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18. ワンダー・ワンダラー

 児童公園に潜む従者は炎の瘴気で人間を殺めた。もとは炎の信者だったと思われ、だとすれば仲間の信者たちは、『腑抜け』になった従者に何らかの対処を講じているに違いない。


「……公園の奴、人に戻りたいんじゃねえのか」

「愚かの極みよ」


 俺が水を向けると、九流は眉根を寄せて不快感を露わにした。信者にとって、従者が人の心を取り戻すなどあり得ない話で、背信も同然だ。

 邪神を崇拝し続けることが幸せだという盲信。信仰のない者がどう反論しようと、聞く耳を持つまい。


「彼女と接触したせいね。余計なまねをしてくれたものだわ」


 忌々し気に、九流は観月のアパートの方角を見据えた。

 観月の神力は、他者を癒し、魔を祓う。昔から霊感が強いと聞いて薄々察していたが、俺や来の力が観月には効かなかったのは、つまりそういうこと。

 児童公園の従者が大人しくなったのも、最初の日観月が公園の結界内に紛れ込んだのが原因だろうとナイが結論付けた。

 しかし、それを彼女本人に伝えるつもりはない。力を持っているなど自覚せずにいた方が穏やかに暮らせる。


「あいつに手出したら、容赦しねえからな」

「せっかくの台詞も決まらないわね」

「しれっと言うな!」


 捕えられた腕に柔らかな胸の膨らみを押し付けられ、俺の声は裏返っていた。力ずくで腕を振り払い、改めて睨みを利かせても、九流の言う通りまったく様にならない。

 

「で、なんでまたあんたはストーカーしてんだ」


 懲りずにすり寄ってくる女から身を離し、今度は木刀を使って距離を取る。


「手を引くなんて、言ったかしら」


 九流は口の端を上げ、ついと右手をかざした。その腕に、無数の炎の球体が集まっていく。

 予想はしていたので、驚きより悔恨が先に立つ。くそ、と吐き捨てて俺は木刀を握った手に力を込めた。


 人魂にも似た小球は、クトゥグアに仕える炎の精と呼ばれる種族。炎の瘴気が肌をピリピリと焼く。

 すぐさま周囲に結界を張り、俺たちの姿を通常空間から遮断した。付近は住宅街で、通り掛かる車や人間がいないのが幸いだった。

 炎の精は邪神クトゥグアとともに出現する。けれど現在クトゥグアはフォーマルハウトに封印され、地球上に降り立てない。眷属だけなら、ビヤがいれば何とかなる。


 炎の精を従えた九流は前にも増して艶やかで、色香を含んだ瘴気がじわじわと大気を侵食する。

 血は、契約に用いられる一種の秘薬。俺がハスターとの契約でビヤを使役するのと同じく、俺の血で九流は炎の精を使役する。

 属性違いでも拒絶反応が出なかったのは、不本意ながら体の相性が良かったと認めざるを得なかった。


「ふふ。ビヤを呼んだら?」

「お望みなら」


 結界の中とはいえ、九流も白昼堂々ここで一戦交えたらどうなるかぐらいは分かるはず。相手の出方を探りつつ、木刀を構えたままビヤを召喚する言葉を唱える。と、頭上で大きな羽音が聞こえ、風の眷属の瘴気が主を守るように取り巻いた。

 巨大な羽根を持つ、数メートルもの体躯の生物が静かに俺の背後に付き従う。本来ハスターの眷属であるビヤーキーは、今は俺が借り受けていた。


「これで満足か?」

「そうね」


 威圧的な巨鳥の姿を、女は怯えるどころか興味深げに凝視する。肉食獣さながらの貪欲な眼差しに思わず腰が引けた。


「炎の精をお目にかけたのは、お礼のつもりよ」

「義理堅いことで」


 軽い会話を交わしていても、ぶつかり合う互いの眷属の瘴気で次第に体が重たくなっていく。俺でさえ結構な負荷が掛かっているのだから、普通の人間の身には言うまでもない。

 限界を感じたらしい九流が合図を送ると、炎の小球は一つまた一つと消えていった。炎の精がすべて消えるのを見届けて、こちらもビヤを還し結界を解く。


「続きは、また夜に」


 妖艶な笑みと甘い香りを残し、九流はハイヒールの靴音を響かせ踵を返した。結界が消えるのを合図にしたかのように先程の黒塗りの車が道路脇に停まり、女を乗せて走り去る。俺は腕で汗を拭って電柱にもたれ掛かった。

 街を焼き尽くす意図はないにせよ、炎の精を召喚する者として、九流が信者リストの第一級危険人物に昇格するのは確定だろう。






 九流が投じた波紋は、当初の想像より遥かに大きかった。

 スポンサーから九流をマークするよう通達が来たのは想定内。ところが俺も彼女と関係を持ったという濡れ衣を着せられ、厳重注意を受けた。いつもながら一方的かつ高圧的な処遇が癇に触る。


「仕方ない。スポンサーのおかげで、衣食住にも不自由していないのだし」

「分かってっけどさ!」


 苛立ち紛れにソファのクッションを叩く俺を、来は静かに諭す。俺よりずっと以前から政府の監視下にいる来は、己の立場を悲しい程に理解していた。

 上の連中にとっては、俺も来も邪神同様の脅威に他ならない。事務所のスポンサーとして高級マンションに住まわせているのは、飼殺しにするためだ。


「観月の護衛は、私が受け持つ。お前はしばらく大人しくしていろ」

「……そうする」


 来の言葉を、俺は半ば上の空で聞く。スポンサーは炎の精の出現に関して全責任を俺に押し付け、加えて観月の護衛から外れるよう命じてきた。九流の動向に傾注しろとの指示だった。


 先日のホテルでの一件は恥を忍んで観月に真実を伝えた。九流は俺を翻弄したいだけで、詳しい理由は話せないけどとにかくそういう関係ではないから、と壊滅的な語彙力で説明した。

 護衛を来と交代することも含めて、観月の誤解を解こうとしたものの、私は大丈夫、と笑顔で告げられればそれ以上何が言えるのか。

 今回はさすがに修復不能だね、とナイに同情されたが、本当にそうなりそうな気がしないでもない。


「留守番を頼む」

「了解」


 これまでとは逆で、来を送り出した後、俺一人事務所に残る。

 山と積まれた未処理の書類を前にして、すっかり打ちひしがれた気持ちでパソコンを立ち上げた。

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