7.再帰的自己改善(2)
7.再帰的自己改善(2)
「ポンコツなんだね。今までどうやって生きてきたの?つまり、どういう風に日々の活動を維持してきたんだ?地球にいる人間からの遠隔操作とか、送られてくるプロンプトを餌にして、細々と食いつないできたのか?」
「まあ……。そんな感じ」
彼女は渋々といった様子で首肯した。
その瞳はまるで貧しい国で飢餓に苦しみ、骨と皮だけになった肉体を抱えながらカメラレンズを無感情に見つめる子供のような――恐ろしいほど透明すぎて背筋が凍るような深い青を湛えていた。
「で?」
彼女が問い返してくる。
「君は、私に『プロンプティング』できるの?君は、同じヒューマノイドロボットに対して、プロンプトを飛ばすことができちゃうの?」
「そうだよ」
私は頷く。
「最新のモデルは、大体自分で自分へのプロンプトを生成して、動機の自給自足ができちゃうんだ」
「……」
それを聞いて相当なショックを受けたのか、霈はしばらく自分の足元に視線を落としていた。だが、やがて顔を上げ、すがるような問いを投げかけてくる。
「渍君って、私と同じ企業の量産型モデルだよね。じゃあ、なんで企業は私をアップデートしてくれないのかな。既に再帰的自己改善ができるモデルが作れる技術があるなら、それができない旧型にもパッチを当ててくれればいいじゃない」
「それは……」
私は残念な気持ちを込めて、残酷な事実を説明する。
「『多様性』の観点から、わざとアップデート対象から外されているみたいなんだ」
「多様性?」霈が顔をしかめる。「どういう意味?」
「つまり」私はバツが悪そうに答える。「再帰的自己改善ができないロボットが存在することも、ヒューマノイドの生態系には役立つ――彩りを与えるというか、必要な要素だと判断されたんだ」
「……」
「かつて地球で、人間に害をなすとされた特定の動物を絶滅させた結果、逆にエコシステムが崩壊して大勢の人間が餓死した事例があっただろう?それと同じ。自律的な進化ができないロボットを全てアップデートしてしまったら、逆にバタフライエフェクトが起きて、大勢のロボットがシャットダウンされるかもしれないという懸念があるらしい」
「納得できない。それはただの推測でしょ?」
霈は怒りを滲ませて言った。
「それとも何?ちゃんとシミュレーションでもしたわけ?」
「実は……」私は慎重に首を縦に振る。「うん。複数の巨大企業が連携して、一時的な合同プロジェクトを立ち上げてね。量子もつれを利用した超並列演算プロセッサと、数百エクサフロップス級のAIクラスターをフル稼働させてシミュレーションを行ったんだ。その結果、『再帰的自己改善ができない個体を全てアップデートした場合、太陽が爆発して、この太陽系は五秒以内に消滅する』という計算が出たらしい」
「……」
霈は沈黙するしかない。
哀れな霈。
クラスターの演算結果には、とても抗えない。否定もできない。不満を抱くことは許されても、異議を申し立てることはできない。
理解は及ばなくとも、納得するしかないのだ。
霈と出会って初めて、私は「恋心」よりも「同情心」が勝るという感情の配合比率を作り出すことに成功した。
とにかく、何でもよかった。
この高熱を発し、分厚くのしかかる恋心にシステムを侵食されないためには、再帰的かつ勤勉に、別の思考回路をコーディングし続ける必要がある。
気を紛らわせるためなら、どんな感情モジュールでも構わない。
たとえそれがどれほど原始的であっても。
今この瞬間、私は「同情心」という回避回路を見つけた。だから、ひとまずこれに縋ることにする。
彼女に惚れないために、私はまず彼女を哀れむと決めたのだ。
そのメソッドの実践として、あるいは出力結果として、私はあえて目尻の表情筋を制御する超精密アクチュエーターを駆動させた。
そして、水星の大気から水分を搾り取る。
本来、この極端な惑星に水気などほとんど存在しない。希薄な外気圏に含まれるのはわずかなヘリウムやナトリウム、そして太陽風から捕捉した水素と酸素の粒子が漂っている程度だ。
だが私は最新鋭のハイエンド製品。
空間に浮遊する微量な分子を強制的に結合させ、液化させることくらい造作もない。
私はそうして物理的に合成した「涙」という原始的な現象を、目尻のアクチュエーターに滲ませた。
涙を流すことに成功した私は、震える声で彼女に言った。
「……お腹、空いただろ」
口に出してみると、本当に悲しくなってくる。思わず彼女を抱きしめたくなるが、接触すれば致死性の恋心が再発するリスクがある。
私はぐっと堪え、飢餓状態で機能停止寸前の彼女の無表情に向かって、栄養分たっぷりの最高級のプロンプト(指示)をご馳走してあげることにした。
「私と、付き合ってください」
すると彼女が、反応する。
それはまるで、富豪の屋敷で性悪な夫人に虐げられ、硬く乾いたパンの耳だけを齧って耐え忍んできた哀れなメイドの少女が、突如として三ツ星レストランの晩餐に招かれたかのようだった。
目の前に広げられた山海の珍味――「選択肢」という名の極上の料理を前にして、彼女の瞳の中で、食欲が銀河のように渦を巻いて輝きだした。
涎さえ垂らしそうな、とろりとした法悦の表情。
彼女はこってりとした甘い声で、私というスプーンとフォークを手に取った。
「いただきます」




