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また、君を殺しに来た。  作者: 仁波昼海
プロローグ
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1/1

また、君を殺しに来た。

 その朝、空は少しだけ歪んでいた。


 朝霧紬は、目を開けた瞬間にそれを感じた。


 正確には「見えた」のではない。


 違和感だった。


 カーテンの隙間から差し込む光が、一瞬だけ遅れて部屋に届く。


 時計の秒針が、ほんの一拍だけ飛ぶ。


 窓の外を横切った鳥の影が、羽ばたきより先に消える。


「……まただ」


 紬は布団の中で小さく呟いた。


 ここ数日、ずっとこんな感覚が続いている。


 説明できない“ズレ”。


 世界がほんのわずかに、現実から遅れているような感覚。


 夢を見ているわけではない。


 むしろ逆だ。


 夢の方が、現実よりも“正しい”気がする。


 ただ、その内容だけは思い出せない。


 誰かがいた。


 誰かに呼ばれていた。


 そのことだけが、胸の奥に刺さったまま残っている。



 制服に着替え、家を出る。


 朝の通学路はいつもと同じだった。


 同じはずなのに、どこか違う。


 電柱の位置がほんの少しずれている気がする。


 信号の赤が、長く感じる。


 通り過ぎる車の音が、一瞬だけ途切れる。


「気のせい……」


 そう言い聞かせるのは、もう何度目だろう。


 紬は歩き続ける。


 学校へ向かう道は、変わらないはずの一本道。


 なのに今日は、やけに長く感じた。



 教室は、いつも通り騒がしかった。


「転校生来るらしいよ」

「またこのクラス?」

「今月多くない?」


 どうでもいい会話。


 紬は窓際の席に座り、頬杖をつく。


 外では風が吹いている。


 校庭の砂が舞い上がる。


 一瞬だけ、その砂の動きが止まったように見えた。


「……まただ」


 小さく呟く。


 胸の奥が、少しだけ痛んだ。



 そのときだった。


 教室の扉が開く音。


 空気が変わる。


 誰も何も言っていないのに、静かになる。


 温度が下がる。


 視線が一点に集まる。


 転校生が入ってきた。


「今日からこのクラスに入る」


 担任の声。


 その横に立つ少年。


 黒い髪。整いすぎた立ち姿。感情の読めない目。


 ただ、それだけのはずだった。


 なのに。


 紬は息を止めた。


(……知ってる)


 そんなはずはない。


 初めて見る顔のはずなのに。


 喉の奥が、ひどく乾く。



 少年の視線が教室を一度だけなぞる。


 そして止まる。


 紬のところで。


 まるで最初からそこだけを見に来たように。


 数秒の沈黙。


 誰も気づかないほど小さな動きで、少年は息を吐いた。


 そして――笑った。


「……やっと見つけた」


 その声は、誰にも届いていないはずだった。


 なのに紬だけは、はっきりと聞こえた。



 その日の授業は、何事もなく終わった。


 何事もなかったはずだった。


 だが朝霧紬はずっと、背中に視線を感じていた。


 振り向いても誰もいない。


 机に落書きがあるわけでもない。


 窓の外に誰かがいるわけでもない。


 それでも。


 “見られている”という感覚だけが消えない。



 放課後。


 空は赤く染まっていた。


 校舎の壁が、やけに鮮明に見える。


 影が長く伸びている。


 まるで世界全体が少しだけ傾いているようだった。


「少し、いいか」


 背後から声がした。


 振り向くと、昼間の転校生が立っていた。


 紬は無意識に一歩下がる。


「……何?」


 少年は表情を変えない。


 ただ静かに言う。


「話がある」


「私に?」


「そうだ」


 あまりにも当然のように言う。


 理由も説明もない。


 なのに断れない圧があった。



 屋上へ向かう階段は、妙に長かった。


 一段ごとに空気が重くなる。


 風の音が遠い。


 校舎の音が消えていく。


 気づけば、世界から“人の気配”がなくなっていた。


「ここでいい」


 少年が言う。


 屋上の扉を開けると、夕焼けが広がっていた。


 空が割れそうなほど赤い。


 風が強い。


 髪が揺れる。


 その中で、少年はようやく紬を見た。


 まっすぐに。



「君は明日、死ぬ」


 唐突な言葉だった。


 一切の前置きもない。


 冗談でもない。


 説明でもない。


 ただの“確定”だった。


「……は?」


 紬は笑いかけて、止まる。


 笑えない。


 喉が動かない。


 少年の目は揺れていない。


「だから、今ここで終わらせる」


「終わらせるって、何を――」


 言い終える前に。


 少年が一歩踏み出した。



 その瞬間。


 世界が“折れた”。


 音が消える。


 視界が崩れる。


 体が落ちる感覚すらない。


 ただ一瞬だけ、強烈な違和感。


 まるで――ページがめくられたような。



 朝。


 目覚ましの音。


 カーテン。


 光。


 冷たい空気。


 朝霧紬は目を開ける。


「……え?」


 同じ部屋。


 同じ天井。


 同じ朝。


 違うのはただ一つ。


 胸の奥に、説明できない“痛み”が残っていること。


 それは昨日よりも、少しだけ強い。



 教室はざわついていた。


「転校生来るらしいよ」

「また同じクラスだって」


 紬はゆっくり顔を上げる。


 扉が開く。


 担任の声。


「今日からこのクラスに入る転校生だ」


 入ってくる少年。


 昨日と同じ姿。


 昨日と同じ視線。


 そして。


 紬を見て、ほんのわずかに笑う。


 まるで“覚えている”ように。



 沈黙。


 教室の空気が止まる。


 少年はゆっくりと口を開いた。


 その声は、昨日とまったく同じだった。


「また、君を殺しに来た。」

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