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逃げる以外に道はない  作者: イングリッシュパーラー
第1章 炎編/夜は始まる
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1. 始まりの逃走

 今夜こそ、ケリをつけなきゃならない。

 先延ばししたところで、結果は同じ。ずるずる長引かせていては、新たな犠牲者を出してしまうかもしれない。そうなれば、すべて俺の責任だ。

 意を決し、周囲に張り巡らせた結界を強める。獲物を逃がさないためと、他の誰かの目に俺たちの姿が映らないようにするために。


 口元を引き結んだ俺を見て、黒くブヨブヨとした目の前の異形は、炎の邪気を揺らめかせた。口もなく、声も出さないけれど、全身で俺を嘲笑っている。どうせ、お前にはできないだろう、と。


「悪ぃが、今夜で終わりにする」


 俺は右手に持った木刀を頭上にかざした。

 もう間もなく日付が変わる。深夜にこの児童公園に足を踏み入れる人間などいるはずもないが、結界は緩めない。


 数週間前、近所の養護施設で暮らす六歳の少年が公園で行方不明になった。次いで、公園内で黒焦げになった別の子供の遺体が発見された。

 化け物でもいるんじゃないかと、瘴気を無意識に感じ取った人々が噂し、今やその小さな遊び場は『おばけ公園』などと呼ばれている。

 そんないわく付きの場所へ誰かがやって来るなんて、思いも寄らなかった。しかも夜がとっぷり更けてから、結界を張っていたにも関わらずだ。


「……っ!」


 背後で悲鳴を押し殺したような声が聞こえ、俺は驚いて振り向いた。

 ほんの数メートル後方に人影がある。この距離まで近付かれて気付かないとは、とんだ失態。焦って声を掛けようとすると、人影はものすごい勢いでその場から駆け出した。


 従者を見てしまったに違いない。暗くて顔はよく分からないものの、背格好からして若い女。大抵の人間はこの世ならぬ存在を目にすれば恐怖で足が竦むのに、瘴気を物ともしない素晴らしい脚力に感心する。


「決着はお預けだ!」


 結界内に閉じ込めた従者にそう言い放ち、目撃者を追うべく走り出す。 

 見られた以上このまま放っておくわけにはいかない。己の甘さから他の人間を巻き込んでしまったことを悔やみ、俺は唇を噛みしめた。


 女の足は相当速い。見失いそうになりながら、公園を出て路地を抜け、住宅街に入ったところでようやく追いついた。


「……おい、待て! 死にたくなかったら、逃げんな!」


 肩を掴んで引き止めると、彼女は力任せに俺の手を払おうとする。

 街灯の下、やはり若い女だということは確認できた。が、その身なりに俺のほうが絶句してしまう。

 秋も深まり、いくら夜は冷えるとはいえ、体がすっぽり隠れる程大きなフード付きコートとマフラーとマスク、おまけに夜だというのに黒いサングラスをかけ、顔が見えない。

 これが男なら、まさに変質者を絵に描いたような装いだ。


「死にたくないから逃げてるの!」


 もっと怖がっているのかと思いきや、女は気丈に言い返してくる。凛とした声が心地よく耳朶に響いた。


「まあ、一理あるけど。俺から逃げるのは得策じゃねえぞ。言っとくが、あの黒い奴の仲間じゃねえから、安心しな」


 警戒を解こうと、努めて穏やかに話し掛けてみる。ここで大声でも出されたら、たまらない。


「俺は、高神(こうがみ)視矢(しや)。ボディガードみたいなもん。バケモノ相手専門の」


 従者を見た人間に真実を隠しても意味がなかった。今は目撃者を事務所へ連れて行くことが最優先。


「あの黒いの……、もういない?」

「近くにはいない。いれば、気配で分かる」


 にこりと笑顔を作れば、幾分信用してくれたのか、彼女はほっと息を漏らした。


「何なの、アレ? ボディガードって何? 怪しすぎるよ」

「怪しいのは、お互い様だろ。そっちのカッコも、相当だと思うぞ」


 いくら真夜中といえど、若い女性にしては独創的なファッションセンスだ。俺の呆れ交じりの指摘に、彼女は慌てて釈明する。


「これは……おばけ公園を通る時の護身用で」


 要するに、変質者もどきの姿は変質者避けのコーディネート。聞けば、この先のコンビニへ夜食を買いに行く途中で、近道のため公園を突っ切ろうとしたらしい。

 そこまでしてわざわざ危ない場所を通るより、大通りを行けばいい。そもそも夜更けに女一人でコンビニへ出掛けるのはどうなんだと、父親ばりに説教をしたいところを辛うじて押しとどめた。


「こっちは名乗ったんだから、あんたもそれ取ってくんねえかな。話しづらい」


 それ、と、俺はサングラスとマスクを指し示す。

 彼女は少し躊躇った後、素顔を覆うガードを取り払った。フードの下から現れたセミロングの髪が柔らかに肩に滑り落ちる。


(セレナ……!?)


 女の容姿を目にした時、思わず声を上げそうになった。幼さの残る、美人というより可愛い顔立ち。曇りなく真っ直ぐ見上げてくる意思の強そうな瞳は、かつて出会った頃と寸分も違わない。

 俺はただ呆然と彼女の顔を見つめた。その容貌は、記憶に残る、忘れたくても忘れられない人物と瓜二つだったから。


「あんた……、本当に女、か?」


 女性に向けるには、かなり失礼な台詞だと思う。けれどその時の俺は真っ当な判断ができるだけの平常心を持ち合わせておらず、言葉だけが無意識にこぼれ出ていた。

 我に返ってはっと口を押さえても、もう遅い。彼女が気を悪くするのは、至極当然。


「ぐっ!」


 何が起こったのか把握できないまま、膝がかくんとくずおれた。衝撃に目の前が真っ暗になり、痛みで呼吸さえできない。

 正確に鳩尾を狙っての一撃。どうやら女にボディブローをお見舞いされたらしい。

 暗い歩道に他に人影はなく、俺がうずくまっているうちに、彼女の姿は住宅街の向こうへ消えてしまった。


「……武術でもやってんのか、あいつ」


 食らった瞬間は強烈でも、痛みは長引かない。あくまで相手の動きを止めるための打撃だ。俺はのろのろ立ち上がり、彼女が去って行った方角を眺めつつ息を整えた。

 逃がしてしまったのは失敗だったが、顔は視認できた。身元は洗えるだろうし、従者も今夜は動くまい。


 可愛い外見に似合わず、なかなかお転婆だと、俺はまだ若干痛む腹をさすった。思いと裏腹に、口元には笑みが浮かんでしまう。

 図らずも巻き込んでしまって申し訳ない気持ちの反面、久しく遠ざかっていた心が浮き立つ感覚を意識せずにいられなかった。

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