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逃げる以外に道はない  作者: イングリッシュパーラー
第1章 炎編/夜は始まる
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2. ラン・ホーム

 心身ともに余裕があったのは束の間だった。やがてダメージがじわじわと効いてきて手足が鉛のように重く感じられ、自力で立っていることさえ辛くなる。

 彼女のボディブローより、公園で食らった瘴気がこたえていた。従者とやり合う時はいつも、ごっそり体力と気力を持っていかれる。


 木刀を杖代わりにし、覚束ない足取りでマンションに帰り着いた俺を見て、同居人であり上司でもある男が直球で聞いてきた。


「おかえり。従者にやられたのか」


 気遣う言葉を掛けてくるが、その顔は相変わらず無表情。違う、と軽く手を振り、俺は来客用のソファに倒れ込んで目を閉じた。

 自宅を兼ねた事務所の応接室は、客がいなければリビングとして使っている。


「今夜もやれなかったらしいな」

「……なんで分かんだよ」


 俺が従者を仕留め損ねたことはお見通し。不機嫌な態度の俺にとやかく言うことなく、同居人は疲労時の定番となった二人分のホットミルクをテーブルの上に置いた。


 この事務所に、『司門特殊警備保全請負株式会社』という長ったらしくセンス皆無の命名をしたのが、目の前の男、司門(しもん)(らい)。来は代表取締役社長。そして俺は、社員という肩書きになる。

 もっとも株式会社なのはスポンサーのおかげであって、従業員は俺たち二人しかいない。


 一見平穏な日常の中に、悪意を持つ異形のものたちが人知れず暗躍する。『旧支配者』と呼ばれる邪神とその眷属、そして配下となった従者。俺と来の仕事は、この世ならぬ存在と不幸にも関わってしまった人間の保護だ。 

 現状ほとんどの邪神は封じられているとはいえ、偶然従者を目にした故に襲われる人間が後を絶たず、スポンサーを通して仕事が回ってきて、事務所はそこそこ忙しい。


 ホットミルクを飲みつつ、黙って向かい側に腰を下ろした来はじっとこちらを見つめている。早く報告をしろという無言の圧力だ。


「……公園で、女に仕事の現場を見られた。結界が、彼女には効かなかった」


 俺は仕方なく起き上がり、マグカップを手に取って口を開いた。今日の報告は一段と気が重い。


「その女性に逃げられたのか。名前も聞いていないと」

「……まあ」

「しかし放っておけば、確実に従者に狙われる」


 整った来の切れ長の瞳がわずかに細められた。俺にとっては恐ろしい表情でも、女からするとグッとくるらしい。

 同居人といえど、来は上司。目撃者の護衛であるべき俺が目撃者を逃がしてしまったのだから、弁解の余地はなかった。


「ちゃんと保護するって。ナイなら、彼女の身元分かんだろ」


 俺は手をすり合わせ拝むように頼んだ。苦しいときの神頼み、ならぬナイ頼み。ナイは元邪神なので、神頼みと言ってもあながち間違いではあるまい。


「頼んでみよう」


 そう言って来が目を閉じたと思うと、次の瞬間やや赤みがかった瞳が俺を睨んでいた。


「都合のいい時だけボクを頼るの、やめてくれる?」


 声と外見は同じでも、纏う雰囲気が先程までとまったく違う。表に出てきたのは、来と体を共有する別人格のナイ。来とナイは折々に入れ替わる。

 突然口調と性格が変わることに最初の頃は戸惑ったものの、今や驚くこともない見慣れた光景になっている。

 

「あのな、お前にも責任あんだよ」

「何、責任て」


 不服そうなナイに、俺は今夜の出来事を話してやった。他人の頭の中を読める元邪神にわざわざ言葉で説明する必要はないのだが、ここは敢えてはっきり言っておきたかった。

 児童公園で従者を見てしまった女は、俺のトラウマとなった『セレナ』と同じ容姿を持つ人物。トラウマの発端はナイにあるわけで、すなわち今夜彼女を取り逃がした原因を作ったのは、他ならぬナイだ。

 案の定、ナイにも思うところがあるのか、しばらく眉根を寄せてから深い溜息を吐いた。


「その子の名前は、観月(みづき)小夜(さよ)。十九歳。公園近くのアパートで、一人暮らしをしてるよ」


 ナイはこの世のあらゆる情報を引き出せるのに、その力を事務所のために役立てようという気はさらさらない。普段であれば俺や来が協力を頼むたび、さんざんごねられる。


「さっすが。お前にかかったら、個人情報ダダ漏れだな」

「褒めてないよね、それ」

「感心してんの」


 俺は冷めかけたホットミルクを喉にすべて流し込むと、ソファから立ち上がり大きく伸びをした。

 従者を目撃した人間の行く末は三つ。記憶を消去して日常を取り戻すか、さもなくば殺されるか、従者になるか。要するに、邪神を見たこと忘れさえすれば、命の心配はなくなる。

 依頼人の記憶を消すのは来の役割だった。観月についても、事務所に連れて来て記憶を消せば事は済む。


「問題は、なぜ彼女にはお前の結界が効かなかったか、だ」


 目の前の男は来に戻ったらしく、声のトーンが再び単調になった。

 長年一緒にいれば、どちらの人格が表に出ているかは、口調や態度、気配から判断がつく。


「それな、俺にも分かんね。結界が弱まってたわけでもねえし」

「引き続き、公園の従者の方も手を打つ必要がある」

「分かってる」


 社長サマは従者に対して吹っ切れない俺がもどかしいのだろう。俺としても、本当なら今夜で決着を付けるつもりだった。観月に見られるという不測の事態が起こらなければ。


「観月はセレナの生き写しだとナイが言っていた。そうなのか」


 マグカップを片付けながら、来が俺の方を振り向く。

 体を共有していても、セレナの記憶があるのはナイだけで、来は彼女について一切覚えていない。


「まーな。今日はもう寝る」


 俺は軽く返して自室へ向かった。眠そうに欠伸をする俺に、同居人はそれ以上追及せず、おやすみと言ってリビングの明かりを消す。


 依頼人から従者に関する記憶を消し去った後は、必然的に事務所に関する記憶も消える。見ず知らずの人間になり、思い出の中に残らない。気まぐれにつながった縁になど、深入りしない方がいい。

 そう自分を納得させて息を吐く。もともとセレナを覚えていない来が俺には少し羨ましかった。

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