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逃げる以外に道はない  作者: イングリッシュパーラー
第1章 炎編/夜は始まる
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10. 二度目のランデブー

 薄暗くなった街並みに街灯が灯り出す。冬が近づくにつれ、どんどん闇が落ちるのが早くなってきた。

 大通り以外は他に人の姿はない。とりわけ先日女が暴漢に襲われていた場所は見通しが悪く、女の一人歩きなどもってのほかの脇道だ。


「ここ、前に観月が車を蹴っ飛ばしたとこだな」


 いまだ明かりの下に浮かび上がる道路のタイヤ痕が、あの時の状況を生々しく思い起こさせる。

 観月は見ず知らずの女を助けようと男たちに向かっていった。ミニバンのタイヤに蹴りを入れるなんて無茶過ぎて決して褒められた行動ではないものの、大事に至らず、女も助かったのでまあ結果オーライ。ふっと笑った俺を見て、観月が申し訳なさそうに呟いた。


「……迷惑かけて、ごめん」 

「迷惑なんて、思ってねえって」


 事務所で俺が『他の仕事ができない』と言ったことを引きずっているのだろうか。今更あれは本心ではなかったと伝えたところで、取り繕った言葉にしか聞こえないだろう。

 他に話すこともなく、俺はもやもやした気持ちを持て余して木刀を担ぎ直す。観月は観月で何かを考えるように眉を寄せていた。


「……視矢くんは、セレナに会ったことないよね」

「な、なんだ、急に。当たり前だろ!」


 いきなりセレナの話を持ち出され、驚いて声が裏返ってしまう。一番触れて欲しくない件を、一番して欲しくない相手に尋ねられ、冷や汗が流れた。突然そんな事を聞いてくるとは、ナイに余計な事を吹き込まれたのかもしれない。


「初めて会った時に、視矢くんが驚いたのは、私がセレナに似てたから?」

「あー、それは……」


 観月はかなり鋭い所を突いてきた。確かにその通りとはいえ、ここで認めてしまえば、芋づる式に事情を話す羽目になる。遥か昔の思い出したくもない事の顛末を彼女にだけは知られたくなかった。


 セレナは太古の時代に生きていた巫女であり、さすがに本物のセレナに会ったことはない。俺が知っているのは『偽物のセレナ』の方。

 その辺の事情はあまり口にしたくないため、どうにか誤魔化そうと考えを巡らせても妙案は浮かばない。うろうろと目を泳がせていると、道路脇に佇む若い女が視界に入った。


「こんばんは。やっとお会いできた」


 すれ違いざま女の方から声を掛けられ、俺は反射的に後ずさった。一度会った人間の顔は大体覚えているが、こちらのことを知っているように話されても心当たりはない。

 長いストレートヘアが風になびき、甘い香りが鼻腔をくすぐる。纏う気の異様さがなかったら、一見清楚な美女だ。


「人違いじゃね? んじゃ」

「待って、視矢くん。ほら、あの時の人よ」


 すげなく歩き去ろうとした俺の腕を引き、観月が小さく耳打ちする。観月の言う『あの時』がどの時なのかさっぱりだった。


「先日は襲われていたところを助けていただき、ありがとうございました」


 女は微笑を浮かべて軽く頭を下げた。そこでようやく、この間路上で男たちに拉致されていた女性だと認識する。

 特に容貌が変わったわけではない。しかし即座に判別できない程、内面の気が全然違う。前回会った時は異常を感じなかったのに、今目の前にいる女は明らかに “堕ちて” いる。


「あんたを助けたのは、俺じゃなく、こっち」


 俺は女と目を合わせず、隣にいる観月を指差した。最初に飛び出していったのは観月の方で、俺は仕方なく従っただけ。慎ましやかな謝辞には外面を上滑りしているような違和感があった。


「改めてお礼をしたいのですが」

「遠慮します。そんじゃ」


 にべもなく断った俺の背を追い、ねっとりした女の視線が向けられる。まとわりつく不快な空気を払い退け、観月を促して足早に視界から遠ざかった。

 美女からの熱い眼差しは本来嬉しい。が、あの女は文字通り魔の気を漂わせた魔性の女。こういった手合いは今までさんざん見てきた。関わったが最後、ろくな目に遭わないことは経験上よく知っている。


「待ってってば! すごい汗だよ」


 角を曲がったところで観月に上着の裾を引っ張られ、思ったより緊張していたのだと気付く。言葉や態度で引き止められはしなかったものの、女の発する気に威圧されていたらしい。額に浮いた汗を腕で拭おうとした時、目の前にハンカチが差し出された。


「や、大丈夫! 必要ねえから」

「駄目だよ。風邪引いちゃう」


 観月は強引に俺の手にハンカチを握らせる。サンキュ、と苦笑して受け取ってから、申し訳程度に汗を拭いた。


「いいの……? 逃げたみたいになっちゃったけど」

「“みたい” じゃなくて、逃げたの!」


 いくら霊感が強かろうと、従者でない人間の邪気までは判断できまい。従者になる前段階、まだ血の契約を交わしていない邪神の信者は、肉体的にも社会的にも普通の人間だ。


「あの人……、視矢くんを待ってたんじゃないかな?」

「さあな」


 案の定、観月は先程の女を普通の人間だと思っている。少しでも妬いてくれたなら嬉しいけれど、それは虚しい希望的観測。あの女が俺を待ち伏せしていたとしても、本当に礼を伝えるためだけだったはずがない。


「視矢くん、にやけた顔してる」

「はあ? んなわけあるか、よく見ろ」


 どこをどう見て、にやけていると言うのやら。真っ向から顔を近付ければ、観月は頬を赤らめて、慌ててそっぽを向いた。もしかしたら、俺の希望的観測はあながち的外れでもなかったのか。

 口を引き結ぶ彼女に、にやけてない、と告げながら、その時の俺は間違いなくにやけていたと思う。

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