自身の力を驚く程に高めた。手懐けた炎の精を使い、俺の結界に細工をしたのだろう。あの女の力の源は半分俺自身の力でもある。そのため、改ざんの痕がはっきり分からなかったわけだ。


 ボヤ騒ぎは九流の予告状代わり。間違いなく、今夜従者がやって来る。観月を危険に晒すのはできるだけ避けたかったとはいえ、これが従者を仕留める絶好の、そしておそらく最後の機会になる。


「……飲み物でも入れてくるよ。ホットミルクでいい?」

「おい。火使うなら、俺が」

「え? あ……!」


 観月が立ち上がろうとした時、思わず腕を引いてしまい、柔らかい体が腕の中に倒れ込んだ。床に打ち付けずに抱き留められたのは、咄嗟にしては上出来。慌てて跳ね起き、離れていく彼女の体の感触が名残惜しかった。


「悪ぃ! どっか、ぶつけなかったか?」

「だ、大丈夫」


 顔を赤くして観月はぱっと目を逸らす。その胸元に、首に掛けたペンダントが服の中から零れ落ちた。

 革紐に褐色の平たい石が通されたそれが常に来が身に付けていたタリスマンだと気付き、俺は無意識に手を伸ばしていた。


「……これ、来からもらったのか」

「預かっただけだよ」


 俺の腕を押し戻し、観月は再びペンダントを服の下に仕舞った。

 その昔、文字通り自分の中に閉じこもっていた来が表に出るようになったのはセレナのタリスマンのおかげだった。これがなければ、多分来は今も引き籠りを続けて事務所も発足していない。

 前世の恋人の大切な形見を観月に渡し、彼女が受け取った。過去にバッドエンドだった二人が転生して惹かれ合うのは定番中の定番といったところか。


「ま、当然だな? 昔は恋人同士だったんだし」


 いたたまれない気持ちを隠して、へらりと笑う。そんな場合ではないというのに、みっともない嫉妬をしている俺は男として相当情けなかった。


「違うよ! 私はセレナじゃない」


 きっぱりと言い切り、切なげな眼差しを向ける。前にも何度か同じ台詞を彼女の口から聞いた。


「……私は……」


 観月は言い淀み、俺の服の裾をぎゅっと掴む。何を言おうとしているのか、察せない程俺も鈍くはない。あと少し我慢していたら、多分欲しい言葉がもらえた。それでも言わせてはいけなかったし、聞くことは許されなかった。

 感情を上手く制御できないなんて、青臭い自分に我ながら呆れてしまう。そこそこ長い年月を生きていながら、精神は肉体年齢の方に引っ張られている。

 気付けば俺は説明も何もかもをすっ飛ばして、観月の唇に自らの唇を重ねていた。

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