残ったスキル
部屋に入ったしまった後にノックをすべきだったと思ったが、ため息をつく以外どうしようもなかった。しかしすぐに気を取り直し、辺りを見渡し声の主を探した。けれどそこにあったのはピアノが1台とソファーとローテーブル、それからキャビネットとその上にある水槽だけだった。人なんて一人もいない。聞き違えたのかと思い部屋を出ようとすると、またさっきのあの声が聞こえた。
『わしの声が聞こえるのか?』
「どこにいる?お前、誰だ?!」
見渡しても声が出そうなものなんてない。音ならピアノとか…?
『違う、違う。そっちじゃない』
そっちじゃないって…。
んなの言われなくてもわかってるし!!大体ピアノが喋る訳ねぇじゃん。犬とか猫とかならわかる気もするけど…。さっきテーブルの下を見たが何も居なかったしホコリひとつなかった。とても綺麗に掃除されている。
(ピカピカだ…)
海に住んでいた時、俺の部屋は散らかりっぱなしだった。当時は何も思わなかったけど、今となってはそれがどれ程酷かったかわかる。
『おぉい、キャビネットの上じゃ』
ぼんやりしてしまっていたが、謎の声によってはっと我に返った。そしてキャビネットの上を見た……が大きな水槽と魚以外何も見当たらない。
『やっと気がついてくれたか』
声が聞こえると同時に魚の口がパクパクと動くのがわかった。そう、まるで喋っているかのように。
「え……。さ、魚?」
人間は魚の声なんて聞こえない筈。魚と話せるのは魚介類とか人魚とか…。とにかく海に住む生物だけだ。なのになぜ?
今度は俺が口をパクパクする番だった。
そもそも魚の声って人間にも聞こえるものなのか?いや、それはないな。前何かの本で人間は人間同士しか話せないって書いてたし…。
ふと薬を渡した時の魔術師の言葉を思い出した。
“それでも何か不具合があるかもしれませんから気をつけてね☆”
これも不具合ということなのか。
『おい、お前さん。わしの事、“魚”などと言ったな?』
「え…?あ、あぁ」
何か問題でもあったか?
『はぁ…。わしにも正式名称があるんじゃ』
がっくりと話す魚。おそらく、名前で呼んで欲しかったのだろう。
『わしゃ“ダトニオ”じゃ』
「ダトニオイデス・プルケール…だろ?シャムタイガーの」
そこまで言うと、驚きと喜びの声を上げた。
『うぉっほっほ…。何じゃ、わかっておるではないか。よくカンボジアタイガーと間違えなかったな』
確かにこの爺さんが言う通り。ダトニオのシャムタイガーとカンボジアタイガーの区別はかなり難しく、間違えやすいのだ。普通の人間ならば学者か相当な魚マニアくらいにしかわからないだろう。
「で、シャムの爺さん。何か用があって呼んだんだろ?」
『おぉ、そうじゃったの』
あまりの喜びで用事を言うのを忘れていたようだ。おいおい、この爺さん大丈夫かよ…。
『実は最近な、相棒のアロワナがポックリ逝ってしもうての。話し相手が居なくなってしもうたのじゃ』
アロワナにダトニオ…。でかい魚ばっかりだな。
『それで誰かわしと会話できる者を探しておったのじゃ』
こんな水槽の中で独りきりじゃ寂しいし、退屈だろう。俺にできることなら何とかしてあげたい。
「よーし。いいぜ。俺でよければ引き受ける!」
『本当か?!ありがとうよ。お前さん、名は何と言うんじゃ?』
「俺、アズール。よろしくな」
爺さんは嬉しそうに水槽内を泳ぎ、そうかい、と頷いた。しばらく泳いでいたが、ピタッと動きを止めて思い出したかのように聞いてきた。
『しかし、なぜ女性が“俺”などと言うのじゃ?』
う゛…。聞かれると思ってましたよ。でも俺、ブレイブ探している途中だったんだよなぁ。
「悪ぃけど、また今度ってことで…」
今は説明している場合じゃない。
『ふむ、それもそうじゃの。では、またの。アズールよ』
「おう。またな、爺さん」
魚の事を書きましたけど、魚の事よく知らないんですよ。ダトニオにした理由は、単に大きい魚にしたかっただけです(笑)